舞い上がる想い(完全版) 投稿者: 泡星りゅう
「一年間、待ったんだからね」
 緑が映える並木道で、先輩が俺の腕に両手を絡めながら言った。
 そう。あの日・・・俺がさよならも告げずに去った、公園でのデート。
 一年が経ち、再びこうしてこの世界に戻ってこれたのは、先輩が俺を忘れないでいてくれたから。
 いや、それだけじゃない。
 俺自身も・・・先輩のことを忘れたくなかった。
 思い出なんかにしたくなかった。
 好きな人を。
 愛しい人を。
 だからきっと、みさき先輩と俺の想いがなせた技だったんだと思う。
「・・・君・・・浩平君?」
「えっ?」
「ぼーっとしてないで、早く入場券買いに行こうよ〜」
「あ、ああ。でもさ、いつも、ぼーっとしてんのは先輩のほうだから、たまには交代してもいいんじゃないか?」
「ぼーっとしてないよ〜」
 先輩が頬を膨らませ、俺を非難する。
 絡ませていた腕を、ぱっと離し、先輩が俺の前でくるりと舞った。
 青いワンピースが、風でふわりとなびく。
「今度は、わたしを離さないでね」
 微笑みながら、先輩は右手を差し出した。
「ああ。二度と離さない」
 優しく先輩の手を握って、再び歩き出す。
 遊園地へ向かう、暖かい春の日射しが降り注ぐ小径。
 やり直しのデート。
 一年間の遅れを取り戻すために――

「先輩、どれからいこうか?」
 入り口で渡された園内マップを見ながら、俺は言った。
「ん〜、そうだね。やっぱりジェットコースターかな」
「先輩は高いとこ、大丈夫なのか?」
「昔からそうだよ。高いイコール怖いっていう、概念はないよ」
「ふーん、そうなのか」
 俺はいざ五、六十メートルもの高さから下を見たら、きっと怖くなるんだろうな・・・。
 しばらく順番待ちをして、やっと俺たちの番になった。
 乗り込むと安全のためのバーが手前に降り、準備完了のブザーが鳴る。
「久しぶりだからドキドキするよ」
「これ、俺はどちらかって言うと苦――」
 がこんっ
 乗り物が前方へ向かって、ゆっくりと進み出した。
 がこがこがこ・・・
 徐々に上に向かって進む、この一時の猶予。
 ここのレールは、初めこの園内で一番高いところ(観覧車の頂点くらい)まで昇る設計になっている。
 頂上を非常にゆっくりなスピードで越え、そして――
「どぅぉぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
 一気に地表へ向かい、急降下する。
 スピードが重力を加えてさらに加速し、周りの景色が急いて流れ行く。
 左右の強い遠心力、上下の奇妙な浮遊感が、続けざまに襲いかかって来る。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
「う〜ん、風が気持ちいいね」
 う・・・うそだろ、先輩。
 一番前ということもあり、目も開けていられないくらいの鋭い突風。
 それでも薄目を開け、堪えて先を見た次の瞬間――
 俺は戦慄した。
 目前には果てしない旅の終わり、つまりメインの三重ループが控えていた。
「うぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」
「最高だね、浩平君」
 俺の意識が急速にブラックアウトしていく側で、先輩のはしゃぐ声が耳に残った・・・。

