次郎衛門II世 伝の壱 次郎衛門転生 投稿者:vlad 投稿日:12月23日(土)01時35分
 忠義公、雨月山の賊の討伐をし給へども、いたづらに将士を失い功少なし。
 敗北せしは、武備の怠りゆえと弓など存分に揃え給ひ再び討たんとすれども、賊の勢に
遭いて利あらずして退く。
                              天城家武功覚書より

 天城家武功覚書では、以後、この賊のことは触れていないが、天城文書には殿さまの天
城忠義がすっかり戦意を失って雨月山の賊へは手出しをしないようにとしたところへ家臣
の柏木某が再度の討伐を進言、忠義もやはりこのまま引き下がるのは嫌だったようで柏木
某の策を容れるに足ると見るや、出陣の準備を命じた。と、ある。
 そして、三度目の正直で討伐に成功。
 一度目は正面から決戦を挑んで負け、二度目は弓などの飛び道具を揃えてまた負け、そ
れらを踏まえて到底まともに戦っては勝てまいと悟った柏木某は、
「賊を誘ひて、押し包みてこれを討つ」(天城文書)
 という、敵を予定の場所に誘いこんでこれを囲んで攻撃する包囲作戦を採った。
 さらに、
「賊、大いに酒食らひて囂々と眠る。機に乗じ御味方一斉に討ち掛かり候えば、賊共変に
応ずること能わず」(天城文書)
 と、あるように酒を飲んで眠ったところへ夜襲を仕掛けたらしい。おそらく、その酒も
柏木某が用意させてそこに置いておいたのだろう。
 そして、この戦いにおける戦目付の武功書付の中に柏木某の家来で次郎衛門という者が
格別に働き、

 首級、斬獲すること十有余。功第一なり。

 と、ある。
 戦い自体はそれほど長いものではなく、また賊の人数は三十から四十と見られ、その条
件下で十余もの首を獲ったのは類稀なる武勇といっていいだろう。
 また、その首の中に、この賊の頭目のそれが入っていたという話もある。
 この次郎衛門は二度目の討伐において忠義が兵を募った際に参加した浪人であったが、
以後、柏木某に仕えていたという。
 後世「雨月山の鬼退治」の伝説が生まれたが、それの母体はこの賊討伐であったという
のが定説である。
 伝説中の英雄、次郎衛門については、この戦いで第一の武功を立てた次郎衛門がモデル
であろうことは容易に推察できる。
 伝説では、次郎衛門は鬼の娘と恋に落ち、その娘を失ってからは娘の妹と結ばれたとい
われている。
 賊討伐で武功を挙げた次郎衛門の方はそれ以後、歴史上からぷっつりと消息を絶ってい
る。だが、討伐のすぐ後に天城家に仕官したことと嫁を貰ったことは確からしい。流れ食
い詰め浪人が武功を立てて取り立てられた以上、そこへ骨を埋めることを決め嫁を貰った
というのは自然である。
 一部の史家にはその次郎衛門の嫁というのが日本人とは外見が大きく異なる――おそら
く日本人と南蛮人のハーフであろう――女だったために「鬼の娘を嫁にした」という伝説
が生まれたのではないか、という人間もいる。それからも推察できる通り、雨月山の賊と
いうのは流れ着いた南蛮人だったのではないか、ともいう。
 次郎衛門が子のいない柏木某の養子となってその家を継いだという説もある。
 
 だが、伝説が真実であったとしたら……。
 その場合、それは後世の人間や、その場にいなかった人間に「そのようなことはあるは
ずがない」と片付けられ、伝説と祭り上げられることによって真実の座から追われるので
ある。
 鬼が本当にいたとしたら。
 いや、荒唐無稽さにおいて伝えられる伝説すら凌駕する「真実」がある。
 


