鬼狼伝(104) 投稿者:vlad 投稿日:5月5日(土)15時23分
 右。
 次は左。
 んでまた右。
 間断無き攻撃。
 連綿と続く攻撃。
 一瞬たりとも途絶えてはならない。
 浩之は絶えず両腕を回転させて矢継ぎ早に耕一の顔を打っていた。
 もう十数発は叩いたであろうか。
 ガードに阻まれたものもあるが、その大半がヒットしている。
 まだ、倒れねえか。
 おれの息はあとどれぐらい保つ。
 あと……おそらく二十秒。
 一息入れずこのまま殴り続けるのはそのぐらいが限界だろう。
 その間に倒す。
 拳で叩きながら、その意志で浩之は耕一を叩いた。
 せぇ……。
 叩く。
 叩きまくった。
 腕がもげちまってもかまわない。
 この人が倒れた上におれの死体が折り重なってもかまわない。
 とにかく、倒す。
 のぉ……。
 なんか、聞こえたな。
 耕一さんの声か。
 てことは、聞き間違いかなにかと思っていたさっきのしぇーだかそぉだかいう声も耕一
さんか?
 何をいってんのか知らねえけど……。
 あと二十秒。
 殴り続けるだけだ。
 それだけの時間があれば、その間にあと十発はクリーンヒットを叩き込める。
 今だってもう足が崩れかかってるんだ。
 そんだけ打ち込めば……。
 いくらこの人でも……。
 倒せる。
 倒す。
 意志――。
 膨大な意志であり、強烈な意志であり、藤田浩之という人間の脳内を心中を五体を全て
満たすこの男の限界を極めた質と量を伴う意志。
 拳で耕一を打つ。
 意志で耕一を打つ。
 打って、貫いて――。
 倒す。
 いいのが入った。
 右のストレートだ。
 耕一がよろめいて、なんとか踏み止まった。
 右の拳が脇に引き付けられている。
 おれの息――。
 あと十五秒!
 だったら五発は余裕でぶちかませる。
 不可視の何かが一直線に浩之を貫いたのはその時だ。
「!……」
 目で見ることはできないが確かにそこに存在する何か。
 すぐに理解した。耕一の視線だ。
 自分の水月の辺りを耕一の視線が貫いたのだ。
 だが、それだけならばなんということはない。
 それだけならば浩之は耕一を殴打することを続行しただろう。
 だが、浩之は咄嗟に腕を引いた。
 一瞬前まで耕一を殴り倒すために腕といわず全てを捨てていいと思っていた男がだ。
 視線の後に来たやはり不可視の何か。
 なんとも形容しがたい何か。
 何も感触は無い。
 ただ、感覚的なものだ。
 だが、臓物を押し潰されるような凄まじい感覚。
 何かが来る。
 それの予兆であると浩之は確信した。
「せぇっ!」
 耕一の気合もろともその右拳が空を裂いて疾走してきた。
 十字に組んだ浩之の両腕の交差点へと激突してきた。
 耕一の右拳。
 それが自分の腕を叩いたことなど浩之の理解の外にあった。
 それよりも、強大な力そのものが直線を引いてやってきたとしか思えなかった。
 それが耕一の右拳であることを理解するより早く、浩之の心中を満たしていたのはとに
かく助かった……という思いだけであった。
 防御が遅れていたら危なかった。
 水月へ入れば一撃で勝負を決するだけの威力を秘めた攻撃だ。
 ホッとしているこの瞬間にも自分の体は後方にふっ飛ばされているのだ。
 背中がロッカーに当たり身体がバウンドして前にのめる。
「っ!」
 まただ。
 臓物が潰されるような嫌な感覚。
 二発目が来る。
 のめった体勢を立て直すと同時に浩之は腰を落とし再び十字に組んだ両腕で水月を守っ
た。
 あの何かは、またそこに注がれていたのだ。
「おっしゃあ!」
 叫んだ。
 自分に気合を入れなければ耐える自信が無かった。
 二発目。
 一発目よりやや低い位置から放たれて一発目と同じ場所目掛けて――。
 耕一の左足が繰り出した前蹴り。
 浩之の中では、またもやそれは力そのもの。
 腰を落としていたがおかまい無しにふっ飛ばされた。
 そちらを見てはいないが、さっき背中が当たった時にロッカーの位置は承知している。
 いい位置関係とはいえない。
 この耕一の強烈極まる第二撃とロッカーの間に挟まれる。
 すぐにロッカーに背中が当たって……。
 どんっ、と当たって……。
 ズボッ、と……。
 あん?
