みさきリフレイン(1)  投稿者:いばいば


        <1>  ―― 三月三日 ――
 
 
  丁度、美味しいものを食べてる時に、似てる気がする。
 
  一口一口、しっかりと味わうんだ。
 
  例えば、好物の学食のカツカレー。
  ご飯は炊き立て、ルーは良く煮込んであって程よい辛さ、
  カツはサクサクとした部分と、ルーが染み込んだ部分とで二度美味しい。
 
「ほんとに幸せそうに食べるのね」
  昼休みの雪ちゃんは、いつも呆れたような口調。
 
  うん、その通りなんだと思う。
  カツカレーを味わう時、私はきっと幸せも噛み締めてる。
 
  でも…
  何時だって幸せと一緒にあるのは、お終いの予感。
 
  例えば、次第に軽くなってゆくお皿の感触、
  最初はいっぱいに満たされていたはずなのに、気づいた時には空っぽになってしまう。
  それからお皿の中では、その領土を狭めてるのであろうカレーライス、
  最後にはスプーンの音だけがカラカラと乾いた音をたてる。
 
  食べれば食べた分だけなくなってしまう、そんなの当然のこと。
  なのにその時沸き上がる、寂しさや諦めが重なり合ったような気持ち、
 
  毎日を過ごすということに、似てる気がする。
 
 
  そんな風に、大切なものは少しずつ少しずつ減っていく。
  例えば……雪ちゃん達との他愛のない雑談、
  退屈でもあった毎日の授業、
  それから、こうして屋上に風を感じに来ることも。
 
  好きなだけいられるはずで、
  毎日続いてくはずで、
  何時でも来られるはずで…
  だけどみんな今日で最後なんだ。
 
  手の中には卒業証書。
  もう学校で必要なことは全部終わったという証、
  ――本当に?
 
 
  階段を昇り切ると足を止め、屋上へ続く昇降口の扉に手を伸ばすと、
  思い描いた通りにドアノブはすんなりと掌の中に収まった。
  ひんやりと冷たい金属を回すと、季節の変りを告げる風が扉の隙間から微かに滑り込んできた。
  
「…っ!」
  そのまま扉を押し開けた私を、屋上の風と一緒に出迎えたのは、
  意外にも男の子の、驚いたような息を呑んだような、そんな声だった。
 
  そして彼はそれきり黙ったまま何も喋らない
  人の気配がするし聞き間違いじゃない、一体どうしたんだろう?
 
  ……もしかしたら、これは“あれ”かもしれない。
 
「卒業式の後片け、さぼっちゃ駄目だよ」
 
  無言
 
  あれっ?  違うのかな……。
  ちょっと気まずい沈黙に、重ねて声をかけようとしたその時、
「…忘れ物、かな」
  私の知らない、初めて聞く声だった。
  どっちかというと低めの、安心出来るような声。

「ふーん、見つかったの?」
「ああ、多分な」
  冗談半分といった様子。
  目的があって、ここに来た訳じゃないみたいだった。
  こんな日に、わざわざ屋上に上がってくる物好きな少年、
  なんだか親近感を抱いた、まるで――
  “まるで”?

「私は川名みさき、あなたは?」
「……折原、浩平」
「それじゃ浩平君だね、よろしくね浩平君――」
  一拍置いてから、悪戯っぽく付け加える。
「……もう卒業しちゃったんだけどね」
「知ってる」
  冷静に返されてしまう。

「え、何で!?」
「ああ……卒業証書」
  何故かちょっと慌てたように、浩平君。
「ふーん」

「ね、浩平君は、よく屋上に来るの?」
「……最近な」
「私もよくここに来るんだけどね、今まで一度も会えなかったなんて…ちょっと残念だよね」
「え…」
  どうもさっきから歯切れ悪そうに言う……私にはなんとなくその訳がわかってしまった。

「……もしかして浩平君、前から私のこと知ってた?」
「…………」
  時たまこういうことがあった。
  私は校内では“有名人”だったし、話し掛けてくれなきゃその人を知ることさえ出来ない。
  もう慣れたとはいえ、やっぱり寂しかった。

「声、かけてくれれば良かったのに…」
「……そうだよな、本当に…そう思う」
  真剣に悔しさを滲ませて途切れがちに喋る。
  予想外の反応に胸がちくりと痛んだ。

「でも、今ちゃんとお話出来たから嬉しいよ」
  幾ら寂しくたって、こうして知り合えただけでも幸せなことで……。
「……ああ」
「そうだよ」
  そう言って微笑む。

「ね…夕焼け、きれい?」
  とりあえず話題を変えようとして、なんとなく口を衝いてでた言葉。
「……ああ、きれいだぞ」
  少し間を置いて答えてくれたその声は、
  こっちが思わず赤面してしまうほど優しいものだった。
 
  高校生活の最後の日常に、この男の子と出逢えたことに感謝した。
  屋上で夕焼け時の空気を感じながら他愛のないお喋りをする。
  そんな風に、残された最後の瞬間までいつもと同じように過ごせるのは、幸せなことなんだと思う。
 
  “いつも”?
 
