関東藤田組 先輩 後編 投稿者: vlad
「お前に任務を与える」
 翌朝、出勤してきた長岡志保は社長に呼び出され、指差されながらいわれた。
「は? なによ」
「とある人物の身辺調査をして欲しいんだ。高校の頃の先輩の橋本って人のこと覚えて
るだろ」
「誰それ」
 志保はいった。
 真面目な表情だ。ふざけているのではないらしい。
「橋本先輩だよ、橋本先輩! ほれ、昼休みにおめえと図書室でちちくりあってた奴だ
よ!」
「図書室でちちくり?……あ!」
 志保は何か思い当たったようだ。
「それだったら覚えてるわよお、あたしのお尻を触りやがった人ね!」
 橋本、という個人名は忘れていても触られたことは忘れていないらしい。
「あん時、ヒロがボディーブローかました人よね」
「そうそう、その人」
「あの頃はあんたも温厚だったわねえ、今のあんたならダウンしたとこに追い打ちで本
棚倒してたわよね」
「ん……まあな」
 なんか自分の行動パターンを志保に読まれるのは妙にいやなので浩之は気の無い返事
を返した。
「で、その橋本先輩がどしたの?」
「先輩の身辺調査をして欲しいんだよ」
「何かやったの? 女の子騙して捨てたとか?」
「そうじゃねえ、とにかく、調べて欲しいんだよ」
「ま、いいでしょ、詳しい話を聞こうじゃないの」
 浩之は橋本先輩が志保と関わってからいかにひどい目に遭い続けてきたかを話して聞
かせた。
 笑った。
 志保は笑った。
 結婚詐欺に合って借金を作ってしまったくだりでは腹を抱えて笑った。
「あはははは! あ、あの橋本先輩が結婚詐欺ぃ? 面白すぎるわその話!」
 こいつは……。
「お前なあ……そこまで笑うかあ? 他人の不幸を」
「だ、だって……いかにも加害者って感じじゃない? それが、被害者になったなんて
聞いたら……」
 それからも志保は一頻り笑っていたが、やがていい加減に笑い止んで仕事の確認に入
った。
「そんで……つまり橋本先輩の身辺を探ればいいのね」
「おう、話を聞いたんだけどよ、どうもいまいちわかんねえんだよな、ぶん殴ってでも
吐かせようとしたら雅史と矢島が止めやがるしよ」
「はいはい、またあんたのおせっかいってわけね」
「……」
 憮然と沈黙した浩之を笑った後、志保は意気揚々と出発しようとした。なんだかんだ
いったところで志保は情報を収集すること自体が好きだったりする。
「あ、お前、橋本先輩には見つかるなよ、先輩、お前のことを疫病神だと思ってるから
な」
「なによ、それぇ……」
「しょうがねえだろ、ホントのことなんだから」
「ま、いいわ。男を惑わす魔性の女だからしょうがないわ」
 誰のことをいってんだ? と、ツッコミたいのはやまやまであったが、せっかく志保
が一人で納得して機嫌を直しているんだからこれを損ねるのは得策ではない。
「おう、そんじゃ頼むぞ、魔性の女!」
「まかせなさい!」
 部分的に単純な女だ。

