もう、あんなことはしない…… 投稿者:vlad
 中学三年生の頃、イジメの標的になったことがある。
 ある日、突然、同じクラスの女子数人に「生意気」といわれて、それは始まった。
 「生意気」であるという自覚はしていなかった。全く理由がわからぬまま、それは続
いた。
 私は下手に相手をしても彼女らが面白がるだけだと思って、努めて無視ししていたが、
それが「やっぱり生意気」ということになったらしい。
 度々、嫌がらせを受けた。
 正直、自分の部屋に鍵をかけて一人で泣いていたことも一度や二度じゃない。
 でも、私は耐えていた。
 耐えていた、というよりも誰にもいえなかったのだ。
 その子たちは、けっこう裏に回って色々としてくれたので、クラスの中には、私がい
じめられているということを全く知らない人すらいただろう。
 でも、私はずっと無視を続けていた。
 いつか、止むと思っていたのだ。
 ある時、教室の近くの階段の踊り場に呼び出された。校舎で一番端っこのあまり人通
りの無いところだ。
 そこには、私をイジメていた子たちがいた。その顔に、ニヤニヤと笑みが浮かんでい
るのが不気味だった。
「これ、あなたのでしょ?」
 そういって、一番先頭にいた子が取り出したのは体操着だった。確かに、私のだ。
 でも、私が最後に見た時のものではなかった。
 至るところが破れて、ボロボロになっているのだ。
 それだけじゃなくて、なんだか落書きのようなものまである。
 馬鹿、とか、死ね、とかそんな感じのやつだ。
「教室に落ちてたわよ」
 その子が、わざとらしくそういうと、他の子たちがクスクスと笑った。
 冷笑だ。
 どの子の顔にもそれが貼り付いていた。
「拾っておいて上げたわ」
 恩着せがましいいい方が癪に触った。
 でも、私は何もいい返せずにその体操着を受け取った。
 そんな自分に腹が立って……それ以前に情けなくなって……なんだか目頭が熱くなっ
てきた。
 でも、ここで泣いたら、この子たちを喜ばせるだけと思って、私は目を固く閉じて耐
えていた。
 そう、私は結局、耐えることしかできなかったのだ。

「おい、道開けろ、通れねえだろ」

 その声は、聞こえてはいたけど、下を向いて目を閉じている私にとってどうでもいい
ものに思えた。
 声は、私の後ろの方からやってきた。
「ん……どうしたんだ? こいつ?」
 その声がいう「こいつ」というのが私のことだろうというのはわかった。
「さあ……」
 バツが悪そうな声で、私に体操着を渡した子がいい、すぐに何人かの足音がして、そ
れが段々と遠ざかっていった。
 しーんとした静寂の中、
「おい、それ……」
 と、いう声がするとほとんど同時に、私が持っていたボロボロの体操着が私の手を離
れた。
 私が驚いて顔を上げると、男の子が一人、体操着を持ってそれを見ているところだっ
た。
「ひでえな……」
 ぽつりと、その男の子は呟いて、
「これ、今の奴らか?」
 そういった。
 私は、開いた目から、涙が流れ出るのを頬に感じながら、
「証拠は無いけど……たぶん……」
 力無く答えた。
「……よし」
 男の子は、それだけいって私に背中を向けて歩き出し、階段を下りて行った。そっち
は、さっきの子たちが去っていった方向だ。
 私は、少しの間だけ呆然とそれを見送っていたが、やがてその後を追った。
 私が追い付いた時には、既にその男の子が体操着をあの子たちに突きつけて何かいっ
ていた。
 表情、素振り、声の調子、何から何まで敵意に満ちている。
「どういうつもりでこんなことしたんだよ、え?」
「な、なんであんたがしゃしゃり出てくんのよ、関係ないでしょ!」
 と、一人がいうと他の子もそれに同調して「そうよ」とか「関係無いでしょ」とか口
々にいい騒いだ。
「何よ、そいつに頼まれたの?」
 私を指差してそういった子を、その男の子は睨み付けると、
「違う、おれが勝手にしゃしゃり出てきたんだよ。おれは、こういうくっだらねえの腹
が立つんだよ!」
「そ、そんなに怒らないでよ……」
 男の子のあまりの剣幕に、その子たちも弱気になっているようだった。
「いい歳したチューガクセーがよ、こんなことに精出してんじゃねえっての、小学生で
もしねえぞ、こんなこと!」
「お、怒らないでよ、落ち着いてよ」
「お前ら、また今度こんなことしやがったらおれが許さねえからな」
「ゆ、許さないって……どういうことよ……」
「自分で想像しろ、大体わかるだろ」
 叩き付けるようにいってその男の子は彼女たちに背を向けた。もう、こんな下らない
連中に関わりたくない、というような素っ気ない身の翻し方だった。
「おう、これ……」
 男の子が、私に向けて、体操着を差し出していた。
「あ、あの……」
 体操着を受け取り、私が何かお礼をいおうとした時、
「あ、やべっ! 雅史を待たせてあるんだ!」
 そう、独り言をいうと、さっさと背を向けて駆け足で去っていってしまった。
 私はしばらく、その背中を、曲がり角の向こうに消えるまで見続けていた。
 気付くと、さっきの子たちの姿はもう無かった。
 それから、自然消滅といった感じで私に対するイジメは無くなった。

