姐さん 投稿者:vlad 投稿日:11月16日(木)01時58分


  
「署名?」
 生徒会長矢島(下の名前はまだ無い)が、生徒会室において執務をとりつつ、やや顔を
上げ、そういったのは放課後のことであった。
 バスケットボール部に週四で顔を出しつつ生徒会長を勤め上げるなかなかよくやる奴で
ある。
 その目の前に、大学ノートの一頁目が突き出される。
 頁の一番上の余白部分に「購買部の業者を生徒で選ぼう署名」と書いてある。見覚えが
あるこの字は、おそらく長岡志保のものだろう。
「ね、署名してよ」
 ニコニコしながら志保がいう。
「頼むわ、生徒会長が一番にしてくれりゃ弾みがつくしさ」
 こっちもやたらとニコニコと笑み崩れているのは藤田浩之。
「購買って……そうかあ」
「そうそう」
 二人が首をコクコクさせる。
 これまで、この学校では学食で売るパンは学食を作る厨房で作られ棚卸しされるシステ
ムであったのだが、何人かの職員が立て続けに定年退職したのをきっかけにして、パンを
外の業者からおさめさせようという話になっていた。
 生徒の一部に「その業者を生徒に選ばせてくれ」との声があがっているのは聞いていた
が、この二人がその運動に関わっているとは知らなかった。
「やっぱさ、自分らで選びたいじゃんか。幾つかの業者からメニューを貰ってさ、それで
みんなで投票するんだ。試食品を食わせるってのもいいな」
「うーん。まあ、先生たちはあまり購買でパンは買わないしなあ……」
「だろ? だから先生たちが選んだらあれが無え、これが無え、っていう不満が出てくる
と思うんだよ、だから、なっ」
「うんうん、生徒が自主的に動く。いいことじゃないの」
「この署名活動……勝手にやってるのか?」
「一応、何人かの先生に話は通しておいたわ。でも、集める分には何いわれる筋合いも無
いわよ」
「おう、それどころかお前、こんなん集めて持ってってみろ、うちの生徒は自分たちでこ
んなことをやれる行動力があるのかと泣いて喜ぶぞ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「そうよ」
「うーん、それじゃ、一筆書いてやるよ。生徒で選んだ方がよさそうだしな」
「よっし、さすが話せるぜ!」
「OK〜!」
 署名第一号に生徒会長さまの名を得た二人は意気揚々と署名集めに出かけて行った。
 三日中にはほぼ全校生徒の九割近い書名を集め、校長にそれを提出。職員会議が開かれ
た結果、幾つかの候補から生徒の投票によって業者を選ぶこととなった。
 その投票を生徒会が主宰することになり、また矢島の仕事が増えてしまったのだが、あ
まり文句もいわずに働くこの男は、やはりそれなりに人が好いのだろう。
 結果、ある一つの業者が決定した。比較的メニューが多めのところで、試食品の味も悪
くはなかったので、まあ、妥当であろうと思えた。
 チャイムの音色をかき消す怒鳴り声。
「よし! 雅史、行くぞ! どけやおらぁ〜!」
 が、聞かれなくなって久しい。
 業者がパンを卸し始めてから一ヶ月ほど経った頃であった。
 矢島がそれにふとそんなことを思ったその日、彼は購買でパンを買おうと急ぎ足で教室
を出たのだが、浩之は自席に突っ伏して寝ていた。
 あいつ……昼飯食わない気かな……。
 それとも……神岸さんの弁当かな、羨ましいな。
 と、思いつつも、矢島も元々顔は悪くないし、最近では会長として頑張っていることも
あって、そこそこモテるのである。
 いい加減、神岸さんのこと、吹っ切るべきかな。
 思いながら、小走りになっていた。
 なんとか目当てのパンを手に入れて、生徒会室に行こうとした時、浩之が中庭のベンチ
で一人座ってパンを食っているのを見た。
 ちらりと見やればカツサンドだ。
 人気メニューのカツサンドは、矢島が買いに行った時には早くも売り切れていたはずな
のだが……。
 階段を上っていると志保に会った。
 両手にたくさんのパンを抱えている。
「長岡さん……それ一人で食べるの?」
「そんなわけないじゃない、みんなに奢ってあげようと思ってね」
「はあ……」
 そりゃまた、羽振りのいいことだ。
「それじゃ……」
 と、去りながら、矢島の中に産まれてくる疑惑があった。
 まさか……。
 とも思うが、状況が状況だし、人が人だ。
 矢島は早速、独自に人を使って情報を集めさせた。最近ようやくそういうことができる
ほどに自分の手足となってくれる後輩ができつつある。
 一週間後に受けた報告は矢島を驚かせたが、ある意味、「やはり」と諦め半分に思わせる
ものだった。
 すなわち、浩之と志保が現在パンを卸している業者と癒着して投票において、決められ
た量以上の試食品を生徒に「サービス」と称して提供したり、一定期間の間、パンをタダ
にすることなどを餌に票を集めたり、露骨に票を操作したりなどの不正を行っていたこと
が発覚したのである。
 それの見返りに、浩之は毎日カツサンドその他を受け取り、志保も似たようなルートで
パンを手に入れ、さらには週に幾らかのリベートを受け取っているらしい。
「むう」
 もしかしたらそのぐらいのことはやっているかもしれぬ、と思っていた矢島だが、さす
がにそれと知ると平静ではいられなかった。
 以前なら……なぜか妙に「異能人」と仲がよく一勢力を形成している浩之や、幾つもの
情報を掴んでいる志保を恐れて黙認していたのだろうが。
「もう、そうはいかない」
「会長……」
 心配そうにしている後輩に、矢島は、
「今、二人はどこに……」
 と尋ね、その答えを得ると、
「おれが一人でやる」
 と、後輩を帰らせ、自らも決意を胸に生徒会室を出たのである。

