関東藤田組 矢島巡査 後編 投稿者: vlad
「見つかったみたいだな」
 浩之は、窓を開けて窓枠に腰掛けながら町並みを眺めていた。遠くの方から、小さく
銃声が聞こえる。
「そう長くは逃げられないでしょ」
 浩之の横から窓の外を見ながら、志保がいった。
「多少の犠牲は出るだろうな。腕の立つ奴らしいから」
 人事のようにいった浩之を渦中に招いたものは、その時、藤田商事の入り口でマルチ
と鉢合わせしていた。
「浩之さぁ〜〜〜ん」
「どうした。マルチ」
「お客さまがお見えになってますぅ」
「客? 誰だ?」
「野瀬魅意さんとおっしゃっていますけど」
 入り口の方から顔を覗かせたマルチに、浩之は首を傾げた。
「知らねえぞ、そんな女」
「行きずりでほったらかした女とちゃうんか?」
「ヒロならあり得る」
 智子と志保の声を背中で聞き流しながら、浩之は入り口の方にと向かった。
「なんだ。喫茶店の子じゃないか」
「喫茶店の子に手を出してたのね」
「志保ぉ! 情報を歪曲しないように!」
 浩之は、魅意を連れて戻ってきた。彼女をソファーに座らせて話を聞く。
「矢島が行った。……まあ、そりゃ行くだろ、警察官なんだから」
 浩之の反応は素っ気なかった。荒事の多い人生を送っていると、そういうことに対す
る感覚が麻痺しがちである。
「助けて、親分さん!」
「藤田さんでいいよ、しかしな、あいつだって一端の警官なんだからそりゃいらぬお世
話ってやつじゃないのか?」
「ねえねえ、なんの話よ」
 と、志保が雅史に囁く。
「ああ、高校の同級生だった矢島くんがね、今、警察官になってるんだ。この近くの交
番で勤務してるらしいよ」
「ああ、矢島くんって、あの、あかりに手を出そうとして浩之に半殺しにされた矢島くん
ね!」
 そういうことをした覚えは一切無いのだが、志保のところではそういうこととして処
理されているらしい。
「ヒロ! あんた同級生の危機を見捨てるの!」
「ええい、わかったわかった」
 浩之は立ち上がった。懐にガバメントが入っているのを確認して、レミィに目を向け
る。
「レミィ、行くぞ」
「ハイ! ハンティング!」
「おう、ハンティングだ」
「ちょっと、宮内さん連れてって大丈夫なんか?」
 智子が心配そうにいうが、浩之は手を振った。
「けっこうあぶねー奴みたいだからな」
「OH、危ない奴には危ない奴をぶつけるのが一番ネ!」
 わかっているのかいないのかは不明だが、本人のいうことなのでよしとしよう。
「それから、念のために琴音ちゃん」
「はい」
「頼むぜ」
「はい、藤田さんの頼みならば」
 言い換えれば、琴音は浩之以外の人間のために念動力を使ったことがないし、使うつ
もりもないらしい。
 浩之たちが社を出た頃、捕り物はまだ終わっておらず、銃声もさっきより近くなって
いた。
「ほとんど猟だな、しかし、よく町中でぶっ放しやがるな」
 このままでは付近一帯の避難勧告が出されるのは時間の問題であろう。と、いうより
も未だに発令されていないのが遅いぐらいだ。
 特に、海藤に社員を殺されたGC(ガーディアン・カンパニー)社が躍起になって、
だいぶ無茶をしているようだ。
「気を付けて行くぞ、二人は危なくなったらさっさと逃げろ」
「フフフ、ハンティング〜〜〜っ」
 聞いていない。
 浩之たちは、とにかく銃声のする方角へと足を向けたが、突然、銃声がしなくなった。
「なんだ。さっきので終わっちまったのか」
 しばらくして浩之が呟いた時、一発聞こえた。
「近い」
 浩之はそれだけいって走り出した。

