利用 投稿者: vlad
 この作品はねずみさんの「未完」の続きです。
 「未完」はりーふ図書館の方に収録されています。



 おれはアパートに帰ってきて一息入れた。
 ようやく解放された。
 それが正直な気持ちだった。
 千鶴さんたちがもう少し居てくれ、というのを振り切るようにして帰ってきた。
「ちょっと、あっちで外せない予定がありまして」
 などといったが、予定なんてなんにもありゃしない。こっちに戻ってきたら一人寂し
く、だが、気楽に、自堕落な生活を過ごすのみだ。
 ちょっと可哀想なことしたかな?
 とは、思わないでもないが、いつまでも親父を演じられるわけがないのだ。なにしろ、
ほとんどおれは親父のことを知らないんだから。
 その日は、早く寝てしまった。

 翌日。由美子さんに会った。
「はい、これ隆山のお土産」
 と、いって、由美子さんはおれにお菓子らしいものを渡した。
「おかしな話かな、とは思ったんだけどね」
 おれは、あっちでは、昼間は表に出ていることが多かった。とにかく、あの四姉妹の
「親父を見るような目」にさらされるのがいやで、何かと適当な理由をつけては外出し
ていた。
 その時に、観光で来ていた由美子さんに会った。隆山で会った自分に隆山の土産を渡
すというのも、確かにおかしな話だが、おれはありがたく受け取っておいた。
「どうだったの? 実家の方は?」
 由美子さんは、遠慮がちにいった。
 おれは、向こうで彼女に会った時、気が滅入っていたことも手伝って、四姉妹との間
に生じたことを由美子さんに話してしまっていた。今から考えれば人に他言するような
ことではなかったかもしれないが、あの時はひたすら溜まった気持ちを誰かに吐き出し
たかった。
 そこに、由美子さんが現れたので、ついつい甘えてしまったというわけだ。
「全然駄目だね、親父の四十九日が終わったから、すぐに逃げてきたよ」
「そう……」
「結局、おれはみんなに親父の代わりとして利用されてただけなのさ」
「柏木くん……」
 由美子さんは後になんと言葉を継いでいいかわからぬように沈黙した。
「飲もう」
 と、由美子さんが断固とした様子で提案したのは、重苦しい雰囲気を払拭したからに
違いない。酒を飲ませて、いやなことを忘れさせようという優しい気遣いなのかもしれ
ない。
 時々、大学の友人連と行く飲み屋でしばらく由美子さんと飲んだ。由美子さんはガン
ガン飲むが、おれはチビチビやっていた。
 二時間も飲むと、由美子さんはさっさと酔い潰れてテーブルに突っ伏して寝てしまっ
た。おれは、清酒を頼んで、そいつをまたチビチビと飲んでいた。
 みんな、どうしてるかな。
 ごく自然にそんなことを思ったのが我ながら不思議だった。まだ自分は千鶴さんたち
に未練があるのだろうか。
 それはまあ、確かにみんな美人だし、梓の料理は美味いし、いいこともたくさんあっ