「まあ、一杯いけや」
「いただきましょ……ヒロもどーぞ」
「おう」
 庭から微かに細い水流が流れ落ちる音が聞こえる。
 都内でも〔それ〕と知られた料亭の一室である。
「今までも稼がせてもらったが……今回のは格別だな、なにしろ定期的に収入があるのが
いい」
「全くね、おかげでここへ通う回数も増えそうだわ」
「ふっふっふ、そうだな」
「ヒロ、こっちの刺身つまみなさいよ、美味しいわよお」
「おう、そうか……おっ、こりゃたまらねえ」
「特にこのトロがあんた……口に入れたらとろけるのよ」
「おう……それにしても……お互い悪よのお」
「おとっつぁん、それはいわない約束でしょ」
「ふ……」
「うふっ」
「ふ、ふ、ふ……」
「うふふふ……」
「ふ、ふは、ふはは」
「うふ、うふ、うふふふ」
「ふ、ふ、ふはははは!」
「うふ、うふふふふふふ」
「がははははははははははは!」
「あははははははははははは!」
「よっしゃ! 芸者呼べ、芸者!」
「あんたも好きねえ」
「目隠し鬼やるぞ、目隠し鬼!」
「それじゃああたしもやろうかしら、鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪」
「芸者〜! 芸者まだか〜! 金ならあるんじゃ〜!」
「こっちはもう準備万端よ!」
 その時――。

