鬼狼伝(20) 投稿者:vlad
「おーっす。先輩まだ来てないな!」
 空手部の一年生の前原が慌てた様子で道場にやってきたのは授業が終わってから二十

分ばかり経った頃であった。

「おせぇよ!」

 同級生から声がかかる。道場の掃除はほぼ終わっていた。今日は女子も一緒なので、

早く終わったようだ。

「わりぃわりぃ」

 前原が頭を掻きながら入ってくる。

 まだ、先輩は一人も来ていない。後輩が道場を掃除しておくことになっているので、

先輩は大体ゆっくりとやってくる。

 前原が道場中央の辺りまで来た時、扉が開いた。

 もう、一年生は全員集合している。

 当然、先輩の誰かだろうと皆は思った。

「押忍!」

「おう」

 声に迎えられて、藤田浩之は鷹揚に頷いた。

「全員揃ってるかあ?」

 正規の部員のような顔でズンズン入ってくる。

 この男──空手部とはやや因縁のある人物である。

「磯辺は……いねえのか? 一応、あいつに話通しとこうと思ってんだけどな」



 葵と会って話していたためにだいぶ遅れてしまった。

 最近、綾香がどういう練習をしているかとかいう話になると、ついつい聞き入ってし

まう。なんといっても、来栖川綾香は彼女にとって宿敵の一人である。

 坂下好恵は急ぎ足で道場に向かっていた。

 真面目な後輩たちなので、自分が行かなくても準備運動を始めているだろうが、それ

にしても主将があまり大きく遅れるのは問題だ。

「おう」

 急いでいる好恵を呼び止める男がいた。

「あ、押忍……」

 好恵は神妙に頭を下げた。

 男は、ごつい顔に無表情を貼り付けて立っていた。

 背はそんなに高くないが、制服を着ていてもその下に息づく筋肉の存在がわかる。

 その顔と合わせて見れば、この男に喧嘩を売るような人間は校内にそうはいないだろ

う。

「今日、あとで顔出すからよ」

 それだけいって、男は道場とは逆の方向に去っていった。

 好恵は大きく息を吐き出し、去っていく背中に向けて一礼してから道場に向かった。

「うぎぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 道場の前に来るとそんな悲鳴が聞こえた。あまり部活中に聞いたことがない質の声だ。

どちらかというと、打撃によるものではなく、関節技でキリキリと関節を極められた時

に発される類の声だ。

「関節技の練習でも始めたのか?……」

 好恵は首を傾げた。誰かがふざけて関節技をかけているのだろうか?

 そういえば、ここ最近、好恵が来栖川綾香と松原葵と闘うためにエクストリームに出

場するそうだ。などという噂があって、好恵当人が否定しているのに収まる気配が無い。

「エクストリームかあ……あれに出るとしたら立ち技だけじゃなくて寝技もできないと

駄目だよなあ」

 などと男子空手部の面々がいっていたような気がする。

 エクストリーム目指しての練習でも始めたのだろうか?

