空白(終) 投稿者: WILYOU
 それからは自分でもどう走ったか覚えていない。
 ただ、ここ一年、通い慣れてすっかり覚えてしまった道を長森の家を目指す気持ちで走っていったような事は覚えている。
 だが、僕が目指していたのは長森の家ではなかった。
 長森以外誰も知らないようだったが、彼女の家の近所に一件の家がある。
 朝の日課とでもいうように、毎日彼女はその家の前を通る度ごとに見上げていたのを、僕はよくしっていた。
 そして今、僕はその家のある通りに来ていた。
 角を曲がり、その道を僕はゆっくりと歩く。先程すれちがった主婦が、後ろの方でドアを閉める音が聞こえる以外は何も聞こえず、嘘のように静かだった。
 そして、前の方でドアを開けて「彼」がでてきた。
 初対面だが、すぐに誰だかわかる。毎日鏡の中に映っていた人物の顔が、いまそこにあった。
 しかしこうして見ると、やはり僕とは違う、顔の作りはほとんど同じはずなのに、その顔に浮かんだ悪戯っ子っぽい表情が、なんとも興味をそそる。
 彼はうちの学校の制服姿で家からででくると、何か呟きながらこっちへと歩いてきた。
 もし、彼が本当に帰ってきたら?
 先程の問いを、もう一度自分に聞き返してみる。
 この世界にステータスだけを残して、彼女の心の中にその存在を残して消えた少年。まさか本当に戻ってくるとは思わなかったが、戻ってきてくれないのも困る。でなければ僕が作られた意味がないからだ。
 ただ、先程の「居場所」の事。自分の居場所が自分のものでなくなる。また、自分の居場所が消える瞬間というのは寂しい、と僕は思う。
 しかしそれでも、なぜだか僕はそれが思っていたよりも嫌じゃなかった。
 寂しい反面、わくわくが、「期待」がじぶんの中で膨らんでいく気がする。そんな変な気持ちだった。
 僕はそんな不可解な気持ちをしっかりと掴んで、力強く歩き出した。
 彼との距離がつまり、声をかければ届く範囲にまで来る。しかし、彼は気がつかない。独り言の内容から、彼がいなかった間に自分の鞄がどこに仕舞われたかを気にしていることが伺えた。
 彼がすぐ前まで近づく。それでも彼は気がつかず、僕の横を通り過ぎようとした、その時。
「折原浩平?」
 僕がそう訊ねると、彼は驚いたように振り返る。
 間違いない、僕はそう確信して彼に向き直った。
「初めまして」
「………誰だ?」
 彼も鏡ぐらいは見ていたらしい、すぐにそれが自分の顔だと気がついたようだった。一番知っているけど知らない人物に声をかけられ、明らかにうろたえている。
 僕はその反応に満足しつつも、あらためてこの初めて合うもう1人の自分に、自分のオリジナルに見入る。
 見てみると僕とはかなり違う部分が多い。特に表情が、僕とは根本的に違う気がした。
「何、笑ってるんだ?」
 彼が少し不機嫌そうに言う。どうやら自分でもしらないうちにsmileしていたらしい。
「浩平君ですね」
「ああ」
「バトンタッチです」
「は?」
と、彼が怪訝そうな顔を覗かせた瞬間。