 矢島は警察官の強みで、来栖川SPの人間に海藤のおおよその場所を聞いた。これが、
ライバル会社の社員だったりすると張り倒されるだけだが、一応とはいえ警察官である
のでそう邪険にもできずに、無線を聞かせてくれた。
 海藤が大体どの辺にいるのかを知った矢島は、細道に入った。大通りには奴を捕らえ
ようとしている人間がウジャウジャいて、中には最初から命を狙っている者までいる。
窮した海藤は細道に入って逃げようとするに違いない。
 縦横に走る細道ならば、矢島のテリトリーである。彼は、道案内のためにここら一帯
の地理は頭に叩き込んでいた。
 警察官は、犯人逮捕は民間警察の社員に任せて道案内だけしていればいい。
 確か、どこかでそんなことをいっている人間がいた。
 ぶん殴ってやろうかと思った。
 その、道案内のために覚えた知識が、今、役に立とうとしていることが皮肉に思えた。
「犯人逮捕とか、そういうのは民間の方に任せておけばいいんだ」
 そういった上司に、矢島は反感を持った。いつか、この手で、凶悪犯の手に手錠をは
めてやると思った。
 その犯人らしき人物が、矢島の網に引っかかったのは、矢島が幾筋もの細道が交錯す
る地点で張り込みを始めてから二十分ほど経った時であった。
 写真によく似た男が、拳銃を隠そうともせずに握り締め、後ろを振り返りながら歩い
ている。拳銃は、ここからではよくわからないが、リボルバーではなくオートマチック
タイプらしい。
 矢島は、腰のニューナンブを抜き放った。物陰に隠れた彼に気付く様子はない。
 矢島は、やり過ごしてから姿を現した。
「止まれ!」
 男は、一瞬ビクリと身を震わせたが、やがて顔だけ振り返った。やはり指名手配犯、
海藤勝八だ。
「なんだ。お巡りさんか」
 無邪気、というより、感情が無いかのような呆けた声で海藤はいった。
「なんか用かなあ」
「今、見ての通り、おれは拳銃をお前に向けている。撃たれたくなかったら拳銃を地面
に捨てろ」
「やだよ、これ、おれのだもん」
 振り向きざまに、海藤の手元で音が鳴った。矢島は反射的に身を低くしたが、弾は右
肩の肉を僅かに削っていった。    
「撃つぞ!」
「撃つ前にいっちゃダメじゃん」
 海藤の拳銃──どうやらコルト・ガバメント四十五口径らしい──が、遠慮も何も無
しに発射された。
 矢島は、今度は動かなかった。
 動けなかったのではなく、あえて動かなかった。動いたって当たる時は当たる。
 矢島は、動かずに銃を撃つ体勢を維持した。
 弾は顔の横を掠めていった。
 今度は矢島も容赦しなかった。
 ニューナンブの三十八口径弾は次々に海藤の腹部と胸部の辺りに突き刺さっていった。
こんな狂った殺し屋に情けも容赦も無用である。それどころか、そのようなものをかけ
たら、逆にこっちがやられかねない。
 海藤が笑いながら銃口を向けていた。
 防弾チョッキの存在に思い当たった矢島は銃を少し上げた。頭を撃ち抜いて決める。
他の同僚が手を抜いていた射撃訓練も矢島は熱心にやっていた。この距離なら当たる。
 引き金を引く瞬間、矢島の脳裏にいやな予感がよぎった。
 初めて人に向けて発砲したのに興奮して忘れていた。
 おれは何発撃った?
 引いてみればわかる。
 カチッ、という情けない音が死刑の宣告に思えた。
「日本のお巡りさんのニューナンブって五発しか弾が入らないんだよね」
 黒い丸い銃口が矢島の眉間を捉えて停止する。
「惜しかったね」
 ガバメントが火を噴いた。
「くあっ!」
 と、海藤が肩を押さえてよろめく。
「ニューナンブ一挺でよくやったよ、お前」
 浩之が硝煙を立ち上らせるガバメントを持って立っていた。
「油断するな、藤田!」
「なに」
 血塗れの手でガバメントを握った海藤に気付いた浩之は咄嗟に物陰に身を隠した。今
の今まで自分がいた空間を弾丸が通過する。
「やるじゃねえか、ビクトリーエイト」
「あ、その名前呼んでくれる人、初めてだよ」
 海藤は嬉しそうにいった。
「どうも長ったらしいのがまずくてね、誰もその名前で呼んでくれないんだ」
 長短はあまり関係ないように思える。
「だからおれ、昨日からV8になったから」
 浩之はその声を無視しつつ、物陰から飛び出した。
 横っ飛びしながら発砲する。
 しかし、最近、練習していないせいか全然見当違いの方向に飛んでいく。馬鹿にした
ような笑みを浮かべて、海藤はガバメントを浩之に向けた。
 あっちのは、浩之が持っているようなモデルガンを改造したやつとは違って本物の四
十五口径だ。急所に食らえば一発だ。
 浩之は地面を転がりながら体勢を立て直して別の物陰に隠れようとした。
「さよならあ」
 勝ち誇った台詞の後、海藤は自分の指が動かないのを感じた。
「あ、あれれ」
 とかなんとかいっている間に浩之がまんまと物陰に隠れる。
「サンキュ、琴音ちゃん」
 呟いて、浩之は、海藤を覗いた。矢島もこの間に素早くどこかに隠れたらしく、海藤
の近くにはいない。
「仕方ねえ、封印を解くか」
 浩之は小さくいってから、大きく息を吸い込んだ。
「レミィ! ハンティング!」
 その浩之の大声が辺りに響くと、海藤の右の方で微かに、ロックを外す音がした。
「誰かいるのか!」
 海藤がそちらを向いた時には、金髪をポニーテールにした女の子がサブマシンガンを
彼に向けて嬉しそうに笑っていた。
 タタタタタン。
 と、サブマシンガンが弾をばらまく。
「ヘイ、フリーズ!」
 撃ってからいうのがレミィらしいといえばレミィらしい。
「な、なんだなんだ」
 海藤は這々の体で後退する。
「OH、弾切れヨ」
 レミィは残念そうに呟くとマガジンの交換を始めた。
「こ、このお!」
 海藤が叫んでガバメントを放つ。
 七発撃って七発全てが外れた。
「な、なんでだよ」
 二人の距離は二十メートル。海藤の腕ならば七発も撃って全弾外す距離ではない。
 この時、海藤勝八は生まれて初めて恐怖というものを抱いた。
 浩之は、この時のことをてっきり琴音の念動力によるものだと思い、後で尋ねたのだが、
「いくらなんでも、飛んでいる弾のようなすごく速く動くものは無理です。それに、私、
あの時、藤田さんを助けた後、少しウトウトしてましたから、レミィさんに弾が当たら
なかったことってほとんど覚えてないです」
 との返事が返ってきた。
「な、なんで当たんないんだよお!」
 もう一度いおう。海藤勝八は、この時、生まれて初めて恐怖した。
「お待たせしたネ」
 悠々とマガジン交換を終えたレミィが怪しく輝く瞳から放たれる視線で海藤を射抜く。
「ひ、ひいいいいっ!」
 海藤は叫んで、レミィに背中を向けて逃げ出した。
 目の前にぬっと現れた矢島に銃を向ける。しかし、弾はレミィに対して使い切っていた。
「どけえ!」
 叫んだ海藤の襟に矢島の手が伸びる。
 柔剣道も、最近は熱心に練習する者がいなくなっていた。
 そのことを嘆いていた五十八歳の教官は、一人だけ練習熱心な矢島のことを気に入っ
て、随分と稽古をつけてくれた。
 V8こと、海藤勝八の全身が空を回転し、痛烈に地面を叩いた。
「レミィ! ストップ! ストップ!」
 浩之が大声を張り上げる。
「もう、ハンティングおしまいなの……」
 正気に戻ったレミィが残念そうに首を振る。
 浩之はレミィが落ち着いたのを見て、矢島と海藤の方にと走っていった。
「矢島、ワッパだ。ワッパかけろ!」
 海藤にヘッドロックをかましながら浩之が矢島を促す。
「お、おう!」
 束の間、ぼうっとしていた矢島が我に返って手錠を取り出して海藤の手にかける。
「なんかいってやれ」
「海藤勝八、殺人の容疑で逮捕する!」