 東京都の郊外にひっそりと建つ某医大病院は、代議士などがよく入院することで有名な
ところだ。
 既に死亡してしまったが前総理大臣の渕恵介(ふち けいすけ)が入院していたのも、
この病院である。
 その病院の地下二階に一つの病室がある。
 奇妙な部屋であった。
 どうやら上層部のごく一握りの人間はそこに何者が入院しているのかを知っているよう
なのだが、それ以外には全く知らされない。
 だが、その病室を訪れる者は後を絶たない。
 その日も、朝から政財界の大物といわれる人間が何人もやってきていた。
 その中でも、一際の大物が、正午過ぎにやってきた官房長官であろう。
 広中務(ひろなか つとむ)
 総理の首を自由にできるとすらいわれる人物である。
 その広中が何をしに来たかといえば、これがただの「御機嫌伺い」なのである。
 そのことからも、その部屋のベッドに横たわるものがこの国において相当の影響を持つ
ことがわかるであろう。
「広中……」
 掠れた声であった。
「帰りたい……」
 〔それ〕は確かにそういった。
「帰りたい……」
「はっ……」
 広中官房長官は言葉短く、ただ頭を垂れている。
「わしの、邪魔をするかもしれぬ奴がいる」
「……御意志とあれば……消しますが」
「まだ消すとは決めておらぬ、それに始末はわしの手の者にやらせる。人が一人……いや
、念のために五人だな……それが消える。お前は、警察、報道機関を使って揉み消せ」
「お任せを……ダリエリ様」


