鬼狼伝(13) 投稿者:vlad
 床が、やたらと冷たかった。
 なぜ自分が後ろ向きに飛んで背中を床に打ち付けたのかが、咄嗟には理解できなかっ
た。
 なんだ?
 どうした?
 何がどうなっておれは倒れてるんだ?
 胸の辺りが痛い……ってことは……おれ、やられちまったのか。
 理解は、痛みの後に着いてきた。
「立てるか?」
 構えを崩さぬまま耕一がいった。
 とにかく、立たねばならない。
 浩之は立ち上がった。
「続けるか?」
 耕一の問いに浩之は頷いた。
 構える。
 構えた途端に、全身に力が満ちた。
 浩之の心を駆け抜けたのは安堵であった。
 まだ……やれる。
「やろう」
 呟くと同時に前進していた。
 指先まで力が充満している。
 まだまだ……やれるはずだ。
「おうっ!」
 浩之の前蹴りを耕一は後ろに下がってかわした。
 浩之はその後を追って踏み込もうとした。
 踏み込んで、すぐに次なる攻撃を放とうとした。
 だが、浩之の体は前蹴りを打った時の位置から一歩たりとも前に動いてはいない。
 どうした? と、いうような表情を耕一はした。今までの浩之だったら絶対に踏み込
んできたはずだ。
 先程の一撃で警戒心が芽生えたのだろうか。
 耕一は浩之から三メートルほどの距離をとって、その場で浩之の出方を待った。
 浩之の表情には焦りの色が浮き上がっていた。
 踏み込めなかった。
 踏み込まなかったのではない。
 踏み込んで第二撃を耕一に送り込むという意思は浩之の中に旺盛にあった。
 右の正拳を叩き込んでやろうと思っていた。
 だが、足が止まった。
 耕一が思ったように、警戒心によるものであったのなら、浩之はここまで焦らない。
 無意識の内に足が止まっていたのだ。
 先程の耕一の一撃のせいであるのは明白である。
 踏み込めなかった。
 自分が、この柏木耕一という男を恐れたのだ。

 何を怖がっているんだ?

 自分で自分に尋ねたかった。

 さっさと前に進まねえかっ!

 自分で自分を叱りつけたかった。
 浩之はゆっくりと踏み出した。

 やってやる。
 おれは抜き身の刀だ。
 おれに触った奴はみんな切り刻む。
 行ける。
 前に出たぞ。
 なんだ、行けるじゃないか。
 怖くなんかねえ。
 それどころか、拳を、足を、思い切り叩き付けてやりたい。
 やる気満々ってやつだ。
 怖くなんかねえぞ。
 
 左の中段回し蹴りを放った。
 
 畜生、また下がりやがった。
 今度はもう恐れたりしねえ、踏み込むぞ。
 右! 左! 正拳のワンツーだ。
 下がって、下がって、表情が変わりやがったぞ、これは出てきやがるな。ここは……
仕方ねえ、後ろに下がるか。
 しかし、それにしても……今、確かに闘気が来たよな。あの人の方から……。
 さっき、なんかいってやがったな、なんだっけか? 「刀は使わない時には鞘にしま
っておく」とかいったんだっけか?
 つまり、おれが抜き身の刀なら、この人は鞘に収まった刀ってことか。
 でも、抜く時は抜く。
 当たり前だよな。抜かれない刀なんて棒みたいなもんだ。
 この人は、抜く時は抜くんだよな。
 おっ、なんか目つきが変わったぞ、こりゃ抜く気だな。
 ってえ!
 すげえ蹴りしてやがんな。
 しっかりガードしたってのに手が痺れちまったぜ。
 こんなの、素人が相手だったらガードした腕をへし折っちまうんじゃねえのか。
 怖い人だな。
 うん、本当に怖い人だよ。この人は。
 あれ? ……今、怖いってことを認めたのか? おれは……。
 さっきまで必死になって否定してたのによ。
 でも、体は前に出るんだぜ。
 怖い人に向かってどんどん前に出て行くんだぜ。
 おらっ! おれの蹴りが当たったぞ。
 今まで涼しい顔してやがったのに、今の一発でちょっと顔が苦くなりやがった。
 抜くか?
 そろそろ抜いてきそうだぞ。
 来た来た来た来た!
 速いな、おい。
 もう目の前にいるぜ。
 真っ直ぐに右正拳だ。
 すごく力がこもってる拳だ。見ればわかる。
 ガード──した腕を弾き飛ばしやがった。おい、やべえな!
 痛いな。
 それに、周りの景色が前にふっ飛んだぞ。
 いや、おれが後ろにふっ飛ばされたのか。
 今のは、右でガードを飛ばしたとこに左が来たのか。力強くて速くて真っ直ぐで、な
んの小細工もねえ気持ちのいい攻撃しやがるなあ。
 でもな、おれだってただぶん殴られたわけじゃねえ。
 右足を突き出してやった。
 そのおかげで今の正拳は浅かったな。
 立てる。
 まだやれる。
 なんか……随分激しく動いたのに随分と寒いな。
 さっきの攻撃がそれほど「効いた」のか? 寒くてしょうがねえぞ。
 それで、汗はダラダラ流れてきやがる。冷汗だな、こりゃあ。
 おれは抜き身の刀じゃねえのか?
 相手は鞘に入った刀だ。
 おかしな話だぜ、鞘に入ってる方が平然としてて、抜き身の方が怖がってんだ。……
って、他人事じゃねえな。なんか、おれの考えることが自分でわけわからなくなってき
たぞ。
 おっと、闘わなきゃ。もう、すぐそこまで来てるんだ。
 ローキックからワンツー。
 悲しいほどに当たりゃしねえな。
 この人がコソコソ後ろに逃げるからだ。
「来やがれっ!」
 まだこんな大きな声が出るんだな。