 結局のところ、職場にいる女性が先輩曰く、
「とても優しくて暖かい……素晴らしい女性」
 と、いうような人であり、人生に半ば絶望し、女性不信に陥りかけていた橋本を精神
的に救ってくれた人物だという。
 当然、惚れた。
 矢島曰く、
「けっこういい雰囲気になってたらしい」
 しかし、運命に見離された男(橋本談)であるから、当然のごとく、その恋路には大
きな障害物が出現した。
 なんとかそこまで聞き出したのだが、その障害物とやらの具体的な内容を聞き出すこ
とができなかった。
 強引に聞こうとすると、先程、志保にいったように雅史と矢島が止めるのである。
 それを志保に調べてもらおうというわけである。
 考えようによっては、凄まじいほどの「余計なお世話」であり、やはり、浩之の欠点
といっていいかもしれない。
 しかし、それを指摘する人間がこの男の周りにはほとんどいない。
 妻のあかりは浩之のそういうところをむしろ美点であると思っていたし、志保も美点
とまではいわないまでも苦笑で済ませられる程度の欠点であると思っている。
 雅史はあかりの認識とほぼ大差なく。人のお世話が大好きだというマルチは浩之を尊
敬しているほどである。
 葵もレミィも、素直にそれが浩之のいいところだと思っている。
 琴音はあまり人の心に立ち入ってくるような行為は好きではないのだが、浩之だけは
特別視している傾向がある。その浩之の性格故に今の自分があり、琴音はその今の自分
と今の境遇が気に入っていた。
 智子にも、琴音と似たような感情がある。
「ま、ええんとちゃうか? そこが藤田くんのええとこやと思うし……」
 などといいつつ、
「私らがしっかり見張っとけばええんや」
 と、いっている。
 志保を送り出して社長席でふんぞり返って蜜柑を食べ始めた浩之を見ながら、智子が
何もいわないのは、現時点では止める必要なし、と思っているからであろう。
 それから浩之が堂々とソファーで昼寝していると志保から電話がかかってきた。
 志保が出て行ってから三時間ほど経っている。何か掴んだのだろうか。
「調べたけどさあ」
 なんか不機嫌そうだ。
「なんだ? どうした?」
「なぁんか拍子抜けっていうかさあ」
「拍子抜け?」
「詳しいことは帰って話すわ、あんた、まだいる?」
 時刻は午後四時を回っている。出社時刻も退社時刻も特に定まっていないようなアバ
ウトな会社である。浩之は特に何も無い時はその日の気分でこのぐらいの時間には帰っ
てしまうことが多い。
「おう、そんじゃ、待ってる」
「うん、じゃ、今から帰るわ」
 ほぼ一時間後、志保が帰ってきた。
 やはり不機嫌そうな感じだ。
「御苦労……ところで、さっき拍子抜けっていってたけど……」
「それよ、それ!」
 志保の掌が浩之の眼前で縦に走って机上を叩く。
「どうしたんだ?」
「あたしはね、恋路の障害なんていうからね、もう、すごいことを期待してたのよ!」
「はあ……」
「その女の人が余命幾ばくもないとか、親が決めた婚約者がいるとか、そういうことを
期待してたわけよ!」
 期待すんな、そんなこと。
「なんだったんだ?」
「ただその人を好きな男が他にいるってだけよ!」
「え?」
「全く、期待させといてこんなありがちなオチじゃ納得できないわよ! 金返しなさい
よ!」
 誰がお前に金を払わせた。
「もっとこう、ドロドロしたすんごい情念が渦巻いた愛憎劇かと思ったら、なんてこた
ないわよ」
「ああ、そうか」
「人の一人や二人死ぬような話かと思ってたのにぃ!」
 いいたいことはたくさんあったが、浩之は賢明にも黙っていた。
「ま、詳しい話を聞こうじゃねえか」
 志保はようやく怒り(無茶苦茶理不尽だが)が収まったのか、持っていたバッグから
写真を二枚取り出した。
「これがその人よ」
 隠し撮りらしいその写真には、女性が一人写っていた。けっこう美人だ。
「こっちが……橋本先輩のライバルね」
 同じく隠し撮りらしい写真に、男が写っている。中肉中背のごく普通の男に思える。
「こいつも、先輩と、この女の人と同じ職場で働いてんのか?」
「違うわ、たまたま来ていたんで写真を撮っておいたのよ」
「来ていたって……」
「先輩の同僚の人に話聞いたわ」
 そこら辺は抜かりが無い。
「けっこう頻繁に来てるみたいね、彼女も、会社もだいぶ迷惑してるみたいよ」
「ふうん、二人の関係は?」
「大学の同級生だって、その頃からつきまとわれてるみたい、もうストーカー入っちゃ
ってるらしいわよ」
「なんか話聞いてると……もしかしてそいつ、嫌われてんのか?」
「うん」
 志保は断言した。
 浩之は、橋本があまりにも絶望的な様子だったので、てっきりその女性がそいつにな
びいているのかと思ったのだが。
 写真を改めて見てみる。
「……容姿も、先輩の方が勝ってると思うけどなあ……」
 少なくとも、いきなり敗北感を感じるようなものでもないはずだ。
「おし、先輩に会ってくる」
 こうなるともはや止まらない。
「……ま、ええやろ」
 智子の呟きは、浩之には聞こえていなかった。

