関東藤田組 先輩 前編 投稿者: vlad
 あかりが実家に帰った。
 と、いっても破局したわけではない。両親がたまには帰って来いというので泊まり込
みに行ったのである。家は隣同士だから問題は全く無い。
「あははは! おめえも結構いけるじゃねえか、雅史」
 浩之は、今晩はそれをいいことに雅史と飲み歩いていた。
「うん……でも、ちょっと飲み過ぎちゃったかな……」
「いやいや、あん時に比べりゃ随分と強くなったよ」
「子供の頃の話じゃないか……」
 浩之がいう「あん時」とは、浩之たちが子供の頃、あかりの家で開かれたひなまつり
パーティーで雅史が甘酒を飲んで酔っ払ってしまった時のことである。
「……なぁんか帰んの面倒だなあ……おし、このまま会社に泊まっちまおうや」
 すっかり出来上がった浩之の提案に、ほろ酔い気分の雅史が頷いた時、
「あん?」
 横合いから聞こえてきた物音に浩之は耳を立てた。
「なんだなんだ。喧嘩じゃねえか」
 引かれるように横道に入り込んだ浩之に向かって、男が一人、ぶつかってきた。
「おっと!」
 それを咄嗟に受け止めた浩之は、その場にいた三人の男を端から睨み倒した。
「どっかで見た面だな……」
 浩之が呟いた時、
「藤田さんじゃないですか」
 男たちがいうと同時に、一斉に背筋を伸ばした。
「ん? ああ、おめえらか」
 顔見知りの連中だ。以前にやくざと揉めたところを助けてやったことがある。
「最近はおとなしくしてんだろうなあ」
「はい、もちろんっス」
「ところで……喧嘩か? 三人でフクロは卑怯だぜ」
 こう見えても、そこら辺の倫理観はしっかりとしている男だ。ただ、一対一だったら
何してもOKだとも思っている。
「違いますよお、そいつが足踏んでも謝らねえから」
「なにぃ……」
 そこで初めて、浩之は自分に腕を取られている酒臭い男を見た。
「なんだこいつ、完全に酔っ払ってんじゃねえか」
「……」
 ブツブツと、何やら呟いてはいるようだが、小さく、かすれ気味でもあるためにほと
んど何をいっているのかわからない。
「おめえらも、こんな酔っ払いをいじめてるんじゃねえよ」
「わかりましたぁ!」
 こいつら、浩之にはひたすら従順である。
「それでは、失礼いたします!」
「おう」
 三人の男たちは去っていったが、さて、酔っ払いが残ってしまった。道端に捨ててい
こうかとも思ったが寒いこの時期、凍死しないとも限らない。
「畜生! しょうがねえなあ、そばの交番に連れてこう」
 最寄りの交番には高校の同級生だった矢島という男が巡査として勤務しているので、
矢島にこの酔っ払いのことは任せてしまおう、と浩之は思った。
「矢島ぁ!」
 ドスのきいた声で交番に入っていけば、治安の悪化した昨今のこと、いきなりニュー
ナンブの銃口と対面するのは当然であった。
「おれだ」
 浩之は人差し指を銃口に突っ込みながらいった。
「なんだ。藤田か」
 矢島はせっかく訪ねてきた同窓生に向かっていやな顔をした。かたや藤田商事の社長、
かたや警察官となって再会してから、浩之は幾度となく厄介事を持ってきた。
 今回もその例外ではないだろう、と、浩之が肩を貸している男を見て矢島は確信した。
「酔っ払いだ。預かってくれや」
「ああ」
 まあ、これまで浩之が押し付けにきたものの中では、一番手のかからなそうなもので
はある。
「あれ?」
 浩之に押し付けられた酔っ払いを抱きかかえていた矢島が首を傾げつつ酔っ払いの顔
を覗き込んだ。
「どうした? 知ってる奴か?」
「知ってるもなにも……同じ高校だった橋本先輩だよ、お前も名前ぐらいは聞いたこと
あるだろ」
「なにぃ?」
 浩之は酔っ払いの後ろ襟首を掴んで顔を自分の方に向かせた。
「うーーーむ」
 そういえば、どこかで見た覚えがある。橋本先輩といえば、ほとんど接したことはな
いが、その接し方がなかなかインパクトのあるものだったのでよく覚えている。
 なんでもハンサムでスポーツマンでバンドでキーボードやってて、女子に人気がある、
ということは知っていた。
 初めに、意識して彼を見たのは学校の帰りだった。
 志保が「橋本先輩と付き合うことになった」とか話していた時に丁度通りかかったの
