関東藤田組 英雄 後編 投稿者: vlad
 浩之はこの男にしては珍しく迷っていた。
 あの帆村という青年、怪しい。
 と、思うのと同時に、さすがに勘ぐり過ぎか、とも思う。
 もし考えが間違っていた場合、理緒のために大金をなげうった彼を泥棒だと疑ってし
まったことになる。
 その日の夜、会社が終わってから浩之は綾香の所へとやってきた。先日、浩之が関わ
った国籍不明の暗殺請負人の件がどのように決着したかを聞きに行くのが主目的だった
が、ついでに、浩之は巷を騒がしている「義賊」の事件について、来栖川SPがどの程
度まで捜査を進めているのかを尋ねた。
「仕方ないから、これよ」
 ビールを飲みながら綾香は傍らにあったパソコンのスイッチを入れた。
 やがて、ディスプレイにOSが起動する。
 綾香がマウスを動かす。
 CDドライブのランプが点滅するのが見えた。
「見て」
 綾香に促されて、浩之は缶ビール片手にディスプレイの前へとやってきた。凄まじい
数の人名がずらりと並んでいる。
「なんだ。これ」
「過去、窃盗の前科がある人のリスト」
「すげえな、こいつを虱潰しにするのかよ」
 浩之は嘆息した。来栖川SPは、この膨大な中から、今回の事件と手口などが似てい
る事件と人物をしぼろうというのだろう。
「ま、あたしがやるわけじゃないけどね」
 あいうえお順に並んでいるその人名の列を見ていた浩之は、マウスに手を伸ばした。
 下へ下へと人名が流れていく。
「どしたの?」
 延々とその作業を続ける浩之を訝しく思った綾香がいう。
「あんたは入ってないわよ、あんたの前科は過剰防衛による傷害だもん」
 綾香の声を無視して、浩之はマウスを押し続ける。
 珍しい名字なので、該当者は一人だけであった。
 帆村由影 未
 最後の、未、という文字は、犯行当時の年齢が成年に達していないことを表している
のだろう。
 浩之は迷うことなくクリックした。
「その人に、なにか心当たりでもあるの?」
 綾香が身を乗り出してきた。既に、目が仕事を終えて酒を飲んでいる時のそれではな
い。
 そのデータは完璧であった。プライバシーというものが無力な防壁であるかのように、
そこには帆村由影に対するあらゆるデータが網羅されていた。経歴はもちろん、今現在、
どこで何をしているかまで。
 浩之は現住所を見て、断定した。
「ねえ、その人、なんなの? まだ未成年だけど……」
 いわれてみれば、以前の犯行当時も未成年だったようだが、現在でもそうであるらし
い。犯行当時が十四歳で、今は十九歳になっているようだ。
 容疑は窃盗。空き巣で捕まったらしい。
 自身は主犯ではなく、父親の共犯であった。母親は彼を産んですぐに死亡。
 父親の帆村恒夫(ほむら つねお)が窃盗の常習者で、幼い頃からこの父に仕込まれ
て十四歳の時点で彼の鍵を開けるテクニックは天才的だった。と、記されている。
 彼は鑑別所に入れられ、父親は刑務所に入った。その父親も三年前に警察病院で病死
している。担当医によると、不摂生の見本みたいな男だったようだ。
「すっげえな」
 浩之は来栖川SPが持っている情報量に戦慄した。
「その帆村っての、怪しいの?」
「い、いや、まだわからねえ」
 浩之は慌てて手を振った。
 前科があるからといって、疑うのは早計であろう。それこそ、罪を償い、反省して、
真人間になっているかもしれないのだ。

 その晩、浩之は綾香によって散々に飲まされ、不覚にもとことん酔っ払ってハイヤー
でご帰宅することとなった。
 翌朝、11時に出勤した浩之は事務所の入り口で志保に会った。
「やべっ」
 反射的に呟いた浩之に志保が嬉々とした足取りで向かってきた。
「最新情報よ、最新情報!」
 志保は、浩之の遅刻をなじる素振りを見せずに、そのようなことをいった。
「な、なんだ。いってみろ」
 浩之が安心して、でかい態度になる。
「ほら、例の英雄のことよ」
「ん、ああ、「義賊」のことか」
「うん、昨日の晩に急展開よ」
「な、なにぃ、捕まったのか! ど、どんな奴だ!」
「ストップ! 誰も捕まったとはいってないでしょ、ただ大きな動きがあったのよ」
「大きな動き……」
 志保の情報によると、昨晩、また「義賊」が現れた。
 しかし、今までのように鮮やかに仕事を終えることはできなかった。ここ数日、暴力
団が背後にいる金融会社などは、密かに事務所に寝ずの番を残していたのである。
