次郎衛門さま 投稿者: vlad
 次郎衛門は刀を握る手に力を込めた。
 目の前に鬼がいる。
 虚空に刃が一閃すると、真っ二つになった鬼が倒れていく。
 死骸を踏み越え、次郎衛門は辺りを見回した。
「鬼の大将は……」
 呟いたその眼前に、奴が現れた。
「いたな……確かダ・エリといったな……」
「次郎衛門か……」
 ダ・エリは返り血で染め抜かれた顔に、微笑みに似た表情を見せた。
「つまらなかったぞ、ここに来てから……」
「……」
「狩れば狩るほど虚しい……おれはな、もう自分より弱い相手と戦うのは退屈なのだ」
「ならば、立ち合え」
「そのつもりで来た。お前は、楽しませてくれそうだ」
 ダ・エリの眼光が細く鋭く。
 次郎衛門は刀を中段にかまえた。
 双方、口元に笑みが浮かび。
 双方、口から牙が覗いていた。

 ぱたん。
 耕一は読んでいた本を閉じた。
「うーーーむ」
 唸りながら、その本の表紙を見る。
「新・雨月山物語」
 学友の小出由美子が「なんか面白い本無い?」といったら貸してくれた本である。
 そういえば、由美子は以前から雨月山の鬼のことを熱心に調べていた。
 これは、歴史的な史料というわけではない。面白い本、という要望だったので、純粋
なエンターティメント小説である。
 江戸時代中期に書かれた「雨月山物語」という娯楽小説に、現代風のアレンジをふん
だんに施したもので、オリジナルの要素も随分と多い。
 作者があとがきで、いっそのこと荒唐無稽を極めようと思い立ち、鬼の正体を地球外
の生命体ということにしました。と、書いていたのを見て、耕一は苦笑した。やはり、
自分は荒唐無稽な存在らしい。
 元になっている「雨月山物語」のことがこの小説のせいでそこそこ注目を浴び、それ
が目当ての観光客もいる。と、電話で千鶴がいっていたのを耕一は思い出した。
 なんでも、次郎衛門の墓前に時々、花束が置かれているらしい。
 それほど大きい動きではないので、千鶴は静観するつもりのようだ。
 耕一は、一度置いた本をもう一度手に取って広げた。

「見事……」
 ダ・エリはもはや虫の息であった。
「敗れたのも……敵を誉めたのも初めてだ……」
 それが、最後の言葉だった。
 次郎衛門は虚脱感に苛まれながら、息絶えた仇敵を見下ろしていた。
 仇を取って、それからどうするのか。
 考えていなかったわけではなく、考えようとしなかった。
 何も無い、という答えを自分に突きつけるのが怖かったのかもしれない。
 次郎衛門の造形美の極致のごとき美貌に、ふっ、と影がさした。

「うーーーーーむ」
 耕一は、唸りつつ本を閉じた。
「かっこよすぎるよなあ……」
 一応、次郎衛門の生まれ変わりなどというものである耕一は苦笑し、かつ赤面せざる
を得ない。
 この本の作者の信念なのか、それとも作者に女性ファンが多いという宿命ゆえか。小
説の中の次郎衛門がえらく美男子として描かれているのである。
 女にゃもてるわ、剣の腕は立つわで手のつけられない存在となっている。
 女ばかりではなく、やたらと男の心も惑わし、男に寝込みを襲われて危機一髪、とい
うシーンがなぜか頻繁にあるのはファンサービスなのだろうか……。
「これは……」
 もう既に本来の次郎衛門ではなかった。
 生まれ変わりがいうのだから間違いない。
 後日、大学の食堂で由美子に会った。
「こんにちわ、柏木くん」
「ああ、こんにちわ、由美子さん」
 二人は隣の席に座った。
「こないだ貸してくれた本、なかなか面白かったよ」
「ああ、そう。柏木くん、隆山の人だからいいかな、って思って」
「うん……にしても、あの次郎衛門はちょっと……」
「え、次郎衛門さまがどうしたの?」
「……」
 なんか今、次郎衛門にとんでもない敬称が付いていたような気がするのだが。
「いや、その……ちょっと美化し過ぎだよね、あれ、実際はあんな美形じゃないって」
「……」
「あの、由美子さん……」
「……」
「その……あの……」
「……」
「ごめん!」
 耕一の額とテーブルが接触して、ゴン、と音がした。
「うふふ、いいのよ、別に謝らなくっても」
 謝らなかったらずっとシカトしてるつもりだったくせに……。
「柏木くん」
「は、はいぃ」
「口は災いの元だからね」
「はーい」
 うーむ。由美子さんってけっこうミーハーなとこがあるんだろうか……。
 けっこう冷静に歴史を研究してたはずなのだが……。
 耕一は、蕎麦などすすっている由美子の横顔を見ながら、少々、彼女に対する認識を
改めた。
「あ、そうだ。あれね、続編が出たのよ」
「え、そうなの」
「うん、続・新雨月山物語、っていうの」
「はあ」
 うん、まあ「新・雨月山物語」の続編のタイトルとしては当然といえば当然なのだが
もうちょっと別のタイトルは思いつかなかったのだろうか……。
「どんな話なの? 確か、新・雨月山物語の最後は、次郎衛門はあの鬼の娘の妹と一緒
になって隆山で暮らしたんだよね」
「うん」
「確か、次郎衛門の死んだ歳まで明記してあったと思うんだけど、どうやってあれを続
けるんだろ」
「それがね……」
 と、いって由美子は苦笑した。
「次郎衛門さまが現代に転生した。っていう話なのよ」
「え?……」
「なんかさ、ちょっと無理矢理すぎるわよねえ」
「……そ、そうだねえ」
 無理矢理な存在である耕一は苦笑するしかない。
「でもさ」
「うん」
「次郎衛門さまは実在した人間だからね、現代に転生してたって不思議じゃないわよね」
「ん……由美子さんって転生とか前世とか信じる方?」
「本当だった方が楽しいじゃない」
「うーん、そうかなあ」
「だって、もしかしたら次郎衛門さまの生まれ変わりとデートしたり、もしかしたら私
の将来の夫が次郎衛門さまの生まれ変わり、なんてこともあるかもよ」
 そういって由美子は悪戯っぽく笑った。
「そ、そうかもね」
 耕一は苦笑した。さっきから苦笑してばかりだ。
「あ、そうだ。柏木くん、明日の午後ってどうなの?」
「明日の午後は……講義は入ってないけど」
「だったらさ、映画見に行かない? 券貰ったんだけど」
「ああ、いいよ」
「よし、それじゃ、明日ね」
「うん」
 由美子と別れた後、耕一は頭を掻きつつ、
「いったって信じないだろうなあ……」
 ぽつり、と呟いた。
 いう必要も無いことだ。と、思った。
 しかし……それにしてもなんだか段々と自分が「あの次郎衛門」の生まれ変わりであ
るこが信じられなくなってきた耕一であった。
                   
                                     終

          どうもvladです。
          なんか最近、思いっきりネタぎれの波が襲い
          かかってきて、こんな短いのにえらく時間を
          費やしてしまいました。しかも、出来があま
          りよろしくない……。
          なお、なんだか最近、由美子さんポイントが
          上昇気味です。

 それではまた……。