【75】 みさきリフレイン(9)
 投稿者: いばいば <b9707665@mn.waseda.ac.jp> ( 謎 ) 2000/3/30(木)00:03
*この上に(7)〜(8)が投稿してありますので、そっちを先にご覧下さいm(_ _)m



<9> ―― “四周目” 三月三日 ――



ひんやりと冷たい取っ手を回すと、季節の変りを告げる風が扉の隙間から微かに滑り込んできた。
どこか肌に懐かしい、春の匂いをのせた屋上の風だった。

当たり前なのかな? 同じ日なんだから。
もう随分と昔に思える“最初の”卒業式の屋上、
あの日と同じ風、あの日と同じ空気、だけど――

この先にはもう誰もいない。


浩平君だけが足りない世界。


……違うのかな?
この場所で別れを告げたあの日以来、
私の心からも大切なものが抜け落ちたままだったから。

「毎日この調子なら、食費も大助かりね」
嬉しそうにお母さん。
「ようやく食費削って借金返済する気になったのね、感心感心」
これは雪ちゃん。

みんな笑ってからかってたのは、最初の2日までだった。
3日目には無理矢理保健室の先生の前に連れ出されて、
帰ってみれば、家計はまだ大丈夫だから気にすることない、と家族会議。

みんなの優しさにも、私は崩れそうな笑い顔でしかお返しできなかった。
…けど今日で最後。

私は卒業する。

大好きだった場所に、もう何も思い残すことなく、
浩平君が連れ出してくれた、新しい世界に足を踏み出す。

どんなに悲しくても進んでくしかない。みんなそうしてる。
浩平君もきっと…そう望んでるから。
………私は…なんにもしてあげられないから。

後悔はしない、しちゃ…いけない。


そのまま思い切って力をいれる。

扉を押し開けた私を、屋上の風と一緒に出迎えたのは、


「…っ!」

驚いたような息を呑んだような……そんな声。
まるであの…卒業式の日みたいに。


「……浩平…君、なの?」

でも…まさか…、

「みさき先…輩…?」
私の大好きな音。

「浩平君っ!」
駈けだす。

今までのことがみんな無駄になるんだとしても、動きだした想いは止まらない。
なんにもできなくて、どうしよもなくて……やっぱり諦められるはずない。

「オレのこと…?」
「忘れないよ、忘れるはずないよ、みんな浩平君のお陰なんだよっ」
想いをぶつけるように、強く強くしがみつく。
声だけじゃない、確かな温もりが腕の中にあった。

「私…卒業したよ、この学校の外でも歩けるようになって……」
どうして浩平君がここにいられるのか、
わからなかった、わからないけど、嬉しくて。
「もう何処に行っても平気だよ……それだって浩平君のお陰で…」

「……そうか、卒業おめでとう先輩。……オレは何もしてない、出来なかった…けど、安心した」
優しい声色。こんな声、前にも……?

「安…心…?」
「みさき先輩はオレなんかよりずっと強いから、きっと大丈夫だってわかってた。
でもな…いつだったか屋上で淋しそうにしてた先輩が、どうしても忘れられなかったんだ」
「え…?」
「それにオレが商店街に誘った日も、クリスマスも先輩の様子、おかしかったからな」
「……」

