亡き妻へ 投稿者:vlad
 長瀬祐介は、そろそろ暖かくなってきた気候にうっすらと汗をかいていた。
 木製の手桶に水を入れ、ついでに顔を洗う。
 上半身にまとったYシャツの袖で顔を拭くと、祐介は柄杓を手桶に入れ、それを右手
で持ち、左手に線香の束を持って、墓地に向かって歩き出した。
 墓地の南西の一番端っこに長瀬家の墓はあった。
「おばあちゃん。今年で五年目になるのかな」
 呟きながら、祐介は墓石に柄杓から水を落とした。
 空中に出来た流れが墓石に注ぎ、ある部分は粒になって跳ね、ある部分は膜となって
石の表面を滑り落ちる。
 水の粒が幾つか祐介の顔に当たる。
「おばあちゃん……」
 そう呟く祐介だが、今日は祖母の墓参りに来たのではない。確かに、祐介の祖母はこ
の中に眠っているが、祐介が今いっている「おばあちゃん」とは、彼の祖父の妹……つ
まり祐介にとっては大叔母にあたる人である。
 祐介の祖母は生後すぐに亡くなってしまった。まだ物心がついていないような時期だ
ったので、祐介は祖母のことを覚えていない。
 そのために、大叔母を「おばあちゃん」と呼んでこれになつき。十歳になるまで、大
叔母を自分の本当の祖母だと思っていたぐらいだ。
 かといって、大叔母であることを知った後も、「おばあちゃん」と呼ぶのは止めなか
った。
 大叔母が死亡したのは十二歳の頃だから、もう五年も前のことになる。
 今日が、大叔母の命日であった。
「おう、祐介も来てたのか」
 そういってやはり手桶と柄杓を持って現れた三人の男たちは、いずれも祐介にとって
叔父にあたる人間であった。
 一人は祐介の行っている高校で国語教師をやっている。
 一人は隆山の方で警察官をやっていて、確か、警部だったはずだ。
 一人は来栖川電工に勤めてメイドロボなる大層なものを研究開発していて、開発チー
ムの主任をやっているそうだ。
 特に、この、メイドロボ開発をやっている叔父さんにとって大叔母は母親である。そ
して、他の二人には叔母ということになる。
 墓を前にしていると、自然、話は大叔母のことに及んだ。
「おれ……ガキの頃、テレビで熱血教師のドラマ見てさ、おれも先生になる! ってい
って両親に、お前になれるわけないとかいわれてなあ……でも、叔母さんだけは応援し
てくれて……熱血じゃないけど、教師になれたのも叔母さんのおかげだよ」
「なんだよ、お前もか、実はおれも昔、テレビの刑事ドラマ見て、刑事になるっていっ
て両親に、お前みたいなもんが警察官になれるか、って怒られてしまってな。でも、叔
母さんだけは応援してくれてなあ……今、警部なんてやってるのも叔母さんのおかげさ」
「あ、実は自分もロボットアニメ見て、自分は将来ロボットを作るっていって、親父に
戯言いってないで空手をやれっていわれてねえ……でも母さんがなんとか親父を説得し
てくれて工科大学に行かせてもらえたんだ」
「そういえば……」
 と、祐介は辺りを見回した。
「源五郎叔父さん……大叔父さんは来てないんですか?」
 愛妻家だった大叔父も来ているのかと思っていたのだが、いつまで経っても現れない
ので不信に思って、息子の源五郎に尋ねてみた。
「今日はなんでも、お嬢さんにつきっきりじゃないと駄目だそうで」
「そうなんですか……」
「いや……もう来たらしいぞ」
 祐介が源五郎と話している間、墓石の方を見ていた二人の叔父がそういって手招きし
た。
「ほら、百合の花が供えてある」
「それは僕も気づきました。でも……大叔父さんとは限らないんじゃ……」
「いや、花びらが半分ぐらい取れてるだろ」
「ええ……なんでこんなの供えるんだろうと思ってましたけど……」 
「これが証拠さ」
 と、長瀬警部はまるで探偵のようにいった。そういえば、一度でいいから容疑者全員
一カ所に集めて事件の全容明かしをやりたいもんだとかいっていたような気がする。
「ああ、あの話、聞いてた?」
「ああ」
「全く、勿体ないよなあ、花びら取っちまって」
 三人の叔父が何やら盛り上がっているが、祐介には話が全然見えて来ない。