 耕一は洞窟を前にしている。
 水門の近くにあるそれを発見してきたのは梓と初音であった。
 梓は興味を持って、入りたかったようなのだが、初音がいるのを考慮して断念したよう
だ。
「耕一、今度二人で行ってみよう」
 と、いう梓に、
「いい歳して探検ごっこかよ」
 と、いったのは昨夜のことだ。
「人のことはいえないな……」
 ましてや、自分は梓よりも年上だ。
 懐中電灯と食料少量、ロープ、ナイフ、その他サバイバル用具一式。
 そのようなものまで持ってきている。柏木家に無いものはわざわざ買い込んだ。
 一人でやってきたのを梓が知ったら怒るかもしれないが、梓は本日よりテスト期間に入
ってしまって、当分暇が取れない。
 それをとっくにテストが終わり、しかもめでたく首が繋がって遊びに来ていた耕一が待
てるはずがない。
 パチンコ屋で濛々と立ち込める煙の中で玉を弾いているよりも健全であろうと思い切っ
て来てしまった。
「さてと、それでは」
 懐中電灯を光らせて中に入る。
「けっこう単純そうかな、一本道みたいだ」
 耕一とて、この洞窟内が迷宮さながらの入り組んだものであったら自分が持参した装備
では物足りぬことぐらいはわかっている。少し入ってその道筋が複雑な様相を見せればす
ぐに引き返すつもりでいた。
 昨晩の様子からして、梓は絶対にこの洞窟での「探検ごっこ」をするだろう。元々あい
つはその手の遊びに目が無いのだ。
 あらかじめ下見をしておけば、梓が一緒に来た際に役立つであろう、と思っての単独行
動である。
「あいつのテストが終わるまでなんて待ってられねえ」
 というのが最大の理由ではあったが。
「うん、やっぱり一本道だ」
 かなり進んで来たはずなのだが、道が分岐する様子は無い。
 光が全く差し込んで来ないので、明かりが無ければ迷ってしまうだろうが、逆にいえば
明かりさえあればなんとでもなる。
「これは、梓との探検ごっこには丁度いいな」
 いや、梓のことだから、この程度では満足しないかもしれない。
「よし、東北東に進路をとろう」
 方位磁石を見ながら独語する。
 一本道で東北東も何も無さそうなものだが、それはまあ、気分である。
「けっこう長いな……」
 すぐに行き止まりにぶち当たっておしまい、ということになるかと思っていたのだが、
意外、三十分は歩いているのに道は尽きない。
「それに、なんていうか、気味悪いよな、なんだか……」
 耕一は、幽霊お化け、魑魅魍魎の類を恐れるタイプではない。むしろ、そっちのお仲間
かもしれない。
 その耕一をして、少し前から何らかの気配が周囲から感じられるような気がして気味の
悪い気分を味わっているのである。
「キリが無さそうだ。引き返すか」
 どうせ行く先は行き止まりだろう。で、あれば、引き返すのは早ければ早いほど疲れな
くて済む。
 曲がり角が前方にあった。
 あれを曲がって、その先を照らしてまだ続くようだったらそこで引き返そう、と思い定
めて角を曲がると……。
「……ん?」
 懐中電灯の光の形に違和感を覚えて、光線を様々な方向に振ってみると、どうやら、奥
が広い空間になっているらしい。
 行ってみると、天井の高さは二倍は高くなっており、広さとしては20メートル四方は
ある。
「行き止まりか」
 足を踏み入れた時は、この空間に何かあるのか、とも思ったが、明かりで照らしてみれ
ばただ広いだけの結局は行き止まりである。
 だが、耕一はふと、所々に、人工的に削られたような跡があるのを見出した。
 これまで、同じような高さと幅の道が続いてきたのに、いきなりここだけが部屋のよう
になっているのは妙ではある。おそらく、人間の手が加わっているのであろう。
 そう思うと、多少の興味が沸いてきてよく調べてみたくなった。
 耕一は蝋燭を取り出してきてそれに火を灯し壁際に置き、そこをさらに懐中電灯で照ら
すことでより明るさを得た。
 四方を照らしながら壁を触っている内に、ある一角にやや不自然に盛り上がっている部
分があり、その膨らんだ部分を押すと動いた。
 そこそこ大きなものだったので苦労しながら転がすと、後にはぽっかりと開いた穴があ
った。
「おお」
 これは大発見。なんだか探検らしくなってきた。
 懐中電灯で照らすと、その穴は奥まで続いている。
 こいつは、梓が喜びそうだ。
 などと思いながら、耕一は手をついて穴に入った。高さがあまり無いために身を低くし
ないと入れないのだ。
 行き着いた先にはまた先ほどのそれと同じぐらいの広さの空間があった。
 そして、その部屋には耕一の腰の高さほどはある石の塔が幾つも立っていて、押すと動
いた。明らかに誰かが持ってきて置き並べたものである。
 それを一目見た時に抱いた印象は、
 墓石−−。
 であった。
 一つ一つに光をあて、数えながら調べていくと全部で四十はあった。
