鬼狼伝(2) 投稿者:vlad
 浩之は体勢を低くしていた。
 その目には隙が無い。
「頼む」
 真摯な声であった。
「やだ」
 返した方もまた真剣。
「いいじゃねえか、かませ犬」
「かませ犬って呼ぶな!」
「ちょっと様子見てきてくれるだけでいいんだよ」
「なんで自分で行かないんだ」
「万が一ってのがあるだろ。壊されたらたまらん、それに今のところは手の内を見せた
くない」
「壊される可能性があるようなとこへ行かそうとするなっ!」
「お前にしか頼めないんだよ」
「どういう意味でだ……」
「どういう意味ってお前、わかってんだろ」
 浩之は親しげにその男の肩を叩く。
 さらに肩に手を回して親愛の情を示そうとすると、男はいやそうに身を引いた。
「なっ、頼むわ、ちょっと行ってさ、ちょっと技かけられてさ、さっさとギブ(ギブア
ップ)して帰ってくりゃいいんだ」
「どんな奴なんだよ、狂った奴じゃないだろうな」
「人間できてる人らしいから大丈夫だよ」
「くそ……てめえ、なんかあったら慰謝料払えよ」
 男は浩之に対して敵意みなぎる視線を向けていたが、結局渋々いいながらも浩之の申
し出を受けた。
「よくいった! ここが場所だ。日曜の午後には絶対いるらしいから」
 浩之はいいつつ、住所が書かれた紙を取り出し、それをいまだにいやそうにしている
男の手に強引に握らせた。
「そんじゃ、頑張ってこいよ、できれば腕の一本ぐらい折ってこい」
「無茶いうな」
 ぶつくさいいながら去っていく男の背に向かって浩之は手を振った。
「ねえ、浩之」
 そういったのは、今まで無言で二人のやり取りを見ていた雅史であった。
「なんだ」
「矢島くんってさ、なんか弱味でもあるの?」
「いや、友情にあつい奴なんだよ、あいつは」
 浩之はそういうと雅史を促した。
「行こうぜ」

「えっと、すいません」
 日曜の午後二時、空は穏やかに晴れていた。
 知人の藤田浩之が行け、というのでやってきたが、そこには誰もいない。
 道場、らしい。
 だが、誰もいない。
 数歩後戻りして入り口の所を見てみる。
 特に何もない。
 大体、こういうところには看板か何かがかかっているものではないのだろうか。
「なんか用かい?」
 背後からの声に、彼は飛び上がったといっていい。
 前にのめって、道場の中に転がり込みそうになるのを、後ろから腕を掴まれてなんと
か止まる。
「あ、どうも」
 後ろから声をかけてきたのは自分よりも少し年上と思える男であった。ジーンズにト
レーナーというラフな格好が、短く刈られた頭髪と精悍な顔立ちに合っている。
「なんか用かい?」
「は、は、はいっ!」
 彼は、背筋を伸ばしていった。
「い、一手御教授願います!」
 ぺこり、と頭を下げる。
 こうするのが作法だ。と、教わったのである。
 男は、複雑そうな苦笑を浮かべていた。
「あ、あの……」
「道場破り、じゃないよな?」
「い、い、い、いえいえいえいえいえ! そんな滅相もない!」
「こういうとこに来てさ、いきなり一手教えろ、ってのは道場破りだと思われても仕方
ないんだぜ……」
 男の口の端に自嘲的な笑みが浮かんだのは、彼が過去に苦い経験を持っているからで
あった。
「ちっくしょう、藤田の奴……」
「んん?」
「あ、いえ、こっちのことです!」
「うん、それで、入門かい? だったらここじゃなくて、ここからだと……」
「あ、あのっ、あなた柏木耕一さんでしょうか」
「ああ、そうだけど」
「ぜ、是非とも! あなたの技を見たいんです!」
「は?」
 耕一は、一瞬、返答に詰まった。
「つまり、俺が目当てなのか?」
「まあ、その……そういうことです」
「偵察かい? ……君、もしかしておれの『兄弟子』さんとこの刺客じゃないだろうな
あ」
「し、刺客だなんて!」
「どっちにしろ、偵察だろ」
「お、お願いします。ちょっとでいいんです。おれとしても、そうしないと色々と不都
合がありまして……」
「うーん」
 と、真面目な顔して悩んだ。
 確かに、藤田のいっていた通り、人間ができている人なのかもしれん、と思った。
「こんな感じかい?」
 耕一の手刀が首のすぐ側で停止している。
「え……いつの間に……」
 呆然としたところへ、耕一は追い打つように、
「今、二発連続で入れたんだけど」
 と、驚愕することをいった。
「え、二発?」
「うん、これの前に、同じ手で水月にパンチを入れたんだけど……気付かなかった?」
 こくこくと頷く。
「これだけじゃわかんないかな」
「いや、もう十分で……」
 いい終える前に、目の前の人物はいなくなっていた。
 左の方で何かが動いたように思った時には、首に何かが接触していた。
「このままこう絞める……プロレスか何かで見たことないか?」
 耕一が真後ろにいるのも驚きだが、その腕が自分の首に巻き付いている。
 首を圧迫されながら、我が身と耕一とを見て、耕一が自分にかけているのが、プロレ
スでいうスリーパーホールドという技であることを思い出した。
 完全に決まれば、すぐに落とされる。
 そして、今、耕一の技は完全に決まっていた。
 もちろん、耕一はほとんど力をこめていない。
 しかし、鬼気とでもいおうか、何やら異様な気が耕一の両腕から感じられる。
 殺される。と、思った。
 この人はやらないだろう。しかし、この人が「その気」になったら自分は十秒とかか
らずに殺される。
「あ、あ、あの、もういいですから」
「ん、こんなもんでいいか?」
 耕一は腕を解いた。
 戒めから解き放たれ、首筋を撫でていると、耕一が、
「もういいかな?」
 と、いった。
「あ、ありがとうございましたっ!」
 それは、耕一に向けた言葉だが、死ななかったことを感謝する言葉でもあった。

