精一杯の言葉を、あなたへ 投稿者: いばいば

冬の終わりの風が心地よい。
窓から吹き込んでくる風は、まだまだ十分な冷気を孕んでいた。
少女はそれを上気した体で受け止めながら、荒く乱れた呼吸をゆっくりと整えていく。

壁にもたれ掛かり、床に足を投げ出した格好。
疲れたーっ、と全身で表現しているようだ。
それも仕方がない、何しろ演劇部の舞台はもう間近、今日は一段と頑張って稽古したのだから。

彼女はおもむろに傍らのマジックへ手を伸ばし、
予め広げてあったスケッチブックに一文字ずつ丁寧に書き込んでゆく。
……と、書きながら落着きなく足を動かす、実は足元の方が蒸してどうにも暑いのだ。
壁に体を預けた体勢のまま、手だけを使ってもぞもぞと少し場所を変えてみる。
再びひんやりとしたタイルの感触、うん、やっぱり気持ちいい。

『冷たくて気持ちいいの』

かわいらしい丸文字のため、ほとんど円になりかけた「の」の字で締めくくると、
彼女の「専属コーチ」に向けて、パッと顔を上げた。

しかし、それを伝えるべき相手――浩平は掲げたの言葉の先にはいなかった。

……そう言えば、冷たいもの買ってくる、と言って、食堂から出てったきりだ。
伝え損なった言葉が恥ずかしく思えて、急いでスケッチブックを閉じてしまう。

こんなこと初めて……、
相手を確かめもせずに言葉を綴るなんて、今までしたことがなかった。
独り言……何故だかそんな言葉が彼女を掠めた。

誰が見ていた訳でもないのだけども、照れ隠しのように勢い良く立ち上がった。
軽く伸びをした後、制服の埃を軽く払うと廊下に向けて歩み出す。
静かな食堂に独りきりで、じっと帰りを待ってるのは寂しい気がしたし、
食堂から下駄箱までは一本道、なので途中のどこかで浩平に出会うはず。

休み中も食堂の自販機が動いてれば良いのに……
他に誰もいない廊下に、上履きのゴムの擦れる音を響かせながら、
ぼんやりと取り止めも無いことに思いを侍らせる。

練習中は、兎に角喉が渇く。
その度に校外まで買いに行く訳にはいかないので、どうしても我慢することになる。
……でも、毎日のことであるので、お小遣いの節約になってる気もするし、
甘いジュースばかり沢山飲んでいたら、体重が増えてしまう。
水筒を持参すれば良いのかもしれないけれど、
やっぱりこれで丁度いいのだろう、そう考え直す。

話し声?

ふと思考を中断して、足に休みを与える。
それから曲り角の向こうへ、首だけをちょこんと出して覗いてみる。

探していた浩平が、窓から差し込む夕陽を浴びて佇んでいる。
でも、意外なことにその側にもう1人、演劇部の部長である深山雪見の姿。
2人共、少女の良く知っている人物だ。
けれども、澪にはその中に出て行くことも、元より声を掛けることも出来なかった
重苦しい空気に包まれた会話の中、自分の名が呼ばれるのを聞いてしまったから

澪、と

二人は本人を前にしているとは気づかずに続けてしまう。
「なぁ、俺には良く分からないけど、素人一人が見てるよりも
出来るならみんなで揃って稽古とかした方が良いんじゃないのか?大道具の準備も終わったんだろ」
「それが……ね、駄目なのよ」
「どういうことだ?」
「あの娘、演技に対して少し消極的なのよね。どうしても周りの人の演技に引っ張られちゃうのよ」
「……」
「上月さんの演技は受身なのよ、だから個別に練習した方が良いのよ」

浩平はにわかには信じることが出来なかった。
今、雪見とは別の娘について話しているのではないか、そんな気にさえもなる。
いつも勢いよく浩平の腕に抱き着いてくる澪。
寂しがりやではあったが、体中一杯に詰まった元気をふりまいているような前向きな姿。
いつかの光景が蘇る。

――いっぱい伝えたいことあるの――

少し照れてはいたものの、はっきりとした意志を持ってそう訴えたのだ。
彼が演劇部に籍を置くことになったきっかけの言葉でもある。
その澪が消極的?

