次郎衛門II世 伝之弐 拳の熱さ 投稿者:vlad 投稿日:12月31日(日)00時54分
「して、何用か」
 ベッドに横たわるそれは、さして熱心でもなさそうだ。
 総理大臣の発言を、目も合わせずに促した。
「はっ、他でもありませぬ。私、内閣総理大臣となって既に半年近くになります」
「そうだな。広中がそうしたいというので、わしが許したのだ」
「ははーっ! そのこと、無論、深く深く感謝いたしております!」
 だが、その堀の顔に「広中」という名を聞いた一瞬だけ不快が覗いたのを、ベッドの上
のものはもちろん気付いていた。
「あなた様の目的達成のお手伝いを全身全霊でやらせていただいております」
「うむ……わしは帰りたいのだ」
「はい、ですがその……」
「……何か?」
「私を首相に推してくれた恩人のことを悪くいうのは気が進まぬのですが……」
 と、いいながら、堀の表情はこれでもかというぐらいの笑顔である。
「広中官房長官がもう少し協力的でありましたら、今よりもさらにお手伝いの方が……」
「広中が、わしの手伝いに積極的でないと申すか」
「いえ、それはその……はっきりとは申せませぬが……」
「ふむ……」
 堀が上目遣いで探るが、それの表情は知れない。
 それもそのはずで、ベッドに横たわるものは、人間とは思えなかった。
 何か黒い、ごつごつとした物体であった。
 両手両足、さらには目鼻口を備えた頭部も持っているものの、それは全く違う生物であ
った。
 だが、これが一ヶ月ほど前までは普通の二十歳をそうは越えていない人間の若者であっ
たと知ったら誰もが驚き……いや、おそらく誰も信じまい。
「広中の傀儡は嫌か……」
 その問いに、堀は一瞬躊躇ったものの、
「はい」
 はっきりと答えた。
「うむ、考えておこう。このこと、広中に気取られるなよ」
「は、ははーっ! ありがとうございます!」
 見苦しいほどに低頭しながら、堀首相は退室した。
「広中を切り捨てますか」
 ベッドの傍らに立っていた男がいった。
「あの男……ちと口が軽いが、広中よりは御しやすかろう。なにしろ、わしらのことを神
だと信じて国会でこの国を「神の国」などと発言する男よ」
「まあ、あれはあやつの神道かぶれの発言ということで処理できましたが、また似たよう
な失言をしますまいか。そうなれば……勘ぐる者も出てくるやもしれませぬ」
「ふむ」
「げんに、都知事が妙な動きを見せております」
「あの男も主流派から爪弾きにされながらも都知事になれたのだから余計なことに首を突
っ込まねばよいものを」
「むろん、監視をつけてありますが」
「うむ、ようは堀にも監視をつけてやればよいのだ。奴が公的な場所で発言する言葉は、
あらかじめこちらで決めておけ」
「はっ、それではやはり堀を……」
「うむ、広中と挿げ替えること手を打っておけい。広中め、堀と違うて全面的にわしらに
協力するともいえぬところがある」
「はっ、明日には……ダリエリ様の御命令あり次第に始末できる体勢を整えまする」
「うむ、それから……」
「はっ」
「この体、そろそろ限界じゃ」
「はい」

 ロビーに帰ってきた堀は、傍から見ても不自然なほどに嬉しそうであった。
 その病院に似つかわしくない顔の首相を迎えたのは彼の秘書である。秘書は、地下への
立ち入りを許されず、ここで待たされていた。
「よし、帰るぞ」
 聞かずとも、首尾が上々であったことが見て取れる。
「先生、あの御方の反応はよろしかったようですね」
「うむ、よい塩梅だよ、君ぃ」
 車に乗り込んでからも、それは変わらない。
「近い内に、私は本当の意味で内閣総理大臣……いやいや、それ以上のものになるかもし
れないぞ」
「それは私にとっても嬉しいことですよ。先生、おめでとうございます」
 などといいつつ、秘書の頭には、先日のことが思い出されていた。
 それがあったその日までは、自分の上司がそこまで官房長官を嫌っているとは思ってい
なかった。ウマが合わない、という程度であろうと思っていたのだ。
 それは、約半年前……。
 その日、入院中の渕総理大臣のことで取材を受けていた堀のところへ、首相死去の報が
もたらされた。
 次期総理の可能性があるのでは?
