A棟巡回員の怠惰なる日常・10(中)  投稿者:犬二号


上からの続きです。

***

A棟巡回員の怠惰なる日常・10(中)

出所後、俺はその足で実家に帰った。
両親は冷たかったが、俺が更正した様子を見ると、新しい職場と住処が見つかるまで、
ここにいさせてくれると言い出した。
今まで、それほど好きでもなかった両親だが、この時ばかりは有難さに涙が出た。

それからというもの、俺は大忙しだった。
就職活動はかつてより一層厳しくなっており、しかも元ファーゴ教団員というのが
やはり大きな障害になっていた。
全て手詰まりで帰ってきては、求人情報を集める、そんな毎日が続いた。
(もう、いっその事自衛隊に入っとくべきか?)
そうまで思ったくらいだった。


やっとの事で、ある製鉄工場での採用が決まった日。

俺は、上機嫌で道を歩いていた。
と、信号待ちの間に、見慣れた姿が目に入った。
「…あ、Aー9…じゃなかった、鹿沼葉子じゃないか、おい!」
「え?」
コートに身を包んで立っていたのは、間違いなくAー9、鹿沼葉子だった。
「あ、あなたは…」
「久しぶりだな。元気か?」
「え、ええ。あの時以来ですね」
「ああ、本当にな…」
そこまで言って、気付いた。信者だった彼女にとって、元教団員の俺に出会ったのは
ものすごくアンラッキーなのではないか、と。
「じゃ、俺はここで失礼する…」
しかし、鹿沼は予想に反して、俺を呼び止めた。
「あの、お邪魔でなかったら、一緒に喫茶店でお話しませんか?」
「え…話って?」
「色々です」
信号が青に変わった。彼女は俺の手を取ると、向こう側へ渡った。意外な展開に驚いて
いるうちに、いつの間にか俺達は喫茶店の中に入っていた。

「ご注文の方はいかがなさいますか?」
「あと数分で全員来ますので、それまで待っていて下さい」
ウェイトレスの問いに、鹿沼はそう答えた。
「鹿沼、全員ってのは?」
「私の友達です」
「友達?…あ」
俺の中で、何か閃くものがあった。
「Aー12、天沢郁未か!生きてたのか、あいつ」
「郁未さんもいます。それと、一人を除いて、皆、元ファーゴの信者です」
「…何い?」
悪い予感がする。信者数人に教団員。このままでは、俺は彼女ら全員から吊し上げを
食らうのではないか。そうでなくても、平和的な会話が出来る可能性は極端に低い。
…しかし。
「…逃げないんですね」
俺は、一瞬のうちに覚悟を決めていた。
「…逃げない。逃げたら、俺も元BC棟の奴等と同じレベルに成り下がる。奴等ほど
  ではないにしろ、俺はファーゴにいた責任を負っている。何人も見殺しにしてるし、
  信者が酷い目に遭っているのに長い間止められなかったんだからな。吊し上げ
  食らうくらいの覚悟は、とっくに出来てるよ。そして、絶対に中座しない」
「当然です」
「…」
鹿沼は相変わら情け容赦がない。人がそれなりに覚悟を決めた上での発言を、あっさり
「当然です」の一言でスルーしてくれる。
「当然と言えば当然だがな、その、何だ、いわゆる当然である事をちゃんと出来る
  ようにしたいのさ。出来ないってのは、巳間みたいで、気に食わないからな。
  それに…お前と会えたのもまあ、神が与えた何かの縁だと思っておこう」
「え?」
「何でもない。こっちの話だ」

と、入り口が、カラン、と音を立てた。見ると、あの日以来姿を消したままの、
Aー12、天沢郁未が、赤ん坊を抱いて入ってきた。
「…あ!葉子さん」
「おひさしぶりです、郁未さん。それと、お久しぶりです、未悠さん」
「…あれ?あんた、巡回員の…」
「彼女に連れて来られた。個人的な他意はない。本当だ」
急激に険悪な表情になっていく天沢に、俺はそんな釈明のような事を言っていた。
「んー、それより、その可愛らしい赤ちゃんは…」
「…娘よ」
そう答えると、彼女はむすっとした顔で鹿沼の横に座った。
「へえ、可愛い赤ちゃんだな。『あいつ』にゃ似てないな」
「そう?このとぼけた顔なんか、『あいつ』そっくりだと思うけど?」
娘を見る天沢の目は、母親らしく優しかった。
「父親は、やっぱり例の同居人か?」
「…うん」
「今でも、あいつの事は好きか?」
「…まあね」
「なら、あいつが父親になれなかった分も、お前がよき母親として振舞ってやれ」
「あんたに言われなくても分かってるわよ」
「ふーん、ならいい。鹿沼、信者じゃないってのは、この赤ちゃんの事だったのか」
「そうです」
「なるほどな…」
天沢は、ぶすっとした顔で明後日の方を向いている。元教団員の俺とは話をしたくない
ようだ。まあ、当然といえば当然か。