しかし心の何処かでは納得している自分もいることに気づく。
……嗚呼、自分も同じなのだ、と
普段の人を煙に巻くような言動や、道化じみた所行。
他人の目を通せばその内面を推し量ることなど、とても出来いであろう。

それでも矢張り、妹のように思っていた澪の知らない一面に対しては、寂しさは感じるし、
その反面、自分は気づいてやれなかったことで、
目の前の少女に対しては、嫉妬めいたものさえ感じてしまう。

「それに、だからこそ折原君にお願いしてるのよ……」
雪見はそんな浩平の内面を見透かしたように、少し悪戯っぽく続ける。
「なんだそれ」
「教えたらわたしが上月さんに恨まれるわよ、有り難味がなくなっちゃうからね」
「そうなのか?」
「そうよ、今のままが一番良いの」
「それじゃ、頑張らないとな」
同時に張り詰めていた空気が和らぎ、どちらからともなく微笑を交す。
けれども、それも浩平の次の一言で瞬時に打ち砕かれる。

「……でもな、あともう少ししか、澪の面倒見てやれないかもしれない」

雪見は何かを言いかけたが、言葉に詰まったように口を閉ざした。
誰も聞き取る事は出来なかったが、澪は実際叫んでいたかもしれない。

でも、誰よりも辛そうな顔をしていたのは、浩平だった。

告げるつもりは無かった、
このまま行けばどちらにせよ全ては忘却の淵へ流れ去るのだ。
ならば何を言ったところで自己満足でしかなく、誰かを傷つけてしまう結果にしかならない。

「すまん」
「……そう」

雪見は逡巡したように視線を彷徨わせていたが、
ともすれば流れ出てしまう感情を押し隠すように、浩平に背を向けた。

「あの子ね、いつも浩平君の腕にぶら下がるでしょ?あんなことするの、折原君に対してだけなのよ」

最後にそれだけを絞り出すように伝えると、
波立った心とは裏腹に、ゆっくりとした歩調で側を離れる。

残された浩平は無言で見送る。
許された時間はもう僅か。
せめて舞台の成功を、澪の演技を見届けたい、それだけが最後の望み。

――えいえんはあるよ――

浩平は何時しか眼前に広がる光景に眼を、心を奪われていた。
夕日の紅に包み込まれた世界に、そしてその先に広がる世界に……


澪は一部始終を傍観していることしか出来なかった。
もう彼女の練習に付き合うのを避けたがっているような言葉。
澪にとっては、二人の毎日の練習は他の何にも代え難い時間だった。
浩平は違ったのだろうか?
……そして決定的な一言。
衝撃は少女から一切の動きを奪い去っていた。
短く切り揃えた髪とリボンのみが微かに風に揺れる。

汗が退いたばかりの体には、夕刻、それも冬のうちの風は少々肌寒い。

…ュン
くしゃみというには、あまりにも微かな吐息だったが、
少女はそれを機に、呪縛から解き放たれたように動きを取り戻した。
何故浩平があんなこと言ったか、きちんと問い質さなければいけない。

そう決めると、爪先を使ってそろそろと音を立てないよう歩き出した。
ちょっと浩平を脅かして――いつものように、後ろから思いっ切り腕にぶら下がってやるつもりなのだ。
そうすれば今、心に溜まっているもやもやも少しは晴れる、そんな気がしたから。
あと4歩……3歩…2歩、

ッ――

突然に硬い物音が静寂の内にあった廊下に響き、澪は身を竦ませた。
先程食堂で使ったマジックが、ポケットから零れ落ちたのだ。
少女の『言葉』の欠片は滑りながらくるくると回り続け、最後に浩平の靴に当たって制止した。

どうやら作戦は失敗の模様、照れ隠しに、えへへ、と舌を出して小走りに近づいていく。
……が、彼は全くそれに気付いた素振りも見せずに、
それ迄と寸分も変わらぬ姿勢で、相変わらず茜色の空を眺めていた。
否、実際には何も見てなどいないのかもしれない、
こちら側から確認できるのは、西日を受けぼんやりと赤く縁取りされた後ろ姿だけなのだから。

ほんのちょっと腕を伸ばせば届くはずなのに、
澪にはその姿は遠くに、酷く遠くに感じられた。
まるで現実感を伴っていない、そこだけが時の流れから外れているような錯覚にさえ陥いってしまう。

浩平も、わたしを独りにするの?

