関東藤田組 老兵 後編 投稿者: vlad
 走って走って、ふもとの街並みが見えた時、麻美は、兄の背中に衝突した。
「……お兄ちゃ」
 麻美は絶句した。
 真二郎の前に、男が立っていた。目つきが鋭く、ただならぬ雰囲気を体中から発散し
ている。
 やくざだ。
 と、真二郎は思った。
 早くも仕返しに来たに違いない。
 あのじいちゃんの今の状態では、勝てないどころか半殺しにされてしまう。
「おい、この山によ、山男みてえな爺さんがいるって話は本当か?」
 やっぱり、仕返しに来たんだ。
「麻美……」
 真二郎は、小声で妹に囁いた。
「僕がこいつを食い止めるから、あのじいちゃんのとこに行って、じいちゃんを逃がす
んだ」
「……」
「僕は大丈夫だから、早く」
「……うん」
 麻美は頷くと、身を翻した。
「あ、おい!」
 と、やくざがその背中を見ていった。
 その時、真二郎は足下にあった木の枝を拾っていた。
「おい、あの子、どうしたんだ?」
 がつん、と、すねに一撃。
 大して力があるとはいえなかったが、急所だけに効いた。
「いってえっ!」
 逃げなきゃ、と真二郎が振り向いた時、後ろ襟首が掴まれた。
「待てぃ、逃がすか!」
「は、離せ!」
「このガキ、そんなに早死にしてえか!」
「STOP! ヒロユキ!」
「ええい! 止めるな、レミィ、このガキにゃ礼儀を教えてやる」
「そんな、ヒロユキは子供のことが好きなはずだヨ」
「知るかあ! んなこといった覚えはねえ!」
「お願い、ヒロユキ!」
 レミィの青い瞳は微かに潤んで浩之を見つめていた。
「わかったよ」
 浩之は真二郎から手を離した。
 レミィにお願いされてはそれを聞かないわけにはいかない。
 お願いしているレミィの持っているイングラム(サブマシンガン)の銃口が自分の方
を向いていることは、一応、考慮の対象にはなった。
「もう大丈夫よ」
 葵が倒れている真二郎を抱き起こした。
「でも、なんであんなことしたの」
「おう、そうだそうだ。そこんとこはっきりさせねえとおれぁ許さねえよ」
「なんで浩之さんを棒で叩いたりしたんですかあ?」
 そういって真二郎の顔を覗き込んだのはマルチだ。
「そうよ、そんなことしちゃ駄目なのよ」
 最後列にいた琴音も前にやってきた。
「や、やくざじゃ、ないのかよ」
 真二郎は振り絞るように声を出した。
「どこにやくざがいんだよ」
 と、やくざがいった。
 しかし、浩之の連れを見て、真二郎は、彼に対する誤解を解いたようだった。
「おめえ、セバスの爺さんのこと知ってんだな?」
「セバス?」
「長瀬っていうごっつい爺さんだよ……たぶん、修行してると思うんだが」
「じ、じいちゃん、大変なんだ」
「何がぁ?」
「急に苦しみ出して……」
「ん……ああ、そうか」
 浩之は手を打った。すっかり忘れていたのだが、そういえばあの爺さんは本来、入院
しているはずの人間なのである。
「おし、連れてけ」
 浩之は真二郎の背中をポンと叩いた。
「こっちだよ」
 真二郎に着いていくと、やがて狭い獣道が開けていった。
「麻美、どこだーっ!」
「爺さん、生きてるかあ!」
「……お兄ちゃん……」
 そばの草むらから麻美が顔を出した。浩之が近付いてみると、セバスチャンが草むら
の中に横たわっている。
「おう、爺さん、大丈夫か?」
「ぬ、む……お前か……」
「おう、おれだ」
「探さないで下されと、書き置きをしたではないか……」
「ばーか! おれは塵ほども心配なんかしちゃいねえよ、先輩に頼まれたんだ。あんた、
自分で思ってるほど先輩にとって、あんたはどうでもいいような存在じゃねえんだよ」
「なんですと……」
「だから、先輩に心配かけんじゃねえ」
「……」
 無言でセバスチャンは立ち上がった。
「歩けんのか?」
「なんとか……」
 浩之は心の底からほっとした。セバスチャンを背負って山を下るのは不可能だと思っ
ていたからだ。
「ヘイ、ヒロユキ!」
 レミィがささささっ、とやってきた。
「おう、レミィ、どこ行ってた」
「セッコーに行ってましたデス」
 そういってびしっ、と敬礼する。セッコーというのは斥候という意味だろう。
「シンジローがいってた通りね、悪そうな人たちがやってくるデス」
「なにぃ、何人よ」
「四人ぐらい」
「おし、わかった……葵ちゃん、セバスの爺さんを守っていてくれ」
「はいっ!」
「琴音ちゃんは、いざとなった時の援護」
「はい」
「マルチはその子と遊んでろ」
「はーい」
「レミィとおれは伏兵だ」
 そういって、浩之はコートの内側に手を入れた。
「YES!」