ドフッ

 僕は彼の鳩尾めがけて拳をくり出した。
「―――っ!」
 彼が腹を押さえてその場に崩れ落ちる。彼の顔が苦痛に歪んだのを見て、多少の罪悪感は感じたが、謝りたいという気持ちは起こらなかった。
「…………けほっ、な…………………」
 彼は僕を見上げて疑問の声を上げる。いくらか手加減してなぐったつもりだったが、やはり相当効いたのだろう。
 僕はSmileを浮かべた。
「今まで何処へ?」
「―――!」
彼が驚いた顔で僕を見上げる。
「彼女ほっぽって今まで何処へ行ってたんですか?」
「…………………」
 彼の息がだんだんと落ち着いてくる。が、彼は黙ったままだった。それでも目を逸らさずに、僕の話に耳を傾けているのは、いくらか好感が持てた。
「俺は……………」
 彼は何か言いかけたが、途中で口つぐんだ。ちょっとした沈黙が流れる。
「もう。何処にも行きませんか?」
僕はしゃがんで、彼と視線の高さを合わせる。彼が驚いた顔で僕を見つめた。
「長森をほっぽってどこかに行ってしまいませんか?」
 彼は少しの間逡巡していたが、それでも「ああ」とはっきりした声で答えてきた。
「それなら、いいんです」
 僕は特上のsmileを浮かべて、それに答えた。
 彼もつられて笑う。春先の頭の切れた連中の彷徨く季節の始まりを告げるように怪しい光景だったことは、言うまでもないが、なんとなく気分が良かった。
 殴ったせいかもしれない。
 ロボットとしてやってはいけないこと。その中に人を傷つけてはいけないというものがある。それは僕にしても例外ではなく、絶対に人に手を上げる無いようにプログラムされているはずだった。
 先程のパンチは、本来なら危険行動として取られるべきものであり、当然僕の体もいくつもの安全装置が働こうとしていた。また、それもあるが、何より僕はそういう行動が嫌いだっこともある。
 だが、今は不思議なことにそれが嫌いじゃない。大変悪いことをした、と思いつつも、彼に対して謝ろうと言う気持ちは起きないし、この気持ちが悪いとも思わないのだ。
 凄く、気持ちいい。
 僕はまだ笑いを浮かべる彼に、もう一発喰らわせてからその場を離れた。
「1年分の報酬は貰いますよ」
そう言い残して。

…………………聞こえていたかは疑問だが。




 ガラッ
 教室のドアを開けた瞬間、休み時間中だったせいかクラスの連中はあまり僕には気がつかず、奇異の視線を向けられることもなかった。
 彼らの気持ちはわかる。突然思い出した一年前の浩平の行動と、今の僕とのギャップに驚いているのだろう。しかし、気持ちはわかっていても、それはあまり気分のいいものではなかった。
 まあ、今となってはどうでもいいこと。
 僕はそう思いながらも、彼女の席へと向かった。
「おい」
 と、その途中で住井が声をかけてきた。
「……悪かったな」
 彼は小さくそう謝った。
 本当は彼が悪い、ということはない。誰もが浩平を忘れていたあの状況で僕を作ったことが悪いことだとしても、彼を責めることはできない。
 ただ、それが僕に対しての彼の優しさだと思い、僕はかるく笑って答えた。
「ああ」
 そして思っていたことも付け加える。
「思い出したのか?」
彼はいろいろと悩んでいたようだったが、すぐに
「…………………ああ」
と答えてきた。
 僕は長森の席へと向かう。彼女は仲のいい友達と話し込んでいるようで、僕には全然気がついていない。また、そのはしゃぎようから「浩平」のこともしらないかに見えた。
 僕はそっと近づき、声をかけた。
「長森?」
 座っていた彼女が振り向き、僕だとわかると軽く笑った。
「何?」
 僕はかがみ込んで彼女と同じ高さまで視線を下げると、そっと顔を前へつきだし、彼女の唇に軽く、僕の唇をあてた。
「―――!」
彼女はピクッと体を強ばらせるが、強い拒絶もされなかったことに、僕は満足していた。
「好きです」
 彼女の硬直がとけないうちに、僕はそっとささやき、身を牽く。
 まったく、自然に体が動く辺りが怖い。最初から住井が入れていたのか、それとも自分がこれまでの生活の中で覚えたデータかはわからなかったが。
「花見、いきたかったんですが、お相手は彼に譲りますね」
 そう言ったとき、少しだけ気分がよかった。僕は彼女をすこしの開いた見つめた後、くるりと方向を変えて歩き出した。
「え……」
彼女が後ろで声を上げるのがわかったが、僕は振り向かずにそのままドアへと歩く。
「待って!」
 待たない。僕はドアを掴むと横に開き、外へと出た。
「こ…!」
 僕の呼び方を彼女が知らなかったことが少し悲しかった。
  