 自分を支えているのは二つの掌。
 掌はベッタリと床に付いている。
 少し、浮かせる。
 これで、自分を支えているのは十本の指になった。
 ここまでは、昨日と同じ。
 小指を上げた。
 八本になった。
 両腕を折り曲げ、胸が床とスレスレになるまでに体を下げる。
 行ける。
 これなら百回は行ける。
「藤田ぁぁぁぁっ!」
 うるさい。
「藤田ぁっ! やっぱりここにいやがったな!」
「待ってろ」
 ぐっ、と腕を伸ばす。
 行ける……けど、あんまり待たせるのもなんなので三十回で止めておいた。
「なんだ。矢島」
 浩之は起き上がり、傍らにあった椅子に腰を下ろした。
 ここはサッカー部の部室である。
 日曜日、サッカー部は試合前でも無い限り休みなので部員は誰もいない。
 いや、一人だけ次期部長内定済の佐藤雅史がいる。
 浩之は、サッカー部の練習が無い時は、ここを使っていた。ある程度の広さがあって
ある程度のトレーニング用具も揃っている。
 なにしろ、サッカー部のエース(本人は否定)がいるので既に部室の合い鍵を手に入
れてある。
 三年生はもうあまり部活に来ないとはいえ、部外者の浩之が中に入るのを好んではい
なかったが、雅史が真剣に頼むとけっこうあっさり「黙認」してくれるようになった。
 雅史がいかに先輩に信用されているかということであろう。
 どうしても駄目なようなら浩之が出ていこうとしたのだが、その心配は無用だったよ
うだ。
「どうした。あそこには行ってきたのか?」
 そういいながら、浩之はペットボトル入りのミネラルウォーターを一口だけ飲んだ。
「行ってきたわい!」
「報告だったら明日でよかったのに」
「文句がいいたくて探し回ってたんだよ」
「あら、なんかあったの?」
「なんかあったの、じゃねえっ!」
 いつになく矢島は忍耐の限度のロックが弛んでいるようだ。
「てめえ、あんなおっかない人んとこ行かせやがって」
「怖かったか」
 浩之はとても嬉しそうだ。
「怖かったよ!」
「具体的にどう怖かったんだ?」
「上手く、説明できないな……」
 そういった矢島の顔は真剣であった。
「そりゃあ、じっくりと聞きたいな、どっかで飯食いながら話すか、おごるぜ」
「……」
 飯おごってもらうぐらいでなだめられないぞ。
 矢島の無言はそれを語っていた。

