最強への道 投稿者: vlad
「古堂さん、もう止めときな」
 行きつけの飲み屋の店主に酒を取り上げられて、古堂成二(こどう せいじ)は、仕
方なく店を出た。
「気持ちはわかるけどさ」
 背中に当たった店主のその声が今は却って辛かった。
 古堂は懲りずに自動販売機……は、夜の十二時を回ってしまって販売していないので、
コンビニでビールを買って、それを飲みながら歩いていた。
「ちきしょう……ちきしょう」
 明らかに酔漢の目をギラギラさせながらよろめきつつ歩く彼に好んで近寄る者はなく、
彼は道無き道を歩んでいたが、やがて、これもまた彼同様に少し酒が入っていると思わ
れる男がいきなり掴みかかってきた。
「おらあ、邪魔なんだよ!」
「触るなぁ」
「なにぃ……」
 男が仰け反りながらふっ飛んだのを、自分から勝手に一人で倒れたのだ。と、思った
者もいただろう。
 実際は、古堂が突き上げた掌底が顎を捉えたからであったが、あまりの速さのために、
それと気付いた者はほとんどいなかった。
「ちきしょう……ちきしょう」
 古堂は、男を殴ったことなど忘れたかのようにブツブツと呟きながら、自然と道を空
ける人々の間を歩いていった。
「ちきしょう……耕二、なんで死んだぁ」
 人の死というものが、こうも呆気ないものだとは古堂は思ってもいなかった。
 あれほどに強靱な肉体を持った人間も、3トンの重量を持つトラックに接触しただけ
で骨は折れ、内臓は潰れ、結局一度も意識を取り戻さぬまま逝ってしまった。
「後、三月だな」
「おおう、今度はやるぜぇ、今度はベスト8なんかじゃ終わらねえ」
 そんな会話を別れ際に交わしたばかりの出来事であった。
「なに見てんだよっ!」
 その声を、自分に対するものと思い、古堂は反射的にそちらを向いた。
 だが、それは自分に対するものではなかった。しかし、だからといって、見過ごせる
状況ではなかった。
 一目見ただけではどういう状況だかよくわからなかったが、仔細に見ると、一人の男
が二人がかりで痛めつけられているのだ。ということが理解できた。
 その側で顔を青ざめさせている女性は、痛めつけられている男の連れ、おそらくは恋
人か何かだろう。
 それほど人通りが少ないというわけではない場所で、大胆不敵といえば、大胆不敵だ
が、実はただ単に思慮が足りないだけに違いない。
 周りの人間は、無関心に、若しくは無関心を装っている。
 こんな時、耕二の奴だったら……。
 と、似たような状況で、自らの危険も顧みずに間に入っていった耕二のことを思い出
すと、古堂は無性に腹が立った。
「止めなよ、どんなわけがあるのかは知らないけどさ」
 少し焼きを入れてやる。と、古堂が決意した時、全く別の男がやってきて、二人の男
にいった。
 おそらく、大学生だろう。一人ではなく、眼鏡をかけた女性を連れている。
 彼は、止めなよ止めなよ、といいながら、何時の間にやら、二人の男と痛めつけられ
ていた男の間に入っていた。
「てめえ、やんのか!」
 男たちの怒号を、彼は困ったような顔で聞いていたが、その隣にいる女が、
「おう、やってやんわよ! ねーえ、柏木くぅん」
 と、握り拳を作って叫んだ。
「ちょ、ちょっと」
 無茶苦茶慌てて、柏木と呼ばれた男は女を制止したが、もちろん、もう遅い。
「おらぁ!」
 男の一人が突っ掛かってくるのをかわそうともせずに、彼は手を振った。
 男の口の辺りに平手が炸裂した。
 古堂が驚愕したのは、それほどに大きく振ったわけでもないその攻撃が、男をふっ飛
ばしたことである。ガードレールに寄っかかった男は、何かを吐き出した。
 小さい、白い塊が六つ。前歯であった。
「あ、わりい、大丈夫か」
 心配そうな声を上げたのは、張本人であった。
「わぁーっ、すっごおい、かひわぎくぅん!」
 連れの女が拍手しながら叫んだ。
 かひわぎ、というのは柏木、という意味らしい。
「さーあ、あんたも泣いてはいつくばって謝んなら今のうちだかんね!」
「ゆ……由美子さん」
 ひたすらオロオロする彼の思惑から180度違う展開が待っているのは明白であった。
「この野郎!」
 殴りかかってきた男を、彼は軽く後方にさばいた。
 男がすぐには勢いを止められずに宙を泳ぐ。
「おい、もう止めようぜ」
 必死の制止。
「ねぇん、柏木くぅん、私、あいつの命の炎が見たいなあ」
 無にする酔漢の声。
「もう……ちょっと、由美子さんってば飲み過ぎだよ」
「この状況でいちゃついてんじゃねえっ!」
 体勢を立て直して再び突進してきた男の言葉に正しさを認める者もいただろう。
「待てっていってるだろ!」
 彼は、向かってくる男をまたもや軽くいなした。そして、蹴りを放つ。
 古堂の目から見て、それは決して上手い蹴りではなかった。
 対して、男の方は、少しは心得があるのか、しっかりと腕をガードの形に持っていっ
ている。
 だが、その蹴りはガードの上からでも十分過ぎるほどの威力を秘めていた。確かに、
蹴り自体は防いだ。だが、男はふっ飛ばされて、建物の壁で後頭部を痛烈に打ち付けた。
 見たところ、飛んだ距離は約5メートル。
「あーあ、結局やっちゃったなあ」
 頭を掻きながら、彼は連れの女性に肩を貸していた。
「おい、あんたら」
 古堂が彼らに走り寄った。
「早くずらかれ、警察が来るかもしれんぞ」
「えっ! 警察!」
「こっちだ!」
 古堂に先導されて行くこと十分。この、妙な一行はどこかの公園に辿り着いていた。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
「ああ、どうもすみません」
 連れの女性をベンチに寝かせた彼が頭を下げる。
「あんた、なかなかやるねえ」
「へ……ああ、あれですか」
 照れたような顔で、頭髪を引っかき回す。
 打ち込んでみたい。という衝動はどうしようもなく、古堂の中に沸き上がっていた。
「すまん!」
 叫びながら古堂は衝動を解放した。
「えっ」
 と、呟いた呆然とした顔に正拳が一発。
「何をするんだっ!」
 見えなかった。全く、見えなかった。
 古堂は、気付いた時には、彼の右腕に襟首を掴まれて高く掲げられていた。
「は……は……はははっ! あははははははっ!」
 古堂は笑った。久しぶりに歓喜に全身が打ち震えた。地に足がついていないことも気
にならなかった。
「な、なんだよ……いきなり笑い出して」
 彼は、不気味そうに見上げていた。
「耕二……耕二ぃ! こいつはいけるぞ!」
 天に向かって叫び散らすこの男に、訝しげな視線を向けつつ、彼はいった。
「耕二って……誰だ? おれは耕一だしなあ」
「あ、あんた、耕一っていうのかい」
「あ、ああ」
「そうか……そうかあ……耕二ぃ、行ける、行けるぞ! こいつなら行けるぞお!」
「お、おい……」
 ベンチでむくり、と何かが起き上がった。
「あれぇ、柏木くぅん、なにしてんの?」