 ゴツッ。
 と、音が鳴った。

 ホントに来やがったな。
 真っ正面から真っ直ぐに右の正拳だ。思い切り顔に貰っちまった。
 よく、いいパンチ貰うと脳が揺れるとかいうけど、こりゃそんなもんじゃねえな。脳
なんてどっか飛んで行っちまったんじゃねえのか?
 あるか? おれの脳?
 なんて馬鹿なことでも考えられるってことは、まだ健在らしいな。
 ところで、おれ、またダウンしちまったんだな。
 これで何度目だぁ?
 とにかく立たなきゃな。
 立たないと、終わっちまう。せっかくいい感じだってのによ。
 なんか……口の中に固いものがあるな……。
 なんだこれ? 歯か?
 ぷっ、と床に向けて吐き出したら、コン、と音がした。やっぱり歯だったんだな、ま、
どうでもいいや。
 それより、立たないとな。

「しぶといな……」

 へへへ、今ので終わったと思ったんだろ。おれもそう思ったんだけどよ、どうしても
まだあんたとやりたくてさ。そしたら体が勝手に立ちやがったんだよ。
 ん?
 腕が、上がらねえぞ。
 おい、上がってくれよ。
 もうちょい付き合ってくれよ。
 右の中段回し蹴りが来たぞ。
 すげえな、ピリピリどころじゃねえな。そんな静電気みたいなもんじゃなくてよ、何
万ボルトも全身に流れてるみたいだ。
 飛んだよ。
 大の男が飛んで、転がったよ。
 またダウンだ。
 また立たなきゃな。
 にしても……付き合いのいい人だなあ。
 その気になりゃ、おれが倒れたのを追っかけてよ、マウントポジションとって殴りま
くるなり、間接決めて折っちまうなりしちまえばすぐに終わるってのによ。
 この人、最後までおれに付き合うつもりだな。
 立たなきゃな。
 立ち上がって、応えないとな。
 申し訳ないぜ。
 っっっ!!
 ローキックを貰っちまった。
 その後、間髪入れずに踏み込んできてテンプルに打ち抜くような右フックだ。
 強烈、としかいいようがねえな。
 今、おれの体が一瞬逆さになったぞ。
 今度こそ、脳が飛んでったかな?
 自分が、どこでどうなってるのかもよくわからねえや。
 何がなんだか、全然わからねえ。
 そんでよ、頭ん中にあかりがいやがるんだ。
 心配そうな顔してんだ。こいつが。
 なんか他にもあんだろ。
 この状況で、なんであいつのことが思い浮かぶんだよ。
 でも、周りは真っ暗なんだよ。本当にあかりの奴しかいねえんだ。
 なんかさ、真っ暗なとこに、おれとあかりしかいねえんだよ、他のもんはなんにもね
えんだ。
 おれ……なんか大事なことやってたはずだよな?
 おれ、まだやり足りねえよ。
 まだ、あの人とやりてえよ!
 でも、あかりがおれのことを抱きしめようとしてるんだよ。
 浩之ちゃん。こっちおいでよ。って、両手を広げてやがるんだ。
 ええい、あっち行ってろ。
 おれは今、やらなきゃいけないことがあるんだ。
 なに? おれが死んじまうって? 馬鹿いってんじゃねえよ。
 あん? 私のこと嫌いになったのかって? それこそ馬鹿いってんじゃねえよ。
 立ったぞ。ほら、おれは前に進むんだ。
 そんで、あの人と闘うんだ。
 だから……頼むから……おれの前からどいてくれ。

