関東藤田組 小悪党 後編 投稿者: vlad
「旦那、旦那、起きて下さいよ」
 駐車場に新聞紙を敷いてその上に寝っ転がっていた浩之は、朝の六時に三笠木に揺り
起こされた。
「う……あかりぃ……」
 浩之が三笠木の手を握る。
「あん?」
 妻とは思えぬ乾いた感触に浩之は一辺に目が覚めた。
「いい夢を見てたようで……」
 にやにやしている三笠木の手を離して、浩之はそっぽを向いて唾を吐いた。
「で、今は六時か」
 昨夜、浩之と三笠木は交代でアパートを見張っていたのだ。
 八時半に仲間と昨日の公園で落ち合うのだから一時間半前には家を出るのではないか
と推測し、その一時間前には目を覚ましておこうと決めておいたのである。
 いつまで経っても出てくる気配が無いのでコンビニで買ったおにぎりを喰いながら待
った。
 七時を少し過ぎた頃。
「旦那、旦那」
 男が部屋から出てきた。
「よし、おれが前に出る」
 浩之が立ち上がって早足で歩き出す。
 やがて浩之は男を追い越してしまい、三笠木と二人で男を前後に挟む形となった。
 そして、小声で絶えず、例のトランシーバー代わりの盗聴器で連絡を取り合う。
 二人と、そして男が駅に着いたのは七時二十分で、既に電車はかなり混み始めている。
「この混み具合なら……」
 浩之は呟き、マイクを握り込んだ手を口に持っていった。ぱっと見には顎を撫でてい
るように見える。
「爺さん、スッちまえよ」
「は?」
 思わず、三笠木が大きな声でいった。
「静かにしろ」
「す、スルって……あのリモコンをですかい」
「そうだよ、できんだろ」
 浩之は実のところ、昨夜の、新宿駅の改札前で浩之のポケットに切符を投げ入れた三
笠木の手練にほとほと感心していた。
「そ、そりゃあできますがね」
 おどおどとしながらも、どこかに自信が滲む声で三笠木はいった。
「んじゃ頼まぁ」
「そういや、あの野郎、なんかぼさっとしててやりやすそうだなぁ……」
 途端に本性を現したのか、三笠木の声に舌なめずりするような響きが混じる。
 浩之は苦笑しながら、もう一度、
「頼むぜ、できるだけ新宿に近いところでな」
 と、いった。
 新宿駅で電車を降りた浩之は昨日、男が上がった階段を下りて昨日の改札を潜った。
 浩之の方がその階段に近い車両に乗っていたから、二人は後から来るはずだ。
 案の定、しばらくすると人混みに紛れて男と、少し離れて三笠木がやってきた。
 浩之は昨日の公園の方にと足を向ける。
 浩之は公園に入って奴らの待ち合わせのベンチの近くまで来ると、やや遠くの、だが、
そのベンチを視界に収めることができるベンチに腰掛けた。
 やがて男がやってきて、三笠木が浩之の隣に座った。
「や、やりましたぜ」
 三笠木の声が震えている。
「改札の前でやってやった」
「ほう」
「あ、危なかったですぜ、野郎、電車から降りて、一度ポケットにリモコンが入ってい
るかどうか確認したんでさ」
「で、どれだ」
「これで……」
 と、三笠木が取り出したものは携帯電話と見間違えてもおかしくない薄く平べったい
物体だった。
 0から9までの数字の書かれたボタンがあるのが、余計にそう見える。
「来たぞ」
 浩之が呟いた。
 もう一人の男が現れたのだ。
 二人は何か二言三言会話を交わし、浩之と三笠木が尾行していた男がポケットに手を
入れ、顔面を蒼白にして何か呟くと、もう一人の男の顔色も同色に染まって、二人でな
にやらいい合っている様子であった。
 思わず興奮して声が大きくなったのか。
「馬鹿野郎」
 という声が浩之の耳にまで届いた。
「その辺に落としたんじゃないのか?」
「そ、そうかな……」
「どうするんだ。あれが無いと爆破させられないぞ」
 二人して地面を見回している。
「なんか落としましたかあ?」
 と、親切そうに声をかけたのはもちろん浩之だ。
 後から来た方の男は慌てて、
「い、いや、なんでも……」
 ない、と続けようとしたのだろうが、男は顔を上げたきり身体を硬直させてしまった。
 浩之が、彼らが探しているものを、そちらに向けて立っていたからだ。
「そ……」
 それです。といおうとして、男は賢明に思い止まった。
「それ、どこに落ちてました?」
 探るような上目遣いで尋ねる男に浩之が親切そうな笑顔を崩さず、
「拾ったんじゃなくて、そっちの野郎の懐から拝借したんだよ」
 事も無げにいった。
「ぬ、盗んだのか。泥棒め!」
 思わず、リモコンを持っていた男が叫ぶのにおっ被せるように、
「冗談じゃねえや、そっちは爆弾魔じゃねえか!」
 三笠木が叫んだ。
「!……」
 二人の男が息を飲んで呆然とした刹那、浩之が踏み出し、笑顔を一変させていった。
「観念しろや、ん?」
 修羅場をくぐり抜けている男だけに、その気になれば幾らでも「怖い顔」になれる。
 二人の男は声も無く口をパクパクさせている。
「これ、なんか決められた番号を入力すると爆弾の発火装置が作動する仕組みだろ?」
 男の片方が思わず頷いてしまう。
「だったら、解除の番号もあるんだろ? 教えろや」
「……わ、わかった」
 と、男は観念したような表情でいった。
「87206679だ」
「ほほう、87206679ね……」
「それで、一つだけ色が違う、数字が書いてないボタンがあるだろ。それを押せばいい
んだ」
「へえ……ところで……」
「な、なんだい」
「嘘ついてねえよな?」
「え……」
「今の番号、解除じゃなくて爆発させる方だなんてことはねえよな」
「そ、そんなことは……」
「どうなんだ?」
「旦那……」
 と、浩之の後ろで黙っていた三笠木が浩之に声をかけた。
「どうした?」
「その野郎の財布の中に妙な紙っきれが入ってやがるんですがね」
「あ!」
 と、男が大きく口を開ける。
 三笠木の手に、彼の財布があったからだ。
「爺さん、財布まで頂いてたのかよ」
「へえ、あんまりスキがありやがったもんだから……つい」
 それを聞いた男の顔が苦虫を噛み潰した時のそれになったことはいうまでもない。
「で、その紙っきれってのは?」
「これでさ」
 と、三笠木が浩之に渡した紙には。

