第五章「裏切りの果てに」(後編)
俺の部屋に案内する。
「何も難しく考える必要はないわ。私を長森さんだと思えばいいの」
最後に先輩が言った言葉が俺の心に重くのしかかる。
先輩を瑞佳の代わりに。そんな事…到底思えるはずがない。
ギィィィ………パタン
終始無言。俺も、おそらく先輩も緊張しているのだろう。
部屋に入ると先輩は何も言わずに服を脱ぎだした。
透き通るような白い素肌。思わず魅入ってしまう。
「………折原君…あなたも………」
先輩に言われ、慌てて服を脱いだ。
生まれたままの姿になった先輩は俺の前に立ち、
「今の折原君には少し辛いかもしれないけど………私を信じて」
そう言って俺を抱きしめ…ベッドへ倒れこんだ。
……………
白い素肌、大きな胸。そして時折耳をつく甘い吐息。
先輩と瑞佳を重ねるなんて到底できなかった。
「先輩………俺………」
「折原君、長森さんはあなたのことなんて呼んでるの?」
「浩平…です」
「………浩平…あなたの思い………長森さんに届くといいね………」
先輩の唇が、俺の口をふさぐ。
「せんぱ……瑞佳………俺………」
「………いいよ…浩平………」
先輩の中にゆっくりと俺自身を埋没していく。
そして、何度も瑞佳の名を呼びながら…俺は意識を失った………
………暗い…暗い世界………
気がつくと、おれはそこに立っていた。
「………失敗………なのか………」
周りには瑞佳はおろか何も見えない。見えるのは『闇』だけ。
「いいえ。長森さんはすぐ近くにいるわ」
突然、頭の中で声がした。先輩の声だ。
「先輩!?」
「今、あなたの心に直接語りかけてるの。空間が歪んで何も見えないかもしれないけど、長森さんの心はすぐ近くにあるわ」
すぐ近くに…瑞佳がいる………
「………瑞佳………みずかぁ!!」
俺は思いっきり叫んだ。辺りがぱっと切り替わる。そして………
「………こ…う…へい……?………」
目の前に…瑞佳が……現れた………
「浩平…どうして?………どうしてここにいるの?」
瑞佳も驚きを隠せないようだった。しかし、俺は構わず瑞佳を抱きしめる。
瑞佳のぬくもり。瑞佳の髪のにおい。瑞佳のやわらかさ。
忘れかけていた瑞佳を思い出してゆく。
「帰ろう瑞佳。俺達の世界へ」
その為に来たんだ。俺は瑞佳を連れ戻すために。
しかし瑞佳は俺の腕から離れ、
「………駄目だよ…浩平………帰れないよ………」
ぽつりと、呟いた。
「この世界はもうすぐ消えちゃうから、あたしはそれまでここにいなくちゃいけないんだよ」
………消える………この世界が………
「馬鹿! この世界が消えたら瑞佳まで消えちまうじゃないか!!」
「いいんだよそれで。だって、この世界はあたしが創ったんだもん」
「よくない!!」
びくっ!と瑞佳がすくむ。その隙に俺は瑞佳の腕を掴んだ。
「帰るんだ瑞佳! 俺達の世界へ!!」
方法は分かっていた。意識をもといた世界へ向ける。
「やあっ! 離してよ浩平!!」
「折原君やめなさい!!」
頭の中で先輩の声が響く。
しかし、俺は瑞佳の腕を掴んだまま元の世界へ意識を向ける。
「離すもんか!! もう二度と離すもんかぁ!!!!」
目の前が真っ白になる。俺達は…元の世界への帰路についた………
「随分無茶をしたもんね」
気がつくと、俺達は部屋に戻っていた。
「戻ってこれたからよかったものの、下手をすればあなたまで消えてしまう所だったのよ」
俺は服を着ていた。先輩が着せてくれたらしい。
「すいません先輩。夢中だったもんで」
「ふふっ。それは私のせいでもあるのかしら」
今までの重い空気とは違う、優しい先輩の笑顔があった。
「ほら瑞佳。お前もそろそろ起きろ」
俺は瑞佳のほっぺたをむにーーーっと引っ張る。
「……………」
反応がない。
「おーい、瑞佳ーーー」
ぺちぺちぺち。ほっぺたを軽くはたく。
「……………」
「おい瑞佳?」
瑞佳の体を起こしてみる。しかし、腕や首はだらんと垂れたまま。
「長森さん!?」
先輩も異変に気付いたのか、瑞佳の手を取る。
「………ないわ………脈が………」
「脈がないって…そんな馬鹿な!!」
人形のような瑞佳を抱き、胸に耳をあてる。
瑞佳の心臓の鼓動が………
………鼓動が…聞こえない………
「失敗だわ………」
先輩が、低い声で呟く。
「多分、無理矢理連れ戻したせいね。肉体と魂が離れてしまったのよ」
「そんな!? じゃあ魂をもう一度連れ戻さないと!!」
「それはできないわ。魂は形なきもの、捕まえる事なんてできないわ」
俺は瑞佳を抱いたまま、先輩に問いただす。
「じゃあ………瑞佳は………」
「魂のない肉体は生きられない。長森さんは………死んだのよ………」
………死………
思いもよらない言葉が先輩の口から発せられる。
「………そんな…瑞佳が………」
抱きしめる瑞佳から体温が奪われてゆく。
………俺は…瑞佳を………殺してしまった………