五月雨堂に降る雨 投稿者:WASTE 投稿日:9月14日(金)23時36分
「……でも、俺の言った通りだったろ?
 パートナーはまた会えるって」
「ほんとにね」
 スフィーがそう答えた瞬間――。
 くいくい……
 足元を誰かが引っ張るのを感じた。
 もちろん、これはあすかだ。
「ん、どうした? あすか?」
「お父さん、このおねえちゃんたちだあれ?」
 不思議そうな顔で、あすかがスフィー達のことを見上げている。
 そうか。
 そう言えば、あすかにスフィー達を紹介するのを忘れてたよな。
「あすか、このお姉ちゃん達はな――」
 俺は、あすかにスフィー達の事を話し始めた。
 ゆっくりと。
 時をさかのぼるように。


               『五月雨堂に降る雨』


 俺は、あすかにスフィー達の事を話そうとして、
「ん?」
 スフィーの後ろに隠れ、しかしこちらを好奇心一杯の瞳で見ている女の子に気付いた。
 年はあすかより、ちょい上くらい。○学生バージョンのスフィーを更に小さくしたらこ
うなるんじゃないか、と言った感じの容姿――ただし髪は茶色――をした可愛らしい女の
子だ。服はスフィーやリアンと同じくグエンディーナ風(?)のものを身に付けている。
「……えーと、スフィー。その子は……?」
 尋ねる俺に、スフィーが答えるより早く女の子が口を開いた。
「母さま、このひとがミースの父さま!?」
 はっ?
「そうだよ。あなたの父様のけんたろだよ!」
 とうさま? 俺が?
 ……でもってスフィーが母さまで……って……
 ……つまりそれはえーと………………………

「………………ちょっと、けんたろ大丈夫?」
 我に返るとスフィーが俺の顔の前で手を振っていた。
「……スフィー」
「なに、けんたろ?」
「その子、俺の事を父さまと言ったよな」
「うん」
「で、お前の事を母さまと呼んでたな」
「うん!」
「……それはつまりそういう事なのか?」
「もっちろん!」
 スフィーは満面の笑顔で頷き、女の子――ミースと言うらしい――も分っているのかい
ないのか嬉しそうにコクコクと何度も頷く。俺は暫くそれをぼんやり見ていたが、やがて
のろのろとギャラリーの方に顔を向ける。
 結花は呆然と、リアンは苦笑しながらこちらを見ていた。あすかは――当然の事ながら
状況が全く分っていないようだったが、どこか不安気な様子で俺と結花を交互に見ていた。
 と、視界にもう一人の人物が居るのに気が付いた。リアンにしがみ付くようにして完全
に顔を隠し、だがリアンの足の隙間からみえる様子からするとやはりグエンディーナの服
を着た子供らしい。
 ま、まさか……
「リ、リアン……その子は?」
「あっ、すいません。この子、人見知りが激しくて。ほら、ユーリ、お父様ですよ。ご挨
拶しなさい」
 俺の僅かな期待を打砕きながら、リアンは子供の肩に手をやり俺の方に優しく押し出す
ようにする。しかし、その子は上目遣いに俺を見ると、すぐに顔を真っ赤にしてリアンの
後ろに隠れてしまった。こっちの子もミースと同じような年恰好で、ただし男の子らしい。
「もう、こっちに来る前はあれ程会いたがっていたのに……。御免なさい、健太郎さん」
 言いながら男の子の頭を撫でるリアンは母親の顔をしていた。
 思わずその顔に見惚れつつ、
「あ、ああ……構わないよ」
 俺はリアンを回り込むようにして男の子の傍に行き、片膝を着いて目の高さを合わせて
から頭を撫でてやる。
「ユーリ……って言うのか? よろしくな?」
 と俺が言うとユーリは顔を赤くしたまま小さく頷いてくれた。

「もーー! けんたろ、ミースも構ってあげてよ!」
 抗議をする声に顔を上げると、スフィーが頬を膨らませミースが寂しそうな顔でこちら
を見ていた。
「わ、悪い悪い……。ほら、おいで」
 俺が謝りながら差し招くと、ミースはパッと顔を輝かせて駆け寄ると俺の胸に飛び込ん
だ。俺が少しよろめきながらそれを受け止めそのまま撫でてやると、嬉しそうに俺の胸に
頬を擦り付ける。
「ふふっ、ミースは甘えんぼさんだから……。姉さんに似たんでしょうか?」
「そっかな? けんたろも結構甘えん坊だよ。けんたろに似たんじゃない?」
 笑い合うスフィーとリアン。ほのぼのとした雰囲気が辺りに充ち、俺も二人の様子と両
手に感じる二人の子供の感触に、つい顔が緩んでしまう。が……