 夢を見ていた。
 そこは明るく、気持ちよくて、暖かかった。
 例えるなら、陽の光を十分に浴びた布団へ横になったように。
 俺は何もせず、ただ、ふわふわと浮かんでいた。
 そこへふと、冷たい感触を顔に感じた。
 途端に明るかった周りが、漆黒に包まれた――
「う・・・」
「あ、気がついた? 浩平君」
 冷たく感じるところへ手をやり、目を開ける。
 それは額に当てられた、白いハンカチだった。
 現実の空からの光が、やけに眩しく感じられる。それから守るように俺に影を与えてくれる、女神が微笑んでいた。
「あ、あれ? みさき先輩・・・?」
 周りを見渡すと、観覧車前のベンチの上。
 どうやら、あれから気を失っていたらしい。
「良かった・・・。浩平君、終わっても返事しないから、係員の人に手伝ってもらったんだよ」
「そっか・・・。ごめんな、先輩」
「ふふふ。浩平君がジェットコースター苦手だったなんて、知らなかったよ」
「毎日乗って慣れていれば、大丈夫なんだろうけどな」
「それじゃあ、つまらないよ」
「はははっ」
「ふふふっ」
 俺たちの軽い笑い声。
 ささやかな幸せっていうのは、多分こんなことを指すんだろうな。
 だけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。
 先輩に、外の世界でもっと楽しんでもらいたい。
 今も、そしてこれからも。
 ハンカチを額に当て、俺はゆっくりと重い体を起こした。
「大丈夫?」
「ああ。先輩のおかげさ――あれ?」
 俺、今どこから体を起こしたっけ?
 今まで横になっていた場所・・・ベンチ・・・先輩の太股・・・。
 ひ、膝枕!?
「どうしたの、浩平君?」
 先輩が首を傾げて、不思議そうに聞いてくる。
「えっ!? い、いや、あ、あー、暑いからアイスでも買ってくるよ」
「でも、まだ安静にしていたほうが・・・」
「大丈夫! ここで待ってて。すぐに戻ってくるから」
 先輩の返事を待たず、俺はすぐに駆け出した。
 ふぅ・・・。
 どうりでいい気持ちだったはずだよな。
 思わずにやけそうになる顔をつねりながら、売店へ向かう。
 俺は手短にチョコミントとバニラを注文して、先輩の居るベンチへ戻った。
「お待たせ・・・って、あれ?」
「お帰りなさい、浩平君」
 見ると、先輩は肌着に包まれた赤ちゃんを抱いて、俺を迎えた。
「先輩、どうしたんだ? その赤ちゃん」
「浩平君とわたしの子供だよ」
「どえぇぇぇぇぇぇっっっ!?」

『耕平君とわたしの子供だよ』
 俺の頭の中で、『子供』と言うキーワードが何度もリフレインした。
 確かに・・・時期的には、ちょうど居るかもしれない。
 避妊した覚えもないし・・・。
 赤ちゃんは先輩に抱かれて、にこやかに笑っていた。
 こうして間近で見比べると、なんとなくだが、先輩に似ているような気もする。
 目のあたりとか、口元とか。
 きっと先輩に似て、美人になるに違いないが・・・
「・・・先輩。本当に、俺たちの赤ちゃんなのか?」
「冗談だよ」
「は?」
「嘘だよ」
「・・・」
 ぴしっ
「いたいよ〜」
 俺は無言で、先輩の額に一発、強いデコピンを与えてやった。
「当然の報いだぞ、先輩」
「うう〜。いつか仕返しするからね」
 おでこを押さえながら、じろっと俺を鋭く見返す。
「はいはい・・・。ところで、その赤ちゃんは?」
「浩平君がアイス買いに行ってから少し後に、この子がわたしの足に寄りかかって来たんだよ」
 赤ちゃんをよく見ると、肌着が土色に薄汚れている。
 おそらく、ハイハイ歩きでここまで来たのだろう。
「あ、いけね。アイスがあるの忘れてた。先輩はチョコミントとバニラ、どっちがいい?」
「ん〜、今日はバニラにするよ」
「ほい。少し溶けかかってるから、急いで食べた方がいいぞ」
「うん。わかったよ、浩平君」
 先輩が慎ましやかに、バニラへ舌を這わせる。
 たわいもない世間話に華を咲かせ、お互いに笑い合う。
 先輩とこうしていられる、かけがえのないこの瞬間。
 少し早めの夏気分。
 愛しい人と二人だけの――
「だぁ、だぁー」
 ・・・プラス、一人。
「えっ? この子、アイスが欲しいのかな?」
「あー」
 赤ちゃんは紅葉のような小さな手を、不器用にアイスへ伸ばしていた。
「たぶんそうだろ。それに手を伸ばしてるからな」
「じゃあ、わたしが赤ちゃんを支えてるから、浩平君はアイスを赤ちゃんの口元へリードしてくれる?」
「わかった」
 俺は、先輩の右手首に手を軽く添えた。
「先輩、いいか?」
「いいよ」
 そっと近づけると、赤ちゃんは手をコーンに触れ、バニラに遠慮なくぱくついた。
「どう? 浩平君」
「ああ、喜んで食べてる。ただ・・・」
 赤ちゃんは目を輝かせ、きゃっきゃっとはしゃぎながら、さらにコーンをも食べ始めていた。
「先輩の分まで食べそうだけどな」
「う〜」
 俺が苦笑するのを聞いて、先輩がちょっと困ったような顔をする。
「なら、俺の食べるか? ちょっと口つけたけど」
「ありがとう、浩平君」
 先輩は頬を赤らめながら、俺のチョコミントに口づけした。