 耕一の足が、浩之の腹部へ吸い込まれるように一直線に突き刺さった。

 意識が……飛んでいっちまいそうだ。
 ん? まだいたのか。
 何度もいわせんじゃねえよ、おれはお前が……。

「いい闘いだった」
 いつの間にか、英二が立ち上がり、浩之を見下ろす耕一のすぐ後ろにまでやってきて
いた。
「今日はいい日だ」
 英二の目は、勝者にも敗者にも、柔らかく、暖かい視線を注いでいた。
 耕一の闘いを見られただけではなく、面白い男を知ることができた。
 満足そうな笑みが英二の表情の端に覗いた。
 耕一は、しゃがみ込んで浩之の様子を見ている。
「一応、医者に診せた方がいいと思います」
「そうか、近くに車が停めてある。それで行こう」
「すいません」
「なあに」
 観戦の代金と思えば安いものだ。

                                    続く

     どうもvladです。
     なんとか投稿ペースを落とさずに13回目までこぎつけることがで
     きました。
     今回、浩之VS耕一がけっこうあっさりと終わってしまいましたが、
     もちろん、この二人の再戦はあります。

 ではではまた来週(笑)

 =================++++=================
 それでは、感想ならびにレスなど。

 LF98(13) 貸借天さん
 基本的に続き物の感想は完結してから、という考えがあるんで詳しい感想は避けます
が……。
 なんか、無茶苦茶長くなりそうですねえ。
 これ、今までの展開、現在の状況などなどを考えると完結するまでに4,50回は行
ってるんではなかろうか……。

 「夏本番〜柏木梓〜」 berkerさん
 強い夏の日差しの中にいる梓の姿が思い浮かびました。
 私(梓ファンの一人)としては、よい作品だと思います。

 劣性遺伝 AEさん
 くくくくっ。
 おそらくこの作品の元になっているであろう久々野さんの作品に出てきた「親父」が
非常に気に入っていたので、これも非常に楽しめました。
 感想ありがとうございました。
>両者とも簡単には終わらないで欲しい。終わらないだろうけど。勝負の予想は着くけ
>れど。
 いやあ……簡単に終わっちゃったかなあ……。
 結果は……おそらくAEさんの予想通りだったんでしょうね。
 なんか毎回熱心に読んで頂いているようで非常にありがたいです。
 
 学習マルチ(悪事篇) takatakaさん
 私……この作品とても好きです。
 わけのわからん信念に基づいて動く浩之と、結局マルチ以外のものではありえないマ
ルチの意識の擦れ違いっぷりがとても良かったです。
 感想ありがとうございました。

 『ドアの向こう側の世界』 久々野 彰さん
 冒頭部で久々野さん本人がいっておられるように非常に「よくある」系統の話だとは
思いますが、私個人的には非常に面白い作品であると思いました。
 なんかドアの向こう側を想像するだけで微笑んでしまいます(微笑)
>関係ないですが、レンタルショップの蔦谷でナショナルジオグラフティのビデオ
>のレンタルを始めたのは「世界まる見え」のせいだと確信しているんですが、どう
>思います?(笑)。
 うーん、本当に関係ないですね(笑)
 私はちょっと最近、「世界まる見え」は見てないんですよ、すいません。
 私的には川口浩探検隊のビデオ化を……(まだいうか……自分よ)
 
 変身
 番宣 NTTTさん
 「うお! 誰だてめえ!」
 というのがニュータイ○を見た時の私の感想ですのでNTTTさんが「変身」を書か
れた気持ちはよくわかります(笑)。
 奴はもうちょい目つきが悪い意味で鋭いだろ……(って、私が「おお、イメージ通り
だ!」って思ってしまうようになっても問題だろうけど(笑))
 本当に「ワンダフル」で放送されたらどうしよう……(いや、見ますけどね)

 The X‘mas War 98 紫炎さん
 やりたい放題。
 この作品を読んでの正直な感想です(笑)
 わかりました。どのようなテーマのSSであろうと紫炎さんの手にかかると「戦闘」
と「叫喚」が存在することが……(笑)


 こっから先は本家分。

 そして誰もいなくなった くまさん
 ドラえも○の「独裁者スイッチ」とかいう(もしかしたら名前違うかも)秘密道具を
思い出しました。全然関係ないですけど(笑)

 八塚崇乃さん。
 感想ありがとうございました。
 川口浩探検隊は私自身もほとんど覚えてません。だから……ビデオ化してくんないか
なあ。(しつこい! ……とは我ながら思うがもう一回見たいんだぁ!)

 では、この辺で。