見守る 投稿者: vlad
 最近、僕が夢中になっているのは彼女だ。何もかも放り出して彼女を追い掛け始めて
からもう一週間にもなる。
 追い掛ける、といっても、彼女は芸能人というわけではない。まあ、アイドルといっ
ても全然おかしくないほど可愛いのだが。
 僕は今日も彼女の家に来ていた。夏なので、障子が開け放たれていて、居間の様子が
よく見える。
「夕食できたよーっ!」
 と、いう大声は、彼女のお姉さんのものだ。僕は気を引き締めた。もうすぐ彼女がこ
こにやってくるに違いないからだ。
「あ、楓、食器運ぶの手伝って、千鶴姉は座ってるように」
 他の二人のお姉さんもやってきて、どうやら一番上のお姉さんがなんだか不満そうに
座り、すぐ上のお姉さんが、真ん中のお姉さんの手伝いをして食器を運んでいるようだ。
「あ、楓お姉ちゃん、私も手伝うよ」
 来た。彼女だ!
 僕は、すぐさま双眼鏡を取り出して、彼女の愛くるしい顔を覗き込んだ。
 くううううううう。やっぱり可愛すぎる。
 食事の間中、僕は彼女を見ていた。口を開けた時に見える白い歯に妙にドキドキとし
た。
「あ、そうだ。初音」
 食事が終わって、お茶を飲みながら、一番上のお姉さんが、彼女にいった。
「明日、耕一さんが昼頃に到着するらしいの、私は仕事だし、梓は部活、楓は友達と約
束があるらしいのよ、あなた迎えに行ってくれない」
「うん、行く行く」
 と、嬉しそうに彼女。
「あたしも部活なんかさぼって行きたいんだけど、明日は絶対に出るってみんなに約束
しちゃったんだよなあ。……まったく、耕一がいきなり前日に報せてくるからいけない
んだ」
 ブツブツと真ん中のお姉さんが呟いている。
「……私も、ずっと前からの約束だから外せなくて」
 と、残念そうに呟いたのはすぐ上のお姉さん。
 なんだなんだ。どうやら、話に出てきた「耕一」とかいうのは、彼女までもか、三人
のお姉さんたちにまで好意を持たれている人物らしい。
 僕は彼女一筋だが、三人のお姉さんたちも客観的に見て十分美人だ。
 ぐぬぬぬぬぬ、彼女だけでも許せんのに、御近所でも評判の美人四姉妹全員に好かれ
ているとはとんでもない奴だ。
 僕は茂みの中で歯ぎしりした。

 翌日、土曜日。
 僕は今日も彼女を追い掛けて見守っていた。(世間一般ではストークという)
 僕は本当に彼女の虜になってしまったんだな。こうして一日中見守っているなんて、
我ながら僕も思いこんだら一途な男だ。(世間一般ではストーカーという)
 僕は、いつものように、彼女の学校の隣に建っているマンションの屋上から、授業中
の彼女を見守っていた。先生にあてられて答えがわからずに困っている姿を見ると思わ
ず応援してしまう。
 ちなみに、ここは僕が見付けた絶好のポジションだ。
 そして放課後、彼女はウキウキとした足取りで駅の方にと向かった。彼女の家とは方
角が違う。時刻は現在12時20分。
 まさか……昨日の話に出てきた「耕一」とかいう男を迎えに行くのではなかろうか。
 僕は、彼女の後を追った。
 駅に着くと、彼女は満面の笑みを浮かべて手を振った。
 こんなに嬉しそうな彼女の笑顔は滅多に見れない。
 狂喜すべきところなのだが、今度ばかりは、僕の視線は彼女のそれを追って、一人の
男に向かっていた。
「やあ、初音ちゃん、久しぶり」
 男は顔を綻ばせて彼女に近付いてきた。
「久しぶり、耕一お兄ちゃん」
 ……ん、どういうことだ。
 聞き間違いではない、確かに、「お兄ちゃん」といった。
 あの家のことは調査済みだ。あそこには現在、彼女とお姉さんたちの四人が暮らして
いて、そして、彼女たちはきっちり四人姉妹だ。兄弟は一人もいないはず。
「全く、暑いねえ」
「うん、そうだね」
「みんなは家にいるのかな」
「ううん、千鶴お姉ちゃんはお仕事で、梓お姉ちゃんは部活で、楓お姉ちゃんは友達と
の約束があるっていってたから、今、家には誰もいないよ」
「ああ、そうなんだ」
 たわいもない会話をしながら、彼女はとても嬉しそうだ。止めろ、おれ以外の男にそ
んな笑顔を見せるのは。
「それじゃ、なんか冷たいもんでも飲んでいこうか。おれ、喉かわいちゃったよ」
「うん」
「どこかに喫茶店か何か無いかな」
「それだったら、あっちの方にあるよ」
「よし、行こうか」
「うん」
 おのれ、どこのどいつだ。あの野郎は。

