その日は夕焼けだった。
赤い世界が広がる、人のいない空間。
風の吹き抜ける音だけが響く。
春休みという期間であるがため、また、それなりの事情を説明してあるため、校庭で部活に勤しんでいる生徒もいない。
この空間は真に静寂に支配されていたといって差し支えない。
二人の人間が立っていた。
彼女は深山雪見。
もう、二十六歳になる。
手には花束。
死者を弔うための花束。
菊の花ではない。
それは別れを告げる意味の花言葉を持った花束。
彼女は上月澪。
二十四歳。
手には深山雪見と同じ花束と・・スケッチブックを持っている。
彼女は言葉が話せない。
スケッチブックは筆談をするための物だ。
二人はこの学校の卒業生だった。
「本当はもっと早く来る事もできたのだけれど・・」
雪見が口を開く。
屋上の片隅に弔いの花束を添えながら。
上月澪もそれに倣う。
花束を床に供え、スケッチブックを小脇にはさむと両手を素早く動かしはじめた。
手話だ。
これが通じる相手であるなら、こっちのほうが効率がいい。
『夕焼けが好きだったの』
「・・わかってるわ。だから・・・」
空に浮かぶ、幻のように紅い月。
本当にこの世界にはこんなものが存在していたのか、と聞きたくなるような。
美しく、幻想的だった。
「本当・・・電波でも届きそうな空・・。」
雲一つ見えない。
かつての彼女のようだった。
二人が感傷にふけっていると、屋上のドアが不意に開く。
そこから入ってきたのは男。
手には先ほどの二人と同じように花束。
二十五歳になる、折原浩平だ。
「やっぱり来てたか・・・墓のほうには先に行ったんだろ?」
「まあね・・。毎年の事だもの。」
浩平は気さくに声をかけ、雪見は昔からの友人に受け答えするように話す。
変わらぬ風景・・なのかもしれない。
「澪も・・・一年ぶりだな。」
浩平の言葉に答えてスケッチブックを開き、字を書き始める。
生憎、浩平は手話とは縁が無かった。
『一年ぶりなの、折原先輩』
それを見て浩平は顔をほころばせる。
「まだ先輩って呼んでくれるなんて嬉しいぜ、薙破さん?」
「ああ・・・折原君も見たのね。」
「まあな。高校時代の知り合いが監督、主演だからな。見ないわけにはいかないだろう。」
最近、日本をはじめとして世界数十カ国で公開された映画。
それはまだ今年が始まって一ヶ月という時期にもかかわらず、もはや今年最高の、という評判が高い。
その監督にして脚本で一躍有名になった深山雪見と、その作品一本だけでもはや世界的な女優になってしまった上月澪。
この二人が今、御忍びで日本に来ている事がファンに知れたらただでは済むまい。
少なくとも死者を弔うには不十分だ。
「見たんならわかるんでしょうけどね・・・」
「ああ・・。」
何が言いたいのか、浩平にはわかる。
ごく短い間ではあったかもしれないが、彼女をよく知る者の一人だからだ。
そして・・・彼女の好きだった人。
「あの澪のパートナー役はね、みさきの役だったのよ。」
「かの実力派の女優がやってたのか?」
「・・・あれで実力派なんだから笑わせるわ。」
「贅沢だな。」
「・・・みさきじゃなきゃ、駄目なのよ・・みさきじゃなきゃ・・。」
目の端に涙が見えたような気がした。
気のせいだったかもしれない。
気が遠くなるほどに奇麗な赤い夕焼けだったから。
「みさき先輩は・・・」
「わかってるわよ・・春休みのあの日に・・・」
・・屋上で、手首を切って自殺した。
遺書には、暗闇の中で外の世界に出る恐怖に耐えられないとあった。
雪見は今日の夕焼けに負けないくらいに、赤い血だまりの中で静かに眠っていた彼女を見て、不覚にも美しいと思ってしまった。
そんな自分を恥じた。
上月澪もその奇麗な先輩の死を、安らかな死に顔を見る事ができた数少ない人間の一人だ。
・・折原浩平はその時は既にこの世界にはいなかった。
「今日は命日だものな。」
「彼女には支えてくれる人が必要だった。」
唐突な雪見の言葉。
「みさきは・・・とても弱かったから・・」
「深山先輩・・・」
「あなたでも、良かったのよ。折原君」
瞳が凍っていた。
刺すような、本当に心の奥をえぐるようなきつい瞳。
・・その瞳は不意に和らいだ。
諦めの表情に変わる。
「ごめんなさい・・・折原君・・・みさきを支えられなかったのは私も同じだものね・・・。」
「深山・・先輩・・」
一陣の風が舞う。
もう三月だというのにやけに冷たい風だった。
「来年は、ここには来ないわ。」
「・・何故?」
『二人で向こうに・・・アメリカに移住するの』
澪がスケッチブックを示す。
「本当か!?」
「ええ・・・この日本は狭すぎるわ・・」
そして自嘲的な笑みを浮かべる。
「それに・・日本にいなければみさきの事を考えなくていいもの・・・」
「そう・・か・・。それにしても・・・」
交互に二人を見比べる。
「澪と、深山先輩、二人でか? もしかして二人ともまだ独身なのはそういうことだからか?」
「さあ、ね?」
くすり、と透明感のある笑みを浮かべた。
変わった、と思う。
みさきが死んで、十年近くの時が流れた。
自分も、ずいぶん変わった、そう思う。
でも、雪見は別人と見まごうくらいに変わったと思う。
「浩平君も、奥さんは元気?」
「瑞佳、か? そりゃな。」
猫好きの、美人の妻の事を思い出して顔がにやけた。
うんざりした顔になる雪見。
「はあ・・まあ、いいわ。もう日本に来るつもりはないから・・多分会うのもこれが最後ね。」
「・・・本当に戻ってこないのかよ?」
「・・みさきはもう、ここにはいないわ。」
一瞬、表情が、消える。
そのすぐ一瞬後には元の表情になったが。
「行きましょう・・澪。残念だけど時間があんまり無いわ。」
うん、と頷く澪。
『折原先輩』
「ああ・・。」
『さよならなの』
「・・・・。」
澪も泣いていたように見えた・・すぐに出口のほうに向かって歩いていってしまったからわからないが・・。
「じゃあね・・折原君」
「ああ・・・。」
キィ・・・とドアの軋む音がする。
「そしてさよなら・・・みさき」
『わたし、ぜったいじょゆうさんになるんだ!』
『ならね、わたしがおはなしをつくったげるよ!』
悲しい幻。
過去の盟約。
それを私は今も守っている。
「目が・・見えなくたって・・できる事はあったのよ・・みさき・・・澪だって・・」
『深山先輩・・・』
さようなら・・折原君。
さようなら・・日本。
そして・・・さようなら・・・みさき・・・・。
もし、再会する日が来るのなら、それは何十年後になるのかしらね・・・。
以上。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
そんなSSです。
深く気にしたら負けです。
今回は感想はなしですので・・・。
でも、みさき先輩が死んでるSSばっかかいてるのは何でだろ?