鬼一犯科帳 投稿者: vlad
「また斬ったそうだね」
 と、火付盗賊改方の長官、柏木耕一がいったのは八月下旬の、そろそろ暑さも去ろう
かという日であった。
 この柏木耕一。
 見た目は、ただの好青年に見える。その服装から見て、武家の跡取り息子、といった
印象を受ける。
 だが、この今年で二十四歳になるこの青年は、歴とした柏木家の当主であり、特別警
察火盗改方の長官を勤め、最近では鬼の耕一、〔鬼一〕などと悪党どもは元より、市中の
人々から呼ばれている。
 その〔鬼一〕と対座するは、火盗改方の同心、柳川祐也であった。
「斬って悪いか」
 柳川は、悪びれるわけでもなく居直るわけでもなく、当然のようにいった。それこそ
我らの〔お役目〕ではないか。
「別に責めてるわけじゃない」
 耕一は苦笑しつつ手を振った。実のところ、この柳川というのは、部下であると同時
に叔父でもある。加えて、血の気が多いので耕一も彼を完全に意のままに動かすのは不
可能であった。
 それに、手向かう悪党など容赦なく斬って捨てる火盗改方である。彼のような男には
適任ともいえた。
「ところで……」
 と、耕一は表情を改めていった。
「上方からの情報なんだが〔霞の平次〕が江戸に入ったらしい」
「あっちでは、随分と派手にやっていたというのは聞いていたが……そうか、こっちに
来たのか……」
 そう呟きながら、柳川は、浮かんでくる笑みをどうにもできぬ。
「よし、おれが斬ってやる」
 一歩間違えれば単なる殺人嗜好者である。そもそも、
「人は死ぬ時に炎を出すという、一度でいいから見てみたいものよ……」
 などと物騒なことをいって暮らしていた叔父である。いつか辻斬りでもやらかすので
はないか、と従姉妹たちと心配し、とうとう多少の工作をしてこの叔父を火盗改方に入
れてしまったのである。
「ああいうのは生かしておいてもためにならん、斬り捨ててしまおう」
 今回ばかりは耕一も叔父の舌なめずりするような声に賛同した。
 と、いうのも、この座で話題になっている〔霞の平次〕といわれる盗賊は残虐無比な
所行を上方にて繰り返した凶賊なのである。押し込んだ家の家人を皆殺しにして金を持
ち去るという、盗賊の間ではいわゆる〔急ぎ働き〕といわれる残忍な方法を常套手段に
する男である。
「とにかく、全員に注意を促しておくから、叔父さんも気をつけて」
「ふふふ、霞の平次ほどの極悪人だ。……さぞかしよい炎が……ふふ」
 時たま、この叔父を鎖にも繋がずに野放しにしていることに危険を覚える耕一であっ
た。