 ある程度それを調べると壁面に光を振る。
「おっ」
 何かがあった。
「なんだ、これ」
 耕一の背の高さほどはある小さな社であった。
「何か文字が書いてあるようだけど……」
 薄れかかっていて、判別は困難であるが、幾つかの気になる単語が読み取ることができ
る。
「鬼」
「雨月」
「次郎」
 などである。
 さらに「次郎」に関しては、その次の文字が黒く潰れたようになっていて読めぬが、そ
のまた次の文字がどうやら「門」であることから推察はできる。
「……次郎衛門」
 耕一は、思わずその名を呟く。
 雨月山の鬼退治の話で有名な人物である。
 モデルとなる同名の人物が存在しており、それを示す史料も幾つかある。
 なによりも耕一は、深い因縁の糸によって次郎衛門とは結ばれている。
「前世……か」
 漏らすようにいった。
 音は、その時にした。
 背後であった。
「!……」
 振り向きざまに懐中電灯を向けると闇にぼんやりと顔が浮かび上がった。
 サングラスをかけているが……にしても見覚えの無い男たちだ。
 人数は二人。
 あからさまに怪しい。
 第一、見たところ、懐中電灯などの明かりを持っていないようだ。それで、どうやって
ここまでやってきたというのか。
「柏木……耕一」
「なにっ!?」
 声を荒げて自分の名を呼んだ男を睨みつけながらも耕一の背筋を悪寒が走る。
 自分の名前を知っているということは、明らかに自分が〔目当て〕ということ。この洞
窟にやってきて偶然耕一と会ったのではなくて、耕一を尾行していた、ということになる。
「まさか、ここに来るとはな……やや肝を冷やしたわ」
「ど、どういうことだ……」
「やはり何もわかっておらぬか、それはよいわ」
「……」
「しかし……」
 と、いったのはそれまで黙っていた二人目の男。
「この男がここにやってきたのは、やはりヤツが呼んだのでは」
「そうかもしれぬな」
 その間にも、男たちの隙をうかがう耕一だが、彼らは無造作に直立しているように見え
て隙が無い。
 男の目線が、耕一から外れた。
 そして、それが空を漂う。
「?……」
 耕一が訝しげな顔をする間、男はそのままブツブツと何かを呟いているようであった。
内容はよくは聞き取れないが、自分の名前と……そして次郎衛門の名前が耕一の耳に入っ
た。
「どうでしたか?」
「柏木耕一の意思によらずとも、この場所に来たことは危険とのことだ」
「でしょうな」
「決定は下った」
 その声が消えるか消えぬかの瞬間であった。
 何かが、来た。
 熱風にも似た熱い何かがやってきた。
 これは……。
 殺気か!?
 思った刹那、飛んでいた。
 間一髪。
 男の放った蹴りが空を薙いでいた。
「この!」
 耕一が突き動かされるように前に出た。
 男たちの気配からも、今の凄まじい、首の骨を一撃で折らんとするような蹴りからも、
話し合いの余地があるとは思えなかった。
 耕一の振った右拳が、男の腹に吸い込まれるように入った。
 よけようともしない。
「おう!」
 男は、感嘆の声を上げながら後方にふっ飛んだ。
「大丈夫ですか」
 もう一人の男が、さして心配でもなさそうな表情と声で尋ねる。
「強い、強いが、我らには勝てぬ」
 男がゆっくりと立ち上がる。その様子からは、最前の一撃がほとんどダメージを与えて
おらぬであろうことは明白であった。
「次郎衛門の転生体といっても、その程度ですか」
「うむ、もしもその意識を宿せば我ら二人でも相手になるまいが……柏木耕一だけならば
恐れるほどのことでもない」
「……」
 耕一は、もはや確信していた。
 こいつらは、普通の人間ではない。
 おそらく、鬼。
 エルクゥと呼ばれる生物。
 すなわち、自分と同類。 
「だが、あまり時間もかけられぬ……消すのはこやつだけではない。こやつを消すからに
は念を入れて皇女たちの転生体も始末せよとの御命令だ」
 そういうと、男は懐から黒い物体を取り出した。
 サブマシンガンである。
 だが、そんなことは耕一の意識の外にあった。
 皇女の転生体?
 まさか……。
「おい!」
 叫び声と銃声の開始とがほぼ同時だった。
 耕一の胸が血を吹いてからも銃声は連なり、洞窟内にそれが反響し、幾重にも聞こえた。
「よし、行くぞ」
「はっ」
 男たちが、黒いロングコートを翻しながら身を返す。
「四人まとめてやった方がよかろう。全員が帰ったところを襲撃するぞ」
「はっ」
 足音が遠ざかる。
 待て、といおうとしてそれが声にならない。
 皇女の転生体って……千鶴さんたちのことか!?
「ぐぅ……」
 体が、動かない。さすがに、銃弾を幾つも喰らってはこの身体も果てるのみか。
 死ねるか。
 早く、帰って、千鶴さんたちを……。
 いや、それより奴らを追いかけて……。
 ……。
 声が聞こえる。
 誰か、そこにいるのか。