 いきなりその場の気温が下がったような気がした。
 “3℃”などと生易しいものではない。
 そう、夏が突然冬となったような……
 恐る恐るその冷気の発生源と思われる方に顔を向けるとそこには……

 ……鬼がいた。

 その瞳は紅く燃え、瞳孔が縦に裂け、体重が増したかのように足下の地面が軋みを上げ
た……ような気がした。無論、錯覚だろうが。ちなみに胸に変化は見えなかった。
「け〜ん〜た〜ろ〜〜〜〜……」
 地獄の鬼もかくや、いや鬼ですら裸足で逃げ出すような声を絞り出す結花。
「……どーゆー事かしら、これ。説明してくれる?」
 何故かその顔は笑顔。こめかみに青筋が浮きまくっていたが。
「ど、ど、ど、ど、どういう事と申されましても……」
 びびりまくる俺。
 結婚して四年。自慢ではないが、夫婦喧嘩の戦績は全戦全敗全KOだ。
 救いを求めて横を見るも、スフィーもリアンも蛇に睨まれた蛙状態。
 敵は強大。援軍は無し。
 ……………………
「じ、実は……」


 思い起こせば、5年前。あの「別れの日」の前日…………


 ……俺はスフィーとリアンに追い詰められていた。


「……ふ、二人とも何をしているのか分っているのか! しょ、正気に戻れ!」
「……分ってるよ、自分のしている事ぐらい」
「本気なんです……姉さんも、私も……」
「ま、待て! 待ってくれ! 俺には結花が!」
「けんたろが結花を好きなのは分ってるよ。でも私達だって……」
「好きなんです。健太郎さん」
「分った! 二人の気持ちは良〜く分った! だから服を脱ぐな!
 そ、それにだな、いきなり姉妹丼で3Pなんて…… しかもスフィー、お前は今、○学
生!」
「姿形なんか関係ないよ……。あたしはけんたろが好き……その気持ちに嘘を吐きたくな
い」
「明日にはグエンディーナに帰らなければならない。帰ったらもうここには来れないかも
しれない。これが最後かもしれないんです」
「だからお願い、けんたろ……」
「最後に思い出を……下さい……」
「…………」

 翌朝、一人目を覚ました俺は、シーツの謎の赤い染みやベッドの脇に転がった謎のティ
ッシュの存在に頭を悩ませる事になった。
 またその数日後、記憶を取戻した俺は結花と一緒に涙を流しながら、事が結花にバレは
しないかと背中で冷汗を流す事になるのだった。


「……まあ、という訳なんだけど……」
 話し終えた俺は、正座しながら結花を窺うように見た。
 何故か俺の隣でもスフィーとリアンが同じように正座をしている。
 俯いた結花の顔は、低い位置にいる俺からも陰になっていて表情が判らない。
「………えーと、結花さん?」
 問い掛ける俺に答えない結花。
 が、肩が微かに震え、それが次第に大きくなってくる。
 その危険な兆候に思わず立ち上がり逃げ出そうとしたが、
「……健太郎さん……あなたを……殺します!」
(結花、それ違う……)
 靴先が下方から俺の方に襲いかってくるのをスローモーションのように認識しながら、
頭の隅でそんな事を考え……俺の意識は消えた。


「あ、おきた。……母さまーー!」
 次第にはっきりしてくる意識に入ってきたのは甲高い子供の声だった。
 視界に入った見慣れた天井は俺の部屋のものだった。今一つ言う事を聞かない身体を何
とか動かし上体を起こすと、扉から顔を外に出している子供達の背中が見え、同時に複数
の足音が聞こえた。
「目が覚めた? けんたろ」
「健太郎さん大丈夫ですか?」
 部屋に入ってくるスフィーとリアン。二人と子供達を見てアレが夢でなかった事を確認
する。スフィーは初めて五月雨堂に来た時のように小っこくなっていた。
 ふと気が付くと右手に懐かしい感触。目をやるとあの腕輪が嵌っていた。
「俺は……死んだのか。また」
 ふっ…… 女房に蹴り殺されるとは。スフィー達がいなかったら明日の新聞の三面を飾
っていたところだ。もっとも、そもそも二人が原因と言えば原因なんだが。
「えーと、別にけんたろは死んだわけじゃないよ」
「そうですね。少なくとも息はありました」
 口々に言う二人。
「えっ? スフィーが縮んでいるのは蘇生の魔法を使ったからじゃないのか?
 だとしたら、俺はどういう状態だったんだ?」
「そうだね、一言で言うと……『死んだ方がマシ』ってところかな」
「……おい……」
 あっけらかんと言うスフィーをジト目で睨む。ほとんど変わらないじゃないか。
「ふう……まあいい。で、結花は?」
「結花さんは『実家に帰らせてもらいます』と言って出て行っちゃいました。あすかさん
を連れて。」
 申し訳なさそうにするリアン。
 ……まあ、実家といっても『HONEY BEE』だからな。暫くして頭が冷えたら迎
えに行こう。
「あぁ〜……、それは置いといて、だ。結局、二人とも子供達を俺に見せに来たのか?」
 或いは、認知しろ――とか。
 俺の言葉にスフィーとリアンは顔を見合わせる。
「それもあるんですけど……」
「あのね、あたし達を暫く五月雨堂に置いてくれないかな?」
「? なんだ、また修行か何かか?」
「うーん、そうじゃなくて……。要するに、あたし達家出してきたのよ!」
「――です」
「……はぁ?」
 何故か偉そうに(無い)胸を張るスフィーと、身を縮めるリアン。
 そして、間の抜けた声を上げる俺。