「私ね、この場所が大好きだったんだよ……ちょっと寂しいかな」
「また何時だって、好きなときに来られるだろ」
「そうだよね。でもね……高校生の私にとっての屋上は、今日でお終い」
  あとはただ、懐かしむだけなんだと思う。
  そうじゃなきゃ逃げてることにしかならないから。

「嫌なのか?」
  心の深いところを鋭く抉る問い。
  けどそのままの気持ちを口に出してしまうのは、躊躇われた。
「…もし嫌でもね、先に進んでいかなきゃいけないんだよ」
  どんなにつらくても、もう他に逃げられる場所なんてなくて……。
「…どうだ? いっそのこともう1年勉学にいそしんでみないか?」
  沈んでしまったのを気にしてくれたのか、
  もっともらしい口調で滅茶苦茶なことを言い出す浩平君。

「留年は困るよ」
「オレと同じクラスになったりしてな」
「ふふっ…面白そうだね」
  本当に楽しいだろうな……こんな面白い子と一緒なら。
  毎朝教室に入ってくる瞬間から、もう何かが起こりそうで、
  きっと授業中だってジッとしてないと思う、
  そしてまた毎日続いてく、穏やかな日々。

  しばらく他愛のない空想に、思いを馳せる。
  ……でも、掌の中に握られてる卒業証書が、つらい現実を告げる。
  私の高校生活はもう時間切れ。

「…もう、卒業しちゃったんだけどね」
「そうか、残念だな」
  浩平君の声のトーンが少し落ちた。
「だからこの場所も、明日からは浩平君に任せるよ」
  湿っぽくなった空気を吹っ切るように、明るく締めくくる。
「じゃあ、オレが新しい部長だな」
「そうだよ、由緒ある部だから一生懸命やってくれないと困るよ」
「大船に乗ったつもりで安心しててくれ」
「ほんとかな〜」
 
「……私ね、これから学校の中を歩いてみようと思うんだよ、えーと、浩平君は?」
  まだふざけた調子のまま切り出してみる
「オレは、ここでもう少し空を眺めてる」
「そっか、さよならだね、浩平君」
「ああ、それじゃ」

  浩平君に背中を向けて、ゆっくりとこの場所をあとにする。
  数歩進んでから、手を伸ばせば鉄扉に触れられるぐらいの距離を計り、
  そっと足を止めて取っ手を掴まえた。
 
  こうするのも、これが最後なんだ…。
  一度そんな思いに囚われてしまうと、改めて淋しさが込み上げてくる。
 
  まだ信じられなかった。
  明日もいつもと同じように登校したら、いつもと同じように友達と挨拶を交してお喋りに耽る。
  そうしてるうちに授業が始まって…。
 
  今と違う日常があるんなんて、思いもしなかった。
  知ってたけど考えようとしなかった。
  大好きだった場所を離れて、これから先に広がってるのは、心まで暗闇に満たされてしまう世界。
  何があるのか、自分が何処にいるのか、そんな事さえ何ひとつわからない場所。
 
  我慢できなくなって、後ろに振り返る。
  だけど伝えるべき言葉なんか見つからなくて……。
 
「また会えるよね?」
  結局そう訊ねることしか出来なかった。
「みさき先輩…」
  何処か迷ってるみたいだった。適当なことを言うのが嫌だったのかもしれない。
 
  だけど私は沈黙を通した。
  まだ何か、学校との繋がりを求めてたのかもしれない。
  浩平君を困らせるとわかってても、答が欲しかった。
 
「ああ、先輩が…そう望んでくれれば」
  そして浩平君は穏やかな口調で、待っていた言葉を与えてくれる。
 
「うん、約束だよ」
「それに先輩はここのOGなんだろ、たまには顔だしてくれないとな」
「そう、だよね」
  ……そこまで聞いても、私はまだ立ち去ることは出来なかった。
  理由のない焦燥感が沸き上がる。
  何がおかしいのかはわからない、けどこのままじゃいけない気がした。
  例えるなら、何か大切なものを置き去りにしてくような気持ち。
 
  でもそれはきっと未練でしかなくて……。
  必死に自分に言い聞かせ、ここに留まろうとする気持ちを追いたてる。
 
「オレには何も出来ないけど……きっと先輩なら大丈夫だと思うぞ」
  その時、背中越しに贈られた応援。
「ありがとう…またね、浩平君」
  それだけを言い残すと、もうお馴染みの耳障りな軋みを響かせながら、扉を引き開けた。
  その感覚さえも心に焼き付けながら、ゆっくりと……。
 
 
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冗長な文ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
 
タイトル元ネタは、判る人は題名見ただけで判るだろう「はるかリフレイン」という漫画です。
内容は大筋しか原形留めてませんけど。
 
あと、ここに登場するみさき先輩は、野郎の1プレイヤーによる二次創作ですので、
当然実際の障害や、女の子の心情・思考といったものとは、関係がなく、
それらについての失礼や不備については、笑ってお受け流し下さると幸いです。
せめて魁!男塾の月光現象だけは無いようにしたいと思ってますので(爆)
 
では