 後で調べたところ、あの時の男の子は藤田浩之という同学年の子らしい。あまり人付
き合いのよくない無愛想な男子だという話を同じクラスの子に聞いた。
 お礼をいいそびれている内に、私は高校へ上がった。
 高校生になって少ししてから、あの藤田くんが同じ高校に来ているということを知っ
た。

 高校二年生の時、正直、かなり腹の立つ子がいた。
 一年生の時から同じクラスで、物凄い非社交的な子だった。高校に上がると同時に神
戸の方から引っ越してきたという保科智子さんという子だ。
 私はその頃、同じクラスの岡田と松本という子と仲良くしていて、よく三人で一緒に
いた。
 で、この岡田という子がけっこう気の強い……こういったら二人とも嫌がるだろうけ
ど、そういう点では保科さんに似ているような子だった。
 気の強い二人が衝突するのにそんなに時間はかからなかった。
「岡田の気持ちわかるよ、あの子、むかつくもん」
 松本もそんなことをいって、気分的には岡田に同調していた。
 私は最初は、なんとか二人の仲を取り持とうなどということを考えないでも無かった
のだが、すぐにそれが無理であることを悟った。
 けっこう、むかつく子なのだ。保科さんというのは。
 とにかく態度が突き放している感じがして、どうも、こっちを対等に見ていないよう
な印象がある。
 いわば、お高くとまってるっていうやつ。
 私も、そういう態度で接せられている内に、段々と腹が立ってきた。
「ねえ……」
 と、ある日、岡田と松本が話を持ちかけてきた。
 保科さんのノートに落書きしてやろう。
 と、二人はいう。
 当然、中学三年の時に、ああいう過去を持ってしまった私は抵抗があったのだが、二
人に誘われている内に、私は、自分を正当化してしまった。
 あの時の私は、私をイジメていた子たちに何もしていなかった。普通に接していたつ
もりだ。
 でも、保科さんは違うのだ。
 どう考えても、他人を不愉快にさせようと思っているとしか思えない態度をとる。
 私と保科さんとは違うのだ。
 そう、違うのだ。
 そう思っていた。