 二人が話してくれたのは、こういう事だった。

 グエンディーナに還って暫く、二人して妊娠が発覚。
 「産むの!」「駄目だ!」、と大騒ぎしている内に出産。
 国王である父親や祖父達とギクシャクしたまま数年。
 スフィーが、こちらの世界に来る為の魔法を覚えたのを機に、四人揃ってこちらに来た
訳だ。


 スフィーの身振り手振りを交えた長い(簡単に書けば四行で済む)話とリアンの補足を
聞いた俺は、深い溜息を吐いた。
 そりゃまあ、大騒ぎにもなるだろう。仮にも一国の王女――それも二人揃って――が、
同じ男の子供を孕んで父無子を産んだなんて……。
 グエンディーナの王室がどんなものかは知らないが、こちらの世界でそんな事があった
ら、とんでもないスキャンダルだ。
「……それで、ウチに――か」
「ふふ〜ん。飛び切りの美女が二人に、これまた可愛い盛りの子供が二人。これで断る訳
はないよね〜〜♪」
 今のスフィーの容姿で美女も無いもんだが。
「姉さん……。あの、すいません、健太郎さん。えっと、とにかくそう言う事なんです…
…」
 スフィーを嗜めつつリアンが話を結ぶと、俺はもう一度溜息を吐いた。
「……そういう事情なら“帰れ”なんて言えないだろ。そもそも俺にも大いに関係――と
言うか責任がある事なんだから……」
 そこまで言って一度口を噤み、片手で髪を掻き回す。
「問題は……だ――」
「――いいわよ……」
 言い掛けた俺の言葉を、入口からの声が遮った。
「「「結花(さん)……」」」
 そちらに顔を向け、両腰の脇に手を当て結花の姿を確認すると、俺達三人は見事に声を
ハモらせた。結花の後からはあすかも顔を覗かせていた。
 結花の表情を見るに、ご機嫌はあまり麗しくなさそうだ。
「ゆ、結花……い、いつの間に……」
「スフィーちゃんが『家出してきた』って言ったところかな」
 俺の質問に、結花は部屋の中に入りつつ答える。
「むぅ……。それなら話は早い」
 俺は結花の前に身を投げ出し、土下座をした。
「すまんっ! 色々言いたい事はあると思うが、ここは頼む! 二人――いや、四人をウ
チに置いてやってくれっ!」
 額を擦りつける俺の後頭部に、結花の視線が突き刺さっているのを感じる。他の者は子
供達は言わずもがな、スフィーとリアンも口を挟めず、固唾を飲んで俺と結花の様子を見
守っているようだった。
 やがて結花が口を開く。
「……仕方ないわね…………」
 吐息混じりのその言葉に、俺は顔を上げた。
「そういう事情なら、追い出す訳にはいかないでしょ」
「結花……ありがと」
「すいません結花さん……」
 頭を下げるスフィーとリアンに、結花は笑顔を見せパタパタと手を振って応える。
「いいのよ、二人は気にしなくって。ぜ〜〜んぶこの宿六が悪いんだから」
 ――言いたい事は多々あるが、口には出せない。出したら足が飛んでくるのは間違いな
い。
 それでも身体の力を抜いた俺の耳に、結花は腰を屈めて口を寄せる。
「……次は無いわよ……」
 恐ろしくドスの効いた台詞に俺は硬直し、コクコクと何度も頷くしかなかった。
「さ〜〜て、細かい事はこれからゆっくり話し合うとして……」
 俺への言葉が嘘のように、明るい調子で言う結花。背筋を伸ばすとスフィーとミースに
目を向ける。
「………………」
「な、何かな〜〜?」
 何となく不吉なものを感じたのだろう。スフィーはタラリと汗を垂らして身を引いた。
「……可愛い〜〜〜〜〜〜っ!!」
「「うりゅ〜〜〜〜〜〜〜〜!?」」
 結花はスフィーとミースを纏めて抱き締め、抱き締められた二人は揃って悲鳴を上げる。
「あ〜〜ん、スフィーちゃんが二倍になって、可愛さ十倍だわ♪♪」
「「うりゅ、うりゅ、うりゅ〜〜〜〜」」
「かわいい、かわいい、かわいい〜〜〜〜♪♪」
「「うりゅりゅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」」
 ……………………