 という記者の質問に、自分は非力であるからとても……と答えながら、堀の顔はひきつ
っていた。
 それを記者は、渕首相の死を悲しみ、悼んでのことだと好意的に解釈して、予定よりも
時間を切り上げて引き上げていったが、秘書には本当の理由がわかっていた。
 渕首相の入院。
 全世界の人々のほとんどが渕首相が病気であったと信じているが、これが全く嘘であっ
た。
 その真実とは!?
 広中官房長官より、例の医大病院の地下にいる大権力者へ、渕首相が叛こうとしている
という告発があり、それを聞き入れた「あの御方」が渕首相を入院という名目で軟禁。
 それに対して渕首相も「叛こうとしているのは他ならぬ広中」と言い立て、二人の対決
となっていたのである。
 渕首相の「病死」がその暗闘での敗北がもたらしたものであることはいうまでもないだ
ろう。
 だから、その勝敗如何によっては渕首相が全快して退院。代わって広中が病院のベッド
の上に……そしてやがては……というシナリオもありえたのである。
 その時は、堀を次の総理大臣にすることは既に決定していた。
 広中の推薦である。もちろん、総理大臣に推したのではなく、自分が操りやすい傀儡に
推したのだ。
 だが、広中は堀をあまりに軽く見ているためにほとんど気付いていないようだが、堀の
中には広中に対する敵意がある。
 そして、それを秘書は、その日、記者たちが帰った後にまざまざと知ることになる。
「次期総理は先生で内定済みですからね、おめでとうございます」
 そういった秘書に堀は何も答えず、ソファーに座ったまま、肩を震わせていた。
 これはもしや? 相当に渕首相の死がこたえたのでは?
 そう思った次の瞬間であった。
「ふ、渕ぃ〜〜〜」
 堀が、うめくようにいった。
「せ、先生?」
「くくくくく、渕ぃぃぃぃぃ!」
 目の前に置いてあってテーブルを思い切り引っ繰り返した。
「ど、どうしたんですか?」
 秘書の声など耳に入っておらぬようであった。
「ふん! ふん! ふん! ふん!」
 ソファーの背もたれを力の限り、拳で乱打する。
 もはや、秘書はそれを制止する勇気も持てず、離れて見ていることしかできなかった。
「な、なんで……な・ん・で〜〜〜〜〜〜〜」
 堀は叫んでいた。
「ふっ、渕か〜っ! 奴が……広中が死ねばよかったのにィ! ほんとによぉ〜〜!」
「せ、先生の顔が……」
「くそ! 死ねば死ねばーーーっ!」
 それほど人相がよいとはいえぬものの、正視には耐えた堀の顔が、憎悪に沸き立ち、と
てもまともに見れるものではなくなっていた。
「ふー、ふー、ふー」
 やがて落ち着いた堀は、壁にぴったりと張り付いて様子を窺っていた秘書の方へ歩いて
きた。
「は、は、は、せ、先生」
「見たな……」
「へ、へひ、なんのことでありましょうか」
「お前は、おれの忠実な秘書だな」
「は、はひひ、もちろんでふとも」
「ならば……広中は好きか?」
「か、官房長官?……」
 実をいうと、好きでも嫌いでもない。ただ、後々に出馬して代議士になりたい身として
は敵にはしたくないとは思っている。
「どうなのだ!」
「はいっ! ひ、広中官房長官は……大嫌いであります!」
「気に入った」
 ぽん、と肩を叩かれた。
 この一言で、彼の安全が保証された。
 その総理大臣の座を手に入れることを喜ぶよりも広中が生き延びたことを憤った堀が、
ついに広中排除のために動き出したのである。

「買ってきたぞ」
 梓が、コンビニの袋を二つ持って車に帰ってきた。
「うむ」
 柏木耕一−−いや、これからは彼を次郎衛門と呼ぼう−−は、コンビニの前に停めてあ
った車を発進させた。
「はい」
「うむ、すまぬ、えでぃふぇる」
 楓から、おにぎりを受け取りそれを頬張りながらも、次郎衛門は車を進めている。
「で……あんたがあれだ。あたしたちのご先祖の次郎衛門で、今は耕一の身体に入ってる
ってのはわかった」
 梓がいった。しかし「信じたくはないけど、信じざるを得ないよ」と付け加えた。
「それで、どこまで話したかのう」
「耕一が一人で洞窟に来たってとこまで」
「うむ」