 数日して、5時間目が終わった後の休み時間に松本と岡田が私の席に来た。
「吉井ぃ、藤田くんが呼んでるよ」
 松本がどこか怯えたような表情でいった。
 藤田くんといえば、このクラスには一人しかいない。
 藤田浩之だ。
 二年の時に同じクラスになってから、ほとんど話もしていない。それというのも、藤
田くんの方があの時のことをすっかり忘れているようで、ついでに私が同じ中学校だっ
たというのも綺麗に忘却していたからだ。
 その藤田くんが……私になんの用だろう?
 心に不安が生まれた。
「私を呼んでるの?」
「私たち三人よ」
 と、岡田が釈然としない表情でいった。それも当然で、私も岡田も松本も、普段は藤
田くんと全然接触が無い。
 と、いうよりも、藤田くんは相変わらず無愛想で人付き合いが悪く(と、いってもも
ちろん保科さんほどではないが)クラスで親しく付き合っているのは、幼なじみだとい
う神岸さんと佐藤くんぐらいなものだ。 
  無愛想でちょっと怖い、とクラスの女子のほとんどが思いながらも、それが半分ほど
は冗談になっているのは、神岸さんという素直な性格の子が「浩之ちゃん、浩之ちゃん」
と、彼を呼んで、そういう話になるたびに真剣な顔で「浩之ちゃんは、実はとっても優
しいんだよ」と必死に弁護していたから、みんななんとなく、藤田くんが見た目ほどは
おっかない人ではないとわかっていたからだ。
 その藤田くんは、教室の後ろの入り口のところに立って、同じクラスになってから、
一度も見たこともないような表情でこっちを見ていた。
 いや……一度だけ、私は中学生の時に一度だけ、藤田くんのそういう表情を見たこと
があった……。
「……」
 無言で、彼は手招きして、教室から出ていった。
 私たち三人は顔を見合わせて、誰がいうともなく、その後を着いていった。
 結局、私たちは学校の中庭に連れてこられた。
 一体なんの用なのか? と、私たちは彼に尋ねた。
「あのノートの落書き、おめーらの仕業だろ」
 ドキッ、と胸が詰まった。
 これが、「心臓が止まりそうになった」というやつなのだろう。
 私は顔を伏せた。あのノートの件、やってしまった後から、後悔はしていたのだ。そ
れを……よりにもよって藤田くんに知られるとは……。
 藤田くんの眼光があまりに怖くて、
「……ノ、ノートっていったいなんのノート?」
 私は、馬鹿なとぼけ方をしてしまった。
「おいおい、まだシラを切る気かよ? 委員長……保科のノートだよ。マジックでくだ
んねー落書きしたのオメーらなんだろ?」
 松本が知らないといって、私も、
「私も、知らない……」
 と、いった。さすがに、藤田くんを正視できずに目を逸らした。
「正直にいえよ!」
 とうとう藤田くんが怒鳴った。
 目が、あの時の目をしていた。
「だったらどうだっていうのよ!?」
 そういって開き直ったのは岡田だ。松本は、すっかり怯えてしまっている。
 岡田は、自分たちがノートに落書きをしたのを認めた。が、もちろん謝ろうとか反省
したとかいうことではなくて、ただただ完全に開き直っているだけだった。
「なんで藤田くんが、例の落書きのこと知ってんの? アイツがチクったの?」
 いいたいことをいった後、岡田は逆に質問した。
 藤田くんがそれになんと答えるか……私は大体わかっていた。
「ノートは偶然見ちまったんだよ、それから、おれは個人的にオメーらの度を過ぎたイ
タズラに腹を立ててんだよ!」
 そう……。
「正直、おれはマジで腹立ってんだよ! あんなこと、良識あるコーコーセーがするこ
とかよ!? 小学生よりレベル低いぜ!」
 藤田くんはそういう人なのだ。
 普段は無愛想で人付き合いが悪くて「おれはおれ、他人は他人」みたいな感じのクセ
に、いざ、人の体操着をボロボロにしたり、人のノートに落書きしたりするような卑怯
な行為を見ると本気で腹を立てて、自分に関係あるとか無いとか、得があるとか、損だ
とか、そういうことを度外視して首を突っ込んでしまう。
 藤田くんはそういう人なのだ。
 私は……それがようくわかっていた……。
「お前ら、今度こんな真似しやがったらおれが許さねえからな!」
「な、なによそれ! なんで藤田くんが……」
 岡田が何かいいかけるのを制して、私は素直に自分たちが悪いことを認めた。松本も、
もう藤田くんとことを構えるのは嫌らしく岡田を制止にかかっている。
「ま、とにかく、委員長に一言謝っておけよ」
 藤田くんがそういったのに、岡田がなおも反発しようとするが私と松本が必死に止め
た。どうも、藤田くんをこれ以上怒らせてはとんでもない目に合うだろうということが
松本にも、そして実は岡田にもわかっていたのだろう。二人で止めると岡田は不承不承
ながら黙った。