もうこには用はない。そう思って僕が玄関から出ようとしたとき、住井が追いかけてきた。
「なかなか大胆なことをしたな」
「まあ、『浩平』が戻ってきた以上、変わりをすることもないし、少しぐらい自分を出したっていいと思うけど。どうせあの程度じゃ彼女は奪えない」
「どこへ行くつもりだ?」
 住井はちょっと嫌な顔をしてから、別の質問をしてきた。
「さあ、とりあえず与えられた仕事はちゃんとこなした。それに浩平、が戻ってきた以上ここに僕の居場所は無い、と思う」
「俺の所は?」
「願い下げ」
 口ではそういいつつも、顔から自然と笑みがこぼれた。
「ちょっと、ほんの少しぐらい。とりあえず社交辞令ということでもなんかしゃくに障るけど、一応、本当に一応事実だから、認めたくは無いけど…、それでもちゃんとしておいた方が後で何も言われないだろうから言っておくけど、世話になった」
「…お前は俺が作った中で一番の暴走作だよ」
「…誉め言葉と受け取る」
 そんなちょっと皮肉混じりの会話も、今ではなんだか懐かしく思える。
 まあ、暴走作と言われたときには本当にここで暴走してやろうかと思ったことも事実だが。
 僕は軽く手を上げるとくるりと振り返り、玄関に向かって歩き出した。
「じゃあ、お金無くなったら遊びに行く」
「…2度と来るな」
 最後にもう一度手を上げて僕は歩き出した。
 そして、本当の本当に最後に、僕がドアに手を掛けたとき、住井が言った。
「長森さん、さっき本当に赤くなってたぞ」
 ありがとう、と心の端で思いながら、僕は春を告げる風の中へと身を投げた。




2/28

 海が見える。
 あの時、長森と一緒に見た海が。
 昨日良かった天気も今日はくすみ、また冬に逆戻りしているといった感じだ。
ザザァァ…………………。
 それでも、まだ光は雲の切れ間から差し込んでいるから、暗いといった感じはあまりしなかった。
 まあ、明るかろうが暗かろうが、こんな季節にくる奴など1人もいないのだが。
 20時間前、嘘のように消えた世界。全然時間がたってないのに、なんだか遠い気がする。
 昨日は、自分というものを、自分の気持ちを素直に出せることに喜びを感じていたものの、一日たって、その世界から離れたら、自分の気持ちが何処へ向かうのか、何処へ向かっているのかまったくわからなくなってしまった。
 「浩平」という人間を演じつつけ、彼のいる世界に身を長く置きすぎたせいだろうか?自分と自分でない人の境界線がまったくわからなくなってしまった。
 正直に言えば、自分という人格が存在するのかどうかさえ疑問に思ってしまうほどに。
 僕は顔を上げ、目の前の広い海に視線を移す。
 水平線が本当に緩やかなカーブを描きながら、世界の端と端とを結び、そこを境に雲の流れる空と、少し荒れぎみの海とが別れていた。
 少しきつい潮風に身をさらしながら、僕がじっと海を見つめていると不意に声が聞こえた。
「きゃっ」
 声のした方を思わずパッと見ると、小さな女の子が風に白い帽子をさらわれている所だった。
なんだ…。
 自分が今、何を期待していたのかもわからないまま、僕はおもむろに立ち上がり、飛んでいく帽子を追って波打ち際まで歩いて行く。
 帽子はスッと、少し向こうの波打ち際に消えた。僕はそれを追い、ためらうこともなく海へと入る。
 靴が濡れ、一歩踏み出すごとに足の指の間を水がすり抜ける。ズボンも濡れ、波にさらわれて転んだときには、全身びしょぬれになっていた。
 それでも僕は立ち上がって帽子を目指す、後ろで先程の女の子が何か叫んでいるようだったが、面倒だったので無視した。
 帽子が波に乗って僕の側に流れてきたのを拾う。結構濡れていたものの、その白さがなんとも鮮やかな気がした。
 水は既に腰を少し越えていた。波が来るたびに顔の辺りまで水が来るので、帽子を上に上げてそれ以上水につからないように気を配る。
 と、その時。僕の目に先程眺めた水平線が映った。
 このまま進んだら…………………、そんな考えが頭をよぎる。
 そう、このまま進んだら、僕は海に沈むだろう。沖に出れば誰にも気がつかれないかもしれない。
 行き場の無い自分にとって、海の底が一番似合ってる気がした。
 前か後ろか?そうやって海の中に立ったまま、僕は立ちすくんでいた。
 さっきの女の子はもう何も言わない、いや、単に何も聞こえなくなっているだけかもしれない。それがなんとなくおかしかった。
 前にも後ろにも進めないまま、僕は動けない。このままこの場で沈んでしまえたらどんなに楽だろうか?
 しかしそれは自分の拒否したたった一つの道、自分のそれまでの記憶をリセットすることと等しい。それだけは絶対に嫌だった。先が海の底でもどこでも、とにかくどこかえ進まなきゃいけない気はしていたのだ。それがどこかは、まだわからないけれども。
 と、不意に僕の鼻先に何かがあたり、僕が上を見上げると空から何かが降ってくるのが見えた。
 桜?いや、こんな季節に、ましてこんなところに花弁が舞うはずがない。これは…。
「雪?」
 思わず、春、長森と登校時に散る桜を身ながら、花見の約束を取り付けたことを思い出す。
 実現されない約束に、まがい物の花。それでもその風景は文句無く綺麗だと思った。
 顔を上に上げれば、白い雲から小さなものがいくつもいくつも、それそれが違う動きをしながら、ゆっくりと降りてくる。僕はそれをじっと見つめた。 
 何かが、何かが浮かんできそうな気がしたけど、何も浮かばなかった。
「お兄ちゃん!」
 と、突然聞こえた声に僕は思わず体をビクッとさせる。
 後ろを振り向くと、さっきの小さな女の子が砂浜でこちらを心配そうに見つめているのが見えた。
 と、僕の足が知らないうちに動き、女の子の方へと足を踏み出した。
 振り向くことなど考えていなかった僕は、体制を崩して塩水の中にまたしても倒れ込む。慌てて立ち上がると、手に持った白い帽子に気がついた。
 渡そう。とりあえずこれを女の子に渡そう。
 そう思い、僕はゆっくりと、砂浜に向けて足を運び始めた。
 