たが、おれはあの親父の代わりだけはいやだ。
 おれと母さんを捨てて消えてしまった親父。
 おれが今まで生きていて最も憎んだ男。
 一体、どうしたら親父の代わりなどというおぞましい役を演じられるだろうか。
 確かに、みんなは喜んでいた。しかし、時々、親父ではない──柏木賢治ではなく、
柏木耕一であるおれに失望していた。それがおれにはハッキリとわかった。幾らみんな
が喜んでくれるといっても、おれにだって我慢の限界がある。
 あいつは……母さんの時だって、千鶴さんたちの時だって……自分を大切に思ってい
る人たちを裏切った。
 それで死因が飲酒運転による自動車事故死だと……ふざけるな!
 おれは、先程とは一転して、コップ酒を一気に飲み下した。
  親父がいなくなって寂しがっている母さんを見るのは辛かった。
 千鶴さんたちも、親父がいなくなって寂しがっているんだろうな……。
 全てあの男が元凶なんだ。母さんの元を去ってまで暮らそうとした千鶴さんたちの元
から、愚劣極まる理由でいなくなって、今度は千鶴さんたちを悲しませている。
 千鶴さんたちは今、悲嘆にくれているのだろう。おれの前では笑顔を見せていても、
時々、自分の部屋で一人泣いていた母さんのように。
 そう……おれが、ドアと壁の隙間から見ていることしかできなかったあの時の母さん
のように。
 おれは母さんに何にもしてやれなかった。
 なんだ……今度はおれにも、できることがあるじゃないか……。
 なんで気付かなかったんだ。仏壇の前で力無く項垂れるみんなの顔と、あの時の母さ
んの顔が似ていることに……。
「んー、柏木くぅん、飲んでるぅ?」
 突然、由美子さんが起き上がっていった。
 おれは、また飲み始めそうな由美子さんを引きずるように、店から出た。
 由美子さんを家まで送っていく。
「ありがとう、今日は付き合わせちゃって」
「いやいや」
「あ……そうだ。明後日、みんなで海に行こうかっていう話になってるんだけど」
「え、それって、いつものメンバー?」
「うん、柏木くん、いつ帰ってくるかわかんなかったから誘ってなかったんだけど、も
しよければ柏木くんも行こうよ」
「いや、悪いんだけど、おれ、明日からまた家を空けるんだ」
「え、でも、昨日隆山から帰ってきたのに?」
「うん、その隆山にまた行ってくる」
「えっ、何か忘れ物でもしたの? だったら送ってもらえば」
「いや、またしばらく向こうの柏木家でお世話になってこようと思ってね」
「……どうして?」
 不思議がっている。まあ、そうだろうなあ。
「だって……柏木くん、さっきいってたじゃない……隆山の従姉妹さんたちは、自分の
ことを利用してるだけだって……」
「ついさっき気付いたんだ」
「何に、気付いたの?」
「利用されていいんだよ、おれは」
 由美子さんはしばし呆然としていたが、やがて苦笑して微笑んでくれた。