 運悪く、「義賊」はそんな金融会社の一つに忍び込んだ。そこには、
「ふざけた野郎だ。痛い目に合わせてやるぜ」
 と、目を血走らせたチンピラたちが待ち構えていたのである。
 事務所のドアの鍵があっという間に開けられ、そいつが入ってきた。
 金庫の前に座り込んで、何かをし始めた。と見るや、兼ねての打ち合わせ通り、部屋
の照明がカッと照り輝いて室内の闇を一掃した。
 そいつは、さすがに驚いて、素早い身のこなしで逃げようとした。が、そこに抜き身
の短刀を持った男が思いきりぶつかっていった。
 「義賊」は、それからも脱して、床に点々と血痕を残して逃げていった。
 騒ぎを聞きつけた隣人に通報されて駆けつけた民間警察に、その男は血塗れた刃を見
せつつ、
「確かに刺してやった」
 と、不適にも誇らしげにいった。
「と、いうわけで、只今、民間警察が大動員かけてるわよ、病院とかをあたってるみた
い」
「……」
「ヒロ? どしたの?」
「ちょっと、出てくるぜ」
 浩之は早足で歩き出した。
 地下の駐車場まで戻ってくると、しっかりと志保が後ろから、
「ちょっと待ってよ! 待ちなさいってば!」
 とか、叫び散らしながら追尾してくる。
「ええい! 乗れ!」
 ここで、志保と、来るな、いや行く、の問答をしていては時間の無駄と踏んで、浩之
は助手席に志保が座るまで待った。
「どこ行くのよ」
 志保が助手席で息を切らしながらいった。
「ちょっと……確かめにな」
 浩之はそれだけいって、後は沈黙した。志保は、浩之の表情に真剣なものを認めたの
か、以後、何かを尋ねてくることはなかった。
 アパートの前の道路に停車して、浩之は降りた。
 続いて志保も降りる。
 そして、彼女が、あっ、と声を上げる。
「あら、藤田くん……それに、長岡さんじゃない?」
「あ、雛山さんじゃない! なによ、ヒロ、雛山さんに会いに来たの?」
「藤田くん、私に何か用なの? 私……この後すぐバイトがあるんだけど」
 すまなそうに理緒がいった。
「いや、大した用じゃないんだ。バイトに行ってきなよ」
「うん、ゴメンね」
 理緒は手を振りながら小走りで去っていった。
「なによ、雛山さんに何を確かめに来たっていうのよ?」
 浩之は何もいわずに、目的の部屋の前へと行った。
「帆村……って、誰よ?」
 表札を見た志保が不平そうにいった。一体どういうつもりなのか、いい加減に教えて
くれ、という意思が容易に見て取れた。
 浩之は沈黙を保ったまま、インターホンを鳴らした。
「誰です? 理緒さんですか?」
 ドア越しに微かに聞こえた声は苦しげであった。
「藤田浩之だ。理緒ちゃんの知り合いの」
「なんですか?」
「ちょっと話がある。直接会って話したい」
「僕は、今日は体調が悪いんです。帰ってくれませんか」
「おれは拳銃を持っている。四十五口径のこんなドアなんぞぶち抜いちまうぐらい強力
なやつだ。五秒以内に開けろ」
「……」
「ちょっと、ヒロ」
 浩之は懐中からコルト・ガバメントを取り出した。が、このドアを撃ち抜けるという
のはハッタリである。浩之が持っているのはモデルガンを元にした改造銃であり、実際
はさほどの威力は無い。
 このアパートのドアに覗き穴がついているのを知った上での演技であった。
 四秒後、ドアは開かれた。恐怖を面上に浮かべた帆村は、ドアを開けるとよろめくよ
うに後退した。
 浩之は遠慮も何も無い。ガバメントを握ったまま靴を脱いで上がり込んだ。
「ヒロ、ちょっと、ヒロ」
 志保もさすがに、浩之のこの傍若無人な振る舞いに戸惑っている。元々その気がある
男だが、今回ばかりはやりすぎに思える。
「血の匂いがするな……」
 浩之がそういうまでもなく、室内には血の匂いが満ちていた。そして、帆村の顔色が、
どう見ても青ざめていることを思えば、その血がどこから出てきたのかは一目瞭然であ
った。
「わ、なにこれ」
 恐る恐る入ってきた志保が、床に落ちていたタオルを見て声を上げた。
 真っ赤に染まったそれは、まだ湿り気を帯びていた。
「怪我してんのか?」
「あ、ああ」
「間違ってたら謝る。……その怪我は、昨日の晩に金融会社に盗みに入った時、そこに
いた男にドスで刺されたものか」
 今まで、浩之に非難の視線を向けていた志保は、愕然として目を見開き、それまであ
まり気にもしていなかったこの部屋の住人を見た。