 御主のような男、嫌いではないぞ。我が転生よ。

 だが、耕一の意識は既に途絶えていた。
 だが、その体が起きた。
 そして、目を開く。
 胸の傷が跡形も無かった。

 千鶴が帰ってきた時、既に夕食の用意ができていたが、耕一がまだ帰っていなかった。
「どこかに行くっていってた?」
「いや、そんなこといってなかったよ」
 と、梓が答える。
「早くしないと冷めちゃうじゃないか」
 と、いいながらも、梓の声に力が無い。今まで、耕一がこんなに遅くなったことは無い
のだ。彼は、四人と囲む食卓を何よりも楽しみにしていたのだから。
「……それのせいかも……」
 楓が、そっと、耕一の席に置かれた皿を見る。
 肉野菜炒めであった。
 何の変哲も無いように見える一品だが、それだけが千鶴が作ったものであった。
 昨夜、千鶴がそれ一品だけ、という条件で作り、案の定大量に余ったため、それでも、
かなり無理して他の三人よりも多く食べた耕一に、
「残ったの、明日もお願いしますね」
 と、千鶴が満面の笑みでいって、取ってあったものだ。
「そうか……耕一、千鶴姉の料理が食べたくないから……」
「お兄ちゃん……顔色真っ青だったもんね……」
「うう……あたしが千鶴姉の料理を押し付けたりしなければ……」
「そんな、梓お姉ちゃんのせいじゃないよ」
「ち、千鶴姉の料理ーっ! 千鶴姉の料理がーっ! あうぅ……耕一、ごめんよー!」
「そんなわけないじゃないの!」
 とうとう千鶴が怒って怒鳴りつける。
 と、その時であった。
 耕一が、縁側から帰ってきた。
「あ、お兄ちゃん、お帰りなさい」
「うむ」
 耕一は、靴を脱ぎ、上がってくる。
「ほら、見なさい。ちゃんと帰ってきたじゃないの」
 千鶴が勝ち誇ったように梓にいった。
「なんだぁ、あたしはまた、耕一が千鶴姉の料理が嫌で逃げたのかと……」
 耕一が箸を掴み、それを肉野菜炒めの皿につける。
「お、おい」
 一つまみ、口に入れた。
「うむ、なかなかいけるわ」
「こ、耕一、無理しなくていいんだぞ」
 梓とそして、楓、初音も心底心配そうに、気の毒そうに耕一を見ている。
「何いってるのよ、別に無理なんかしてませんよね、耕一さん」
 と、こちらは心底嬉しそうな千鶴。
「ああ、悪くないのう。これはりずえるが作ったのか?」
「……え?」
 千鶴の表情が一瞬で強張って固まった。
「今、なんて?」
 耕一がそれに答える前に、訪問者がやってきていた。玄関からではなく、耕一と同じよ
うに庭から縁側にだ。
「こんなところから失礼」
 黒ずくめの二人の男は、背中を向けて座る耕一の後姿を見るや、激しい動揺を見せた。
「まさか、お前!」
「……男が一人入っていったので誰かと思ってはおったが……生きていたのか、柏木耕一」
「耕一ではない」
 と、耕一がいった。
「わしだよ、わからんかね?」
 耕一がにっこりと笑った次の瞬間、男たちがサブマシンガンを抜き放っていた。
「次郎衛門、貴様! 転生体に宿ったか!」
 サブマシンガンが火を噴いて吐き出した弾が迫る。
 耕一は手を左右に伸ばして四人を突き飛ばし、飛来する弾の上を通って男たちの方へと
飛んでいた。
 この一連の動作を、銃口から弾が出てからそれが彼が座っていた空間に到達するまでに
やった。
「ぬっ!」
 上方から襲撃してくる耕一にサブマシンガンを向けた男は、引き金を引くよりも早く打
ち下ろされてきた蹴りを頭部に受けてがっくりと倒れた。その首が異様な形に曲がってい
る。
 もう一人の男は、これだけ接近しては銃は大して役に立たぬと見定めて、それを放った。
そして、それと同時に腕を振る。
 横なぎにやってくる、ボクシングでいうフックのパンチを耕一は凄まじい速度で前進し、
その懐へ入り込むことによって回避した。
 そして、回避と攻撃の間にほとんど瞬間の差も無かった。
 耕一に触れた途端に男の身体は飛び、壁に激突していた。
「よし、皆の者、逃げるぞ」
 耕一が四人を急き立てる。
 わけもわからぬままに従う三人の妹に対して、千鶴はさすがに長女としての自覚もあり、
真っ先に耕一に疑問をぶつけてきた。
「一体どういうことなんですか?」
 だが、耕一はそれには具体的に答えずに、
「今は逃げろ」
 と、いった。
「それよりもあの人たち、死んじゃったんじゃ……」
 初音が心配そうにいうのには、
「ほれ」
 背後を指差してみせた。
 庭に、既に二つの人影が立ち上がっていた。
 一人は腹を撫で、一人は首を振っている。
「な!?」
 梓が思わず、驚愕の声を上げる。一人はともかくとして、頭を蹴られた方は、確実に首
の骨が折れていたはずなのだ。即死は免れたとしても、すぐに立ち上がれるわけがないの
だ。
「乗れい」
 玄関前に停めてあった黒い車に耕一が乗り込む。
 四人もそれに乗り込むが、乗ってから千鶴が気付いた。
「これ……私がさっき乗って帰ってきた車だわ」
「うむ、逃走用に確保しておいたのよ、運転手には歩いて帰ってもらったわ」
 と、いいつつも耕一は鍵を取り出し、それを差し込んでいる。
「運転手に聞いたところ、これは馬より速いらしいでの」
 その言葉に千鶴も梓も初音も首を傾げるばかりだったが、助手席に座っていた楓だけが、
はっきりとした声でいった。
「あなたは……やっぱり」
「おう、えでぃふぇるは鋭いのう」
 楓に向けて大きく笑った。
 車が、動いた。
 後ろにである。
「おい、バックしてるじゃないか」
 後部座席から身を乗り出した梓が、耕一の耳元でいった。
「もう一撃くれてやって、すぐに追ってこれぬようにしてやろうと思うてな」
 と、いうや否や、耕一はギヤを変えて車を前進させた。
 柏木家の門から先ほどの二人の男が出てきた。
「危ないっ!」
 初音が叫んで目をつぶった。
「はいやーっ、はっはっ!!」
 耕一が叫び、車は容赦なく男たちを跳ね飛ばした。
「わあああああっ、なんてことすんだよ! 耕一!」
「鼓膜が破れるわい」
 バックミラーで男たちが、よろめきながら身を起こすのが確認できた。あの様子では、
しばらく満足に動けまい。
「耕一さん……もういいでしょう。何がどうなっているのか、説明してください」
「千鶴姉さん……たぶん、この人は耕一さんじゃない」
 と、いったのは楓。
「え?」
「こ、耕一お兄ちゃんじゃないの?」
「楓、どういうことなの」
「たぶん……」
「えでぃふぇる、わしから説明する」
 耕一が、楓を遮った。
「まずはこれはいっておいた方がよかろうな……わしは耕一にあって耕一にあらず」
「だ、だったら……一体……」
「次郎衛門……そう、次郎衛門II世とでも呼んでもらおうか」
 皆の表情に困惑が浮いた。無理もない。
 いや、一人、楓だけが……。
「やっぱり……」
 呟いて、耕一の顔を見詰めていた。

