鬼狼伝(12) 投稿者:vlad
 藤田浩之。
 そう名乗った男は、鋭い……やや鋭すぎる眼光を耕一に向けていた。
「柏木耕一さんですか」
 丁寧な物腰で尋ねたところを見ると、さっきの佐原よりは礼儀正しいようだが、全身
から触れれば切れるような鋭利な雰囲気を発している。
「なんだい?」
「おれと立ち合って下さい」
 真っ直ぐに耕一を見ていた。
「道場破りか?」
「いえ……あなたと立ち合いたいんです」
「駄目だといったら?」
「打ち込みます」
 視線は、やはり真っ直ぐに、浩之は握り拳をゆっくりと突き出した。
「おれが相手をしなかったら?」
「打ち込みます」
 真っ直ぐに耕一を見ていた。
「あなたが無抵抗だろうが、後ろからだろうが、打ち込みます」
「否応無し……と、いうわけか……」
「すんません」
 浩之は深々と頭を下げた。
 耕一の右足の踵が僅かに浮く。
 素早く、浩之の両腕が上がった。
「ほう……」
 耕一が小さく呟く。
 頭を下げたところを、顔を蹴り上げてやろうと思っていたのだ。先程の佐原のように
攻撃を寸前で止めて脅かすとともに、
「後ろからでも打ち込むとかいっている奴が、敵の前で頭を下げるなんていかんなあ」
 などと説教を喰らわして追い返そうと企んでいたのだ。
 こいつ、察したか。
 今の位置からは耕一の足下は辛うじて見えるかどうかであろう。耕一の踵が浮いたの
に気付いたということは、無防備に頭を下げたようでいて、しっかりと警戒していたと
いうことである。
「なんだ……」
 頭を上げた浩之は嬉しそうにいった。
「耕一さんも、やる気あるんじゃないスか」
 にっこりと笑った。
 嬉しそうに、真っ直ぐ耕一を見ながら……。
「いいだろう」
 耕一は身を翻した。
「入れよ」
 道場の中央で手招きする耕一に改めて一礼して、浩之は靴を脱いだ。
「着替えていいですか?」
 浩之は右手にスポーツバッグを下げている。
「ああ」
 浩之は、道場の隅でバッグを開け、下半身に道着のズボン、上半身に黒いTシャツを
着た。
「緒方英二さんですか? ……ミュージシャンの……」
 着替え終わった浩之は、すぐ側に座っていた英二に向かっていった。
「ああ」
「なんで、ここに?」
 心底、不思議そうだ。当然ではある。
「見学にね」
「はあ……」
 浩之は納得しかねるようであったが、
「こっちはいつでもいいぞ」
 と、道場中央で耕一がいったので、英二に背を向けた。
「藤田くんといったね」
 その背中に、英二が声をかけた。浩之は振り返り、何もいわずに頷いた。
「君はまるで抜き身の刀だな」
「おれの理想ですね」
 そういって、再び前を向いた。
「目潰しと金的」
 耕一は親指と人差し指を折った。
「この二つは、一歩間違えたらやばい……無しにしよう」
「おれはそれでいいっスよ」
「うん」
 耕一は頷き、やや腰を落とした。
「もう、始まってるんですね」
「ああ」
 耕一は、いったきり動かない。
 誘っているのか……。
 浩之は前に出た。
 近付いた。
 完全に間合いに入った。
 それほど手足のリーチが大きく違わない以上、耕一にとっても、相手が射程距離内に
入ったことを意味する。
 しかし、動かない。
 浩之は左の前蹴りを放った。
 耕一は後ろに下がってかわす。
 蹴った左足でそのまま踏み込んで、浩之は左右の正拳をワンツーで打った。
 耕一の体が、風に飛ばされた綿のように軽やかに下がった。
 右の回し蹴り。
 下がる。
 右の正拳から左のローキック。
 下がる。
「このっ!」
 浩之の中で何かが弾けた。
 舐めてんのか、この野郎はっ!
 さっきから、耕一からはほとんど闘気らしいものが感じられないのである。
 闘っている最中に、これほど気が静まっている奴は初めてだ。
 耕一の背中が、道場の壁に接触するほどに接近した。
 追い詰めた!
 浩之の右腕が唸った。
 耕一が、今までと一転して横に飛ぶ。
 浩之の右拳は昭和三十一年に建てられた道場の壁に穴を作った。
「あ、やってくれたな……寒い時期だってのに」
 と、いった耕一の顔に冷たい風が吹き付ける。
「耕一さん……」
 浩之は突っ立っていた。
 構えも取らず。
 穴から吹き付ける寒風を浴びながら。
「真面目にやってくれませんか?」
 怖い顔でいった。
「え?……」
「真面目にやって下さいよ」
 また、怖い顔でいった。
 いや、悲しい顔かもしれなかった。
 怒りと悲しさが、見事に浩之の表情で同居していた。涙を流さぬ泣き顔というものを
耕一は初めて見た。
「決して、不真面目にやってるつもりはないぞ」
 耕一はいった。本音であった。
「今、反撃しなかったのは、お前の攻撃に隙が無かったからだ」
 これも、本当であった。
 耕一は、浩之に先制させて隙が出来た瞬間に反撃に転じようとしていたのだが、浩之
の攻撃は一つ一つが素早く強く、その間に隙も無駄な間隙もなく、正直いってかなり驚
いていたところである。
「そんなことじゃねえっ!」
 叩き付けるように、浩之はいった。
 まだ、あの顔をしていた。
「闘気が……死に物狂いに闘おうって時に出る気っていうか……雰囲気っていうか……
そういうのが全然ねえじゃねえかっ」