 爆破   87206679
 解除   99418580
 
 と、書いてあった。
「あっはっはっはっは」
「あ、その……」
「嘘ついたろ」
「いや、その……」
 ゴツッ──。
 閃いた浩之の拳が男の顔面のど真ん中にぶち当たった。
「えっと……99……41858……0と……」
 と、浩之がボタンを押している間に、二人の男は怒り心頭の三笠木にボコボコにされ
ている。
「馬鹿野郎! 畜生! おめえら、わしだって偉そうなこといえねえがな、馬鹿野郎!
畜生!」
 解除番号の入力を終えた浩之が見ると、二人の男はぐったりと倒れていた。
「なにやってんだてめえら! 若いのが二人もいてこんな爺さん一人にやられやがって、
んなことでこんな大それたことしようなんざクソ生意気な、おう、爺さん、押さえてる
からもっと殴れ」
「合点でさ!」

「綾香、んじゃ、頼むわ。一応、解除してあるんだが気をつけてな。ああ……わりい、
ちょっと今回、詳しいことは聞かねえでくれ」
 浩之が電話を切った時、ビールと肴を入れたビニール袋を手から下げた三笠木が帰っ
てきたところだった。
「へへ、奥さんに電話ですかい?」
「ああ、昨日、帰らなかったんでな」
 そういうと、浩之は三笠木の手からビールを受け取った。
「へへぇ……」
 三笠木が幸せそうな顔で彼方の新宿駅を見やっている。
「どうした?」
「なんかね……わしが守ったのかなあ……って思いやして」
「おう、そうだ。爺さん、何人もの人の命を救ったんだぜ、もっと胸張れや」
「……」
 三笠木の沈黙を聞きながら、浩之は缶ビールに口をつける。
「いや……でも……やっぱり、わしはケチなスリでさ」
「……」
「そんなことで驕っちゃいけませんや、わしは世間の隅っこにひっそりと生きていれば
いいんで……」
 満足そうにそういった三笠木に、浩之は蓋を開けた日本酒を差し出した。
「ところで旦那」
「おう」
「こいつ、記念に貰ってもいいですかい?」
 と、三笠木が手にしたのは、先程のリモコンであった。
 浩之は一瞬迷ったが、ここでそれは警察に渡せねばまずい、などというのも妙な話で
ある。三笠木にとって浩之は警察などとはなんの関係もない侠気に富んだ親分である。
 爆弾の発火装置はもう解除されているし、いずれ来栖川SPによって爆弾が押収され
て優秀な科学班が乗り出してくればもうこのリモコンも無用のものとなるだろうと浩之
は思い、それを三笠木にくれてやった。

 夕方、藤田商事に戻ると、社長席に座った志保が新宿駅で二つの爆弾が見つかって、
それが来栖川SPに押収されたことを話していた。
「ヒロ、聞いた?」
「ああ、聞いたよ」
 そういって、浩之はソファーに深く身を沈めた。
「お茶飲みますか?」
「おう、ありがとう、マルチ」
 少し温めの茶を一口すすって、湯呑みをテーブルに置くと、突然睡魔が襲ってきて、
浩之はそのまま眠った。

 それからも、浩之は何度か三笠木と会い、少し会話を交わしていたものだが、あの新
宿駅での事件から三ヶ月ほど経ったある時、突然あの時の話がしたくなって三笠木を探
してみたのだが全然見つからない。
 三笠木からスリの上がりの七割をふんだくろうとしていた周防組は浩之が介入しよう
としたらその気配を察しただけで逃げていったのでそちらの方の心配はしていなかった
が、何分、歳が歳で、身よりも無い。
 調べているうちに、一週間前にスリの現行犯で逮捕され、来栖川SPに留置されてい
ることがわかった。