 その後の調査によると、あの男は柏木耕一といって、彼女の従兄弟にあたる人物らし
い。最近は、連休時にはちょくちょくやってくるという。
 僕はその日の晩も柏木家の庭に陣取って彼女が居間に現れるのを待っていた。
 彼女の部屋に行きたいところではあるが、部屋の窓はいつも閉められ、窓ガラスは磨
りガラスになっていて中をうかがうことはできない。全く、恥ずかしがり屋さんめ。
(確実に違うと思われる)
「飯はまだかあ」
 そういいながらドスドスと床を鳴らして現れたのは例の耕一という男である。奴は、
居間に誰もいないと知ると、同じことをいいながら台所の方にと消えていった。
「……ちょっと……ろよ」
 真ん中のお姉さんの声が微かに聞こえたが、何をいっているのかはわからない。奴と
話しているようだが。
「……」
 ん……。
「……」
 なんだ。……なんか後ろに気配が。
「にゃあ」
 なんだ。ねこか。
 僕は安心して振り返った。
「!……」
 声は出なかったが、僕は思わず息を飲んだ。
「……どなたですか?」
 彼女のすぐ上のお姉さんが数匹のねこを従えてそこに立っていた。一匹を抱き上げ、
一匹を頭の上に乗せ、じっと僕を見つめている。
「……うちに何か用ですか?」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は!」
「……はい」
「だ、誰でもないし! 用もないですぅ!」
 僕は叫んで、後ろも振り返らずに走り去った。

「なにぃ、不審な男……」
 夕飯を食べている時に、楓ちゃんが話した話に梓は妙にドスの利いた声で反応した。
「本当かい? 楓ちゃん」
 と、いっても、やはりおれとしても気になるところである。なんといっても、この家
には美人四姉妹が住んでいるのだからして、痴漢に寄ってこいといっているようなもの
だ。
「……はい、確かに見ました」
 楓ちゃんは夕食の前に、最近柏木家の庭に住み着いた野良ねこ一家に餌をやっていた
ところ、茂みの中に人影が見えたので声をかけたが、その男は滅茶苦茶動揺して、逃げ
ていってしまったという。
「もう、そんな変質者はその場で取り押さえてぶん殴ってやればよかったのに」
 梓が握り拳を作って吠える。女の子らしいとはいえないが梓らしい。
「そうね、そういう人にはちょっとお灸をすえた方がいいかもしれないわね」
 と、千鶴さんまで、にこにこしながらそんなことをいう。
「千鶴姉、まさか殺す気じゃないだろうな?」
 梓が冗談めかしていい、千鶴さんの顔を見て、すぐに黙りこくった。それは、おれと
楓ちゃんと初音ちゃんも同様だ。
「あら、人間ってけっこう痛めつける場所によってはなかなか死なないものよ」
 ……。
 千鶴さん、なんでそんなことを……いや、深く追求するのは止めよう。
「でも、なんかちょっとこわいね」
 絶対零度にまで落ち込んだ部屋の空気を暖かい方向に向かわせるため、初音ちゃんが
いった。その表情からすると、本気でこわいという気持ちもあるようだ。
「そうね、梓は大丈夫でも私たちが……」
「……あんたが一番大丈夫だろうが」
「楓ちゃん、そいつの特徴みたいなのは覚えてない?」
 おれの質問に、楓ちゃんは考え込んだ。
「……歳は若かったようです。それから……体格は中肉中背で……すいません、一瞬だ
けだったんで……」
「いや、別に楓ちゃんが謝る必要はないよ」
 おれは慌てて手を振っていった。
「ううむ、千鶴さんは車で送り迎えしてもらえるからいいとして……、楓ちゃんと初音
ちゃんと、梓は、帰りが遅くなるようだったらおれを呼んでくれ」
 おれは胸を張っていった。楓ちゃんと初音ちゃんは素直に頷き。一名、素直でないの
もいたが、満更でもなさそうだ。