 ズボぉ!?
 予定の位置より浩之の身体は後退していた。
 そうか。
 パンチを貰って激突した時にロッカーの戸が開いてしまっていたのだ。
 その開いたところへ飛ばされて体がロッカーに入ってしまったらしい。
 ここにもう一発貰ったら……終わる。
 戦慄を伴ったその予感を裏切って耕一はよろりと後退した。
 三歩退いて腰を落とす。
 丁度そこに椅子があった。
 耕一が数度頭を横に振った。さすがにさらなる追撃を行うにはダメージが大きいらしい。
「浩之ー」
 微かに、笑ったようだった。
「いっせーのせ、だろ」
 浩之の中で断片が繋がった。
 まず浩之の攻撃開始の引き金にもなった「いっ」
 そしてよく聞き取れなかった「せぇ」
 確かに聞こえたがよく意味がわからなかった「のぉ」
 そして反撃の右を放つ時の「せぇっ」
 いっせーのせ、だ。
 この人は……。
 いっせーのせ、で始めたんだな。
 こっちがそれを無視しようが何しようが、それで始めなきゃ気が済まなかったんだろう。
 そしてものの見事にこちらの攻撃を挫いて反撃して吹き飛ばしてくれた。
 十五秒なんてそんな時間はおれに与えられてなかったんだな。
 せぇのぉせぇっ、の間にやっちまわねえと駄目だったんだな。
 この人。
「いっせーのせ、だっていっただろうが」
 なじるような口調なのに表情に翳りが無かった。
 やってくれるぜ。
 「油断してるのが悪ぃんだ」とばかりにチンケな手に出たのを気持ちよく粉砕してくれ
た。
 やっぱり……。
 この人、すげえっ。
「はは、すんません」
 浩之は苦笑した。
 第一次接触――。
 物凄い攻撃だったとはいえしっかりとガードした浩之よりもダメージでいったら何発か
顔や顎にパンチを貰った耕一の方が大きいだろう。
 だけど……勝った気がしねえ。
 おれの負けだ。
 いかんな。
 次こそは巻き返さねえと、心が折れちまうぜ。
 チンケはチンケなりに、全力でぶつかっていかないと。
 よーし、行くか。
 耕一さん、まだ脳が揺すられたダメージから回復してねえ。
 前に出ていって頭を蹴飛ばしてやる。
 丁度蹴り安い位置にあるしな。
 ……待て。
 擬態かもしれねえな。
 罠かも。
 馬鹿。
 んなこたどうでもいいんだよ。
 足は手の三倍の力があるんだぜ。
 頭に蹴りがクリーンヒットすりゃそれ一発で終わるんだ。
 だけど、頭を蹴れるようなチャンスは滅多に無い。
 今がチャンスだ。
 これを逃す手はねえぞ。
 おいしいんだよ。
 罠がどうとか考える前においしいんだから涎流して飛びついてやればいいんだよ。
 いらねえことに頭使わないでいいんだ。
 らしくねえ。
 行ってやりゃいいんだよ。
 罠だったら?
 引っ掛かってから考えろ。
 いや、考えるまでも無え。どうせ考える暇も無え。
 引っ掛かったらその時は身体が勝手に反応して動く。
 そのために日頃鍛えてるんだぜ。
 よし、行くぞ。
 四歩だ。
 四歩進んで蹴る。
 右から踏み出して四歩。
 右、左、右、左で四歩。
 んで、右の蹴りくれてやらあ。
「行っ!」
 身体が重い。
 今更、今日の疲労が出てきたのか?