「……結花さん、相変らずですね…………」
 結花の狂乱振りを見て、リアンが冷汗を流しながら苦笑する。
「ああ、母親になったんだから、いい加減落着いてくれりゃ良いんだけどな……」
 俺は立ち上がりながら応え、傍らのあすかの方に目をやる。心なしか蒼褪めているよう
だ。無理も無いが。
 育児ノイローゼの母親に絞め殺される子供はいても、可愛さ極まって抱き殺されかけた
子供はあすかくらいなものだろう。いかに愛情表現(?)とは言え、された方はたまった
ものじゃない。
「まあ、とにかく……だ」
 俺は気持ちを切り換えた。
「これからよろしくなリアン。……ユーリもな」
「はいっ!」
「…………」
 二人の頭にポンと掌を乗せて言うと、リアンは嬉しそうに頷き、ユーリは恥ずかしそう
に俺のズボンを掴む。
「あすか。今日からみんな家族だ。仲良くするんだぞ」
「よろしくね、あすかちゃん」
「??」
 あすかは俺の言った事が今一つ分っていないようで、目線を下げて挨拶するリアンの言
葉にも目をパチクリさせていた。その様子に俺は笑みを浮かべると、スフィー達の方に顔
を向ける。
「あ〜〜もう、かわいい〜〜〜♪♪」
「「りゅーーーーーーーっ!!」」
 これからの愉しくも騒々しい日々を暗示するようなその騒ぎに、今度は苦笑する。
 あんまりまともな生活とは言い難いし、これからどうなるか分らないけど……
 みんなが笑って暮らしていけるのなら……
 こういうのも悪くない……かな。


                                 おしまい……

                  ・
                  ・
                  ・
                  ・

         な〜〜んてなると思ったら大間違い……

                  ・
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                  ・
                  ・

「失礼しますよ」
 自動ドアが開く音と掛けられた声に、五月雨堂の店番をしていたましろは顔を上げた。
「おや、源之助殿」
「……今日はまた、一段と派手ですね……」
 大きな袋を下げた源之助が、足を踏み入れつつなにやら騒がしい店の奥を見遣り呟く。
「ああ、スフィー殿とリアン殿が戻って来ておってな」
「ほう……あの二人が」
「二人ではなく、四人だがな……」
「四人?」
 源之助は顔を綻ばせて頷いたが、続くましろの言葉の意味が分らず首を捻る。
「……そう言えば、表に宗純の車が停めてありましたが」
「高倉殿か、いらしておるぞ。……御息女と赤子も一緒だが」
 その声が合図であったように、二階からなにやら雄叫びが響いてきた。源之助は思わず
窺うような視線をそちらに向けたが、ましろは大して気にした様子も無く続ける。
「今日は千客万来じゃな。他にも大きな腹を抱えた娘御も来ておる」
 益々訳の分らなくなった源之助は口に手を持っていき、口髭を弄るようにして考え込む。
「それで……源之助殿は、今日は何の用かな?」
 促されて思い直し、手に持った袋を持ち上げて言う。
「……馴染みのお客さんから夏蜜柑を沢山頂いたものでね。妻と二人では食べ切れないの
で、こちらに御裾分を持ってきたのですよ」
「それは、すまぬな。だが――」
 奥に目を向けると、一際大きな破壊音。
「――まあ、いずれ下りてこよう。茶でも淹れるが……いかがかな?」
「……では、頂きましょうか」


 騒音をBGMに茶を飲むましろと源之助。
 時折聞こえる何かが壊れる音に源之助は僅かに眉を動かすが、ましろの方は気にも留め
ない。黙々と夏蜜柑の房を口に運ぶその様子を見て、源之助は尋ねた。
「ましろさんは夏蜜柑が好物なのですか?」
「いや、そういう訳ではないが……」
 手を止め、微かに首を傾げる。
「……最近、酸っぱい物が欲しくてな」
「ほほう……」
 何となくましろから視線を外した源之助の耳に、その時水滴が路面を叩く音が聞こえた。
「おや、雨ですかな……?」
 店の外に見遣った源之助だったが、直ぐに目を元に戻し手にした湯飲みに意識を向ける。
「…………」
 ……降ってきた雨が“紅かった”事は――
(――見なかった事にしましょう)
 そう心に決めて、源之助は茶を啜ったのだった。


                            ……今度こそ、おしまい



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