 昨日の件で、警戒が強まるに違いない。これからは、庭に入るのを控えた方がいいだ
ろう。
 僕は、仕方なく門から離れた物陰で、彼女が学校に行くために出てくるのを待った。
彼女が玄関のところで、誰かに「行ってきまーす」と、いって姿を現した。
 僕は、今日も彼女を見守るために、その後に続いた。
 僕は、三時限目の到来とともに、ウキウキと心躍らせながら、いつもの絶好のポジシ
ョンから移動した。
 今まで、マンションの屋上の端にいたのだけど、その反対側の端まで移動する。次の
時間はここが絶好なのだ。
 肉眼で見て、そこに生徒たちがあふれ出るようにやってきたのがわかった。
 僕は早速高倍率の双眼鏡をかざして、彼女を探し始めた。
 準備体操のために全員が一カ所に止まっているのは好都合だ。僕は女子を端から端ま
で一人ずつ片っ端からチェックした。
 そんなに背が高くない彼女は端っこの方にいた。笛の音に合わせて体を動かしている。
 スクール水着の彼女の姿は眩しすぎて僕はただ見とれるしかなかった。先日、雨でプ
ールの授業が潰れてから悔しさに身をよじりながら悶々と日々を過ごしたものだが、今、
この瞬間、それらの忍耐は全て報われた。
 ああ……可愛いなあ。
「おい」
 僕の全神経は視覚に集中していたといっていい。
「おい、こら」
 それに気付いたのは、彼女の太股を写していたレンズに黒い幕がかかってからである。
 一瞬、何がなんだかわからなかったが、僕はすぐに、何かが双眼鏡のレンズを塞いだ
のだということを理解した。
「よお」
 男が僕を見下ろしていた。その手が、双眼鏡に被さっている。
「なにしてんだ? お前」
 僕は、息を飲んだ。なにしてんだ? といいつつも、こいつはとっくのとうに僕が覗
きをしていると思っているのだろう。決して僕の行為は覗きではなく、彼女を見守る愛
ゆえの行動なのだが、第三者にはそのようなことを説明してもわかってもらえないだろ
う。これは、僕と彼女だけに価値がある行動なんだから。(お前だけだ)
「お前、楓ちゃんが見たっていう不審人物じゃないだろうな」
 楓……という名前には聞き覚えがある。昨晩、僕に声をかけてきた彼女のすぐ上のお
姉さんだ。
 と、いうことは、こいつ。
 僕はそこで初めてそいつの顔をじっくりと見た。
「おれは、柏木耕一って者だ。お前、初音ちゃんをつけ回しているストーカーか? そ
れとも単なる覗きか?」
 そう問い掛けながら、そいつは僕のボストンバックを取り上げて、なんの断りもなく
チャックを外した。なんて非常識な奴だ!
「なんだあ、超望遠カメラってやつか、これは」
 そういって、その男は僕の宝ともいえるカメラを取り出した。
「これ、無茶苦茶高いやつじゃねえのか」
 なんていいながら随分と雑にいじくってくれる。
「ま、これを見ればわかるな」
 そいつはなんの躊躇いもなくフィルムを抜いた。
「ほほう……初音ちゃんに初音ちゃんに初音ちゃんに初音ちゃんか」
 そいつは、僕が彼女を写したフィルムを陽にかざしながら呟いた。
「か、返せ!」
 僕は立ち上がってそいつに掴みかかった。普段は臆病な僕だけど、彼女のためとあら
ば自分でも信じられない力が沸いてくる。これも愛の力か。
「寝てろ」
 無我夢中で突進した僕はわけもわからぬ内に投げ飛ばされて、思いっきり背中を痛打
した。
「これ全部没収な」
 そいつは平然とした顔でいって、ボストンバックを手に取った。
「それから……初音ちゃんの半径50メートル以内に近付いたら狩るからな」
 妙に凄みのあるその声に、情けなくも、僕はぞくりとした。
 でも、このままおめおめとは引き下がれない。そう、これは試練に違いない。僕が彼
女のためにどこまで捨て身になれるかが試されているんだ! ここで負けるわけにはい
かない!
「わあっ!」
「おっと」
 僕は飛びかかって、そいつの腰にしがみついた。見た目はスマートなのだが、思った
よりもガッチリとしていてビクともしない。
 それどころか、一瞬後、僕は上から降ってきた肘を背中に貰って腰から手を離して倒
れてしまった。
「この野郎、いうこと聞かないなら考えがあるぞ」
 そういって、そいつは僕の体をまさぐり始めた。
 やがて、ズボンのポケットから僕の定期入れを取り出す。
「あったあった。……なになに……ふむふむ……この近くに住んでる高校二年生か」
 そいつは定期入れの中の僕の学生証を見ているらしい。
「お前、今度初音ちゃんに付きまとったら家なり学校なりにねじ込むからな」
「な……なんで……」
「ん、なんだ」
「なんで、僕と彼女の間を邪魔するんだ!」
 そうだ。いくら彼女の従兄弟だからって、そんな権利はこいつにはないはずだ。
「お前……よく考えてものをいってるか?」
「僕はこの一週間、ずうっと彼女を見守ってきたんだ! それがそんなにいけないこと
なのか! 彼女を見ているのがそんなにいけないことなのか!」
 僕は声を限りに叫んだ。
 そいつは、眼光を鋭くしていった。
「いけないね」
「なぜだ! なぜあなたがそんなことを決めるんだ!」
「初音ちゃんはおれのものだからだ」
 全く動ぜず、そいつはいった。
「初音ちゃんの、爪先から寝癖の先まで全部おれのものだ。と、いうか、最初からおれ
のために存在しているのだ。頭はおれに撫でられるために、瞳はおれと見つめ合うため
に、耳はおれの声を聞くために、唇はおれとキスをするために、胸はおれに揉まれるた
めに、腰はおれに抱かれるために、そして(以下一部自主規制)するために存在するの
だ。だから本来、おれ以外の誰が初音ちゃんを見てもいけないのだ。しかし、そういう
わけにもいかないから大目に見ているとお前のような勘違いした奴が出てくる」
 そいつの目が、赤く変色しているように僕には見えた。
「ち、違う! 彼女は僕のものだ!」
 そうだ。彼女は断じて僕のものなんだ。他の誰にも渡しはしないぞ!
「……全く……お前は千鶴さんにお灸をすえてもらった方がいいようだな……」
 僕はすぐに引き起こされ、腹の辺りに衝撃を感じるとともに、気を失った。