 全てが終わった後、矢島は病院で負傷した肩の手当を受けた。
「日本警察、久々の大金星だってな」
 と、こっちはピンピンしている浩之。彼は善意で危険を顧みず犯人逮捕に協力したと
いうことで金一封が貰えることが決まって上機嫌であった。
「藤田たちのおかげだよ」
「まあなあ、命の恩人なんだから「葉っぱ」で今度なんかおごれ」
「はいはい、わかったよ」
「アタシ、宇治金時のかき氷がいい」
「はいはい、宮内さんにも御礼はするよ」
「琴音ちゃんにもな」
「わかってるよ」
 と、いった彼らが座っている椅子の一番端で、琴音が壁に寄りかかって寝息を立てて
いる。
「ああ、矢島」
「なんだ」
「こんなとこでいうことじゃないかもしれないんだけどな」
「ああ」
「来々月の14日、大丈夫か?」
「ん、非番にしようと思えばできるけど」
「式挙げるからよ、来てくれや」
 浩之はいいにくそうにいって、そっぽを向いた。
「……そうか、神岸さん、OKしたのか」
「……まあな」
「そうか……」
 矢島は沈んだ表情で呟いた。やはり、もはや諦めたとはいえ、感慨があるのだろう。
「あの「葉っぱ」の魅意ちゃんって子なんかどうだ?」
 突然、浩之はいった。
「はあ? みーちゃんがどうかしたのか」
「だからさ、お前、あの子と仲いいみたいだからよ」
「何いってんだよ、まだ十六歳だぜ」
「十六歳だったら立派な大人だと思うけどなあ」
「ま、後三年したら考えてみようかな」
 と、いいながら矢島は満更でも無さそうであった。

 二年後、藤田商事一同に招待状が届いた。
「あの野郎、一年早く手ぇ出しやがったな」
                                    終


          どうも、vladです。この作品は、BEE
          Tさんの「夢と現実」を読んで、矢島にも春
          よ来い、と思って書きました。
          と、いっても、やはり私は、あかりが結ばれ
          るとしたら浩之しか考えられないので、オリ
          ジナルのキャラをでっち上げてしまいました。
          矢島も、けっこうカッコイイし、性格も悪く
          ないんだから、女の方でほっとかないと思い
          ます。

 それではまた……。