 アイスを食べ終わった俺たちは、早速周りを探すことにした。
 赤ちゃんの移動速度は、たかが知れている。
 この子の両親も近くにいるに違いない。
「どう? 浩平君」
「結構、人が多いな・・・」
「日曜日だからね」
 比較的恵まれた天気の休日。
 これだけ条件が揃えば、親子連れやカップルなどが黙っているはずもない。
 一時の娯楽を求め、創られた異世界で楽しもうとする人がたくさん集まり、さながら賑やかな、一つの大きな街を形成していた。
 もちろんその人たちから見れば、俺たちもその一員なのだが。
「くそっ、それらしき人は見当たらないな」
「浩平君、どうしよう?」
 先輩が不安げな表情で、俺を見やる。
「とりあえず、頼れるのは迷子センターだな。これだけの広さの園内を、しらみつぶしに探していてばったり会う確率なんざ、先輩が学食のカツカレーを五杯軽く平らげるのを信じる人の確率と同等だろうからな」
「そんなことないよ〜」
 先輩は大仰に首を振って、柔らかく否定した。

「今日は楽しかったよ」
「だけど、あいつのおかげで、デートがすっかり台無しになっちまったな」
 俺と先輩は、同じように帰路につく人たちと共に外へ出た。
 空がオレンジ色に染まり、手を繋いだ俺たちの影が並木道に長く映える。
 あれからすぐ、迷子センターは見つかったのだが、赤ちゃんが先輩を離さず、仕方なくそこで一緒に保護者を待つことになってしまったのだ。
 結局、その子の母親が来たのは、夕暮れ時にさしかかった頃だった。
 なんでも、知り合いと話し込んでいるうちにベビーカーから抜け出してしまい、そのまま移動してしまったので気づかなかったらしい。
 母親は遊び疲れて眠った赤ちゃんを抱きかかえながら、何度も何度も俺たちに頭を下げてお礼を言い、帰って行った。
「ふふふ、そうだね。でも、あの子が無事、お母さんのところへ戻ることが出来て良かったよ」
「そうだな」
 俺は相づちを打ちながら、さわやかな風になびく先輩の黒髪を見ていた。
 長く艶やかな髪を手で押さえ、先輩が俺に聞く。
「浩平君、今日の夕焼けは綺麗?」
「ん? ああ。七十点くらいだな。今度は、夕焼けが綺麗に見えるところへ行こうな、先輩」
「期待してるよ」
 先輩が俺の腕に体を寄せて、そっと呟いた。
 そうだ。
 俺と先輩の共有する時は、まだこれから。
 生命という、限りある時間の中。
 俺がどれだけ生き、先輩に対してどんなことがしてやれるのかわからない。
 けど――
 俺は先輩が好きで、いつまでもそばに居たい。
 この気持ちだけは、変わらない。
 言えなかったさよならは、すでに昇華されたのだから。


                                (終わり)

舞い上がる想い、完全版です(前編は、都合により削除しました)。
本当はもっと長かったのですが、SSということで短くしてあります。
自分のHPがあったら、載せたいと思う作品になりました。
読んで頂ければ、幸いに思います。
ONEという作品に出会えたこと、みさき先輩というキャラクターに出会えたこと。
自分の人生の中で、大切な時だったと確信しています。
感想、出来ればいただきたいので、メールかここへお願いします。