 好恵は、扉を開けた。

「いだだだだだだっ!」

 叫び散らしているのは一年生の前原らしい。

 その前原に腕ひしぎ十字固めを極めているのは、浩之だった。

「なにやってんのよ」

「よっ、坂下」

 技を解いて浩之がいった。が、刹那の間を置いて前原をひっくり返して脇固めを極め

る。

「あだだだだだだっ!」

「ちょっと協力してもらってんだ。磯辺の同意は得てる」

 磯辺とは、男子空手部の主将だ。

 その磯辺は、道場の隅で他の連中と一緒に輪になって何やら話している。

「どうすんだ。すっかりあいつに仕切られてんじゃねえか」

「お前、主将だろ、なんとかしろよ」

「どうしろってんだよ、あの野郎、おれたち五人がかりでも勝てるかわかんねえような

奴だぞ」

「下手に刺激したら報復が怖いしな……」

「押忍、今、考えついたことなんっスけど」

「おう、なんだ?」

「前原を生贄に差し出すというのはどうでしょうか?」

「おお」

「それは……なかなか……」



「今、おれの名前呼びませんでしたかぁ!!」



「いや、呼んでないぞお」

「関節極められてるのによく聞いてるな……あいつ」

「よし、そんじゃ前原には悪いが……」

「あんたたち」

 好恵が声をかけると車座が一斉に散開した。

「な、なんだ。坂下かよ」

 磯辺が目を見開いていった。

「どういうことなの?」

 つまりは、いきなり浩之がやってきて、自分の寝技の練習台に空手部員を使っている

のだという。

「ま、知らねえ仲じゃねえしよ、協力してくれんだろ、ん?」

 にっこり笑って、目だけは笑わずにいう浩之に磯辺は抗しきれずにろくな部活動もで

きずに現在の状況に至っているらしい。

「お前の方からなんとかいってくれよ、坂下、藤田と仲いいんだろ」

「誰がいったんだよ、そんなこと……」

 好恵は、浩之との接触はほとんど葵と綾香を介したものでそれほど仲がいいというわ

けではない。もちろん不仲ではないが、かなり浅い関係の知り合いに過ぎない。

「自分でなんとかしなよ、情けないな」

 磯辺は、好恵から目を逸らして頭を掻いた。

 この男もそれほどに情けない男ではないと好恵は思っているが、話によると磯辺たち

は先日、浩之にほとんど一方的に負けており、そのことが男子空手部一同に浩之に対す

る苦手意識を植え付けてしまったようだ。

「桐生崎(きりゅうざき)さんがあとで顔出すっていってたよ」

「……な!」

「ま、マジか!」

 色めき立った磯辺たちがまた車座を作る。

「ど、どうすんだ!」

「この体たらくを見られたら……」

「殺されるかもな……」

「ここはだな、前原を生贄に差し出してどっか別んところに行ってもらってだな」

「おうい、磯辺」

 足下にぐったりとした前原を見下ろして、浩之が磯辺を呼んだ。

「お、おう、どうした?」

「こいつ、もう駄目だわ、誰か変わってくれよ、ちょっと別のことやりたいんだ」

「こ、今度はなんだ?」

「いやぁ……どの程度首を絞めたら人間は落ちるのかを知っておきたいんだが……」

「!!……」

「なあ、誰か……」

 その時、扉が開いた。

 まさか!