 土曜日の夜に、浩之と雅史は橋本宅を強襲した。
 一応、前日にアポイントは取ってある。
 やはり、橋本は浩之をかなり恐れているらしく、嫌々ながらも浩之の来訪を断ったり
はしなかった。
「わりぃけど、調べさせてもらいましたよ」
 浩之が写真を見せる。
「ど、どういうつもりだ? お前ら」
「こいつより先輩の方がカッコイイと思うけどなあ」
「なにが……いいたい」
 そういいながらも、橋本には浩之のいわんとすることがわかっているのだろう。
「わかってんでしょ、先輩」
「お前のいいたいことはわかった……けど、おれがそれに従う義務はない」
「義務とか権利とかの話してんじゃねえんだけどなあ」
 浩之は独語した。もちろん、橋本に聞かせるための独語だが。
「先輩、当たって砕けろって気持ちで行ってみたらどうです?」
「当たって砕けたらどうするんだ……?」
「砕けたらいいんですよ、時間が経てばその内に引っ付きますって」
 橋本は、浩之の目を見ないまま、沈黙していた。
「先輩、このままじゃ……」
「うるさい!」
 橋本が叫んだ。
 初めて、橋本が浩之にむき出しの感情をぶつけた。
「お前に何がわかるんだ!」
「……」
「お前におれの何がわかるんだ!」
 襟首を掴まれた。
「わかりゃしねえよ」
 浩之は自分の襟を掴んだ手を取った。
「おれはあんたじゃねえからな」
 わかっているわけじゃない。ただ、思っているだけだ。
「おれにいわせればね、先輩、あんたこのまんまだとホントに駄目になっちまうぜ」
 浩之は遠慮なくいった。さすがに雅史が心配そうに橋本の顔色をうかがう。
「そんなこと、お前にいわれる筋合いはない……お前におれを否定される覚えはない…
…」
「いや、おれは今の先輩を否定するぜ」
 やはり、遠慮せずに浩之はいった。
 表情は真剣そのものだ。この真剣さだけは相手に伝わっているはずと、浩之は信じて
いる。
 だから、表情は真剣そのものだ。
「おれに否定されるのがいやだったら、そっちがおれを否定したらいいんだ」
「……」
「おれのいったことも、何もかも、否定しちまえばいいんだ」
 いつになく、浩之は饒舌になっていた。
 お前を否定する。
 とは、橋本はいわなかった。
 ただ、浩之から視線を逸らして、床を見ていた。
「否定しないのか? 先輩」
「否定……できない」
 しないのではなく、できない。
 浩之がいったことを、橋本が自分でも思っていることの証であった。
「力なら貸しますよ」
「いや、いい……自分でやるから……」
 橋本は、初めて浩之の目を見た。