 今日はもう、都築克彦、加納久、そして柏木耕一と三戦を経ている。
 そういった疲労が後から遅れて一気に出てくるのはよくあることだ。
 それにしても、重い。
 重過ぎる。
 特に背中が……。
「あ……」
 気付いた。
 ロッカーに背中ハマっちまってる。
 それが……。
 それが……。
「どうしたあ!」
 腰を落としていた体勢の浩之が上半身を前屈させた。
 ロッカーが浮く。
「おい」
 耕一が、それに気付いた。
「なんでもないっす」
 後頭部に何かが当たって、そのまま床に落ちた。
 少し水が入ったペットボトルだ。
 ロッカーの上部に誰かが置いたまま帰ってしまったらしい。
 ちゃんとゴミ箱に捨てろよなあ。
「だっっっ!」
 浩之が体勢を低くして突っ込んで行った。
 形としては低空のタックルだ。
 だが、勢いが足りない。
 これでは、耕一の足に届かない。
 が、それでかまわない。
 なにしろロッカー付きだ。
 ロッカーが当たればいいんだ。
 耕一は椅子から立ち上がりかけたところへ顔にロッカーの天辺の直撃を受けて仰け反り
そうになった。
 この野郎。
 ロッカー背負って突っ込んできやがった。
 こんなのでやられたら恥ずかしくってしょうがないぞ。
 耕一は倒れずに踏み止まった。
 ロッカーを両手で掴み、それを左に払い除けた。
 ロッカーが倒れ床を打つ。
 金属音。
 金属が、固いものにぶつかる音。
 金属同士がぶつかり合う時のそれとは微妙に異なる音。
 そんな音が鳴り響いた。
 耕一の右側に影が躍るように、湧き出るように現れていた。
 さすが耕一さん、よくぞ支えてくれた。
 おかげで身体が外れたぜ。
 一瞬、耕一がロッカーをどちらに除けるかを待ち、それとは逆方向に飛んだ浩之であっ
た。
「しまっ!」
 た。
 耕一が思わず叫んだ。
 右手がロッカーを除けるために左に行ってしまっている。
 顔ががら空き。
 だが、浩之とて体勢が低い。
 この状態では顔に有効的な打撃を送り込むことはできまい。
 気を付けるべきは下半身。
 金的――!?
 だが、何かが来た。
 不可視の何か。
 実際の攻撃に一歩先駆けてやってくるもの。
 先程、浩之の臓物を潰そうとした何か。
 目――!
 触れるだけでダメージを与え得る急所。
 下から浩之の右手が舞い上がるように――。
 やけにふわりとしたような動き――。
 目に!
「ちぃぃぃ!」
 ぴっ。
 と――。
 やられた!
 人指し指と親指で眼球を撫でるように――。
 耕一が目を閉じる。
 右膝をやや上げ、左手を曲げ肘を左胸の上に、肘から掌までの部分を縦にして喉から眉
間に点在する急所を覆う。
 そして右手で腹部を守る。
 これで心臓、喉仏、顎、人中、眉間、肝臓、水月、金的がほぼ守られる。
 だが、目が見えないのはどうしても辛い。
 どうしても全ての急所を覆いきれるものではないからだ。
 心配なのは右手で守っている腹部だ。
 水月と肝臓の両方を右手一本で守るのは不可能に近い。
 そこへ――。
 不可視の何かが来た。
 水月を貫いて――。
「っちぃい!」
 それに僅かに遅れて浩之の蹴りが耕一の水月にめり込んでいた。
 防ぎきれなかった。
 その水月に食い入ってくる感触から、浩之が足の甲や裏ではなく爪先を揃えてそれを突
き入れてきたものであることがわかる。
 細い錐のように尖鋭な攻撃だ。
 だからこそ、水月を防ごうとした耕一の右腕の表面を滑るようにして目的地に到達し、
喰らいつくことができたのだ。
「ごはっ」
 声ではなかった。
 空気が押し出される時に喉にこすれた音だ。
 耕一の身体が崩れ落ちる。
 膝をつき、手をつき、四つん這いで身を縮めた……いわゆる「カメ」の体勢になる。
 チャンス!