 耕一が来た時、賢治叔父さんが帰ってきた。と、あたしたちは思った。
 あたしは、すぐに腕によりをかけて料理を作った。叔父さんが好きだったメニューを
……。
 あたしたちは、ことあるごとに耕一と叔父さんを重ねていた。それが、耕一にとって
どれだけ重荷になるかを気付かずに。
 四十九日が過ぎた時、耕一は逃げるように帰った。もう少し居てくれるように、あた
しも頼んだ。でも、弱々しく微笑んで、
「予定があるから」
 と、いっていた。来た時は、夏休み中、ずっといるっていっていたのに、なんでも耕
一がいうには、すっかり予定を忘れていた。ということだった。
 あたしは、それが嘘だということを悟った。それからというもの、何かが心に突っ掛
かっていた。
 耕一は……もしかして、あたしたちが叔父さんの代わりとして見ていたことがいやに
なって逃げ帰ったのではないだろうか。と、思った時には耕一は既にこの家にいなかっ
た。あたしたちは馬鹿だ……甘えるばかりで、利用するばかりで、耕一の気持ちなんか
全然考えていなかったんだ。
 千鶴姉も、楓も初音も、そのことに気付いているようだ。再び、笑い声の無い一家団
欒が戻ってきた。
 でも、それも束の間、耕一の奴が舞い戻ってきた。帰ってから一日しか空いていない。
「いや、予定がキャンセルかかっちゃってさ、あっちで一人寂しくしてるのもいやなん
でまた来ちまったよ」
 耕一はそういって笑っていた。
 考えすぎだったんだ。と、あたしは思った。
「いよう、梓、今晩はサンマの蒲焼きがいいなあ」
「うん」
 耕一が戻ってきた翌朝、耕一にいわれてあたしは頷いた。それだったら、叔父さんの
大好物だったんで、あたしの得意料理だ。
 夜、耕一は、あたしが作った料理を美味そうに食べていた。
 全然、気にすることなんかなかったんだ。と、その時思った。
 なんにも気にしていないような顔で戻ってきた耕一に、あたしたちはまた甘えようと
していた。
 あたしが、本当に馬鹿だというのを知らされたのは、その日の晩。あたしの部屋にや
ってきた千鶴姉と話した時だった。
 千鶴姉は今日、足立さんにある話をされたという。
「絶対ちーちゃんたちにいわないでくれ、って彼にいわれてるんでね、耕一くんにいわ
ないでよ」
 そう、散々に念を押して、足立さんは、話し始めたそうだ。
 昨日の夕方、耕一が訪ねてきたそうだ。時間からして、うちに来る直前に足立さんの
ところへ寄ったらしい。
「賢治さんのことを色々と聞かれて、色々と話したんだけど……初めは、死んでしまっ
たお父さんのことを知りたがっているのかと思っていたら、なんか、妙に細かいことを
聞いてくるもんでね、おかしいとは思っていたんだ。好きな食べ物とか、ちょっとした
クセとかとね、もう根ほり葉ほり聞いて、メモまで取ってたよ」
 その話を聞いた時、あたしは愕然として声が無かった。
 考えすぎでもなんでもない、あたしの考えは正しかったのだ。
 耕一は、あたしたちに「叔父さんの代わり」として見られるのがいやで逃げたんだ。
 そして……帰ってきたんだ。あたしたちに利用されるために……。
 馬鹿だ。あいつ、本当に馬鹿なんだ。
 あたしは、泣くことしかできなかった。
 翌朝、あたしは耕一の部屋に行った。
「耕一っ、朝飯できたよ」
「ん、ああ、すぐ行く」
 耕一はのっそりと起き上がってきた。眠そうに眼を擦って、未練がましく布団を眺め
ている。……そう、叔父さんのように……。(これはこいつの地である)
 耕一があくびをしながら廊下に出た。あたしは後ろに続いた。
「耕一、今日の晩飯は何がいい?」
「ええっと……」
 と、耕一は考え込んだ。きっと思い出しているのだろう。
「好きなものいえよ、あたし、大体作れるからさ」
「うーんと……なんだったかな」
 ぼそっ、と呟いただけだが、確かに、あたしはそれを聞いた。
「サンマの蒲焼き」
 苦し紛れに耕一がいった。
「ははは、おれ、大好きなんだ」
「馬鹿」
「な、なんだとぉ」
 耕一が目を剥いて振り返った。
「お、おい、どうしたんだよ」
 しかし、すぐに戸惑った声を上げる。
「お前、何泣いてんだよ」
「馬鹿……」
「お、おれがなんかしたか」
「好きなものいえよ、作ってやるから……」
「いや、だから、サンマの蒲焼き」
「叔父さんが好きだったやつじゃなくて、あんたが好きなやつだよ!」
 あたしは耕一を怒鳴りつけた。お門違いだってことはわかってる。
「おれは、梓が作る料理は全部好きだぞ、美味いからな」
 耕一の奴、真面目な顔していいやがった。
「馬鹿っ」
「お前な……さっきから人を馬鹿馬鹿いうな」
「もう、いいんだよ」
「はあ、なにが?」
「もう、叔父さんを演じなくてもいいんだよ」
「お前……」
 耕一が驚いた顔をしている。
 本当に、馬鹿なんだから……。
 気付いた時には抱きついていた。
                                   終

          どうもvladです。ねずみさん、いかがだ
          ったでしょうか?
          ところで、ねずみさんのところにメールした
          方ってどなたなんでしょう。楽しみです。
          なお、後半が梓SSと化しているのは抗しが
          たい時の流れです。(断言)

 それではまた……。