ドクドクと、心臓の鼓動ばかりが、やけに大きく聞こえる。
整えらた呼吸がふたたび千々に乱れ始め、浩平の影が、白く薄っすらと霞んでゆく。

いや……違う?
おかしいのは、澪自身?
押し寄せる孤独感がゆっくりと澪を飲み込む。
……苦しい、とても息苦しく、胸が押し潰されそう。
ヒリヒリと渇いた喉が空気を求め喘いでいる。
そして唐突に体の奥底から這い出てくる恐怖。
ずっと独りぼっちだった、幼かった頃に戻ってしまうかのような……。

澪はただひたすらに、浩平の温もりを求めようとする。
けれども、体は少女の意志の元から離れてしまったかのように動かすことは叶わず、
どんなに力を込めても、指一本さえも自由にならない。
ただ唇の動きだけが静かに浩平の名を呼ぶが、勿論それは伝わらぬ言葉。

澪の小さな歩幅でもたった一歩分にさえ満たない距離、
しかしその浩平までが、澪にとっては無限にも等しい長さなのだ。

そして遂には疲れ果て絶望が心を支配し、何も出来ずにただボーッと立ち尽くす。
それは、かつての澪と同じ姿。

澪は、そこにいるのに、
誰も注意を払わない、
誰も見つけてはくれない
まるで彼女だけが、別の世界の住人のように……






澪は部屋の中でじっとしてるのを好む内向的な女の子だった。

「お腹空いたの?」
「どこか具合悪いところでもあるのか?」

家には澪を可愛がり、ほんの少しの表情の変化を読み取ってくれる優しい両親。
勿論両親も忙しく普段は独りきりで寂しい想いをしてばかりだった。
でも家の中にいる限り自分だけが他の子達とは違うということを思い知り、
それによって嫌な思いをすることも無い。

まだ他人を気遣うことも出来ない、幼い子供達を責めることことは出来ないのと同じように、
そんな女の子が家の中だけに篭もりきりになるのを、誰が責められただろう。

独りの時は、絵本を読んで過ごすことが多かった。
特にお気に入りのお話は、表紙が白く擦り切れる程何度となく読み返した。
攫われたお姫様を王子様が助け出す、そんな筋の他愛の無い御伽噺ではあったが、
悪い魔法使いに捕らえられ、暗く冷たい牢屋に閉じ込められたお姫様は、
澪には自分に重なるように思えてならなかった。

本の世界に入っている間は、感情移入した澪はお姫様そのものだった。
わたしは世界で一番このお姫様の心がわかってるのかもしれない、何時しかそんな気にさえもなった。
囚われて独りで寂しくても恐怖と闘う姿は心に触れ、
遂に勇敢な王子様が助け出してくれ二人は末永く幸せに暮らすという最後に至り、
幸せな気持ちで絵本を閉じる。
そしてしばらく御伽噺の世界を夢想する。

と、そうこうしているうちに時計は6時を知らせる。
時計の長い針と短い針が一直線になる頃、決まって
大好きなお父さんが、公園脇の並木通りを通って帰ってくる。
それを2階のベランダから見守るのが澪の日課の一つだ。

けれども今日は幾ら待っても父親の姿は見つからない……
しばらくそのままでいるが、それらしい人影も無い。
子供達に人気のアニメ番組が始まる時間になり、ようやく部屋の中に引き返す。

でもテレビの前に座ったものの、5分もしないうちに消してしまった。
父親が気になって、お話は澪を素通りしていくばかり、
それにいつもなら心を躍らせる賑やかな世界は、
薄暗い部屋に独り蹲る澪をひどく惨めな気分にさせた。

今日は母親もいない、このまま誰も居ない家のでじっとしているのは、堪らなく寂しい気がした。
……そうだ、公園のところまで迎えに行こう、
それはとても良いアイディアに思えた。


―――そうして、どれくらい待ち続けていたのだろう。
ようやく待ち望んだ父親を認めると、寂しさや不安で今まで沈んでいた澪の表情にパッと灯がともり、
公園のベンチからそちらに向けて飛び出した。

でもそれは父親の眼には入っていない、彼は気づかずに早足でどんどんと先へ行ってしまう。
澪も追いすがるものの、もつれる小さな足では差は広まる一方、
幾ら必死に駈けだしても追いつかない。

彼にすれば家の外で愛娘の姿を見るなど、予想だにしていなかっただろうし、
正にその子に少しでも早く顔を見せて安心させてやろうと、
周りなど気にせずに急いで帰ろうとしていたに違いない。
でもそれは、まだ幼い女の子にとっては余りにも残酷な現実を突きつけてしまった。