「藤田……長岡さん……お楽しみのところ邪魔するぜ」

「むむ! 誰よ!」
「おのれ、何奴!」
 二人の視線が声のした方……庭の暗がりを見やる。
「二人とも……おれの顔、見忘れたか……」
「!?」
「!……」
「なんだ。矢島じゃねえか」
「どしたの、こんなとこに」
「……二人とも……購買の業者投票に関する不正の数々……既におれが証拠を握っている
ぞ」
「……」
「……」
「神妙に……」
「悪っ!」
「ごめんねー、矢島くん」
「え……」
 神妙に……といったのは我ながら、本当にこんなに神妙に出てくるとは矢島は思ってい
なかった。
「お前にも世話になったのになー、そりゃお前も刺身食いたいよなー」
「ごめんねー、いつか矢島くんの方にも利益配分しようって浩之とは話してたのよ、本当
よ」
「……」
「おう、そうだ。今から芸者来るから、目隠し鬼やれ」
「お酒もあるわよ」
「……ち」
「ち?」
「ち?」
「……違〜〜〜〜〜う!」
 矢島は叫んだ。
「なんだよ。何が違うんだよ」
「そうよそうよ、まあ、上がって飲みなさいよ、今日はパーッと行くわよ」
「二人とも……不正を反省しないというのなら……おれにも考えがある」
「……マジかよ、矢島」
「あたしたち、これまで、持ちつ持たれつでやってきたじゃないの」
「おれは巻き込まれてたみたいなもんだ!」
「あら、つれないわね」
「もう一度あの友情を思い出せよ」
「どこが友情じゃ! どこが!」
「あ、そうだ。矢島くん、やきそばパン好き?」
「カツサンド、コロッケサンド、ツナマヨサンド、どれでも毎日タダでやるぞ」
「だから! おれはそういうのが目的で来たんじゃないの!」
「……お金ね……」
「よし、現金がいいっていうんなら、幾らか取り分をやるよ」
「ちょっとしたバイト程度のお小遣いはできるわよ〜」
「その代わりといっちゃなんだが、今度の文化祭でだな……」
「なるほど、矢島くんがあの計画に協力してくれたら心強いわね!」
「それの利益は三人で等分ってことでよ」
「矢島くんはどっしり構えてていざとなったら出てきてくれればいいわ、細々とした実務
はあたしらに任せて」
「ええい! 黙れ黙れ黙れ!」
「なによ、いきなり大声出して」
「お前、こんないい話そうそう無いぞ」
「二人とも……根本的におれを誤解してるだろ……」
「そんなこといわれても……」
「パンも要らねえ、金も要らねえ、一体何が欲しいんだ」
「あーーー、だからさ、何が欲しいとかじゃなくてさ」
「何よ」
「何だよ」
「そういう不正なことは止めろ、っていってんの、おれは!」
「あらあら、困ったもんねえ」
「お前、そんな青くせーこといってんの小学校中学年までで卒業しろよ」
「刺身がおいしいのよ、そだ! ふぐ刺しにまだほとんど手をつけてないのよ!」
「おう、ここは早朝に市場から生きたまんまのを仕入れてんだ。美味えぞお」
「ああああああ! もう話してても埒が開かん!」
「あらららら、そんな怖い顔しちゃ嫌よ」
「おい、待て、落ち着けって。おれらとお前が組めばなんぼでもおいしい話は……」
「問答無用!」
 矢島は、立ち上がった。
 生徒会長として学園に巣食う不正を見逃してはおけなかった。
 今まで、長い間、不本意ながらこの二人を野放しにしてきたが、それも今日で終わる。
「ええい、くそ、わかんねえ奴だな」
 ぶつぶつとぼやきながらも浩之が鋭い蹴りを放ってきた。
 が、矢島はその蹴り足を掴むや押し出すと同時に残った軸足を蹴り付けた。
「おーっとっとっとっ」
 浩之は数歩だけ体勢を崩しながら後退したが、結局こけた。
「やるな……」
 正直、バスケットボールなどで鍛えてあり、元々運動神経も悪くない矢島ではあるが、
喧嘩になったらそれほど苦も無く倒せると思っていたのだが、今日の矢島はどこかが違っ
た。
 浩之のその心中を知れば、矢島は、今の自分には使命感があるのだ、と思っただろう。
「志保、手強いぞ、頼まあ」
 倒れたところへ追撃を貰わぬうちに浩之が素早く志保を呼び込む。
「む……」
 矢島の顔に一瞬影が差す。
 いかに不正を憎む心と、それを打ち砕かねばならぬとの使命感があるといえど、相手が
女となればその鋭鋒が鈍ってしまうであろうというのは、志保を呼び込んだ浩之の思惑の
内であった。
「行くわよー、えい!」
 志保が接近してくる。
 矢島はそれにパンチを送り込んだりはしなかった。殴ったら傷が残るかもしれないとい
う配慮が働き、組み付いて押さえ付けようとしたのだ。
 だが、その配慮への報いが股への痛撃であった。
「っ!……ぅ!……ぅぅ!……」
 声にもならぬ声が矢島の口から洩れる。
「ごめんねー、なんか手強そうだから裏志保ちゃんキック使っちゃった」
「悪ぃなー、こいつ金蹴り無茶苦茶上手いんだわ」
 いいつつ、浩之は倒れてうずくまる矢島の腹部へ強烈な蹴りを打ち下ろしてきた。
「ごめんねー」
 と、志保がまた一発。
「悪ぃなー」
 浩之が顔面をこすりつけるように蹴る。
「よし、志保ちゃんキック零式よ!」
「あああああああああ!!」
「悪ぃなー、こいつ電気アンマ無茶苦茶好きなんだわ」
「あああああ! あふぅ! あひぃ!」
「さて……そろそろ寝てもらおうかしらねー、ヒロ!」
「よっしゃ!」
 志保に応えるや否や、浩之の腕が矢島の首へ……。