 次郎衛門がいうには、そこへ耕一を呼んだのは自分だった。が、耕一にそのような自覚
は無かったはずだ。
「あの洞窟に何があったっていうんだよ」
「墓じゃ」
「墓?」
「雨月山の鬼たちのな」
「なんでまた……そんなものを」
「鬼が怨霊になって祟るのを恐れたのよ、そのために付近の農民が墓を建てて供養したの
じゃ、ところが殿がのう」
「殿……というのは、天城忠義のことですね」
 と、いったのは千鶴だ。千鶴は四人の中では一番その辺りのことに関して知識がある。
「うむ、忠義公はそれを許さなかったのじゃ、あれ以来、鬼と聞くだけで不機嫌になるよ
うになってしまったぐらいじゃからな」
 さりとて、怨霊は恐ろしい。
 そこで、農民たちは洞窟の中に墓を移し、そこで供養をしていたのである。
「そして、何年も経ってわしが死んだ時、そこにわしを祀ったのよ、鬼どもを監視させた
かったのであろうな」
 実際に次郎衛門は、その期待に応えて辺りを浮遊して悪さをしていた鬼−−エルクゥの
霊を退治したり成仏させてやったりしたこともある。
「だが、わしとて全てに目が行き届くわけではない。見当たらぬやつはもはや成仏したも
のと見なしておくしかなかったのじゃ」
 そしてこの隆山近辺にそれらしい霊がいなくなってから、次郎衛門は眠りについた。
「つい最近じゃ、男があの洞窟にやってきた……わしにはすぐにわかったわい。それが、
奴らが乗り移った人間だとな」
 さらに、どうやら自分が眠っている間に奴らがこの国を動かすような力を手に入れてい
ることを知り、耕一を呼んだのである。
「連中の目的はなんなんだよ。わざわざ耕一に乗り移ってまで阻止しようとするってこと
は相当やばいことなのか?」
「おそらく、帰りたいのであろうな、自分たちの星に」
 既に、エルクゥというものが異星からやってきた者どもであることは千鶴たちには話し
てある。
「帰らせてやればいいじゃないか、そんなの」
「だがのう、ようくは元々この星に無い物質で作られた船じゃ、これを修復するのには、
並大抵のことではないぞ」
「そ、そうか」
「だから、奴らはこの国の、いや、もしかしたら他の諸国の主たちをも動かす権力が必要
だったのじゃろう」
 どうやって権力を手に入れたかは定かではないが、それに鬼−−エルクゥの持つ人間に
はない様々な能力を使ったのは確かだろう。
「この国の権力者たちも、逆らえばエルクゥの刺客を送られるのが怖い、というのもある
のだろうが、それとは別になんらかの見返りがあるから奴らの支配を受け入れておるので
あろう」
「なんだよ、見返りって」
「おそらく、奴らの持つ力じゃろうな。何を考えるか想像はつくわい。戦に使えぬものか
とな」
「戦争に利用……鬼の力を……」
「わしらが奴らを討った時も苦労したわい。りねっとに協力してもらい酒を飲ませて、不
意打ちをして、さらに鬼の力を手に入れたわしが死力を尽くして戦ってようやく勝てたの
じゃ。全部、柏木の殿のお考えということにしたがな」
「そうだったんですか」
 千鶴が感慨深げにうなづいていた。彼女はなんでも学生時代に天城家武功覚書などの史
料を調べたことがあるらしい。
「最近はばいおてくのろじーやらくろぉんやら、そのような技術があるらしいではないか。
奴らが協力し、それらを駆使したならば、例えば、普通の人間に鬼の力を宿らせることは
可能じゃろう。……数百年前にも例があるわい」
 そういって、次郎衛門は自分を指差した。
「とにかく、まだそうと決まったわけではないが、そのようなことをわしは恐れるのよ。
何しろ奴らは故郷に帰りたいだけ。自分らが去った後にこの星がどうなろうと知ったこと
ではあるまい」
「それでは、あなたはこれからどうするのですか?」
「とりあえず、奴らの首領に会いたいところじゃ。おそらく、ダリエリの奴であろうが…
…」
「難しいですね」
「うむ」
 その時、次郎衛門が車を停めた。
「なんじゃ、ここは関所か?」
 車の前に、警官が一人立っていて両手を振り、ここから先には進めないと合図していた。
「何かあったのかしら?」
 見れば、その先にはパトカーが何台も停まっている。野次馬がかなり集まってきている
