鬼狼伝(23) 投稿者:vlad
「雅史よう」
 浩之が、雅史の席にやってきたのは、木曜日の授業が終わった時だった。雅史はサッ
カーの大会が近いためにこのところ、放課後は連日部活に費やしている。
「今度の日曜……どうだ?」
「ごめん……今度の日曜からなんだ……大会」
「ああ、そうか」
 浩之は頭を掻きながら、
「ま、いいや」
 と、いった。
「もちろん、おめえも出るんだろ、頑張れよ」
「うん」
 部活に行く雅史を見送って、浩之は教室をぐるりと見回した。
「浩之ちゃん、一緒に帰ろ」
 あかりが近付いてくる。
「おう」
 あかりを連れてくわけにはいかねえしなあ……。
 そんなことを思いながら、浩之はあかりの半歩前を歩き始めた。
「浩之ちゃん、今度の日曜日、サッカー部の試合があるんだって」
「おう、雅史に聞いたよ」
「志保が応援に行こう、っていってたよ」
「志保の奴がか?……」
「うん、なんか他の女の子たちも何人か行くみたい」
「へえ」
「浩之ちゃんも行くんでしょ」
 と、にっこり笑っていったところを見ると、あかりも行くらしい。
「いや、おれは今回はパスだ」
「えっ……」
「ちょっと用事があるんだよ」
「そうなんだ……」
 あかりが残念そうに呟く。あかりは、浩之と一緒に出かけるのを楽しみにしていたの
だろう。彼女のことだから、弁当のメニューも色々と考えていたに違いない。
「次だ次……予選の一回戦で負けたりしねえだろ」
 ま、相手にもよるが、雅史から一回戦の相手が凄い強豪だ。などという話は聞いたこ
とがない。
「じゃ、次ね」
「おう、そのためにもしっかり応援しておいてくれや」
「うん」
 大会か……。
 あかりと一緒に歩きながら、浩之はいつになく真剣な、難しげな表情で何かを考え込
んでいた。
 あかりはそれがわかっているのだろう。浩之に声をかけずに沈黙している。
 そもそも、浩之の最終目標はエクストリーム大会への出場、そして優勝であった……
はずだ。
「先輩っ」
 そんなことを考えていたからだろうか。後輩の松原葵が近付いてきた。
「おう」
 葵は、今日も綾香のところに練習に行くところらしい。
「葵ちゃん、あんま手の内見せんなよ」
 浩之と空手部とのいざこざからエクストリーム同好会設立を葵が断念した時、葵が綾
香のところで練習できるように手配したのは浩之なのだが、どうも段々と不安になって
きた。
 葵のことだから、一緒に練習する内にすっかり綾香に手の内をさらしてしまうのでは
ないか、という不安である。
 綾香はお嬢様に見えて、そこら辺の駆け引きは侮れない。勝負なのだから当然とばか
りに葵に嘘を教えて足下をすくうことぐらいはしてもおかしくない。
「はい、気をつけます!」
 葵の快活な声を聞きながら、浩之は顔をしかめた。葵みたいに真っ正直な人間がいく
ら気をつけても人をだまくらかすのが得意な人間にとっては無防備同然である。