「あの……」
「ああ、祐介は知らないんだな、プロポーズの話」
「え?」
 この状況でプロポーズといえば、大叔父と大叔母のそれであろう。そのような話は初
耳である。
「うちの親父……格闘バカだったんだよ……って、いわないでもわかりそうなもんだけ
ど……」
 と、源五郎がいった。
「ええ」
 祐介が頷く。確か、それで一時期敗戦後の焼け野原で荒れていて、現来栖川グループ
会長になんかの拍子で見込まれてそのボディーガードになり、今では会長の溺愛する孫
娘の護衛をしているというのは何度か聞いたことがあった。
「お袋とは、荒れてた頃から知り合っていたらしくて、ずっと惚れてたんだけど自分の
現況を考えたらとてもじゃないけど釣り合わない、お袋はそこそこしっかりした家のお
嬢さんだったからね……でも、来栖川会長……当時はまだ若社長だったかな……とにか
く、そのボディーガードになって信頼されていると、そこで踏ん切りがついたらしいん
だ」
「へえ……」
「で、親父はお袋の好きな百合の花を持ってプロポーズに行った」
「はい」
「でも、途中でなんか事故に遭ったんだかなんかして百合の花びらが半分散ってしまっ
た」
「はあ……」
「で、その半分花びら無しの百合の花を持ってプロポーズして、まあ、OKされたんだ
けど、そこで親父の奴……こんな花びらの半分しか無い百合を持ってきた自分の結婚の
申し出をどうして受けてくれたのか聞いたらしんだな」
「……それは……前から大叔母さんも大叔父さんのこと好きだったんでしょう。そんな
百合の花がどうのこうのいうのは関係無いと思いますけど……」
「いや、祐介のいう通りだと思うよ。でも、親父はそうは思わなかったんだな、親父は
あの時の話を全然してくれないからわからないけど、親父の奴、内心では、こんなもの
を持ってきたら断られるんじゃないかと思っていたんじゃないかな?」
「はい」
 祐介にも、おぼろげながらそれは理解できた。少なくとも、断られてしまえば、やは
りあの百合がまずかったか、と思うかもしれない。
「お袋、咄嗟に答えたらしいよ、私は花びらが半分だけついている百合が好きなんだ。
って」
 そういった源五郎の背後で、二人の叔父がククククッと笑っている。
「そ、そうなんですか」
「うん、なんか、花びらが半分しか無いのが残っている花びらの美しさを引き立ててい
るとか、もう、めちゃくちゃいったらしいんだ……お袋もプロポーズなんてされて緊張
してたそうだから、その緊張が解けた瞬間に、いきなりそんなこと聞かれたから気が動
転しちゃって自分でも何いってんのかワケわかんなかったそうだよ」
「それじゃあ、大叔父さんはずうっとそれを信じてるんですか」
「うん」
 源五郎は頷き、墓前に供えられた百合を指差した。
「それ見りゃわかるだろ」
「はあ……」
「一度、二人で花屋に行って百合を買ったんだけど、親父の奴、買ってその場で花びら
半分むしり取ったんだって……花屋の店員が唖然としてたそうだよ」
「はあ……」
 祐介も、現在の状態を表現するならば、唖然、という言葉がぴったりかもしれない。
「ま、そっとしておこうや」
「はあ……」

「お嬢様、本日は無理をいって申し訳ありませんでした」
「……」
 バックミラーにうつった来栖川芹香は首をゆっくりと横に振った。先程、亡妻の命日
が今日であることをいって墓に寄らせてもらったのである。
「……」
「いえ、大丈夫です。時間が短いなどとんでもないことです。十分過ぎるほどお時間は
頂きました。お気になさらないで下さい」
 芹香はやはりゆっくりと頷いた。
「それに……あれの好きなものも置いてきましたから」
「……」
 芹香が首を傾げた。
「我が妻ながら、変わった趣味をしておりましてな、あれは……」

                                      終

        どうもvladです。
     書き上げるのに要した時間、僅か一時間半。
     これはなんになるんだろう……「長瀬家もの」になるのかな(笑)
     
 んではまた今度。