澪はまだ未成熟な心故にぼんやりとではあったが理解した。
無力な自分を、大好きなお父さんとお母さんに対してさえ何も伝えることは出来ないのだという事実を。
普段の生活だって、向こうが意志を汲み取ってくれる一方的なものでしかなかったのだ。

そして両足は歩みを止め、独り残された澪はただ無表情に立ち尽くす。
泣いても笑ってもどうせ、誰も見てはくれない、そんな孤独感で一杯だった。
澪には、物語に出てくるお姫様のように王子様に助けを求めることさえ許されていないのだ。

「……行っちゃったよ」
その声を耳にした時も、始めは自分に対してのものだとは思えなかった。
「ねぇ、良いの?」
間近での重なる声に、ようやくきょとんと見上げてみる。
すると澪を覗き込むようにして立っている少女が一人、
まっすぐ伸ばした長い髪に黄色のリボン、それに利発そうな瞳が印象的な少女だ。

「わたし知ってるよ。さっきから、ずぅ〜っと見てたんだから。」
歳の頃は澪とそう変わらないぐらいであろう。
でも喋り方や仕草の一つ一つにどこか大人びた雰囲気を漂わせている。
ちょうどこんな少女の事を「ませた」とでも言うのだろう。
ただポケっと突っ立っている澪をずっと観察していたことを考えれば、
していることはやっぱり歳相応なのかもしれない。

澪は問いに対しただ黙って小さく首を左右に振った、全く返事にはなっていない。
けれどもそれは、何かを伝えようとしても却って相手を戸惑わせてしまうのが判っていたから。

「じゃあ、名前はなんていうの?」
……
「わたしはね、みずか、ってゆうんだよ」

(み・お)
そう、口だけを動かした。
みずかと名乗った少女は、少しだけ驚きの表情を覗かせた。
けれども、初めて積極的な反応を得られたことに満足したのか、すぐに気を取り直す。
「……そうなんだ。ごめん、わかんなかったよ。 ねっ、もう一回」
「もうちょっと、ゆっくり」
言われるままにパクパクと幾度か繰り返し、
それを見た少女は同じように口を開き、小さな声でごにょごにょと呟いてみる。
「始めは『め』?」
否定の意味をこめ、ふるふると首を振る
「じゃあ『み』?」
頷くことも忘れてポカンと少女の顔に見入った。
まさか伝わるとは思っていなかったから。

それから何度か
「そっか、みおちゃんってゆうんだ、良い名前だね」
澪は急いては手に入れた何かが逃げ出してしまうかのように、おずおずと慎重に頷く。

「そうだっ!」
みずかはしばらく満足気な表情を見せていたかと思うと、
突如大きな声をあげると、服のあちこちをごそごそと探り出した。
そして何かを探りあてかと思うと、ポケットの縁から紅い布が顔を覗かせる。

澪は、大きな布がスルスルと出てくるのを、まるで手品でも観ているかのように、ポーっと眺める。
「これを……ちょっといいかな」
少女はそれを澪の頭に結ぼうと彼女の背中にまわったが、
あまり慣れていないのか頼りない手つきでリボンと格闘を始めた。
「……」
澪は何かを問いた気な表情をしながらも、されるままにじっとしている。
その甲斐もあってか、数分後にはなんとか蝶々結びと呼べる代物が出来上がっていた。

それでも少女にとっては、思い通りのものが出来上がったのか、
それとも自分のアイディアに満足したのかは分からないが、
みずかは一人でうんうんと頷きながら、嬉しそうにぽんぽんと軽く叩く。
「これを着けてれば、みんなすぐに見つけてくれるよ」

澪の方は慣れない感触に戸惑ってるのか、頭が少し重たくなったのが気になるのか、
しきりにその不格好な蝶々に触れようとする。
「あーっ!ダメだよぉ、取れちゃうよ」
と、その度にみずかは情けない声を出して止めさせる。
「これはね、澪ちゃんがここにいる、ってゆう目印なんだよ、いじっちゃ駄目だよ?」
……うん
不思議な少女の口から出たその言葉は、幼い澪にはまるで魔法のおまじないのように響いた。

少女が名残惜しそうに何度手を振って帰っていってからも、
澪は公園のブランコで一人揺られていた。
心の何処かで助けてくれる王子様を待っていたのかもしれない。
澪はこんなにも寂しいのだから、リボンをしていれば本の中のお姫様のように……