「……」
 うっすらと、目が開いた。
 頭が、何か適度な弾力を持ったものに乗っている。
 なんだか知らないが、とてもいい気分だ。
「あら、おはよう」
 と、自分を見下ろしているのは見たこともない美女であった。和服を着こなし、髪を結
い上げている。
「え!?」
 思わず跳ね起きた矢島の目の前に浩之が座って酒を飲んでいた。
「おう、起きたか」
「君に届け、テレパスィ〜〜〜♪ あ、起きたのね。矢島くんも一曲どう?」
 と、どうやらカラオケを終えたばかりの志保がマイクを持ったままいった。
「い、一体……おれは……そうか」
 二人の不正に天誅を加えようと乗り込んではきたものの、志保に金蹴りを喰らってボコ
ボコにされて浩之に絞め落とされたのだ。
 で、目覚めれば美女の膝枕である。
 部屋を見回せば矢島の頭を膝に乗せていたのとは別にもう二人、着物姿の女性がいる。
おそらく、芸者であろう。
「そだ! ポラロイド持ってたから記念写真撮っておいたわよ〜」
 と、志保が数枚の写真を取り出す。
 矢島が三人の芸妓を両手に抱き、或いは膝枕をさせている写真であった。
「……こ、こ、これは……」
「いやー、なかなか豪儀な遊び方するわねー」
「こりゃもう、おれたちとの縁が切れねえや、なっ、矢島」
「……」
「初めてじゃこうはいかないわよー、気後れしちゃってさー、もしかして矢島くん、こう
いうとこには通いなれているんじゃないのー?」
「それはそうと、今度の文化祭な……」
 二人の声はほとんど聞こえていなかった。
 ……終わった。
「よし、矢島、野球拳やれ!」
「そしたら私がお相手を……」
 と、浩之に呼応していったのは、先ほど矢島に膝枕をしていた芸妓である。
「おいおいおいおい! いきなり姐さんが相手だぞ!」
「うわー、すごーい! 矢島くん気に入られちゃったのよー、普通いきなりなんて無いの
よー」
「……そーなの?……」
「そうなのよー!」
「よし、そんじゃおれが立会人だ! それ!」
「やぁきゅうぅ〜、すぅるなら♪ こぉいうぐあいにしやしゃんせ♪」
 皆の声が和す中、矢島は黙って立っているだけであった。
「アウト、セーフ、よよいのよい!」
「……」
「あ、矢島、パーか。よっしゃ、矢島脱げ! あ、靴下は一枚に入んねえからな」
「……」
「よし、そんじゃもういっちょ、矢島くんも頑張んなさいよー」
「……」
 矢島の中で、何かが弾けていた。
「やぁきゅうぅ〜〜〜! すぅるならっ♪ こぉいうぐあいにしやしゃんせっ♪」
「お、矢島、やる気満々だな!」
「それ、アウト、セーフ、よよいのよい!」

 その日、矢島は剥かれた。

                                     終

     どうもvladです。
     えらい前に書いた「生徒会長矢島」の第三段を唐突に書きました。
     僕は政治家はクリーンであるべきだと思います。

http://www3.tky.3web.ne.jp/~vlad/