ようだ。
「よし、あずえる、物見をせい」
「ったく、またあたしかよ」
 ブツブツいいながらも梓は車の外に出て、野次馬らしき人ゴミに聞き込みしに行った。
 次郎衛門は梓が気に入ったようで、さっきからよく話し掛けたり用事を言いつけたりし
ている。
 やがて梓が帰ってきていうには、どうやら民家の一室に殺人犯が立てこもっているらし
い。
 犯人はやってくると、いきなり父親と母親を刺殺。幼い兄妹を人質に取っているために
、
警察は迂闊に手を出せないのだという。
「人質の子供は?」
「六歳と十歳だってさ、今のところはまだ大丈夫らしいけど」
「それは……なんとか助かって欲しいものね……」
「助かってもお父さんとお母さんがいなくなっちゃうんだね……その子たち」
「うむ」
 呟くや、次郎衛門は車を引き返し、道の脇に停めた。
「これは捨ておけぬわ」
「え? どうする気だよ」
「出陣いたす。あずえる、供をせい」
「なんであたしが……」
「えでぃふぇる。留守を守ってくれ」
「……はい」
「もう既に目覚め始めておろう。りずえるとりねっとを頼むぞ」
「わかっていましたか……」
「わしは、えでぃふぇるのことならなんでもわかるわい」
 頬を染めた楓に柔らかい視線を送りながら次郎衛門は車から身を出した。
「御武運を……」
「うむ、行って参る」
 車外に出た次郎衛門は一足先に下りて待っていた梓を従えてマンションに向かった。

「警部」
 若い警部補がパトカーの後部座席でなにやら資料を見ているフリをして寝ている上司を
呼んだ。
 こういうフリはやたらと上手い人である。
「柳川くんか。なんか動きあった?」
「犯人の方には無いのですが……マスコミが……」
「さっさとなんとかしろっていうんだろう。全く、文句をいう権利だけ持っている人らは
気楽なもんだよ。人命尊重、慎重に慎重に、話し合いで解決しましょう。のお題目が通じ
なくなったか」
「犯人が立てこもってから、もう二十時間経過していますからね」
「こういうのは荒っぽくやらないためには持久戦しか無いんだよ。下手に動かない方がい
い、責任取らされるからね」
「はあ……」
「もう責任取らされるのはゴメンだよ、おれは」
 隆山警察署の長瀬警部の声は小さく、口の中で呟いたものであった。
「そうですね」
 と、返した柳川警部補にも熱心さは欠けていた。
「ん?」
 長瀬が怪訝そうな顔をして柳川を見た。
「騒がしいな、何かあったのかな?」
 確かに、騒がしい。
「ちょっと見てきましょう」
 柳川が行ってみると、警官が右往左往している。
 何があったのかを聞いてみれば、民間人がこの家に侵入してしまったという。
 責任問題だ。長瀬の頭を抱える姿が目に浮かぶ。
 に、しても、度し難いのはこいつらだ。数十人の警官がいて、なぜそんなことを許すの
だ。
「制止したのですが……」
 その民間人は男女の二人連れで、野次馬の中から出てきてどんどん家に近付いてきたの
で警官が止めに入ったところ、
「皆の者、骨折りじゃのう。わしに任せい」
 と、いって家の敷地内に入ろうとしたために人壁を作って阻止した。
 すると、下がったので諦めたのかと思ったら男が女の腰を抱え、そして跳躍。二階のベ
ランダに飛び移ってしまったというのだ。
「どこからだ」
「ここから……あそこのベランダです。本当なんです。信じてください」
「ここか」
 距離にして約30メートル。それにプラス、二階までの高さである。
「人間技ではないな」
 呟いて、だが、それにさして驚きもせずに、柳川は警官たちを咎めもせずに長瀬がいる
パトカーに戻って行った。

 その男女が次郎衛門と梓であることはいうまでもないだろう。
 二階から潜入した二人は二階が無人であることを確かめると、一階に下りていった。
「あ……」
 思わず、梓が声を漏らす。
 血の臭いが、階下から流れてきていた。
 リビングの方からであった。
 梓は慎重に行こうとしているのだが、次郎衛門が無造作にずんずんと進んで行くので、
その努力は無駄に終わっている。
 リビングには、三人の人間がいた。