――と、突然に日が遮えられ、落ちる人影
「…よっ。お前なにやってるんだ?」
続いて少年の声、それは新しい日常の始まり……






大きなリボンとスケッチブックは、上月澪のトレードマーク

廊下で、階段で、食堂で、
もし校内でリボンを舞わせながらパタパタと元気に走る後ろ姿を見たならば、

それはきっと澪

「あれっ、澪ーっ!」
同級生の声に、少女は急ブレーキをかけるとくるりと振り返る。
それからすぐに声の主の姿を認めて、スケッチブックをぶんぶん振って答える。
遠目でもはっきり判る挨拶。
「これから部活?」
うんっ
元気に頷く。
かけられた声に負けないぐらい、大きな返事。
「んじゃ、頑張んなよーっ」
うんっ
最後に一際大きくスケッチブックを振ると、また駆け出す
……と、そこで躓いて転げそうになってしまい、
なんとか体勢を持ち直してから、照れくさそうにもう一度振り返る。

危なっかしい、でもそれでいて、いつも一生懸命でどこか微笑ましくて……
だから見ている方の表情まで、一緒にコロコロと変わる。
笑って、驚いて、心配して、最後にはまた笑顔。
そんな澪は人気者、だから沢山の人が次々と声をかける

友達みんなと一緒の、賑やかで、それでいて穏やかな毎日
幼い頃からずっと待ち望んでいたはずの日常
でもこの幸せこそが澪を堪らなく不安にさせる。

切っ掛けは、いつもふとしたこと
例えば、誰にも声をかけてもらえないまま、家路に就いた放課後。
例えば、廊下の向こうを通り過ぎていく友達の姿を、どうすることも出来ずに見送った時。
勿論そんな日もあるのは当然で……でも蘇るのはあの頃の記憶

孤独だった日々、行き場の無い想いだけが澪の内に渦巻いていた。
手に入れたはずの日常が、まるで幻だったかのように不確かなものに思えてくる。

そんな時、決まって、頭の後ろに手をやってリボンをギュッと握り締める
そうすると、何とも言えない安心感に包まれるのだ。

――みんなすぐに見つけてくれるんだから――

あの日、澪の心に固く結ばれたリボン
いつも一緒にないと不安になる、必要不可欠のもの
初めて、内なる思いを「伝える」ことが出来た日の約束の品

でも、身体の一部とさえ思えるような、そんなに大切なものでさえも、
同時に複雑な感情を呼び起こしてしまう。

みんな澪自身ではなくて、リボンを見て、リボンに向かって声を掛ける気がするから。
いつも結わいていなければ、誰も見てくれないのかもしれないという恐れ。
そしてまだ過去に囚われている、心の弱さの象徴だから。

全てが子供じみた幻想にすぎないのだろう
あれからずっと強くなった今の澪が持っている、沢山の確かなもの

大勢の人達に囲まれ、
自分なりの言葉を手に入れ、
一杯、一杯、伝えたいことがあって

でも、それでも……


「……聞いてたのか?」

不意にかけられた声に、急速に世界は元の姿を取り戻していく。
目を開ければ、間近にはこちらに振り返り心配そうに眉を顰めた浩平の顔。
澪はずっとあのまま立ち尽くしていたようだ、
リボンを握り締めながら……それも布地を通してさえ爪が掌に食い込む程きつく

……
問われた澪は目を伏せてしまい、肩で息をしながら、
肯定とも否定ともつかない、小さな首の動きを見せただけだったが、
浩平はそれ以上何も問えなかった。

澪は静かに横に並ぶと、先程までの浩平に倣って窓の外に顔を向けた。
冬空は何時しか、赤と青の綺麗なグラデーションを描いていたが、澪の瞳には何も映ってはいない。
いつもは、周りの者まで釣られて微笑んでしまうような、あの楽しげな表情を湛えている顔は、
今はただ、泣き出すのを堪えているかのように、強ばっていた。

けれども、澪は女の子の中でも、身長は小さい方から数えて1、2を争うぐらい、
並んでみると、浩平の胸元までの背丈もない。
だから彼の視界には、彼女の髪を彩る特大のリボンばかりが一杯に入ってくる。

「……ほんとに、いっつもリボンしてるよな」
それこそ独り言のようにポツリと、そう呟いた。
心の中で、そっと付け加えて――たしか『初めて会った時』も着けてたよな、と。
それから先程澪が強く握ってたので皺になってしまった部分を伸ばしてやろうと手をやってしまう。