「ほんとだぞ、それを聞いとかなきゃ、死んでも死にきれなかったぐらいだ」
何も知らなければ、いつもの冗談に思える軽い口調。

でもわかってしまう、本当のことなんだって。
頭の中を浩平君のくれた言葉がぐるぐると回る。

初めての卒業式、屋上で会った私を勇気づけてくれた、
一緒に外へ出かけて欲しい、そう頼んだら自分のことみたいに喜んでくれて。
そしていなくなる直前の、穏やかな声。

――でも…最後に……良かった

「あ……」

浩平君はいつだって私を想ってくれてた。
まさか…この世界に留まってたのもみんな…私の…。

なら今だって、もう……、

「嫌だよっ!」
背中に回した腕にギュッと力を込める。
そうしてないと今にもいなくなってしまいそうで。

「先輩、苦しい…。急にどうしたんだ?」
「せっかくまた会えたのに、いっちゃ嫌だよ」

「……先輩っ!?」
「行かないでよ、ここにいてよっ……もう…耐えられないよ」

「………大丈夫だ。先輩の気が済むまでここにいる」
一瞬の沈黙の後、背中をぽんぽんと優しく叩かれる。

けど止められない。
「嘘つきだよ……知ってるんだよ…何回も、何回も…」
泣きべそをかきながら、だだっこみたいに感情をぶつける。
「先輩…?」

悔しかったのかもしれない。
大好きな人と一緒に過ごす幸せな時間、浩平君にとっても同じだと思ってた。
「……いくら頼んでも、浩平君は…ひとりぼっちにするんだよ」
なのに浩平君は、見届けるだけ見届けてくれたら、どこか満足気にあっけなく手放してしまう。

「先輩、何…言ってるんだ?」
「浩平君、私ね……」

言葉があふれてくる。
言えなかった、今までのこと。

忘れたこと、屋上で励まされたこと、
繰り返す同じ時間…また会えたこと、
一緒に歩けて嬉しくて、でもひとりぼっちになって、
結局何もできなくて……嘘をついたこと。


「……ごめんな、先輩。オレのせいで…」
聞き終わると、浩平君は静かに息をついた。

「違うよ、謝るのは私の方だよ…」
私が弱いせいで、一度決めたことをやり通せなかったせいで、
また浩平君を傷つけた、困らせた。

「あ…」
髪の毛? ……が頬に触れた。くすぐったい感触に泣き顔が崩れる。
…それに、うつむいて頭をくっつけてる姿を想像して、なんだか恥ずかしくなる。
「くすぐっ…たいよ……」
ささやかな抗議の声。
浩平君は耳を貸さずに話を続ける。
「なあ先輩。俺には昔、妹がいたんだ」
「…妹、さん?」
突然の言葉に戸惑う。

「みさお、っていったんだ」
愛おしげに、何か大切なものを確かめるように、その名前を呼ぶ。

「…浩平君の妹さんなら、きっと…素敵な子なんだろうね」
「ああ、オレなんかには勿体無いぐらい良い妹でな、だからだろうな……。
みさおはもういないのに楽しいことなんかあるはずない、変わり映えのないただ過ぎていくだけの毎日だ。
ずっとそんな風に思ってた。いや、思い込もうとしてたんだ」
今度は私の髪をくしゃくしゃと撫でる。
やっぱり恥ずかしかったけど、あんまり気持ち良くて何も言えなくなる。

「……でもな、違ったんだ。
馬鹿騒ぎばかりしてたクラスの悪友ども、
ずっと傍にいて世話を焼いてくれた幼なじみの長森、
転校生の七瀬、からかい甲斐のある愉快な奴だ、
澪の一生懸命さにはいつだって励まされた、
繭には手を焼かされたけど、不思議とそれが嫌じゃなかった、
同じクラスの茜は無愛想だったけど、その友達の柚木はひとりで一クラス分は騒がしい奴でな…、
それから……みさき先輩」
「私…?」

「ああ、みんなと過ごす時間が、楽しくてしょうがなかった。
毎晩、明日の朝起きるのが待ちきれなかった。
どんなことあるんだろう? …ガキみたいにワクワクしてた。
だから認めたんだ、オレは幸せだって……毎日は、いつだって輝いてたんだ」
「……うんっ」
溢れでた暖かい雫がまた頬を濡らした。
一緒に過ごした時を、同じく楽しいと感じてくれてたのが嬉しくて。

「でもな、楽しかった時間は必ず終わるんだ。
先輩はもう卒業して、来年にはオレ達もみんなバラバラになる。
もしかしたら突然いなくなって二度と…会えなくなるかもしれない……オレの家族もそうだった」