 人質にされているという兄妹だろう。兄の方が床に座り、妹の方はもう一人の男の腕に
抱かれている。
 そして死体が二つ。両親のものだろう。
「大丈夫か、子供らよ」
 警戒も何もなしに次郎衛門がリビングに入っていく。
 男が、びくりと震えて、こちらを向いた。
 後ろから見ていてはわからなかったが、左腕で少女を抱いて、その手の先に持った大振
りのナイフを少女の首に当てている。
 右手にはペンを持っていた。
「な、なんだお前ら、警察か!」
「ではないが、その子らを助けに参った。お前が下手人か……ガキではないか」
「へへへー。僕は十七歳だからねー、人を殺してもいいんだよー」
「なんじゃ、この時代にはそんなわけのわからん法度があるのか?」
 と、次郎衛門が梓を見る。
「あるわけないだろ。でも、二十歳前の未成年は罪が軽くなるんだよ。成年だったら死刑
でおかしくないのに、未成年だと何年かで少年院……ってこれは、未成年を入れる牢屋の
ことだけど……とにかく、そこに何年か入っただけで出てこれたりするんだ」
「あずえるのいっておるのは罪ではなくて罰のことじゃな」
「え? ……あ、いわれてみればそうか」
 常々、「罪が軽くなる」といっていたが、実は軽くなっているのは「罰」であって罪で
はない。罰の軽重がイコール罪のそれであると思っていただけなのかもしれない。
「戦国の世が終わり、異国との戦も終わり、日の本は平和な国になったのだと思っておっ
たのだが、そのような妙な法度があるのはおかしいのぅ、ううむ」
「うーん、いや、かなりたくさんの人がおかしいとは思ってるんだけど……」
 次郎衛門と梓が二人して腕組みして唸っているのを犯人は苛々とした様子で見ていた。
「と、とにかく、こっちには人質がいるんだから。手を出せっこないだろう。今、犯行声
明を書いてたんだから邪魔するなぁ!」
「犯行声明? なんじゃそれは」
「僕がなんでこういうことをするに至ったのかを書いてあるのさ」
「ほう、ちと見せてみよ」
「しょ、しょうがないな。まだ途中なんだけどなー。見たいっていうなら見せてやるよ。
僕の悲惨な人生に同情するぞー」
「ほう、御主もわけありなのか……」
 犯人は、直接手渡すことを恐れて、人質の少年にそれを持たせて寄越した。
「ふむ」
 次郎衛門が、少年の目を見て一人頷く。
 それからおもむろに便箋に書かれた「犯行声明」とやらを読み始める。
「ふむふむ……くだらぬ」
 読み終えるや、あっさりと破り捨てた。
「あああああああ! 何すんだよ、お前ぇ!」
「何が何やらわからぬわい。理由などどこにも書いておらぬではないか」
「何いってるんだ。僕は透明な存在で、心の闇がぁぁぁ!」
「そのわけのわからん言葉どもは、何か意味があったのか?」
「あー、うー、ぐー」
「なんじゃ、はっきりせい」
「ど、どうせ誰も僕のことなんか理解してくれないんだ。そうだ! どうせそうなんだ!」
「いや、理解したくとも難解過ぎるわ」
 梓が次郎衛門の袖を引く。
「あんまり刺激するなよ。あの子が人質にとられてるんだから。……取り返すいい手があ
るんなら、さっさとやっちゃえよ」
「な、な、なに内緒話してんだよぉ! ぼ、僕はどうせ除け者だよぉ!」
「話にならぬな。やはり狂人であったか」
「だから、そういうことをでかい声でいうんじゃないって」
「お、お前! お前ら、新しい人質だ。で、でもお前は男だし大人だから、縛らないと駄
目だ」
 犯人はそういうと辺りを見回した。
「こ、これだ。これ使え!」
 床を這っていたコードをナイフで切断して、それを少年に持たせて梓に渡した。
「これを、どうするんだよ?」
「お前、それで、そっちの男を縛れ! やらないとこの子を殺すぞ!」
 梓が、ちらりと次郎衛門を見る。何かあるんならさっさとやれ、という目だ。
「仕方が無いのう。あずえる、縛れ」
「な!」
「きつくだぞー。緩くしたら、この子の顔に傷をつけるからなー」
「あー、もう、馬鹿! なんか考えがあってあんな堂々としていたのかと思ったのに!」
 梓は文句をいいながら、次郎衛門を両手を背中に回して縛り上げた。
「よーし、それで……そこだ。そこに座ってろ」