「ち、違うよ……その……料理しようとして、包丁を使ってて……その……間違えて、
自分を刺しちゃったんだ」
 帆村は哀れなほどに顔色を悪くしてギラリとした浩之の眼光を怯えた瞳で受けていた。
「そうか……」
 浩之はすっ、と視線を外した。瞬間、帆村が大きな溜め息をつく。
「疑ったりして悪かったな……邪魔した」
 浩之は、ガバメントを懐に戻して、背を向けた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ヒロ」
 志保は、今度は先程とは全く正反対の理由で浩之を制止した。どう考えてもこの帆村
という青年は怪しい、見たところ脇腹の辺りを怪我しているらしいが、料理のために包
丁を使っていて、それが脇腹に刺さるなど明らかにおかしいではないか。この部屋へ乗
り込んだ時の浩之の態度からして、てっきりこれから締め上げるものだと思っていた志
保はどうしても納得ができなかった。
「どう見たって怪しいじゃないの!」
「本人が違うっていっている以上、しょうがねえだろ」
「何いってんのよ、鬼の浩之ともあろう者が!」
「……それは、お前が流布させた呼び名だろうが」
「ヒロだって、この人が怪しいと思ったから来たんでしょ!」
「だから、本人が違うっていってんだ。おれたちは警察でもなんでもねえ、これ以上は
どうにもできねえよ」
「……」
 志保は不平満々といった顔であった。
「それじゃ、邪魔したな……理緒ちゃんの妹の入院費を貸してやったらしいな。返すの
はいつでもいいっていって」
 俯いていた帆村の肩が微かに震えた。
「ありがとよ、おかげで理緒ちゃん、だいぶ助かったみたいだ」
 浩之は、そう小さく呟くと、志保を促して部屋を出た。
「ヒロ、あんたなに考えてんの!」
 志保が浩之の背中に怒鳴りつけた時、その志保の背中に、か細くあたる声があった。
「ま……待って……」
 浩之と志保が振り返ると、そこには開いたドアに体の半ばを預けてなんとか立ってい
る帆村由影がいた。
「待って……くれ」
「なんだ」
「話したい……ことが、あるんだ……」
 途切れ途切れの弱々しい声だった。
「志保、救急車だ」
 浩之にいわれて、志保が慌てて携帯電話を取り出した。

「親父は、年季の入った泥棒でね……」
 病室のベッドに横たわって上半身を起こした帆村を挟むように、ベッドの周りには、
浩之と志保が立っていた。
「親父の思い出っていったら、鍵を開ける練習させられたことかなあ」
 きちんとした治療を受けた帆村は、だいぶ顔色を良くしていた。
「初めて、針金でドアの鍵を開けられた時、親父の奴、生まれて初めておれのこと誉め
てくれたんだ。……あの時は嬉しかったなあ……」
 帆村は憑き物が落ちたように穏やかな表情で、淡々と言葉を重ねていく。
「誉められて、嬉しかったのか」
 浩之がぽつりといった。
「英雄だなんていわれて、みんなに誉められて嬉しかったのか」
「……へへ、馬鹿だろ」
 自虐的に笑った帆村は、何もかもを吹っ切っているように見える。
「でも、最初は、理緒さんの力になりたかったんだ。理緒さんに感謝されたかったんだ。
おれは金なんて欲しくなかったんだ……」
「それで……余った五十万をばらまいたのか」
「ああ……」
「そうしたら、みんなが自分のことをありがたがって英雄なんて呼んでいる。……で、
二回目をやったのか」
「ああ……おれ、ホントに馬鹿なんだな……」
「三回目のやつは、かなり意識してやったな」
「うん、あくどいことしてるところから盗んで、かっこよく置き手紙を置いておこう…
…なんてね……わくわくしながら考えてたんだ……」
「馬鹿が……」
「そう、馬鹿なんだ」
 二人のやり取りを見ていた志保には、十九歳の帆村がその年齢以上に幼いように見え
た。
「浩之」
 病室のドアが開いて、綾香が顔を出した。彼女は、突然、一連の事件の犯人が病院に
収容され、それに藤田浩之と長岡志保が付き添っていると聞いて、その理由を知りたい
という好奇心にどうやっても勝てずに飛んできたのである。
「どうした?」
「雛山さんが来たわ」
「そうか……帆村のことは?」
「あたしから、全部話したわ」
「そうか……志保、おれたちは席外すぞ」
 浩之と志保と入れ違いに理緒が病室に入った。擦れ違いざま、浩之は彼女の顔を見た。
思ったよりも取り乱していない。
 三十分間、浩之たちは特に言葉を交わすということはなく、ただ、理緒が出てくるま