 磯辺らは絶望的な思いで開いた入り口を見た。

「やってるか……」

 その男は、低い声でいった。

 それほど背が高いわけではない。浩之よりやや低いだろう。

「なにしてんだ?」

 棒立ちになっている部員を見ながら、その男はいった。

 ごつい顔を左右に振った。

「全員揃ってるようだな」

「押忍!」

「桐生崎さん、お久しぶりです!」

 磯辺が、腰を直角に曲げて叫んだ。

「お久しぶりです!」

 他の連中も同じように叫んだ。

 一人だけ背筋を伸ばして突っ立っている浩之は当然目立つ。

 桐生崎と浩之の目が合った。

「お前……新入部員か?」

 桐生崎の視線の先に、浩之がいた。

「え、ええっと、こいつはですね」

「二年の藤田浩之っス、部員というわけじゃないです」

 磯辺が何かいおうとするのに先んじて浩之がいった。

「部員じゃない?……」

「はい、ちょっと練習に付き合ってもらってたんですよ」

「ほう」

 桐生崎の顔色を伺う後輩たちには目もくれずに、その視線は浩之を真っ正面から捉え

ている。

「去年まで主将をやっていた三年の桐生崎だ」

 にこりともせずにいった。

「藤田浩之か……聞いた名だな」

 やはり、にこりともしない。

「そんなに有名ですかね、おれ」

「空手部と喧嘩した奴だろう」

 特に表情に変化は無い。

「へえ、知ってたんですか」

「二年生が全員停学になんてなったらその原因を調べてみるさ」

 桐生崎がチラリと向けた視線に磯辺たちが硬直する。

「じゃあ、全部知ってるんですね」

「ああ、お前が停学明けのあいつらに復讐したこととかな」

 硬直したまま冷や汗を流し始めた後輩たちをさっと一瞥して、桐生崎はいった。

「もう、仲直りしたのか」

「はいはい、もう、頼まれたらいやといえない仲ですよ」

「それはよかった」

 そういって、桐生崎は初めて笑顔を見せた。

「藤田……一手、試合おうか?」

 笑顔のままいった。

 磯辺たちだけでなく、好恵までもが目を見開いて浩之の口元を注視した。

 浩之の口が開いた。

「いいですねえ、やりますかあ」

 左の掌に右拳を打ち付けて浩之はいった。全身が瞬時に躍動を始めたように見えた。

「嬉しそうにいいやがるな」

「そうっスかあ?」

「ルールは、フルコンタクト制の空手ルールでいいか?」

「ええっと、拳で頭とか顔とか殴るのは無しってやつですか?」

 桐生崎は頷いた。フルコンタクトと呼ばれる非寸止めの空手の大会などで一般的に使

われているルールである。

「なんの遺恨も無いんだ……潰し合いにはしたくない」

 桐生崎は本気でそう思っているようであった。

「いいですよ、それで行きましょう」

 浩之とて、月島拓也という男との闘いをそう遠くない未来に行うつもりである。ここ

で大怪我をするのは避けたいところだ。

 桐生崎は制服の上着を脱いで道場の隅に放った。浩之の方は道着のズボンに黒いTシ

ャツを着ていて既に戦闘態勢だ。

「時間は三分……磯辺、審判やれ」

「押忍!」

 磯辺が腕時計を取って来るまで、浩之と桐生崎は互いに探るように見合っていた。相

当の実力者であろうと浩之は桐生崎を値踏みした。

 おそらく、磯辺よりは数段レベルが上だろう。

 問題はフルコンタクトルールということは、すなわち、寝技や関節技の類は無しだと

いうことだ。

 さらに、拳で頭部を殴れないので頭部にダメージを与えるには足を蹴上げて蹴打せね

ばならないということだ。

 と、なると、KO率は確実に下がる。

 ローで下半身を攻め、隙を見て上段蹴りを叩き込むか……。

 浩之が思案をまとめた頃、腕時計を持った磯辺がやってきて二人の間に立った。

「それじゃ……時間は三分……構えてっ!」

 磯辺が右に左にと視線を転じて二人が構えたのを確認する。

「始めっ!」

 磯辺が叫んで、後ろに下がり……浩之と桐生崎の間には何も邪魔するものは無くなっ

た。



                                     続く







     どうも、vladです。

     第20回目であります。

          ああ、20回目かあ……などと本人はけっこう感慨にひたったり

     しています。10回目書き終わった時点では、ここで完結する予

     定だったんですけど。

 =================++++=================

  人と鬼の戦い99 ACT−2 UMAさん

 どうやって収拾つけんのかと思ってたら……千鶴さんですか(笑)

 次郎衛門とダリエリの絡みがいい感じです。

>レトロ感覚いっぱいの486マシンとメモリ2MBのセット

 賞品素晴らしすぎ。

 もちろん、5インチですよね(笑)



 狗福さん。

 感想ありがとうございました。

 『グラップラー痕』……そんな同人誌があるんですか。なんかすごそうですね。



  ミュージカル版『痕』 takatakaさん

 相変わらず面白い作品書きますね! とかいいながら、実は無茶苦茶悔しかったりし

ます。私もこんなの書けたらいいんですが……。

>くうぅ……まずい!

>このままだと、俺までファンになっちまう!

>しかも、杉良太郎目当てにハワイまで追っかけていくおばちゃんのようなコアなファン

>にだ。それほど奴の歌声には魅了するものがあった。

>伸びのあるバリトン、魅惑の低音、そしてバックに控える雨月山麓男声合唱団。

>三大テノールも裸足で逃げ出すエルクゥ夢の競演だ。

 特にここんとこ読む間に、私は三回は笑いました(笑)

 あと、感想ありがとうございました。

 実はオリジナルキャラ出すたびに内心びくついている男なんで、そういっていただけ

ると非常にありがたいです。



 『あなたとわたし』 久々野 彰さん

 ええっと……作品にケチつけるわけじゃないんですが……。

 年頃の女の子(しかも美人)がそんな無防備じゃいかんっ!!

 と、いうことをとりあえずいっておきたいわけです。(笑)

 私は、たぶん久々野さんとは違う理由ですが、浩之と綾香というのは恋人にならん方

がいいと思ってます。以前、どこかで書いたかもしれませんが、あの二人は仕事上での

パートナーとか、そういう関係がいいんじゃないかなあ……と。

 

 お兄ちゃんのシャツ 〜乃絵美のわがまま 2〜 アルルさん

 With Youをやってないんで乃絵美らしさというのはわからないんですが、可

愛い妹という感じはします。

 と、いうか……乃絵美は容姿的には最近の大ヒットかもしれません(笑)ゲームやら

ない理由に「なんだ。乃絵美エンドないのか、じゃ、いいや」ってのがありますから…

…(笑)



 ふう……今週はこんなもんですな。

 ではまた。