 頭が蹴り放題。
 そう思った浩之が右足を上げた時、耕一の右手が床の上を抱き込むように弧を描き、そ
れが浩之の左足を刈った。
「ぬ!」
 左で片足立ちになった瞬間にそれを貰ったために浩之の体勢が崩れ、右足を打ち下ろす
どころではなくなった。
 しまった。
 浩之もその瞬間にミスを悟っていた。
 耕一のカメの体勢は確かにチャンスであったが、蹴りを落とすには耕一と浩之の間の距
離が近すぎた。
 蹴り足を上げた時に耕一が当てずっぽうで手を振ったら軸足に当たるような近距離では
満足に蹴りを落とせない。
 距離を取って……。
 だが、耕一が追ってくる。
 蹴りは……また同じことになる。
 パンチ……遠い。
 くそ。
 けっこう厄介だな、このカサコソした耕一さんのポジションは!
 上から被さって押さえ込んで殴るか膝蹴りを叩き込んだら?
 いや、それをするにも近すぎる。足を掴まれて倒される。
 それにしても、もう目が見えてんのかよ。おれの退く方向にぴったりと着いて来るぞ。
 そうか、足音を聞いてんのか。
 だったら……こいつでどうだ。
 浩之が、飛んだ。
「!……」
 耕一がまだ痛む目を薄っすらと開きながら聴覚を鋭敏に研ぎ澄ます。
 一瞬、音が途絶えたことから跳躍したことはわかる。
 どこに着地するのか。
 音が……少し高い位置から……。
 何かの上に乗った!?
 位置からして……椅子だ。さっきまで自分が座っていた椅子の上だ。
「おらぁっ!」
 そちらを向こうとした瞬間、何かが背中に覆い被さってきた。
「浩之っ!」
「こいつで!」
 浩之の腕が――右が横になって真正面から喉に――左が縦になって耕一の後頭部を前に
押す形に――。
 スリーパーホールド。
 裸絞め。
「どうだあ!」
 こいつで落とせばどんな勝負も終わりだ。
 気絶してしまえば、した方の負けだ。
「があああっ!」
 浩之が全力を込めて絞める。
「おあああああああっ!」
 声帯が血を噴くような声を上げた。
「っ! ――!」
 遂に肺の中の空気を全て吐き出して声も出なくなった。
 浩之が呼吸するのを止めた。
 正確には吐き尽くした。
 あとは吸うだけだが、そんなことをすれば僅かにとはいえ腕の力が緩む。
 冗談ではない。
 その僅かな緩みから耕一が――勝利が――逃げてしまうかもしれないではないか。
 息を吸えない。
 吸ってたまるか。
 そんなことする暇があったら腕に力を――。
 より、大きな強い力を――。
 浩之っ!
 耕一は教えてやりたかった。
 それが、利敵行為であろうとなんであろうと。
 こんな必死になっている浩之に教えてやりたかった。
 だが、そんなことをするわけにもいかない。
 そんなことをしたら、極まってしまう。
 少しでも顎を動かしたら極まってしまいそうなのだ。
 そう――。
 浩之の裸絞めはまだ極まっていなかった。
 耕一が僅かに、ギリギリのところで顎でガードしていた。
 息が苦しいには苦しいが、落ちるほどの絞め付けではない。
 そうとも知らずに――。
 この、力の入れようは浩之が極まったものと思い込んでいる証拠だ。
 浩之っ!
 極まってないんだよ!
「――! ――!」
 もう肺の中に何も残っていないはずなのに、それでも何かを吐きながら耕一の首を絞め
ようとしている浩之が哀れでならなかった。
「――! ――!」
 浩之が声なき声で叫びながら力を振り絞る。
「――! ――!」
 耕一が声なき声で呼びかけながら耐えている。
 浩之の頭には何も無かった。
 耕一の首を絞める?
 耕一を落とす?
 そして……。
 勝利?
 そんなものすら無かった。
 力を出し切ることしか無かった。
 こいつは……。
 浩之のそんな気持ちは耕一に痛いほどに伝わってくる。
 こいつは……。
 お前は、なんのために。
 目的を忘れて息を吐き尽くし、血を吐くような顔で、なんのために……。
 お前の気持ちが痛いほどにわかる。
 わかればわかるほど痛い。
 いっそ、お前がただの憎たらしい奴だったらな……。
 おれもこんな気持ちには……。
 だけど……容赦はしないぞ。
 手を差し伸べたりはしない。
 だろ?