「……」
「こんなんじゃねえだろ、あんた!」
 耕一は、沈黙していた。
 目の前で、さっきまで、闘気をその身を焦がすほどに放っていた男が、なんともいえ
ない顔で、怒鳴り散らしていた。
「むき出しの闘気は忌むべし」
 耕一が、ぽつりといった。
 一瞬、浩之の表情に困惑が浮き上がる。
「伍津流の心得の一つだよ」
「へえ……」
「だから、それは勘弁してくれ」
「そういうことならしょうがねえけど……」
 浩之は、そういって苦笑しながら続けた。
「伍津流ってのはおれには合ってねえみたいだなあ」
 浩之の周囲の気配が変じた。
 むき出しの闘気。
「行くぜ」
 いわれないでもわかる。
 こいつは来る。
「来い」
 浩之の足が跳ねた。
 右の中段蹴りを耕一は左腕でガードした。
 ビリッ。と痺れた。
 次の瞬間、浩之の左拳が疾走してくる。
 それを右腕を跳ね上げて弾くとともに左足を踏み出し、左拳を打ち出す。
 腹部に衝突した。
「くあっ!」
 浩之が苦しげに呻く。
 耕一もまた、顔を渋面にしていた。
 ずらされた。
 水月を狙ったのに浩之が体をずらしたために外れた。
 それに、思ったよりも腹筋を鍛えているようだ。
「!!……」
 声無き気合が、浩之の口から放たれる。
 ややフック気味の右が、空を切り裂いてやってきた。
 耕一の上半身が後方に下がる。
 スウェーバック。
 フックやアッパーなどの弧を描くようなパンチをかわすのに適したかわし方である。
 フックがかわされるのを見越していたように、即座に浩之は右のローキックで追撃し
た。
 スウェーバックの直後にこれが来ると、非常にかわしにくい。上半身だけを動かすた
めに下半身は踏ん張った状態になっているからだ。
 耕一の左足が浮く。
 上半身は既に立て直している。
 さすがに立て直しも早い。
 浩之は驚嘆しつつも、己の右足に全力を乗せた。
 浩之のローキックを、耕一は左足のスネで防いだ。
「おおっ!」
 しかし、その威力は尋常ではなかった。
 耕一の右膝が僅かにだが曲がる。
 崩れた!
 左足を浮かせていて、右足が曲がってしまっている。
 浩之は右拳を放とうとして、刹那、寒気を感じた。
 耕一の右手が凄まじい速さで突き進んできた。
 指が、ぴしっ、と伸びている。
 足の状態が悪いので踏み込めないため、手による攻撃の射程距離が著しく短くなって
いる。それを補うための貫手である。
 これほどの実力者でしっかりと武道を習っている男だから、砂を突いたりして貫手は
鍛え上げてあるだろう。
 これを喰ったらやられる。
 その一撃には耐えうるかもしれないが、正面から首にでも当てられてしまっては呼吸
困難などの「副作用」が生じ、それが敗北の呼び水になるに違いなかった。
 浩之は上半身を捻りながら後方に下がった。
 耕一の貫手が迫る。
 耕一の右手が伸びきった。
 生き残った。
 目の前で停止した貫手を凝視する浩之の額が冷たい汗で湿っていた。
 浩之の左手が唸りを上げて走り、宙を掴んだ。
「ちいっ!」
 浩之は激しく舌打ちした。
 手首を取って投げを打つか、間接を決めてしまおうとしたのだが、さすがに戻しも速
い。
 双方、バランスが崩れている。
 ある程度の距離ができたこの時に、二人とも体勢を立て直した。
「ぬあああああっ!」
 浩之が迸る気合とともに前進する。
 一息ついて、などという悠長な男ではなかった。
「おう!」
 叫びながら、耕一はなんだか嬉しくなってきた。
 浩之の攻撃は連続して放たれてくる。
 強く、速く、間隙なくやってくるその攻撃を防御するだけでけっこう大変だ。
 パワーとスピードのバランスが非常にいい。
 その上に、鬼気ともいえるような闘気を周辺の温度が変わるぐらいに発していて、耕
一だからよいものの、あまり喧嘩をしたこともないような人間だったら、その迫力だけ
で気圧されてしまうだろう。
 抜き身の刀。
 とは、英二の言葉であるが、なかなかこの男の本質の一面を捉えた言葉であるといえ
る。
「っらあ!」
 抜き身の刀。
 触れれば切れる。
 だが、耕一から見て、浩之に欠点があるとすればそこだ。
 ある一線を越えると、自分の闘気をコントロールできず無理押しをしてしまうような
ところがある。
 浩之の両手両足から繰り出される攻撃をもう三十発は受け、さばき、かわしている。
 いくらなんでも、疲れが出てくるに違いない。
 浩之の右足が浮いた。
 右の中段回し蹴りを放ってくるようだ。
 最前までは、それを察した途端にそれを防御すべく左足か左腕を動かしていた耕一で
あるが、今回のそれの動きが遅いのを瞬間的に見抜いた。
 今までに無い積極さで前に出た。
 浩之の回し蹴りが放たれようとした一瞬前。
「せいっっっ!」
 耕一の右拳が迅雷の速度で駆ける。
 浩之が両手で顔面をガードしているので胸部を狙った。
 浩之の体が飛び、耕一から五メートルほど離れたところに落ちた。
「刀なんてものは……」
 耕一はその位置を動かずに、上半身を起こした浩之を見ながら……しかし、誰に向か
っていうともなく呟いた。
「使わない時は鞘にしまっておくもんだ」
 浩之の顔色が変わっていた。