カラン

また、入り口が開いた。
今度は、濃黄色のリボンをつけた、目のくりくりとした長い茶髪の女だ。
「あ、葉子さんに郁未さんに未悠ちゃん、お久しぶり…あ、そちらの方は?」
「ああ、俺は…」
俺が口を開く前に、天沢が少し怒ったような顔で、目を閉じたままボソッと呟いた。
「ファーゴの教団員よ」
「え…」
女が身を固くしている。
「わー、ちょっと待て!その言い方は誤解を招く!奴等と一緒くたじゃないか!」
「何よ、違うっての?」
「違うと言いたい気分だな、説得力ないだろうけど。ああ、俺は確かに元ファーゴ
  A棟巡回員だが、君の知っている類の教団員とは全然違うから、えーと…鹿沼、
  彼女の名前、何て言うんだ?」
「名倉由依さんです」
「名倉さん、そう警戒しないで欲しい。それに、俺は結局連中とは敵対していた側
  なんだから」
「…あの…信用…出来るんですか…?」
俺の事をものすごく警戒している。
「信用しない方がいいわよ。こいつ、スケベだから」
天沢がその警戒を扇るような事を言い出す。
「一度なんか、こいつ、葉子さんの部屋を通気孔から覗き見した事があって…」
「わー!それは…」
しまった。どさくさに紛れて、旧悪が暴かれてしまった。
「…そんな事してたんですか?」
鹿沼の、ただでさえ冷たい目が、こちらの方を、ひた、と捉える。
「悪かった、鹿沼!馬鹿な事をしたと思ってる!」
俺は素直に誤るしかなかった。この視線にはお手上げだ。鹿沼葉子の最大の武器は、
不可視の力なんかではなくて、この視線なのかもしれない。
「…何か…信用出来ませんねえ…」
疑わしそうな目で、名倉というその女が俺を見つめている。
「ん?名倉…?」
どこかで聞いた名だ。
(…あ)
死んだ巳間が、酷い事をした、償いたいと言っていた娘だ。
「えーと、名倉さん…」
やはり、こういう事は言っておくべきなのだろう。
「君の知っているタイプの教団員の、特に君が知っている二人は、とりあえず両方とも
  死んでいるから、もう君を悩ませる事ぁない。安心しろ」
「え?そうなんですか?」
「!…ちょっと、あんた」
天沢がまた噛みついてくる。
「何だ天沢」
「あんた、デリカシーってもんとかないの?」
「あるさ。ただな、もはや存在しない過去の軛に、名倉さんか?彼女が悩まされている
  可能性がある、そういうのはよくないと思ってな。一番タチの悪い奴はもう死んだ。
  だから、奴の逆恨みとか報復とかを恐れる事はない。安心していいんだ、名倉さん」
「え?あ、まあ…ありがとうございます」
名倉は、とりあえずぺこりと俺に礼を返した。

(ちょっとっ!)
心の中に、直接天沢の声が聞こえてきたので、俺は一瞬驚いた。
(…えっ!?テレパシー…なのか?)
不可視の力は、念力だけがクローズアップされているが、テレパシーも含まれて
いるのだ。門外漢の俺に、あのガキが一度教えてくれた。
(いい?この娘の前で、巳間良祐の名前を出しちゃ駄目!)
なぜか強い調子でそう釘をさしてくる。
…思い当たる節がある。
(…まさか、次来る信者の名前、巳間晴香ってんじゃないだろうな)
(!知ってるの?)
(ああ、あのガキに消去されたと思ってたが…ああそうか、あいつ、お前が悲しむと
  困るとか思ってわざと見逃しやがったんだな)
(え?)
(詳しい事情は知らなくていい。要するに、お前はあいつに愛されていたって事だ。
  それにしても、お前を殺しに来た娘が、何でここに?)
(和解したのよ!とにかく、由依と晴香は友達なんだから!)
(…友人の兄が、か。よく分かったな、あいつが犯人だって)
(「二人」で、「両方とも死んで」いて、片方が「一番タチが悪い」といったら、
  高槻の奴と彼しか思いつかなかったのよ。どうやら正解だったようね)
(ビンゴだ。まあ、分かったよ。名前を出さなきゃいいんだな)
(…?)
(俺もな、巳間とは付き合いがあったんだよ。それで、奴から伝言を預かってる。奴が
  言いたくても言えなくて、結局言えずじまいで終わった事だ。だから、俺がこれを
  言わなきゃ、奴に悪いし、何より俺が気に入らないからな)
(…何をする気なの!?)
俺は名倉の方に向き直ると、巳間が言いたくても言えなかった事を、奴の代わりに
言ってやった。
「それと、髪を後ろで束ねてた方の奴からの伝言だ。君に、済まなかった、と」
「え…」
「ちょっとっ!いい加減にっ!」
「あいつ、ファーゴに家族を人質に取られてたんだ。だから許せって言ってるんじゃ
  ないぞ、もちろん。それは君の判断に一任する。ただ、あいつは君のために心から
  償いをしたかった、それだけは知っといて欲しい。あんなどうしようもない奴でも、
  俺にとっては友達だったんだ。俺には奴の言葉を君に伝える義務があった。たとえ、
  それがどんなに余計な事でもだ。それだけだ」