 いわれるままに次郎衛門が座り、梓がその隣に腰を下ろす。
「僕は、すぐに犯行声明を書き直さないといけないからな、じっとしてるんだぞ」
 犯人は、相変わらず少女を抱えたまま、右手で持ったペンを使って便箋に文字を書き付
けている。
「この馬鹿。馬鹿。馬鹿」
「怒っておるのか、あずえる」
「怒るに決まってるだろうが」
「そうか。だが、このようなもの、その気になればいつでも引き千切れるわ。それに、あ
の子もな、正面から近付いても取り返せるわい」
「……そうなの?」
「そうじゃ」
「だったらなんでさっきそれをしなかったんだよ」
「兄の方、あの小僧の目を見よ」
「へ? ああ、あの子か。あの子の目がどうかしたのか?」
「自分が妹を助けるという強い意志を宿した目よ、わしらがやってきた時も大人が助けに
来たからこの人たちに助けてもらおう、などという甘えた色は皆無であったわ」
「まさかあんた。あの子が妹を助けるのを待とうっていうんじゃないだろうな」
「うむ。無論、危なくなったら助けに入るつもりじゃ」
「あー、もう、馬鹿じゃなくって人でなしだよ、あんたは」
「あずえるよ、男が一度決意したことを邪魔されるのは辛きことよ。見守るのもまた情け
と知れぃ」
「に、したって、あんたのは極端なんだよ」
「わしは、あの小僧の目に男の決意を見た。あずえるもわしと一緒に漢見物と参ろう」
「もう、付き合ってらんないよ」
 梓の声がとうとう涙声になってしまっていた。
 それから十分もした時、犯人の頭が一瞬だけがっくりと垂れた。
 眠気が襲ってきたのであろう。ここに篭城してから二十時間が経っている。
「あずえる、あの小僧、仕掛けるぞ」
「え?」
 次郎衛門がそういった直後だった。またがっくりと頭が垂れた瞬間に、少年の体が犯人
の左手にぶつかっていった。
 自らの体を使ってナイフの刃を覆うようにしている。
「逃げろ! 逃げろ!」
 妹に向かって叫んだ。
 妹がよろよろと犯人の手から脱し、這いながら逃れようとする。
「あずえる!」
「よし、任せろ」
 それを梓が拾って、もつれ合う犯人と少年から距離を取った。
 同時に次郎衛門が立ち上がり、両手を広げた。
 いとも簡単にその身体を縛っていたコードは千切れ飛んだ。
「この! 殺してやる!」
 犯人は少年を振り払い、床に突き倒すと、ナイフを振り上げた。
 が、一瞬後にはその手の中にそれは無かった。
「あっ、はれぇ?」
 背後に、ナイフの刃を指に挟んだ次郎衛門が立っていた。
「小僧、ようしてのけた」
「か、か、返せよー、僕んだぞー。返してくれよー」
 犯人が力の無い声でいった。ナイフが手から無くなった途端に弱気になってしまったよ
うだ。
「ほれっ」
 次郎衛門が床にナイフを放り捨てると、慌ててそれを拾った。
「幼子であろうと男が決意して立ち上がれば、それは一個のいくさ人よ。それを見抜けな
んだ御主の負けじゃ」
「ち、近付くな!」
「情けないのう、人質がおらなんだようになったらいかぬか」
「ち、近付くなっていってるだろう!」
「何に怒っているのかは知らぬが、己の怒りのハケ口を幼子に向けて何をわめいておる。
男なら、天城家中だけでなく周辺諸国にも武勇の聞こえたわしを討って武功とせい」
「ば、ば、馬鹿な。強そうな人に喧嘩売るわけないだろう。僕は相手を見て……」
「この腑抜けが!!」
「はぶぅっ!」
 次郎衛門が頬を叩くや、犯人は捻りながらふっ飛んだ。
「痛いー、ひー、人殺しー!」
「よういうわ」
「ちょっと」
 窓から表の様子を窺っていた梓が声をかけてきた。
「なんじゃ、あずえる」
「おい! 表が騒がしいよ、もしかしたら警官隊が突入してくるのかも!」
「ふむ、苦労じゃのう」
「色々と面倒なことになるかもしれないから、さっさと逃げよう。その馬鹿は警察に任せ
て」
「……はて、銃声が聞こえるが……」
「え? ……ホントだ」
 確かに、表から聞こえてきたのは連なる銃声であった。それも何挺もの拳銃を撃ってい
るのではなく、機関銃のような連射のきく銃のようだ。
「いかんわ。奴ら、追ってきおったか」
「それじゃ、さっきの!」