「浩平君…」
「本当は幸せであることを恐れてたんだ、いつかはなくなってしまう幸せ、限られた毎日を。
だからオレは永遠であることを望んだ。
いっそのこと、悲しいことも、嬉しいことも…何も無い世界を望んだ。
もう何も失わなずにすむ世界を……これはその結果なんだ」

「……」

無駄

全く無駄なことだったんだ。
なんでいなくなっちゃうのか、答えてくれなかった浩平君。

幸せだからそれを失うのが怖い。
ほんとは大切に思ってくれてたからこそいなくなる。

だから何も教えてくれなかったんだ…。
私がこの世界に引き止めようとする程、幸せに思ってくれる程、逆に浩平君は……。

「すまない」
「そう…だったんだ」

そんなになってまでこの世界に留まっていたのは、私を心配してくれていたから。
誰からも忘れられ、消えそうになりながら、最後の瞬間まで見守ってくれた浩平君。
それがきっかけになって、同じ時をぐるぐると巡っていた私。

ひどく、滑稽なことなのかもしれない。

「だから先輩は、オレなんかのこと気にすることない」
「……」

でもこの瞬間の暖かい感情、私はむしろ嬉しいんだと思う。

だって私を想って浩平君はここにいる、浩平君を想って私はここにいる。
お互いに想い想われて、そうして二人は今、ここにいる。

「浩平君、ありがとう」

「…え?」
「だって私がこうしてられるのは、浩平君のお陰なんだよ」
「それは先輩が強かったから……」
「だから、ありがとうだよね」

「いや、オレは哀しい想いばかりさせた――」
「それにねっ……楽しいこと、沢山あったんだよ」
自分を責めようとする浩平君に、最後まで喋らせない。
反論する暇もあげない、強い口調で。
「浩平君と一緒に歩けて嬉しかったよ、浩平君が連れてってくれたお店美味しかったよ」

「……ありがとう、先輩」
一息置いて、穏やかな声が耳に入る。
「うん、ありがとう」
にっこりと微笑む。
「オレなんかが何を出来たかわからないけど、光栄だ」
「浩平君…」

「……それに先輩とデートしたなんて、我ながら羨ましい奴だよな」
急に口調が変わった。
「…本当?」
「決まってる、そんな羨ましいこと他にないぞ」
いつも通りにとぼける。

…だけど私は顔を伏せてなるたけ寂しげな声色で、
「いいよ、今更私なんかとデートしても……きっと楽しくなかったよ」

「何でそんなこと言うんだ?」
動揺した様子に心の中で舌を出しながら続ける。
「……だってさっきお話ししてくれたお友達、みんな女の子みたいだったよ」

「それはだな…」
一転、別の意味で焦り出す。
「女の子の敵だよ〜」
そんな反応がおかしかくて、つい口元がほころぶ。
つられて浩平君も声を崩して、二人で笑い声を重ねる。

「……ま、そっちのオレにも、財布の中身に関しては同情するけどな」
やっと笑いが治まったと思ったら、今度は向こうの反撃。
「あ、浩平君…そういうこと言うんだ。私だってちゃんと我慢してたんだよ」
こっちもそれに応じる。
ちょっぴり拗ねたように、それ以上に嬉しさを隠し切れずに。

「まだ何のせいとも言ってないんだけどな。何を“ちゃんと我慢”したんだ、先輩?」
「うー、意地悪だよ、浩平君」
口を尖らせてみせる。
「先輩こそな」
そこでまた大笑い。

「こんなことなら、遠慮しないでもっと思いっ切り食べておけばよかったよ」
笑いすぎて目元ににじんだ涙をぬぐう。
半分正直なとこだった。
少しもったいないことしたかな…、あんなに悲しかったのに今はそんな気分。