 いや、別におれが葵ちゃんをだましたことがあるとかいうわけじゃねえぞ。

「そうだ。先輩、先輩も独自に練習してるんですよね」
 葵がそんなことを突然いったので、さすがに浩之は驚いた。そのことを知っていて、
葵と接触しそうな人間といえば坂下好恵がいる。特に口止めもしていないから、彼女が
喋ったのだろうか。
「体を見ればわかりますよ」
 葵にいわれて、浩之は我が体を見てみた。それほどに外観が変化したようには見えな
いのだが。
「特に肩の辺りが……」
 と、葵はいう。やはり、見る人間が見るとわかってしまうものらしい。
「今度のエクストリーム、出るんですか?」
「今度?」
「はい、三ヶ月後にエクストリームがあるんです」
「へえ……葵ちゃん、出るのか?」
「はい!」
「すると……初出場か」
「はい……それで、ちょっと悩んでるんです」
「へ? 何が」
「今大会から、一般部門の年齢制限が無くなったんです」
「えっと……つまり……葵ちゃんでも一般部門に出れるってことか?」
「はい」
 エクストリームには、高校生部門、大学生部門、一般部門があり、基本的に高校生や
大学生は一般部門には出場できなかった。しかし、その年齢制限が撤廃されるのだとい
う。
「綾香さんが……今回は一般部門に出るとかで……」
「ああ、そうか」
 綾香は、もはや高校生部門では敵無しといっていい。その綾香が一般部門でさらなる
猛者との闘いを望むのは当然であろう。
 で、そうなると、綾香目当てでエクストリームを志した葵としては心が動くわけであ
る。
「うーむ」
 浩之としては軽量の葵がいきなり一般部門に出るのは反対であるが……。
 松原葵というのは、一度決めたら他人のいうことに左右されるような子ではない。
 と、それよりも……。
 浩之の脳裏にある考えが点灯した。
 年齢制限が取っ払われたということは、自分と柏木耕一が当たることもありえるとい
うことだ。
「先輩、どうするんですか?」
 やりてえなぁ──。
「先輩」
 あの人と思い切り大舞台で──。
「あのう……」
「浩之ちゃん、松原さんが呼んでるよ」
 葵が何をいっても反応しない浩之に、今まで黙っていたあかりが声をかけた。
「あ、おお、なんだ」
「先輩はどうするんですか? 今回」
「あ、うーん……考えとく」
「そうですか……あ、私、そろそろ行きます」
「ああ、頑張れよ」
「はいっ! 先輩も今度、来て下さい。綾香さんも会いたがってましたから」
「おう、近い内に顔出すわ」
「では、失礼します!」
「おう」
「さようなら、松原さん」
 学校の校庭を走っていく葵の後ろ姿を見送りながら、浩之は拳を握り締めていた。

 その晩、浩之は緒方英二に電話をした。なんでか知らんが携帯の番号とかいうものを
教えてもらってしまっていたのである。ファンが知ったらえらいことになるかもしれな
い。もっとも……英二の熱烈なファンというのは昔に比べてだいぶ減った。現役で活動
していないのだから当然ではある。だが、ミュージシャンとしての全盛期の頃の緒方英
二の人気というのはかなり凄かったと浩之は記憶している。
 あることを頼むと、英二は快諾してくれた。
 浩之はそれから机の上の便箋に何かを書き始めた。
「決闘したい……うーん、決闘を所望する。の方がサマになってるかな」
 などといいながら、浩之はゆっくりとペンを走らせていった。