 梓が叫んだのと窓ガラスが飛散して、そこに開いた穴から黒影が躍りこんでくるのとが
ほぼ同時であった。
「逃さんぞ、次郎衛門」
 先ほど、車で跳ねてやった黒服たちであった。もう既に回復を果たしたようで、その身
のこなしに不自然なところは全く無い。
「あずえる、狙われておるのはわしらじゃ」
「ああ」
 次郎衛門のいわんとすることを即座に了解した梓が、抱き抱えていた少女を兄に任せ、
「物陰に隠れてじっとしてて!」
「突破じゃ」
 次郎衛門が梓の前に出た。丁度、黒服たちと梓の間に入った形になる。
「続けっ!」
 咆哮するや、次郎衛門と黒服たちが中空にて交錯し、二つの黒い塊が凄まじい勢いで壁
に激突した。
 瞬間、次郎衛門が横に飛んで梓を先に行かせ、すぐにその後に着いた。
「待て、次郎衛門」
 立ち上がった黒服が足首に違和感を感じて下を見ると、先ほど次郎衛門に張り飛ばされ
た十七歳が彼の足首を掴んでいた。
「離せ」
「け、警察の人でしょ。あいつ人殺しだー! 助けてくれー!」
 黒服はそれに何も答えずに、サブマシンガンを取り出した。
「あいにく、わしらもそれよ」
「ぼ、ぼ、僕、未成年」
 黒服が足を蹴上げると犯人は掴んでおれずに手を離してふっ飛んだ。
 壁に貼り付いた次の瞬間には無造作に発射されたサブマシンガンの弾丸がその身体を震
わせていた。
「そ、そんな、未成年……保護しないといけ……ないのに」
 傷口から血を噴出させながら、それが作った血だまりに突っ伏した。
「や、やられたよ! あいつ!」
「うむ」
「殺されてもおかしくないことしたんだろうけど……まだ十七歳だったんだよな……」
「ん!? 何をいっておる」
 次郎衛門はその死などもはや忘れてしまったような淡々とした口調でいった。
「あのような腑抜けでは、戦場なら真っ先に死んでおる……」
「……」
「捨て、おけ!!」
 その後を追って銃弾が飛来した。

「その、次郎衛門とやら、逃げたのかね」
「はい、先生」
 日本国内閣総理大臣、堀史郎は官邸の一室で秘書の報告を受けていた。
「あの御方が大層熱心なようじゃないか」
「はい」
「例えば……私がその次郎衛門を生け捕りにしたら、覚えは大層めでたくなるだろう」
「え、先生自ら?」
「ふふ、まあ、腕っ節には自信があるがね、さすがにそこまではせんよ」
 堀は満更でもなさそうに笑い、秘書に、ある人物を呼ぶように言い付けた。
 一時間ほどして、その人物は現れた。そして、その時には机の上には柏木耕一−−次郎
衛門−−の写真が乗っていた。
「この青年ですか、ハッ」
「うん、多少手荒になってかまわない。君はすぐ動かせる若いのがいるだろう」
「ええ、声をかければ、ハッ、四、五人は、ハッ」
 机を間に挟んで森と向かい合っているのは、元国語教師で現役のプロレスラーであり、
そして参議院議員でもある、枷広重(かせ ひろしげ)であった。
 同郷ということもあり、堀は何かと目をかけてやっていた。
「頼むよ、枷くん。むろん、私から礼はするし、あの御方に名前を知ってもらえるのは、
絶対にこれからのためになるから」
「そうですね……ハッ、首相には何かとお世話になっていますし、ハッ」
 ちなみに、やたらと「ハッ」とうるさいのは、この男の呼吸の音である。なんでも特殊
な呼吸法で、これをやると肺への負担が軽くなり、息が長く続くのだという。
「おお、やってくれるかね」
「はい、やらせていただきます。ハッ」
「よし、助成金として5000万ばかり回そう。うち、2000万は君だけのものだ。す
ぐに行ってくれ」
「わかりました。ハッ」

                                     続く


     どうも、vladです。
     トンデモ作家とトンデモ漫画家の歯車ががっちりと噛みあって生み
     出された奇跡に対抗するのは容易なことではありません。
     だが、それに挑戦するのがこの作品のテーマなのです。
     すいません。嘘です。
     からかっただけです。

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