 一週間が過ぎた。
「柏木くん、押し掛け師匠は?」
 と、いう問いが小出由美子から柏木耕一に向けて発されることが多くなった。
「全然、諦めてくれないんだよお」
 やや憔悴した表情で机に突っ伏した耕一がぼやく。
「柏木くん、腕っ節はいいんだからけっこういい線行くと思うけどなあ」
「駄目駄目、エクストリームになんかおれは出ないの!」
「でもさ、けっこういいと思うんだけどなあ」
 いいつつ、由美子はうっとりとした表情で耕一の腕を触っていた。
「な、なにすんの」
「あ、ごめーん、なんか最近、柏木くんの腕に触りたくなっちゃうんだ」
「そ、そ、そうなの」
 その日も、アパートの前で古堂は待っていた。
 今日こそ諦めてもらおう。と、耕一は決意していた。
「古堂さん、おれはやらないって何度いったらわかってくれるんだ」
「お前しかいねえんだあ。おれと一緒に夢を叶えるのはよお……」
「あのね、おれは格闘技なんか素人だし、やる気もないんだ」
「行ける、お前なら行ける。おれには見えるんだ……お前が優勝トロフィーを高く掲げ
て大観衆に応えているところがよお……あの、特等少年院の暴れん坊がよお、みんなか
ら声援受けてよお……」
「ちょっと……」
 古堂がトリップしたので、耕一はなす術が無かった。念のためにいっておくが、特等
少年院云々のところは、耕一ではなく「耕二」の方である。時々ごっちゃになるのだ。
 話し合うこと五時間。耕一はようやく「生け贄」を差し出すことで解放された。
「怒るかなあ……怒るかもなあ……」
 自分の部屋で耕一が不安がっていた時、古堂成二は夜行列車に飛び乗っていた。

 数日後。
 隆山。
「ああ、もう! しっつこいなあ! やんないってば!」
「梓ぁ〜〜〜! おれと、おれとチャンピオンを目指そう!」
「あたしはね、陸上やってんの!」
「ふ、へっへっへ、おれにはわかるぜ、お前は陸上なんかで満足するタマじゃねえ、お
前には血で血を洗う格闘技の方が向いてるんだ!」
「いいじゃない、やってみれば」
「もう! 千鶴姉ってば他人事だと思って!」
「梓、行けるぞ、お前なら来栖川綾香を倒すのも夢じゃねえ、痴漢だと思ったおれの肋
骨をへし折ったあの電光石火の蹴りは世界を制する蹴りだ!」
「……そ、そのことなら何度も謝ったじゃないか」
「ふ、ははっ、ははははっ! 謝ることなんかねえ、おれはな……おれは嬉しいんだよ」
「ちっくしょ〜っ、耕一め、変なの押し付けやがって〜っ!」
「おれにはな……見えるんだ。お前が優勝トロフィーを高く掲げて大観衆に応えてると
ころがよお……あの、特等少年院の独房の常連がよお……みんなから声援受けてよお…
…」
「古堂さん……泣いてる」
「……よっぽど梓姉さんのことを見込んでるのね」
「まあ、可哀想に……梓が首を縦に振らなかったらこの人、どれだけ悲しむのかしら」
「ええい! あたしが悪いみたいにいうな!」

 三ヶ月後。
 柏木耕一が「エクストリーム高校生女子の部のチャンピオン」の襲撃を受けて生死の
境をさまよったことについては深く言及するのを避ける。

          どうもvladです。
          ハッピーエンド、といっていいのかな? こ
          れ、実は、当初の予定では古堂のおっさんに
          指導を受けた耕一がエクストリームに参加し
          て浩之、綾香、葵、坂下までが登場するはず
          だったんだけど「格闘技のことよくわからん」
          という致命的な理由のために断念しました。
   
              仮面慎太郎さん
         感想ありがとうございました。

 それではまた……。