 金曜日。
 柏木耕一は道場にやってきた。
 試験も終わり、なんとか首の皮が繋がった耕一は、ますます武道に励んでいる。
 道場では、師の伍津双英と緒方英二が向かい合って茶を飲んでいた。
「……」
「やあ、柏木くん」
「おお、耕一、お前も上がって飲め」
 耕一は、無言のまま道場に入った。
 湯飲みに自分で茶を入れて、耕一はそれをすすった。その間、探るように双英の顔を
うかがう。
 なにやら英二と談笑などして機嫌はいいらしい。
 どちらかというと気難しい師匠なのだが、いつのまにやら英二に籠絡されてしまって
いる。
 そもそも──。
「ここに入っていいのは、伍津流を学ぶ者か、伍津流と闘う者だけだ」
 などと日頃から断言している師匠が道場に客を上げて、そこで茶を飲むなどという光
景はかつて見たことがない。
「丁度いいところに来たな」
 双英は六十二歳の老顔に、何やら異様な熱気をたたえていった。この師匠は時々血気
が盛んになる。
「今、緒方くんにこれを見せてもらっていたところだ」
「えっと……それは」
 双英が持っている雑誌に、耕一は見覚えがあった。
 『ザ・バトラー』という、一年ほど前に発行され始めた格闘技雑誌だったはずだ。い
わゆる「総合格闘」がメインになっており、アマチュアが参加できる格闘技の大会の特
集も組んでおり、その中でエクストリームの扱いは一際大きい。
「これが何か?」
「ここを見てみろ」
 双英が開いたページには大きなゴシック体で「エクストリームまで後三ヶ月!」と、
書かれていた。
「ええっと……」
 と、呟きながら隅から隅まで目を通すと、小さな「伍津流」という文字を見付けた。
 別に伍津流がメインというわけではない。ページの四分の一ほどのスペースで、加納
久(かのう ひさし)という選手が今度の大会の一般男子の部に出場を決定したという
ことが書かれていた。
 その記事によると、加納はかつて柔道でかなりの実績を残した後、実戦空手で打撃技
を身につけ、総合格闘の世界に足を踏み入れた人物らしい。
 歳は二十五歳。
 先々月に行われたある空手道場のオープントーナメントで優勝をさらっていったとい
うのが最近での最も華々しい経歴であった。
 そのオープントーナメントの加納の戦績の中に伍津流の人間の名があったのである。
「エクストリームへ向けてまあまあ、いい肩慣らしにはなりましたがね、ちょっと手応
えが無かったかな? あの、なんとか流の……保田っていう人はまあ、そこそこでした
けど」
 そんな加納の言葉が載っている。そのなんとか流の保田という人は会ったことはない
が自分と同門である。
「あのう……これが何か?」
「なんとか流とは伍津流も舐められたものだ」
「はあ……」
「耕一、こいつを潰せ」
 事も無げにいった。
「ええっ!」
「今度のエクストリームに出ろということだ。伍津流の威信をお前にかける」
「え、そんな……他の道場から誰か出ないんですか」
 日本各地に、双英の五人の弟子たちがそれぞれ道場を構えていたはずなのだが……。
「あの馬鹿ども、急な話でエクストリーム対策が万全にできないだろうから次の機会に
……などと抜かしおった」
 ……そう、間違った考え方でもないと思うのだが……双英は思い切り気に入らないら
しい。
「伍津流は実戦格闘技だ。わざわざ対策を練る必要などないわ」
 年甲斐もなくヒートアップしている師匠から英二にと、耕一は視線を移した。
 あなたが焚き付けたんですね。
 と、その視線がいっていた。
 英二は、微笑でそれに応えるだけであった。

「ん?」
 ポストに手紙が入っていた。自分宛だ。
 差出人は……知らぬ名だ。
「藤田……浩之?」
 封書を開けてみると、中にはやたらとストレートな内容の「果たし状」が入っていた。

 今週日曜日。
 決闘を所望する。
 場所は小倉道場。
 時刻は午後一時。
 いざという時のために立会人を連れてくるのが望ましい。

 条件に不都合のある場合は小倉先生へと連絡を頂きたい。
 連絡無く、約束の日時に現れぬ場合は、逃亡と見なす。

                                藤田浩之

「……」
 無礼な手紙だ。
 無礼だが、小細工も誤魔化しも無い手紙だ。
 見たところ、小倉四郎を介して自分を知ったらしい。
 だとすれば、自分が破門にされた理由などを知っているはずだ。
 その上で、挑戦してきている。
 つまり、「そういう闘い」をしようということだ。
 先日、柳川祐也との対決が消化不良気味に終わってから……ずっと疼いていた拓也の
体が……静かに、躍動を始めていた。

                                     続く

     どうもvladです。
     二十三回目であります。
     転章、といった感じの回になりました。
     今回でおそらくおわかりになったでしょうが……話はこれから「エ
     クストリーム編」に向けて動き出します。
     当初の予定から160度ぐらい進む方向が変わりました。
     まあ……いいか……。

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