舞台:屋上 投稿者:WELS 投稿日:5月24日(木)23時05分
 西の空が燃えるような赤紅色に染まっている。
 太陽から発せられる光線が夜が訪れる直前の長い大気を通ってやって来る時、
いつも俺達を明るく照らしている光は、赤く、何よりも赤く染まる。
 夕焼けの赤い光に照らされた世界は何もかもが真っ赤で、まるで今の俺の心の
中のようだった。
 全てが赤に染まった世界の中、大事なものを失った俺は、もう見つかるはずのない
ものを探して、ただひたすら街の中を歩き続けていた。 

「ねえねえ、1年B組の姫川さんって知っている?」
「あ〜。あの霊媒女ね。どうしたの?」
「一週間に自殺したんだってさ」
「え〜、マジ? どこで自殺したの?」
「駅ビルの屋上から飛び降りたんだって」
「やだ〜。私達がよく行く場所じゃん。なんで、最後まで他人様に迷惑かけるかな〜」
「本当だよね」

 俺の横を通り過ぎていく同級生の女達二人。
 凶暴な衝動が、俺の胸の中を駆け巡る。
 もしも、こいつらを引き裂いてみたら、俺の中に開いた無数の小さな穴は塞がって
くれるだろうか?
 他人のことなど何も考えたことがない、自分の目に見える景色よりも他人から聞いた
声を信じる連中を引き裂いたら、この胸の虚しさは埋まるのだろうか。
 俺はジーンズのポケットに手を突っ込んだままで、まだ彼女のことを喋り続けている
女子二人の後を追う。
 夕焼けが黄昏へと代わり、赤の代わりに闇が街を覆ったら、俺は彼女達を殺そう。

 グイッ。

 いきなり誰かに、後ろから袖をつかまれた。
「浩之ちゃん」
 殺意から俺を引き離したのは、幼馴染みのあかりだった。
 一週間ぶりに俺を見つけたせいか、あかりの表情はいつもより険しい。
 いや、表情が厳しいのは、もう気付いているせいなのかもしれない。

「浩之ちゃん。学校にも来ないで、どうしたの?」
「姫川さんがあんなことになって悲しいのはわかるけど、浩之ちゃんがそんなんじゃ
姫川さんも可哀想だよ」
「浩之ちゃんのせいじゃない。責任を感じているかもしれないけど、どうしようも
なかったんだよ」

 おそらく、あかりは心から言葉を発しているんだろう。
 でも、その言葉の連なりは全て、俺の心を上滑りしていく。
「……悪ぃ、あかり。今は話したくねえ」
「浩之ちゃん……待って!」
 俺を引きとめようとするあかり。だが、俺は全力で走ってあいつを振り切った。


 夕焼けに染まる駅ビルの屋上。、
「どうしてまた、ここに来ちまうのかな」
 琴音ちゃんが最後に選んだ場所。
 もう黄色いテープで囲まれることもなくなった場所には、琴音ちゃんのお母さんと
俺が置いた花束がまだ飾ってあった。
 すでに枯れた花弁もまた、赤く夕日に染まっている。

 このフェンスの向こうで、琴音ちゃんは何を見たんだろうな。

 ガシ。
 金網に指をかけてみると、黒い針金が指先に食い込んだ。
 ガシ、ガシ。
 足をかけ、ドンドンと上に登っていく。あまり高くもないフェンスをよじ登り、
向こう側に飛び降りてみると、強い風が俺を迎えてくれた。

 ビュォォォォオオオ!!