 某医大病院の地下の一室。
 先ほどまでいた広中官房長官の姿は既に無い。
 ベッドの上に横たわるものは、狂おしげな声でうめいていた。
「おのれ……次郎衛門……」
 怒り、いや、そんな単純なものではない、様々な感情の混合物がその声を震わせていた。
「ダリエリ様……」
 男が、部屋に入ってきた。
「なんじゃ……」
「首相が、直接面会を求めております。これで五度目ですが……」
「ふむ、あの男か」
「また、広中官房長官を通せといって追い返しますか?」
「……いや、通せ」
「はっ」
 男が部屋から出て一分もしない内に、一人の男を連れて戻ってきた。
「ダリエリ様……直接の面会をお許しいただき、まことに恐悦至極であります」
 男が、腰を九十度、いや、それ以上に曲げる。
 これが、この国の元首の取る姿勢かと思えば日本国民は嘆くであろう。
 日本国内閣総理大臣、堀史郎(ほり ふみお)であった。

                                     続く

     どうも、vladっす。
     まだやり残したことがあるのにこんな連載初めて大丈夫か?
     そんな心配は捨ておけ!
     肩のこらないエンターテイメントを目指しました。
     「面白かった」
     と、思っていただければ、それに過ぎたるはありません。
     嘘です。すいません。
     からかっただけです。
 
     なお、冒頭部の文章の作成にあたって睦月周さんに協力
     していただきました。
     ここに、謹んで感謝の意を表します。

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