「だ、旦那じゃねえですか」
 面会室に現れた三笠木は、ガラス越しに浩之の顔を見て呆然と呟き、次の瞬間には涙
で目と頬を濡らしてしまっていた。
「家族もなんにもいねえわしに面会だっていうから誰かと思いやしたよ」
 袖で目を拭いながら三笠木はいった。
 この歳での留置生活がよほど応えているのか、浩之がやってきたのがたまらなく嬉し
いらしい。
「ヘマしたらしいな」
「へ、へい、全くドジなことで……今まで、囮になんか引っかかったことはねえのに…
…」
 三笠木は、例によって終電間際の電車で眠りこけているサラリーマン風の男の内ポケ
ットから顔を出している財布を拝借しようとして、その男に手首を掴まれ、現行犯逮捕
されたのである。
 男は来栖川SPの社員だったのだ。
「まあ、飲め飲め」
 浩之が持参のビニール袋から日本酒の瓶を取り出して、それを紙コップに入れて間仕
切りのガラスの下の方にある穴から差し入れた。
 三笠木が慌てて後ろを振り返ると、本来は後ろにいて面会中の行動に目を光らせてい
る来栖川SPの人間がいない。
 慌てて監視カメラにも視線を走らせる。
「カメラは動いてねえよ」
 それを見透かしたように浩之がいった。
「ま、飲めよ」
 と、自分も紙コップを傾けながら浩之は呆然と立ち上がっている三笠木に酒を勧めた。
「い、一体、どういう……」
 素直に従って紙コップに口をつけながらも三笠木はどうにも釈然とせぬといった面持
ちである。まあ、当然ではある。
「ちょっと、まあ、見逃してもらってんのさ」
「わ、賄賂を掴ませたんですかい?」
「うーん」
 実は、綾香にこの老人が三ヶ月前の爆破未遂事件での自分の協力者であることを明か
し、特別に三笠木に酒を飲ましてやることを許してもらったのである。と、いっても、
浩之は三笠木と、
「あの件は他言無用」
 と、約束していたのでそのことをそのままいうわけにはいかない。
 浩之は悩んだ挙げ句、
「ま、おれがちょっと腰を低くして頼めば、難しいことじゃねえよ」
 と、さも造作ないようにいった。
「へえええ……」
 三笠木は、浩之のことを「そこまですごい人だったのか」とでもいいたげに見つめて
いた。
「やっぱり、旦那はすげえワルだ」
「あん?」
「わしみたいな小悪党の及ぶとこじゃねえや、わしゃ、まさかここに座って一杯やれる
とは思ってもみなかったよ、旦那……」
「ん、まあ、爺さんにゃその程度のご褒美はありだろ。なんたって何人もの人の命を救
った……」
「あ、いや」
 と、三笠木が浩之の言葉を遮った。
「それはもう無しで……そんなおだてられたら、自分が偉い人間だと勘違いしてしまい
まさぁ……わしゃ、世間の隅っこのケチなスリなんで……」
「そうだったな」
 浩之は微笑みながら、遠慮がちに三笠木が戻してきた空の紙コップに並々と酒を注ぎ、
それをまた押し返した。

 一ヶ月後、三笠木の体調が思わしくなくなり、警察病院に移送された。
 一週間後、三笠木は死んだ。
 老齢から来たごく普通の老衰死だったらしい。
 臨終間際に頻りに何か譫言を発していたが、
「こんな……わしでも……一回だけ……世の役に立てたのは……せめてものことだ」
 そう満足そうに洩らすと、目を閉じ、眠るように死んだ。

 その死を浩之は綾香に告げられた。
「これを……あんたに渡して欲しいっていってたそうよ」
 そういって綾香が三笠木の遺留品の入った袋から取り出したのは、あのリモコンだっ
た。
「あんたの好きにしていいって……」
 大体のことを浩之に聞いている綾香はそれがなんであるか察したようであるが、特に
何もいわなかった。既に来栖川SPの科学班によって新宿駅に仕掛けられていた爆弾は
解体されており、このリモコンもただの箱に等しい。
「なんだか、とても大切にしてたそうよ」
「爺さんの火葬は?」
「明日だけど」
「一緒に燃やしちまってくれ」
「いいの?」
「ああ、そいつはおれが持ってても……いや、あの爺さん以外の誰が持ってても意味は
無いのさ」

                                     終

     どうも、vladです。
     回を追うごとに間隔が開いている関東藤田組です。待ってた人はい
     るのだろうか……。
     わかる人にはわかると思うんですが、今回、ちょっと池波正太郎の
     『鬼平犯科帳』の影響強いです(笑)
     もし、待っていて下さった人がいるならば、随分と待たせてしまい
     ました。楽しんでいただけたら幸いです。
          まともに話に絡んでくるリーフキャラが浩之と、辛うじて綾香だけ
     という体たらくです。どうかその辺は勘弁して下さい。
 
   

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