 お前が気付いていないのならそれに最大限に付け込むだけだ。
 だろ?
 耐え切れない圧迫じゃない。
 このまま永遠に力を加え続けることは不可能だ。そうなれば、いつか必ず絞め付けは緩
む。
 そうなったらこの腕を解いて……正面に向き合って……。
 殴る。
 殴り倒してやる。
 その時にはお前の両腕は痺れて使い物にならないはずだ。
 いい加減に、そろそろ限界だろう。
 ほら……。
 ぷつっ、と張り詰めた糸が切れるみたいに……。
 ぷつっ――と。
 浩之の両腕からの圧迫が消え失せた。
「よし!」
 腕を解いて、正面から向き合って、殴る。
 殴――。
「?……」
 あまりに力が無い。
 ぐったりと、ぐにゃりと、背骨を抜き取られたみたいな浩之。
「お前……」
 ぐったりと――。
 ぐにゃりと――。
「まさか、落ちて……」
 浩之は落ちていた。
 気を失って、その身を耕一に委ねて眠っていた。
 息を吸うことを拒否し続けた結果だ。
 人間が落ちる時とは「呼吸ができない」状況下である。
 首を絞められてその道を断たれる、若しくは水中のような酸素の存在しない環境下に置
かれる。
 そういった状況において、人間は落ちる。
 だが、こいつは……。
「お前は……」
 自らの意志で呼吸をせずに落ちたのだ。
「無茶しやがって!」
 叫んだ耕一の声が、出来の悪い子供を叱る親のそれに似ていた。
 そこに酸素があれば……その道が通っていれば……人間とは呼吸をする。
 意思がするのではない。
 本能がするのだ。
 それを……。
 こいつは……。
 意思が本能を押さえつけた。
 意思が本能を貫いた。
 意思が本能を阻んだ。
 常人にできることではない。
 凄いことだ。
 そして、浩之は落ちている。
 その凄まじい酷烈な作業の代償が、気絶。
 なんなんだ。
「浩之」
 耕一が不安そうな顔で声をかける。
 肩を揺する。
 ゆっくりと浩之の腹が上下し始めた。
 外側からの何らかの力を受けて落ちたのではないから、意思が消えれば身体は自然と呼
吸を始める。
「おい、浩之」
「……」
 浩之の目が細く開いた。
 下方から走ってきたその右拳に耕一の顎が揺れた。
「浩……」
「ぬぎゃっ!」
 左で、また揺らした。
 耕一の体が後ろに――どうと倒れ――背が床を叩いた。
「……」
 残された浩之が呆然と辺りを見回す。
 わけがわからない。
 耕一が倒れている。
 自分の裸絞めでそうなったのではないことはよくわかる。
 微かに拳に残る感触。
 自分のこの拳が殴って倒したのだ。
 無意識の内にやったのだ。
 なんだか、わからなかった。
「あ……」
 わからない。
「ああ……」
 勝利か?
「あああ……」
 これは勝利なのか?
「ああああ……」
 こんなのが勝利なのか?
「あああああ……」
 これが? 本当に?
「ああああああ……」
 耕一が倒れて……おそらく気を失っている。つまり、勝利か?
「あーあーああーあーあー……」
 こんなのが勝利?
「あーあーあぁぁぁ、おぉぉぉぉぉぉ……」
 勝利ってのは、もっと鮮烈で――。
「あぁぁぁぁぁぁ! おぉぉぉぉぉぉ!」
 おれが勝者!?
「んんんんんんんんんんんんっ!」
 こんなのが勝者の気分なのか!?
「うあああああああああああああああ!」
 咆哮。
 うあ、おあ、あお、いう、いあ、いえ、おえ、うお。
 あらゆる声が連続して放たれ奇怪な重奏を為していた。
 これが――勝者の咆哮!?
 ドアノブが静かに回った。
 恐る恐る、人の顔が覗いた。
 緒方英二であった。

                                   続く

     どうもvladです。
     104回目です。
     ちょっと図書館占有状態になりそうですね。
     ま、いいだろ?