 全く、油断も隙もねえな。
 おれは、気絶したそいつを見下ろしながら思った。初音ちゃんは可愛いからもしかし
たら、と以前より危惧はしていたのだが、実際にこういうストーカー野郎が現れると、
危機感がリアルなものになっておれを不安にさせる。
 こいつの始末は千鶴さんに任せよう。妹想いの千鶴さんのことだから、初音ちゃんを
魔手から守るために力を貸してくれるに違いない。
 おれは、没収した双眼鏡を覗き込んだ。
 おっ、初音ちゃんが泳いでる。可愛いなあ。
 む、あの子、高校一年生にして梓に匹敵するものを持っているぞ、最近のガキは油断
できないな。
 あっ、プールサイドで走ったら危ないよ、初音ちゃん。
 ……。
 これからも、暇を見付けては初音ちゃんを「見守り」に来ようとおれは決意した。
 もちろん晴天の日に。

 深夜二時になっても家に帰らず、両親から捜索願が出されていた高校二年生の少年が
見つかったのは、三日後のことであった。
 少年は、その間、何があったのかを決して語ろうとはせず、それから女性恐怖症(特
に黒髪でロングヘアーの女性)になって部屋から出ようとはしなかったという。
 彼が日常生活に耐えうるまでに回復するのはそれから三年後のことであった。

                                    終
 
                    どうもvladです。初音ちゃんを付け狙う
          ストーカーのお話です。あれだけ可愛い初音
          ちゃんなのでストーカーの一人や二人はつい
          ているのではないか、と思って書きました。
          また琴音ちゃんの時と同様に初音ちゃんSS
          のつもりで書いたのに、当の御本人があんま
          り出てこない作品になっちまいました。

 それではまた……。