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 浜にあがると女の子が心配そうに自分を見上げていた。
「まあね」
「?」
 僕は不思議そうな顔をしている彼女に、砂と水がついた白い……、白っぽい帽子を手渡した。
「…ありがとう」
 彼女は帽子を受け取ると、微笑んで向こうへと走っていった。
 僕はまた1人になり、また海を眺めた。
「さて、選択肢がまた一つ消えたかな…」
 1人で呟いてみるが、やはり空しい。
 今まで側にいてくれた人たちが懐かしいが、それらは僕のものではなかった事を思い出し、僕がこの海と砂浜の世界に閉じこめられているような気がした。
 どこまでも広いのに、どこまでも行ける世界。それでも何か悲しい。
「…お兄ちゃん」
 突然、後ろから急にかかった声に振り向くと、さっきの女の子がたっていた。
「あのね。お服、家に来て乾かさない?」
「…………………」
「その、濡らしちゃったから。風邪引くと、いけないし…」
「…………………」
 黒の、サラサラの髪をもった小さな女の子が、大きめの目でじっと僕を見つめる。
「あの………!」
「わかった」
「え?」
「行こうか」
 僕が言うと、彼女の顔がパッと明るくなった。
「うんっ!こっち」
 と言って、先にとととっと走って行く。僕は重たかった腰を上げた。
「早く!」
 たいていいわれるだろうな、と思っていた台詞を、やはり言われ、僕は笑いながらも急いで彼女に近づいていった。
「家は?」
「すぐそこ」
「お風呂もいい?」
「…………結構図々しいね」
 そう、これが僕の言葉、僕の台詞。
 …………………たぶんだけど…。
砂を踏むたびに、靴の中で水が音を立てる。今になって体が冷えていくことに気がついた。
「寒くない?」
「寒くない」
 正直に言ったのだが、やせ我慢ととられた気がした。
「お風呂沸いてると思うよ」
「ありがとう」
 そうして、僕はアスファルトの上に出る。道路がずっとのびていった先に、数件の家が見えた。
 その家を見て、僕はついこの間まで暮らしていた街を思い出す。
「ねぇ」
「何?」
「花見は好き?」
「嫌いじゃないけど」
「今度行かない?」
 彼女は少し迷っていたが、やがて元気よく、
「いいよ」
 と答えてくれた。
 とにかく前に進んでいたら、いつかあの街にも行ける日が来るかもしれない。
 そんな事をぼんやりと思っていた。
「ただいま!」
 僕の初めて聞く言葉が、大きく一件のボロ家に響いた。
 雲の切れ間から日差しが差し込んできた。

 雨上がりの午後が始まる。


_____________________________________ん〜、不燃将ですいません(^^;
当初は海に沈めて終わりっ、という設定だったんですが、死体の用になって手出来たらさぞかし気分が悪いだろうと言うことで、こういう形にしました。
伏線をいくつかはったのですが、急いで書き上げたために全然まとまっていません(−−;
分全体としてもまとまりが無く、やばすぎる奴ですが、とりあえず書き上げたという事で☆