で待っていた。
 やがて、理緒が退室してきた。
「理緒ちゃん」
「藤田くん……今度のことでは本当にお世話になって……」
「ん……まあ、お世話、ってようなことはしてねえけど」
 浩之は、頭を掻きながら、
「ところで、あいつとはどんな話を……」
 と、遠慮しがちに尋ねた。
「どんな理由があっても、人のお金を盗んだりなんかしちゃ駄目よ! って、怒ってお
いたわ」
「はあ、それで」
「帆村くん、泣いちゃった」
 理緒は目を潤ませながら微笑んだ。
「その後、よく正直に話したわね、って誉めて上げたの」
「ふうん……あいつ、喜んだだろ」
「うーん、泣いてたけど……」
「いや、喜んでるさ」
 浩之は呟いて、病室のドアを開けた。
「おい」
 ベッドの上に突っ伏していた帆村が顔を上げる。
「お前、ムショ出たらとりあえずおれんとこ来い」
 帆村の返答も待たずに、浩之はドアを閉めた。

 一週間が経った。
 理緒は、時々、帆村のところに面会に行っているようだ。
 あの二人、結局、どういう関係なんだろな。
 浩之には未だによくわからない。どう見ても姉弟みたいに見えてしまう。
「ちょっと、藤田くん」
「ん、どうした。智子」
「これなんや?」
 智子の手に紙が一枚ある。
「ああ、それは、金庫からそんだけ取った。って証明書じゃねえか……智子、お前の印
がしっかりと押してあるじゃねえか」
「うん、雛山さんが例のスーパーに五十三万返すいうて妹さんの高校の入学金に手ぇつ
けようとしたから、五十三万円、無期限無利子で貸したったんやろ」
「そうだよ、なんだよ、わかってんじゃねえか」
「長岡さんから情報が流れてきよった」
「な、なにぃ」
 志保の情報、と聞けば浩之はとりあえず拒絶反応が出るようになっている。
「ホンマは五十万きっかりやったそうやないか」
「は、ははははは、そうだったかあ? 志保の奴が間違えたんじゃないのか?」
「……」
「こ、怖いな、睨むなよ、智子」
「三万はどこ行ったんや! 三万は! 白状せえへんとどてっ腹で息させたるで!」
「そんなに怒るなよ、姉御」
「話す気、なしか……」
「……あー、その、なんだ……すまん!」
 勢い余って、浩之は額を机で打った。
「いや、小遣いがな、無くなっちゃって……」
「随分と、せこい真似しよるなあ」
「そこはそれ、おれも苦しいんだ」
「とりあえず、会社の金使い込むんは重罪や、ここはみんなで制裁を加えなあかん」
「せ、制裁って……」
「お仕置きっちゅうことやな」
 智子は大声で、浩之が会社の金を使い込んだことを皆に告げて、皆を集めた。
「ほしたら、みんな一発ずつ食らわすってことでええな?」
 いつの間にか、そういうことになっているらしい。
 逃げようにも、
「使い込みはいけませんよ」
 と、微笑んでいる琴音によって浩之は一歩も動けない。
 レミィが出かけているのが不幸中の幸いか……。
「それでは、藤田さん、行きます」
「げっ! いきなり葵ちゃんかよ!」
「はぁーい、みんな元気してる」
 今正に制裁。
 という時に、来栖川姉妹が遊びに来た。
「あれ、なにやってんの?」
「ああ、あんたらも加わるか」
「面白そうね、混ぜて」
「お前は混ざるな!」
「……」
「せ、先輩もやるの?」
「……」
 こくん。
「え、優しくするから大丈夫だって……いや、それなら安心だぜ」
 芹香に優しく叩かれるというのも、それはそれで何やら未知の快楽を予感させる。
「ただいま帰りましたデス。あれ? なにやってるデスか?」
「ああ、宮内さん、ええとこに帰ってきたなあ」
「帰ってくんな! もうちょい表で時間潰してこい!」
 なんやかんやで、いつもの藤田商事であった。

 とりあえず、死にはしなかった。ということを記しておく。

                                   終


          どうもvladです。予定よりも長くなって
          予定よりも書き込みが遅れた雛山理緒登場編
          です。
          以下、蛇足ですが、今回の話を書いていて、
          浩之と綾香というのは、恋人同士よりも、仕
          事上でのパートナーという方がずっとピッタ
          リだと思いました。いや、そんだけなんです
          けどね……。