だ。
 そして、その次に会ったのは図書室で寝ていた時だ。志保とちちくりあっていたので
初めは「おうおう、学校でやるかあ!?」というような感じだったのだが志保がいやが
っているようなので止めに入ったら膝蹴りを貰ってしまった。
「いいところだったによぉ」
 と、橋本は憤慨しているようだった。
 気持ちは物凄くわかるが相手がいやがっているのはまずいだろう、と思った。と、い
うよりも自分に膝蹴りをくれたことに激怒した浩之はボディーブローを叩き込んで沈め
て差し上げた。
 今の自分だったらダウンしたところへ足に本棚を倒して下半身をぶっ潰して上げただ
ろう。
 二年前の自分だったらさらにハードカバーの本を縦にしてそいつで顔面を殴りまくっ
ていただろう。
 高校生の頃は温厚だった。
 そして、最近、また丸くなってきたようだ。
 三度目の出会いは数日後の朝である。
 校門のところで見かけた。温厚だったので上級生をぶん殴ってしまったことを気まず
く思っていたためにきっちりと詫びを入れようとしたら、おはようございます、などと
丁寧な挨拶をされてしまった。
「この腐れガキ、この間はようやってくれたのう」
 てな感じで来られたら来られたでぶん殴っていただろうが、あのように下手に出ない
でもよかったのになあ、と思っていた。
 それから、特に顔を合わせたことはない。もしかしたら向こうが避けていたのかもし
れない。
 いつのまにか、橋本は眠っているようだった。
「おい、先輩、起きろって」
 浩之がその肩を揺すった。
「寝かせておいてやろう」
 矢島はそういって橋本を椅子に座らせた。
「もうちょいで交代時間だから、そうしたらおれが家に連れてくよ」
「なんだ。おめえ、先輩の家知ってんのか?」
「ああ、ちょっとな」
 結局、矢島の勤務時間が終わるまで浩之と雅史は交番でダベっていた。もしかしたら、
勤務終了直前に何か事件が起こって矢島が帰れないこともありえるからだ。その時は、
矢島に教えてもらって浩之と雅史が橋本を家に運ぼうと思っていた。
 しかし、幸い、何も起きずに矢島は無事に交代の警官への引き継ぎを果たした。
 三人は橋本を代わる代わる背負いながらここからそう遠くないという彼のアパートへ
と向かった。
 矢島は一年程前に橋本と再会したらしい。
「なんかさ、借金取りに追われてるとこを助けたんだよ」
「借金取りぃ?」
「いや……その……どうも結婚詐欺にあったらしくてな」
「結婚詐欺ぃ?」
 なんか、校内一のプレイボーイだった男にとことん似合わぬ言葉である。
 矢島は、時々バスケ部に顔を出していた橋本のことをよく知っていたから相談に乗っ
てなんとかその問題を解決してやり、借金もつい先日返済を終えたらしい。
「じゃあなにか? そのお祝いに飲み過ぎたのかな?」
「さあ、それはわからんけど」
 やがてアパートに到着し、橋本を無理矢理叩き起こして鍵を開けさせ、中に入った。
「いや、すまなかったな、矢島」
 台所で水を飲みながら橋本はいった。
「いえいえ、先輩をおれの交番まで連れてきたのはこいつらですよ」
「ども、藤田です」
「佐藤といいます」
「こいつら、おれの高校の同級生なんですよ」
「てことは、おれの後輩かあ」
 橋本は完全に立ち直った。とはいいがたいものの、だいぶ表情がさっぱりとしてきて
いた。
「いや、あん時はどうも」
 と、浩之が頭を下げたのに橋本は首を傾げた。
「え? 会ったことあったっけ?」
「ええっと、その……図書室で志保とその……」
「志保……長岡志保のことか!」
「そうっス」
「お前! まさか!」
「あん時はすいませんでした」
「お前か! お前かぁぁぁぁっ!」
 橋本は叫びながら出来うる限り浩之との間に距離を取って壁にべったりと貼り付いた。
「ど、どうしたんですか、先輩!」
 矢島がオロオロと浩之と橋本の顔の間に忙しく視線を行き来させる。
「どういうことだ。藤田」
「いや実はな……」
 浩之は、矢島にあの時のことを話して聞かせた。
「あ、先輩の話に出てきたおっかない下級生ってお前だったのか!」
 その先輩の話とやらがどういうものだったかは大体想像がつく。