 何かを切り裂くような風の音が響いている。
 下を見えるのは、豆粒のような通行人の群れとオモチャのような車の列。
「こ、怖えな。やっぱり」
 今更そんなことを言っている自分が滑稽だったが、俺は笑えなかった。
 もしかしたら、もうずっと笑えないかもしれない。

「藤田さん……」

 幻聴?
 俺は一週間前を最後に聞くことが出来なくなった、何よりも聞きたかった人の
声を聞いて、驚いて上を見上げた。
「藤田さん、どうして……」
 そこに見えたのは、ただの白い靄(もや)。
 夕焼けの中、俺の頭の上だけに不自然な白い靄が浮かんでいる。
 だが、俺にはわかる。この靄は、俺が一週間、見つからないとわかっていながら、
ずっと探し続けていたもの。すなわち、彼女だ。
「琴音ちゃん。会いたかったよ……」
「だっ、駄目です! 危ないですからっ!」
 珍しい琴音ちゃんの大声に、俺は慌てて前に踏み出すのを止める。
 危うく、もう少しで屋上の縁から落ちるところだった。
 俺はドキドキと脈打つ心臓を押さえながら、頭の上に浮かんでいる白い靄に言った。
「何てことしやがったんだよ、馬鹿。俺がどんなにつらかったか……」
「ごめんなさい。でも、他に方法がなかったんです」
 思わず愚痴る俺に、白い靄はうつむきながらつぶやく。
 ああ、間違いない。彼女は琴音ちゃんなんだ。
 俺はフェンスに背中をもたれかけさせ、久しぶりに琴音ちゃんと言葉を交し合った。

「藤田さん。私、こうすることで自分が消え去ることができると思っていました。
でも、神様ってちゃんと私達を見ているんですね。やっぱり、藤田さんのおっしゃった
とおり、逃げたって許してはもらえないみたいです」
「許すって、誰が何をだよ。琴音ちゃんは何も悪いことなんてしてないだろう」
「いいえ。きっと、ここに留まるようになったのは、私が悪いからなんです。
だから、こうして未だに藤田さんに迷惑をかけているし……」
「迷惑なんかじゃない」
「藤田さん……お願いです。あなただけは、私を許して下さい」
「怒ってなんかいないぜ。ただ、驚いているだけなんだ。琴音ちゃんが死んじまった
ことも、今、こうして琴音ちゃんと話していることも……」

「浩之ちゃん!! なっ、なにをやっているの!?」

 俺と琴音ちゃんの会話を中断させたのは、あかりの声だった。
「見てわかんねえのか? 琴音ちゃんと話しているんだよ」
 そう言うと、あかりは俺の顔をしばらく見つめた後、呆然としてつぶやいた。
「そんな……もう姫川さんはどこにもいないんだよ」
 ああ、そうか。あかりには見えねえんだな。
「危ないよ、浩之ちゃん。早く、こっちに戻ろう?」
 あかりは呆然としながらも、フラフラとフェンスの向こうにいる俺へと近寄ってくる。
 俺は黙ったままで、フェンスにもたれかけさせていた体を起こし、靴を脱いだ。

「浩之ちゃん、浩之ちゃんっ!!」
 血が出るほどフェンスを激しく握り締めながら、あかりが俺にむかって半狂乱で
叫んでいる。俺は少しだけ困った顔をして、あかりに微笑んだ後、俺の頭の上に
浮かんでいる琴音ちゃんに言った。
「ああ。俺がここに来るってわかっていたんだな、あかりのやつ」
 琴音ちゃんは相変わらずうつむいたままで、静かな声で俺に向かって告げる。
「藤田さん……神岸先輩のところに戻ってあげてください。私はもう、充分ですから」
「いいや、戻らねえよ。あかりのおかげで、何をしたらいいかわかったんだ」
 俺は迷うことなく、前に向かって一歩を踏み出した。
「だっ、駄目です、藤田さん!」
「浩之ちゃん!!」
 俺は迷うことなく、前に向かって一歩を踏み出した。
 足場を失って屋上から落下していく俺の体。
 ビュオオオオオ!
 風は俺の体をすり抜けて、上へと駆け上がっていく。 
 
「いやああああああああああっ!!!!」

 どっちの声だったのかな?
 視界が赤黒く染まる直前、俺が思ったのはそんなことだった。