 旅籠〔長瀬屋〕は、二年ほど前から副業に金貸しなど始め、
(金がうなっているそうな)
 との、近所の人間の噂であった。
 本業の方も盛況で四六時中、立ち働く店の者の足音が絶えない。
 その長瀬屋でも、神岸あかりと佐藤雅史の二人は働き者で、さらに両人とも人当たり
がよく同僚などの評判も上々で、好意をこめて、
(二人は好き合っている)
 と、囁かれていた。
 二人とも幼なじみで昔からの知り合いである。
「少し休みなさい」
 と、休憩を許されて裏口の方で休んでいたあかりの所へ、同じく休憩をとるためか、
雅史がやってきた。
 他の者は心得ているのか、姿が消えている。
「あかりちゃん」
「……えっ!」
 あかりは雅史に呼ばれて驚いて声を上げた。
「ふふ、何を考えていたんだい?」
「……三人で遊んだことを……思い出していたの……」
「……そう……あかりちゃんもそうなんだ……」
 雅史は感慨を押さえ切れぬように遠い目をしていった。それだけで二人の間には何や
ら余人の入り難い空気というものが流れていく。
「あかりちゃん……本当にいいの?」
「え……」
「僕で、いいの……」
 二人は確かに幼なじみだった。が、もう一人、二人の幼なじみがいた。
 彼は、三人の中では一番上の兄みたいな存在であった。
 十四の時に人を殺して姿を消した「兄」に二人はそれから一度も会っていない。
  あかりが、そのもう一人の幼なじみのことが好きだったというのを雅史は知っていた。
 あかりは、雅史に向かって首を横に振った。そして、
「いいの」
 と、呟いた。
 休憩を終えて店に戻った時、丁度、茂吉、という客が外出するところであった。この
茂吉、旅の商人で今は江戸見物のために逗留している。
 店の者の評判はそうそう悪くはないのだが、あかりは、この男のいやらしい視線がど
うしても我慢できなかった。
 できるだけ関わりたくないのだが、ふと、目が合ってしまったので声の一つもかけね
ばならぬ羽目になった。
「お出かけですか」
「ああ、ちょっと見物にね」
 そういいながら、ねっとりとした視線をあかりに絡みつかせてくる。
 あかりは早く出ていってくれぬものかと思っていた。
 やがて、茂吉はようやくあかりから目を外して、出ていった。
 茂吉はそこから少し離れた神社に行って、しばらくそこの境内に立っていた。
 男が一人、現れたのに、茂吉は機敏に反応した。
 二人してそそくさと寄り合って、小声で何やら話し始める。
「どうだ。今晩いけるか?」
 とは、後から現れた男である。
「ああ、店の間取りから千両箱のありかまで、全部覚えた」
「よし、それでは今晩、八つ(午前二時)でいいな、戸を三回、叩くからな」
 おう、と茂吉は頷いた。
 この茂吉という男、旅の商人を装っているが、歴とした盗賊である。しかも、凶賊の
名の高い霞の平次の配下であった。
 こやつの役目は狙い定めた家の中に入り込んで、仲間の一味と示し合わせてある夜、
これを内部に招き入れる〔引き込み〕と呼ばれる役であった。
「ところで……」
 と、茂吉め、なにやらにやにや笑いながらいった。
「なんだ」
「一人、いい女がいるんだが」
「お前さん、またその病かね」
 男は呆れ、苦笑しつついった。茂吉は大概、いつの盗みの時も、入り込んだ先の女に
目をつけておいて、盗みの際はそれを犯すというまことにタチの悪い性癖を持っていた。
「まあ、さっさとやってしまうことだ。その程度、お頭はなんにもいうまい……ただ、
情をうつしちゃいけねえぜ」
「ふ、ふふ、わかっているともさ、楽しんだ後はきっちりと始末をするとも」
「それがわかってれば、ま、大目に見てくれるだろうさ……それでは、今晩八つだぞ」
「ああ、わかった」
 男の姿が完全に消えるのを待ってから、茂吉は歩き出した。が、その瞬間、後ろから
呼び止められた。
「んん……」
 不意に呼び止められて、茂吉は驚きながら振り返った。
 神社の裏手から、一人の男が姿を現した。
 浪人者か、と茂吉が思ったのは、薄汚れた身なりながら、腰にはしっかりと刀を差し
ていたからだ。
 まさか、今の話、聞かれたか……。
 茂吉は咄嗟に身構えた。
「面白い話をしていたな」
 男は、鋭い眼光を放ちつついった。茂吉は思わず唾を飲み込む。
「てめぇ……」
 懐に手が入った。中の短刀を握り締める。
「詳しい話を聞かせてもらおうか?」
 茂吉が懐から、抜き身の短刀を握った手を出した瞬間、男が、だっ、と踏み込んでき
た。
 腰から、鞘走った一刀が一瞬の停滞も無く肘の辺りを駆け抜けた。
 合口を握ったまま鮮血を引いて地面に落ちた我が腕を見るよりも先に、茂吉は絶叫し
ていた。
「さ、話してもらおうか」
 首を横に振った茂吉の目玉に刀の切っ先が、ずぶり、と突き刺さった。