                                    続く

     どうもvladです。
     臆面もなく12回も続けてしまいました。
     よくよく考えてみれば、これまでの11回って今回の前振りみたい
     なものなんですよねえ。(笑)
     よって、一回で終わらすのは勿体ないんで浩之VS耕一はもう一回
     引っ張ります。(笑)

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 それでは、感想並びにレス。

 開発 R/Dさん
 オチ(女王様と聞いていきなり態度を変える人々)が非常によかったです。
 SCR3作品、待ってます。
 
  マルチのお掃除がんばるぞ! takatakaさん
 いきなり覚醒して地球の浄化(笑)に乗り出すマルチが可愛いです(笑)
 感想ありがとうございました。

 『Good−by Only You』 久々野 彰さん
 ええっと、久々野さんに謝らなければなりません。
 すみません。ずっとギャグなんだと思っていました。
 読んでる間も、どこでオチるんだ? とか、そんなことばかり考えてました。
 そんなことばっかり考えていたせいでまともな感想が浮かんできません(笑)
 弥生シナリオ未プレイというのも原因かもしれませんが……。

 こっから先は本家。

 君の名は くまさん
 あ、いたいた。ゴンベエ(笑)
 感想ありがとうございました。

 隆山事件簿 〜志保来訪(1)〜 いちさん
 未完結の作品なので感想はまだ控えます。
 同設定の前作が好きだったんで、今回も楽しみにしています。

 久々野彰さん。
 感想ありがとうございました。
 私は未見なんですが「大蛇の腹から人間が!……」とか「フグ対ピラニア……」とか、
聞いただけでわくわくするような回があるらしくって……ビデオ化してくれないかなあ。

 では、本日はこの辺で……。