「次行った時は、好きなだけ奢る」
「うん、期待してるよ。我慢してた分までお腹空かせてね」
「……それは覚悟しとかないとな」

優しい時間、無邪気に言葉を交わし合えた、あの頃のようなやりとり。
こんな瞬間がいつまでも続いてくれればいいのに、そう思う。

だけど……ううん、違う、

「だからっ――」
私は言わなくちゃいけない。


「また、会えるよね…」


「みさき先輩…オレは……」
その声に再び辛そうなものが混じる。
今なら浩平君の気持ちがはっきりわかる。
私を縛りつけたくないから、何も言わずにいなくなったんだ、って…。

わかって欲しい、そんなの望んでなんかない。

「……ね、私は浩平君のこと、大好きだよ。ずうっと一緒にいたい、そう思うんだよ。
もちろん幸せはいつまでも続かないかもしれないよ、私だって…よく知ってる。でもね――」

浩平君の腕をなぞり伝って、手の平をとる。

「美味しいものは食べたら消えてなくなっちゃうから食べられない。
浩平君はそう言ってるんだよ、そんなの……おかしいよ」
自分でも何を言ってるかわからない、ただ生まれてくる言葉をぶつける。
「オレは……」
「お腹一杯食べたら、ああ美味しかったね、って、
また一緒に次の美味しいもの、探しに行こう…。いっぱい、いっぱい見つけよう」
しゃくりあげながら、ぎこちなく笑う。

「浩平君、さっき約束…したよね……」

「……」


「好きなだけ食べさせて…くれるんだよね」
掴んだ手の平を、両手で包んでしっかりと握りしめる。

……ほんとは、不安で一杯だった。
また拒絶されて、この瞬間にもいなくなってしまう気がして…、




そして…

「ああ…」
浩平君のもう片方の手……が重ねられる。

「みさき先輩、オレは必ず帰ってくるから……」
体中に暖かい気持ちが広がる。

うん

私はずっと、この言葉を聞きたかったんだ。

行かない、とは言ってくれない。でもきっとそれで良い。
浩平君が私を救ってくれたように、私は浩平君を救ってあげられるんじゃないか、そう思ってた。
でもいくら私にとって“何度目”でも、浩平君にとってはたった二週間。、
自らの過去を受け止めて進んでいく、“そこ”はきっと浩平君自身の世界なんだ。

できることなんて、最初からたった一つしかなかったのかもしれない。

「まってるよ……ずぅっと、まってるよ」

「ありがとう、みさき先輩」
「……私、馬鹿だから信じるよ、信じてまってるよ」
「ああ」
返事と同時に、優しく…それでも手の平をほどかれてしまう。

「…あ」

「先輩、キスしてもいいか?」
「え…?」
温もりを追いかけようとした指が止まる。

……

返事の代りに、昔見たドラマみたいに瞼を閉じて顔を上に向ける。
なんにも変わらなかったし、なんだかずっと恥ずかしかった。

浩平君の腕が背中を捕まえる。
微かに届く息がくすぐったい。

唇にそっと何かが触れた。

ずっと寒空の下にいたせいか、少しかさついた感触。
それでいてほんのりと暖かかった。

そのまま、



浩平君は、消えた。



今、この瞬間の気持ちを、一体何て言い表せば良いんだろう。

二度と聞けないと思ってた浩平君の声、
教えてくれた本当の気持ち、
待ち望んでた言葉、伝えたかった言葉、
大好きな人との初めてのくちづけ、失われてく温もり、

そして沢山の選択の中で、最後には笑顔で送り出せたこと

嬉しいのか悲しいのかもわからない。
全部がごちゃ混ぜになって、涙が後から後からあふれて止まらなかった。







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次のエピローグでお終いです。
それと浩平の消える理由は、こう考えてるってのとも少し違ってて、
あくまで当二次創作における話の展開の為だけの消える理由です。

しかしONEの高校、3年の三学期でも平然と授業続いてるみたいですけど、それが普通なんですかね?
いや、私の場合ほとんど学校にでてくことすら無かったもので、ちょい気になって(^^;)