 今宵八つ、旅籠長瀬屋に霞の平次一味押し込み 人数は十人程度

 と、それだけ書かれた紙が耕一の手に渡ったのは既に夕方であった。
 悪戯か。
 とは、当然思った。
 近所の子供が、浪人風の男に頼まれたといって耕一のところへ持ってきたものである。
 しかし、いやに内容が具体的である。
「網を張ろう」
 目を血走らせながら刀の柄を握って柳川がいった。
 これを黙殺して、これがもし本当だった場合が怖い。おそらく長瀬屋にいる人間は皆
殺しにされるであろう。
「よし、肩すかしをくわされてもいい、やろう」
 耕一は決断した。

 その晩の八つ、長瀬屋の前に黒装束の姿が現れた。
 彼らは足音も立てずに戸のところへ行った。
 一人が進み出て、戸を三度叩いた。昼間、神社で茂吉と会っていた男である。
 すーっと戸が開く。
 その先に待つものを知らずに飛び込んだそやつめがいきなり仰け反った。
「どうした」
 と、いった仲間の顔に、男の首筋から噴出する血が大量にかかった。
「なっ!」
 狼狽する賊どもの声を押しつぶすように、
「神妙にせい!」
 との、声が響きわたった。
「火付盗賊改方、柏木耕一である」
「げえっ」
「鬼の耕一かっ」
 〔鬼一〕を前にしてさらにすくみ上がる賊に、もう一人の鬼が嬉々として斬り込んで
行った。
「炎を見せてみろ!」
 やや、意味不明なことを叫びながら白刃を振るう柳川に賊は一辺に度肝を抜かれて我
先にと逃げ始める。
 火盗改方。
 と大書された提灯か無数に闇夜に現れたのを見て、さしもの霞の平次一味も勝てぬと
わかっていながら無我夢中で得物を振るって鬼に立ち向かわざるを得なかった。
 耕一は先祖が鬼退治に使ったとかいう伝説のある伝来の刀を振るって賊二人を斬り捨
てた。
 柳川は手当たり次第に斬殺し、一人で六人を斬り、大層御満悦であった。
 頭目の霞の平次を討ち取ったのも柳川だ。
「討ち漏らしてはいないな」
 いいながら、耕一は付近を見回した。
 すると、闇夜の向こうで人影が動いているのを見た。
「賊の一味か!」
 提灯をさっ、とかかげると、一瞬だけその人物の顔が見えた。どうやら男であるらし
かった。
「待て」
 身を翻した男を耕一は追ったが、とうとう捕らえることはできなかった。
 なお、翌朝、長瀬屋に逗留していた茂吉という男が長瀬屋のそばの神社の裏で死体に
なっているのが見つかった。死体の状況は無惨なもので、拷問でもされたようなありさ
まであった。
 後の調べで、この男も賊の一味だったということが判明する。

 翌日、耕一は長瀬屋にて主人の源七郎から感謝の雨を受けていた。
 さらに、食事なども出され、舌鼓を打った。
 帰る時に、耕一は源七郎に一人の少女を紹介された。
「実は、先程、柏木さまにお出しした料理はこいつが作ったものでして」
「ほう、それは」
 耕一は、さっきの美味な料理を思い出して、感嘆した。
 その少女というのは、あかりである。
「さ、あかり、柏木さまをお送りしなさい」
「はい」
 外に出た時、耕一は長瀬屋の前にいた男と目が合った。異常に鋭い眼光は、確かに、
記憶にあった。
「あっ」
 だが、それを思い出す前に、隣のあかりが声を上げたのに、耕一は気を取られた。
「ん、どうした?」
「……いえ、ただちょっと昔の知り合いに似ている人がいたもので……」
 あかりは俯いてそういった。
「ほう」
「それでは、柏木さま、お気をつけて」
 あかりが深々と頭を下げる。
「ああ、また来る」
 と、いいながら耕一は、あの男を見た。
 しかし、そこには誰もいなかった。
「あの男、やはり昨夜の男か……」
 解せぬ思いを抱きつつも、耕一は従姉妹の待つ役宅へと足を向けた。

                                   終

          どうもvladです。
          以前から「やっちゃおうかなあ、でも、やっ
          ていいのかなあ」と、思っていた構想を、よ
          うやく一つの作品として完成させることがで
          きました。一応、文体は池波正太郎先生を意
          識したつもりなんですが……うーむ。精進せ
          ねば。
          
 それではまた……。