「お前ら、若いのが三人も揃っててジジイ一人にやられるとはな」
 そういって、顔に湿布を貼り付けた男をじろりと見た人物には、どことなく、チンピ
ラなどとは違う迫力があった。
 顔に湿布を貼り付けているのは、先程、セバスチャンにふっ飛ばされた男である。
 この男はまだ三人の中ではましな方であった。他の二人は病院に直行している。
「しかし、飯田(はんだ)さん、そのジジイ、滅茶苦茶強いんですよ」
「わかったよ、だから、こいつら連れてきたんだろうが」
「そうっすね」
 飯田に付き従っている二人の男は、片や柔道四段。片やアマレスの全国大会準優勝。
 飯田が若頭を勤める樟葉組において、肉弾戦闘の専門家として、喧嘩になればすぐに
お呼びがかかるような連中だ。
「あ、飯田さん、ここです」
 そこには、焚き火を消した跡が残っているだけだった。
「なんだ。誰もいねえじゃねえか」
「おかしいな、逃げちまったのかな」
 と、いった男の目の前の地面が沸き立つように土が浮き上がった。
「な、なんだ」
「いよお」
 樹上から降り立った浩之は持っていたレミントンM870の薬室に弾を装填した。
 ガシャッ。
 と、重々しいスライド音が鳴る。
「なんだ。てめえ」
「おおっと、動くなよ、この距離だったら顔なんて誰だかわかんなくなっちまうぞ」
「……」
「おれは、藤田浩之って者だ。と、いってもこっちの連中じゃ知らねえか」
 飯田がショットガンの銃口とにらめっこしながら両手を上げているのを見つつ、先程
セバスチャンと揉めた男が、わっ、と叫んで身を翻した。
 タタタタタン。
 という軽快な発射音はレミィのイングラムだ。
「ぐあああっ!」
 男は足を撃たれたらしく、ひっくり返って足を手で押さえた。
「ヘイ、フリーズ!」
「おらあ、てめえら、下手なことすっとそのパツキンの姉ちゃんに蜂の巣にされんぞ」
 浩之がレミントンの銃口で飯田の額をつつく。
「ここは山なんだから死体を埋めるのには困らねえんだ」
「ま、待て、早まるんじゃねえ」
「そりゃ、あんたら次第さ、おい、みんな出てこい」
 その声に応じて現れたのが女子供ばかりだというのに飯田は驚いているようだった。
「お前ら、見たところ素人だな、おれたちにこんなことしてただで済むと思ってんのか」
「ただで済まないのか……だったらここで埋めた方がいいかな……」
「待て、早まるんじゃねえっていってんだろ!」
「へいへい」
「あのな、うちの組はな、確かにちいせえとこだ」
 そんなことは知らないし、聞いてもいない。
「でもな、うちの親分は、あの美作裏山親分の盃受けてるんだ」
「へえ、そうなの」
「そうよ、美作親分がどういう人か……お前にもわかるだろ」
「ああ、けっこう話のわかる人だよな」
「……なに?」
「何度か会ったことあんだけど、けっこう話のわかる人なんだよ、あの人は」
「……そうなのか?」
「おう」
「あなた……誰です?」
「藤田浩之」
「……」
「あの長瀬っていう爺さんはよ、なんでも昔、美作の親分とは五分の兄弟分だったらし
いぜ……別に縁切ったって話は聞かねえから今もそうなのかな」
「本当……ですか?」
「疑わしいなら調べてみりゃいいだろ」
「……わ、わかった。とにかく、ここは引いとく」
「おう」
 浩之はレミントンを肩に担いだ。
「じゃ、帰るか」

「あん、ありがとうございますって……いいよいいよ、御礼なんて」
 病院のロビーで浩之は芹香を前に顔の筋肉を思い切り弛緩させていた。
「先輩の頼みなんだから当然だって」
「……」
「ははは、またなんかあったらいってくれ」
「……」
「おう、いつでも来いって」
「……」
 ぺこり、と頭を下げて芹香は去っていった。これからまた人に会わねばならないらし
い。
「ん……藤田くん」
 芹香を見送った浩之に声をかけてきたのは長瀬主任だった。ところかまわず白衣姿な
のでここにいると医者に見える。
「あ、セバスの爺さんの見舞いですか?」
「ああ、だけど、病室に行ってもいなくてね」
「今は、庭を散歩してますよ、少し体を動かしていいっていわれたそうで」
「ふうん、そうかい、ところで……」
「なんです」
「病室にね、樟葉組ってとこから果物が届いてたんだけど……あれは受け取っていいの
かなあ」
「いいんですよ、見舞い品でしょ」

 病院の庭は、晴れた日の昼下がりには憩いの場になる。
 その老人も、ベンチに座って体を休めていた。
「おじいちゃん」
 その声は、最近、ここで知り合った女の子のものだった。大病で三年前から病院暮ら
しらしいが、順調に回復してようやく外を歩けるようになったらしい。
「こんにちわ、今日は、いい天気だね」
「ああ……いい天気だ」
 それを見ていた二人の男は、あえて近付こうとはしなかった。
「そうか……親父の奴、そんなに、じいちゃん、と呼ばれて喜んでいたのか」
「ええ、そのガキどもと別れる時も寂しそうにしてたなあ……」
「そうか……」
「主任、早く孫の顔見せてやったらどうです?」
「相手が……ねえ……」
 長瀬主任は、今まで見たこともない父親の穏やかな顔を見ながら、頭を掻いた。

                                     終

     どうもvladです。
     なんか気付いたらえらい久しぶりな関東藤田組になりました。
     正直、今回の初めの方書いてる時に、
     「このシリーズ、そろそろ潮時かあ……」
     なんて思ってたんですが……大丈夫です。まだ行けます。
     なお、今回の作品にチラチラと名前が出てくる美作親分とい
     うのは私のオリジナルキャラです。「仁義はずれ」という作
     品に登場しています。
 
 それではまた……。