「浩之……あんまりいい趣味とはいえないね……」
 雅史の言葉に、浩之は答えた。
「なにいってんだおめえ、最後まで責任取って見守ろうっていう気持ちがわかんねえの
か」
 日曜の正午。
 浩之と雅史はある公園の茂みの中に潜んでいた。
「でも……デートを覗くなんてやっぱり……」
「雅史ぃ……おれは何も面白半分でこんなことしてんじゃねえぞ」
 どう見ても、面白四分ぐらいはありそうだ。
 昨夜、あれから橋本は例の女性に電話をかけて見事にデートの約束を取り付けたので
ある。
「お、来たな、おうおう、また決めてやがんな」
 そういった浩之の視線の先に、スーツを着こなした橋本がいた。
「相手の女性は来ていないみたいだね」
「おう……その前に男が来やがった」
 浩之の表情が引き締まっていた。
「え?」
 と、問い掛ける雅史に浩之が一枚の写真を渡す。
「あ……」
 雅史も気付いた。
 橋本に近付いていく三人の男の一人が、その写真の男だということに。
「でも、どうして?」
「ストーカーじみた奴だっていうからなぁ……電話を盗聴ぐらいはしてるかもしれねえ
ぞ」
 素人でも簡単に電話を盗聴できる機械が出回っていると聞いたことがある。
 浩之の顔に苦いものが走った。一対一だったらどうということは無いのだろうが、三
人では橋本の方が分が悪い。
「浩之……助けに行かないの」
 かといって、いきなり助けに行くのも男として橋本を馬鹿にしているような気も、浩
之にはした。
「いや……ちょっと様子を見てみよう」
 と、いった次の瞬間には橋本は殴られていた。
「あーあ、先制喰らっちまいやがんの」
「浩之……」
「もうちょっと待て」
 浩之が雅史を制する。橋本は蹴られている。
「うーむ、そろそろ……」
 浩之が呟いた時、故意かまぐれかはいまいち判断しかねるが、橋本の拳が凄まじい勢
いで写真の男の顎を叩いた。
「おっ! なかなか根性見せるじゃねえか」
 男はひっくり返って動く気配が無い。
 しかし、橋本は残りの二人に連打を喰らっていた。
 腹を殴られてうずくまる。
「相変わらずボディの弱い人だなあ……」
「浩之、そろそろ行った方が……」
「おし、死なない内に助けに行くか」
 浩之と雅史は茂みから飛び出した。
「おら! その人はおれの先輩だ。誰に断って手ぇ上げてんだ! てめえらぁ!」

 公園で喧嘩だ。
 その声はすぐに広がり、矢島巡査の耳にも入った。
「む、どこだ!」
 あっちだ。という声に従って走っていくと、なるほど、喧嘩である。
 なんか見覚えのある人間が倒れた男を蹴りまくっている。
「何やってんだ! お前ら!」
 矢島が叫ぶと、視線をこちらを向く。
「おう、矢島か」
「藤田に佐藤に……橋本先輩……どういうことだよ?」
「あん? ちょっとした運動だよ」
 浩之は平然といった。
「藤田……」
 橋本が、浩之に何かいおうとした時、
「おっ! 先輩、あれ」
 浩之の視線が指し示す先に、一人の女性がいた。彼女はこちらに歩いてくるところだ
った。
「そんじゃ、上手くやって下さいよ」
 浩之はそういいながら、倒れている男の両足を掴んで脇の下に足首を挟むようにした。
「ポリが来る前にずらかるぞ、矢島、そいつ運べよ」
 雅史が一人の男を浩之と同様にしている。矢島は自分の立場などを鑑みて疑問を感じ
ないこともなかったのだが、慌てて、それに従った。
「じゃ、先輩、失礼!」
「あ、ああ」
 浩之は走り出した。後ろの方でごつんごつん音が鳴っているがあまり気にしないこと
にした。

                                     終

     どうもvladです。
     どうせもう書いてねえだろう、と思っていた人もいるかもしれませ
     んが、実はコソコソと書いてました。
     約二ヶ月ぶりの関東藤田組です。
     この作品、私自身、けっこう愛着のある作品なんでズルズルと自然
     消滅のような形にはしないつもりです。終わらす時は終わらすと明
     記します。それが無い内は、まだ何か考えているのだと思って下さ
     い。

 それではまた……。

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 ちょっとだけ感想。随分昔の奴になってしまいましたが……。

 隆山事件簿 〜志保来訪〜 いちさん
 あとがきで御自身でいっておられますが、葵の影が薄いですね。柳川がカッコイイだ
けにそれが引き立ってます(笑)
 なんか次回がありそうな終わり方ですね。書くんですか? 続編。

 久々野 彰さん
 感想ありがとうございました。
 東京シャドウですか……なんですか? それ(笑) 小説か何かなのでしょうか?
 クリスマスに「初ない」……見るの忘れたんですよ、大晦日にも元旦にも見るの忘れ
たんですよ! 何やってんだろ……全く。

 それでは……。