が、それを察知した澪はあうあうと慌てて頭のリボンを両手で押さえて蹲った。
ある程度予測はしていたものの、過剰な反応に浩平も慌てて弁解。
「いや、取ったりしない。」
うーっ、っと眼に涙を滲ませて唸る。
「ほんとにもう触らないって。」
小動物を思わせる仕種が少し可笑しかったが、
必要以上に澪の機嫌を損ねてしまいそうなので懸命に表情を保つ。

でもそれも逆効果、益々感情を昂ぶらせた澪はポカリとやろうとスケッチブックを上段に構えた。
この攻撃の執念深さは以前に身をもって経験済み、急いで誤魔化しにかかる。

「うわっ、澪、止めろって」
必死の制止にも係わらず非情にも一撃目が加えられ、続いて連続攻撃の体勢。
「えーと、ほら……でもそのリボン、なかなか似合ってるぞ」

……!?

が、澪はそのままピタリと凍りついてしまう。
潤んだ双眸だけが声の主の姿を求め、その真意を確かめるようにまっすぐに見つめる。

浩平の方も、苦し紛れに口にした言葉の劇的な効果に、思わずじっと見返してしまい、
図らずも二人はお互いの視線を受け止め合う形となる。
少女の何かを請うような上目遣いの表情は真剣そのもの。

しばし沈黙

一拍おいて、諦めたように溜息。

「いや、リボン、似合ってて、可愛い、って」
言い難そうに少しずつ区切りつつ、それも不貞腐れたような顔で目を逸らしながらだけれども。

言葉の意味が浸透するにつれて、澪の顔は沈み行く夕陽とは対象にどんどんと赤みを帯びてゆく。
そして遂には耐え兼ねたように深く俯いてしまう。

「お、おい、どうした?」
浩平は先程からの極端な反応の連続に、戸惑いの色は隠せない。


いつも心の片隅にあった孤独感は、何時の間にか完全に消え失せていた
代わりに胸を一杯に満たしているのは
もっと別の、暖かい何か


うんっ、
大丈夫っ、とばかりに顔をあげて頷く。


澪の演技が上達しないのはその姿勢が受身だから
……深山部長の言葉。
そう、思えばいつだって待っていたのかもしれない
誰かが孤独から救い出してくれるのを、
あの日の約束の相手を、
「好きだ」という言葉を


その拍子に、にっこりと微笑んだ彼女の頬を、
感情の入り混じった涙が弧を描いて滑り落ちた。


でも、今の澪にはあの頃にはなかった沢山の大切なもの
大勢の人達に囲まれ、
自分なりの言葉を手に入れ、
一杯、一杯、伝えたいことがあり、
何より、大好きな人がいて……


それから浩平の腕めがけ、
いつもよりもっと勢いをつけて


だから今なら心から言える気がした、
もう大丈夫、と
もし見つけてくれなくても、
わたしから


精一杯の言葉を――







えーと、初めて書き込みさせて頂きました。
元々文章書くの苦手な上、SSなるものに挑戦するのは2回目+1年ぶりなもので、
見苦しい点も多々あると思いますけど、ご容赦下さい。
特に障害や演劇については、何の知識も持ってなく、想像のみで書いたことをお断りしておきます。
しかも下手くせに、話の内容に色々と混ぜ込んでしまい、
無駄に長文な上、話自体もかなり分かり難い自己完結物なっちゃいました(汗)

スケッチブックの『言葉』にしても、見てもらうのを前提としていたり(と思う)、
澪には、やっぱり出てくるどうにもならない受身の部分があり。
話し掛けるにしても遠慮がちに服の裾を引っ張ってきたであろう、少女が、
浩平に対してだけは、自分から飛びつくって部分が好きで、書きたかったんです
(澪のEDだけは「呼び戻した」とも、解釈できる気もします)
……が、明らかに力不足でした。
中でも澪の内面は、ゲーム本編では一切触れられていないので、どう書いて良いかわからなく、
心情については、自分でも読んでて一段と違和感バリバリです(汗)
ラスト近くでの、視点変更によるモノローグが無いのも、
代わりに演劇部員が出てくる澪だけ(まぁシュンもそうですけど)ですし、
澪の内面が明らかにならないのも、『いっぱい伝えたいことあるの』の意味の一つなんでしょうかね?

ともかくこんな拙い長文を最後迄読んで下った方いらしたら、ありがとうございました。
遅筆+ネタ無しなのもので以後よろしくお願いします、とか言えないのが寂しいですけど、
指摘、文句、感想等、何かありましたら是非お願いします。
それでは〜