「緒方くん、送らせよう」
 来栖川の会長にそういわれたからには好意を受けねば却って無礼であった。
「お願いします」
 緒方英二はなぜか会長に気に入られているらしい。
「若いのにあんたはよくやっている」
 そういったことがあった。
「身を立てようとしている世界は違っているが、思い出すようだ」
 そう後を続けた。
 来栖川の会長は、昔、若くして来栖川グループの陣頭指揮をとっていたという。
 
 若僧。
 と、いう言葉が最も嫌いな言葉だった。だから自分は、頑張っている若い人間にそう
いうことはいわないようにしている。
 
 とは、来栖川会長の自伝の一節だったと記憶している。
 自分も、
『音楽界の重鎮』
 とか、
『音楽評論家』
 とかに、昔は随分と「若僧」「若気のいたり」などといわれたものだ。最近では、よ
うやく静かになったが。
 この人は、第一線で頑張っている若僧に好意を抱いているらしい。
 最近では、会長は相当のクラスの人物とでも同席しないという話だが、英二はけっこ
う頻繁に同席しているような気がする。
 車が来る間、英二はロビーで待っていた。
 あちこちにポスターが貼ってある。
 HMX13型─セリオ。
 来栖川電工が売り出しているメイドロボだ。
 その隣にいるのは我が妹。
 そもそも、来栖川と自分との間に繋がりができたのは、来栖川グループの広報部から、
「緒方理奈を是非、うちのCMに使おう」
 という企画が出てからである。
 このポスターの他に、テレビCMでも理奈とセリオが共演している。
 天下の来栖川である。当然、ゴールデンタイムにもバンバンCMを流す。理奈の宣伝
にもなるだろう。と、英二はそのメリットを考えてその話をOKした。
 評判は上々で、駅の構内に貼ったポスターが頻繁に盗難に遭った。
 それに気をよくした広報部で、
「森川由綺とマルチで第二弾を」
 と、いう企画が立ち上がっているらしい。
 英二は、振り返った。
 後ろに、会長の執事が立っていた。
 老齢だが、それを思わせぬ堂々たる体躯を持っている。
 腰などいささかも曲がっていない。
 眼光も鋭い。
 英二は、何度か会っている内に、どうしても好奇心が勝ってこの人物のことを調べて
みた。
 なんでも、随分と前から来栖川家に仕えている人物らしい。普段は会長の孫娘に付き
従っているというからよほど信用されているのだろう。
「車の用意ができました」
「いや、どうもすみませんね」
 英二は車の後部座席に座った。
「長瀬さん……でしたよね」
 しばらく走ってから、英二はいった。
「はい」
 バックミラーにうつる顔は微動だにしていない。
「なんか、格闘技か何かやってましたか?」
「少々ですが」
 やはり、表情に変化は無し。
「やっぱりねえ」
 英二が呟いた。それを独り言であると判断したのか、彼は何もいわず、英二も、それ
から特に何もいおうとはしなかった。

                                    続く

     どうもvladです。
     第二回目です。
     話はまだあんまり動いていません。伏線も張っているとはいいがた
     いのですが、メインとなるべきキャラクターはほぼ出揃いました。
     この作品、完全に、百パーセント、混じり気無しに己の趣味を全開
     したものです。よって、その内独りよがりな内容になる恐れすらあ
     ります。この作品に関しては私は本来は非常にいけないことなので
     すが、読者よりも自分の楽しみを優先します。
     ふう……長々とまたいらんことを……。
     この気味悪いほどに饒舌なあとがきも含めて、大目に見ていただけ
     ると幸いです。

 では、失礼いたします。