パァン!

口上が終わった瞬間に、俺は天沢に頬を引っぱたかれていた。
「…あんた…人の気持ちとかが分からないのっ!?」
天沢は、激昂のせいか、顔が蒼白になっている。一方、そこまで確認出来るほど、俺は
冷静だった。当然、こうなる事くらい予想出来ていたし、覚悟を決めていたからだ。
「…言いたい事は分かる。それに、今のは立場上俺が取っていい態度じゃないしな。
  でも、これを言わなきゃ、奴と彼女と俺にとって不公平だからな。そっちの方が
  よっぽど卑怯だと思ったのさ。俺はこれ以上卑怯者になりたくない。それが、
  俺が取るべき責任だと思ったのさ」
「あんたの気持ちなんかどうでもいいのよ!向こう側の人間のあんたが、これ以上
  私達こっち側の人間に過酷な目を見させる方が、よっぽど不公平じゃない!何が
  責任よ!あんた、自分の立場ばっかり気にしてて、私達の立場は理解してるの!?」
俺は少々目眩がした。このまま、不毛な正論同士の口喧嘩がいつまでも続きそうな気が
したのだ。いくら何でも、それはさすがに心の底からうんざりする。
それを止めたのは、名倉だった。
「…もういいですよ、郁未さん」
え、といって、天沢は名倉の方を見た。
「この人、友達想いで、真面目なんですよ、きっと。確かに、あの教団員の人の事は
  あんまり思い出したくないですけど、その人がそういうつもりだったって事だけは
  ちゃんと理解しました」
(…へえ)
俺は内心舌を巻いた。この娘、根がしっかりしてる。強い。
(このアマみたいに、日常に完全に戻っていいのに、ていうかそれが一番当たり前
  なのに、まだこいつはあの戦場で学んだ事をちゃんと心に留めているのか…)
心から、偉い奴だ、と思った。今なら、彼女でもクラスAは行くかも知れない。
そこまで思って、俺は天沢の方を見た。彼女も名倉の方を向いたままだ。
よかった。今の何かと失礼な思考は読まれていない。
「失礼だった、名倉さん。お気持ちを害するかも知れないと思ったんだが」
口のきき方も、自然と丁寧なものになる。
「いいですよお。巡回員のお兄さん、顔が相当覚悟してる感じでしたから」
苦笑した。見抜かれている。
「余計な事でなくて、よかったよ。安心した」
「…いいの、由依?こんな奴なんか許して」
「いいんです。この人の言う事ももっともですからね、立場がどうのこうの抜きで」
「でも、デリカシーない事言うから…」
「私、この程度、全然平気ですよお」
「…」
「友達思いなんだな、天沢」
「あんたに言われたくない」
友達と敵とで、あからさまなまでに態度が変わる。やれやれだ。
「じゃ、お邪魔しまーす。それにしても、晴香さん、遅いですねえ」
名倉が俺の隣に座った瞬間、最後の一人が入ってきた。巳間の妹、晴香だ。