「先輩……話していいですか?」
 矢島が尋ねると、橋本は観念したようにこくりと頷いた。
「なんだよ?」
「先輩なあ、その件からどうもろくなことが無いらしくてなあ」
「はあ?」
「つまりな、その後、どうも長岡さんが……触れ回ったらしいんだな」
「志保ならあり得る……というか、奴なら絶対そうするだろうな」
「女の子を無理矢理襲ったっていう噂が立って女の子たちに総スカン喰らっちゃったら
しいんだよ」
「ふむふむ」
「そんで、先輩、なんかその後ろくなことが無かったらしくて……」
「あいつだ……あの長岡という女と関わってから……おれのツキは無くなってしまった
のさ……高校を卒業してからも女絡みでひどい目に合ってばかりだし、月に三回美人局
に合ったし……」
 部屋の隅っこで項垂れていた橋本がブツブツと呟いた。
「そうだそうだ。志保の奴がツキを無くしちまったんだよ、おれもあいつと知り合って
からろくなことがねえ」
 浩之が深く頷く。
「でもお前……神岸さんとゴールインしたじゃないか……」
 じぃーっと矢島が浩之を睨む。
「それはそれっ!」 
 この野郎、まだ未練がありやがるな。と思いつつ浩之はいった。
「へっへっへ、どうせおれは駄目人間さ、笑えよ……石を投げろよ……おれはもう運命
に逆らうのは止めたんだ」
「いや、そんな簡単に人生諦めることないっスよ」
 浩之は力強く励ましたのだがあまり効果が無い。
「でもおかしいな……」
 矢島が顎に手をやりつついった。
「何が?」
「先輩……こないだ会った時、無茶苦茶元気だったのになあ」
「どういうこった?」
「なんか……今の職場にとても素晴らしい女性がいて、その人ととてもいい雰囲気だ。
とかいって嬉しそうにしてたけどなあ……その人のおかげで女性不信がなおりそうだと
もいってたし……ねえ、先輩」
 矢島が橋本を見ると、橋本は半開きの押入の中に上半身を突っ込んでいた。
「へっ、それも所詮は運命の意地悪だったのさ……」
 どうやら、立て続けに起こる不幸にすっかり運命論者になってしまったらしい橋本は
押入の中であえぐようにいった。
「まさか、その人が先輩を裏切ったとか、そういうことですか?」
「いや……彼女は素晴らしい女性だ」
「だったら……」
「へっへっへっ、そんな素晴らしい女性がおれみたいな奴の方を振り向いてくれるわけ
がないんだ。……そんなこと初めからわかっていたじゃないか」
「なんか、あったんスか?」
 浩之は押入の側に行って問い掛けた。
「おれたちに話してみて下さいよ」
 矢島がいった。
「うん、もしかしたら何か力になれるかもしれませんよ」
 今まで沈黙していた雅史も優しくいった。
「ふ、ふふ、いいのさ、おれのことなんかほっとけよ」
「まあ、そういわずに」
 浩之は押入の中に手を入れて、橋本の肩にそれを置いた。
「一人で塞ぎ込んでもいいことありませんって」
「いいんだ。ほっといてくれ!」
 橋本は叩き付けるような叫び声を上げた。
 溜め息をついて雅史と矢島が顔を見合わせる。
 浩之は、肩に置いていた手で橋本の後ろ襟首を掴んだ。
 この男には幾つかの美点と欠点があるが、それの一つである「おせっかい」が発動し
てしまったのだ。
 一度力になってやろうと決意すると当の相手がいやがっても無理矢理首を突っ込んで
いく性格は、よい結果を生むことはあるが、悪い結果を生むこともある。
 そういう時に浩之は悪い結果を生む可能性を考えずにとにかく動いてしまう。
 美点であるとも、欠点であるとも、どちらか一方に断定はしにくいところである。
「てめえ、話聞いてやるっていってんだから話せや!」
 叫ぶや否や、浩之は橋本を押入から引きずり出した。相手が男である場合は思いっき
りやり方が荒っぽくなるのは完全に欠点といえるだろう。
「やっちゃいますよ〜〜〜、威力重視で」
 浩之が拳を橋本の腹に押し付けてグリグリ押し込んでいる。
「わ、わかった。話すから、話すから止めてくれ!」
 橋本が悲鳴を上げるのと、雅史と矢島が浩之を取り押さえたのとはほぼ同時であった。

                                                       続く