 後日、私は松本と二人で、まだ不満げな岡田をなんとか説得して、保科さんにあのこ
とを謝っておいた。

 さらに数日後。
 放課後、廊下で藤田くんと会った。同じクラスだから会うのは当然なのだが、その時
は珍しく、藤田くんの方から声をかけてきた。
「おう、オメーら、委員長に謝ったらしいな」
 そういって、藤田くんはにっこりと笑った。笑うと、普段の無愛想が一辺に晴れるよ
うな笑顔になった。
「うん……」
 私はずっと気になっていた。
 果たして、藤田くんはあの中学生の時のことを覚えているのかどうか。
 今までは覚えていなくとも、あのことで思い出しているのではないだろうか。
「あの……藤田くんって中学生の時……」
 思い切って聞いてみた。
「ああ、吉井っておれと中学一緒だったんだってな、こないだあかりに聞いたよ」
 私の言葉を遮って、藤田くんはいった。
 ……やっぱり、忘れていたらしい。
「ま、今まで気付かないのってのも間抜けだけどよ、一度もクラス一緒になったことも
ねえし、しょうがねえよな」
 ……藤田くんには凄く悪いと思うんだけど……。
 そういった藤田くんがとても「間抜け」に見えてしまった。
「あの……ありがとう」
「ん? なんかおれが礼をいわれるのも妙な話だけど……まあ、どうもな」
 本当に、ありがとう……。
「じゃ、これからは委員長と仲良く……は無理かもしんねえけど、もう喧嘩とかすんな
よな」
「うん……」
「そんじゃ、あかりを待たせてあるんでな」
 そういって、藤田くんは去っていった。
「吉井ぃ……」
 と、オドオドした様子で話しかけてきたのは松本だ。どうやら、ずっと見ていたらし
い。
「あの……藤田くん……まだ怒ってた?」
「ううん……もう全然怒ってないよ」
 私がそういって上げると、松本は、心底安心したようだった。その横にいる岡田も、
少しホッとしていた。

 たぶん……藤田くんは中学生の時のことと同じように、今回のことも忘れてしまうに
違いない。卒業したら、私の顔と名前だって忘れるだろう。
 でも、私の人生で藤田浩之という人間はとても重要な人だ。
 ほとんど話したことも無いけど……。
 ほとんど目を合わせたことも無いけど……。
 とても、重要な、絶対に忘れられない人だ。

 私はもう、あんなことはしない。
 
                                     終

     どうも、vladです。
     つい最近「ふむ、この右端のが吉井か」と思っている内に、なんか
     こいつ、表情からして気弱そうで、イジメなんてやるような奴には
     見えねえなあ……むしろ、やられる方だろ、この顔は。
     とか思って、思い付いた話です。
     浩之と中学一緒ってのいうのは、もちろん自分のでっち上げ設定で
     す。
     浩之が三人を中庭で詰問するシーンは、一部ゲーム本編から引用し
     ましたが、まるまる引用すると冗長になってしまうと思い、この話
     的に必要な部分を引きつつ、補い、書き換えしておきました。
     いや……吉井ってけっこういい子だと思いますよ。
     他の二人は知らん(笑)