俺が彼女を見る目に、憎悪が含まれていなかったと言えば嘘になる。俺の親しかった
同僚の数人が、こいつに殺されているのだ。
(このアマ…)
…しかし、止めた。あの時点では、そういう事はいくらでも有り得たのだ。そして、
あの瞬間、この女は責任能力を、多分失っていた。そうだったかどうかはあまり重要
ではない。そう思わなければ、再び腹の中が煮えくり返るだろうからだ。
「お久しぶり、皆。…あれ?そこの人は?」
「ああ、こいつは…」
「A棟巡回員の方です。BC棟の悪い人じゃないみたいですから、安心して下さい」
天沢が口を開く前に、名倉がフォローしてくれていた。有難い。
「別に、悪い事してた訳じゃないんでしたよね」
「え?まあ、何というか、まあ、銃刀法違反とか、プライバシーの侵害とか、そんな
  事は仕事と称してやっていて、それは悪かったと思ってるし、懲役一年食らったが、
  まあ、全体的にはそんな所だ」
「…ふうん…あんたも仕事と称して色々やってた口なの?」
「BC棟の奴等のやるような事だけはしていない。それは理解して欲しい」
「…」
巳間の妹は、話を聞いているのかいないのか、すさまじい憎悪のこもった視線を
こっちに注ぎ込んでいた。クラスC信者としては当然予想された反応だったが、
それでも俺は自分の中に沸き上がる憤りを感じない訳にはいかなかった。
(加害者だの、被害者だの…ふざけろっ!)
一度、ガキが俺に、「復讐とは、要するに精神的に未熟な者の仕返しの論理だ。
大人なら、社会的な裁きの論理と、その後での宗教的な許しの論理を以て復讐に
替えなければならない」とこ高説をたれた事がある。
要するに、仕返しするより、相手を裁判にかけて、刑罰が済んだら一応許してやる方が
正しい大人の態度だとでも言いたいのだろう。いつまでも被害者がどうの、加害者が
こうのと言う奴は、どこかで精神が未熟なんだと抜かすのだ。理解は出来るが、
共感はし難い。あまりにも、無責任な奴か強者の暴論に過ぎると思ったからだ。
だが、今なら共感出来そうな気がする。
こいつと天沢は、まだどこか復讐にこだわっている。俺だって、本当はまだ復讐に
こだわっている。懲役一年(もちろん、かなりの情状酌量が働いての判決だ)を
経て、少しは大人になったかなと思ったが、全然駄目のようだ。
あのガキが、大人という概念に対して、少々望みをかけ過ぎているのだ。復讐に
こだわる大人など、シャバにいくらでもいる。俺がそうであってはならない理由が
あるのか?加害者の側だから?それでは全然説明になってない。
(こんの、小娘どもが…なめんなよ…!)
(お止しなさい)
(…あ!?)
気がつくと、鹿沼が少し悲しそうな目で俺を制していた。
(…鹿沼、聞いてたのか?)
(…あなたは、我慢出来るはずです。晴香さんはともかく、あなたは既にその道を
  選んでしまった。今更、引き返すのですか?後で後悔しますよ。それも、生きていく
  のが嫌で嫌でしょうがないくらいに)
(…生きていくのが…嫌になるくらい…か…)
俺は心の中で唸った。加害者の側の責任という説明より、はるかに説得力がある。
(彼女の気持ちも、あなたにはちゃんと分かっているんでしょう?そこまで分かって
  いるのなら…)
(分かってる、分かったよもう。怒るの、止めた)
本当は、まだ何かと言いたい事はあるのだが、こいつにだけは勝てん。見つめられる
だけで既に負けそうなのに、こうまで説得されたらもうお手上げするしかない。

結果的に、六つあった席は、俺の向かい側が道路側から天沢の娘、天沢、鹿沼。
俺の側が通路側から、巳間の妹、名倉、そして俺が座る事となった。
今更ながら、窓側に詰めたりなんかした自分の浅はかさを呪った。逃げないと覚悟した
はずなのに、その決意が少しずつ揺らいでいくのを感じる。だが、どっちみちこれじゃ
逃げようがない。
斜めと、飛んで横から、すさまじい悪意がこっちに向かって放たれ、胃が痛い。
そして、それ以上に、正面からの威圧的なまでの神々しさが辛かった。親の気持ちが
読み取れなくてどう振る舞えばよいのか分からない子供の気持ちを味わった。
就職おめでとうのつもりで、一気にぐい飲みするつもりだったエスプレッソを
頼んだ自分の選択がまた恨めしかった。舌全体に広がっていく苦さと、緊張のせいで
胃が一気にコーヒーを受け付けず、ちびちび飲んでいくうちにぬるくなってく閑職が、
より胃袋を痛め付けていく。
奴等が世間話に花を咲かせている間、俺は一台の動きの固いコーヒー飲み人形と
化していた。

(続く)
***

続編2!