関東藤田組 矢島巡査 前編 投稿者: vlad


 日本警察は人員削減により、弱体化した。
 だが、それによって台頭した民間の警察会社は元警察官などを好待遇で迎え入れ、最
近では最初から警察会社への就職を志す者が多くなった。
 それでも、日本警察には人間が全くいないわけではない。交番も未だ健在であった。
 交番に勤務している矢島巡査(25)は、その日、知り合いの喫茶店「葉っぱ」に行
った。
「やあ、何か困ったことはありますか」
 笑いながら入ると、カウンターにいた店主、野瀬 秀明(のせ ひであき)が、にっ
こりと笑った。
「やあ、矢島さん、いつも見回り御苦労さま」
「いえいえ」
「お巡りさん、いらっしゃーい」
 と、愛らしい声でいうのは秀明の娘の野瀬 魅意(のせ みい)である。今年で十六
歳の可愛らしい娘だ。
「はい、みーちゃんも、何か困ったことはないかい?」
「えっとねえ……あそこ」
 と、魅意が指差した先に、一人の客がいた。
「おい、魅意」
 秀明が娘を制止しようとするが、矢島は魅意に話の先を促した。
「あのね、あの人、やくざの親分なの」
「えっ」
 見たところ、まだ若いようだが。
「さっきからずっとあそこに座ってるの、何か企んでるんじゃないかって、お父さんと
話してたの」
「こら、魅意、滅多なこというもんじゃない」
「さっきね、魅意がアイスコーヒー持って行ったら、すごく人相悪かったよ」
「ふうん、どこの誰なんだろう」
「確か……」
 と、秀明がいった。
「藤田組の親分さんだったと思いますが」
「藤田組……あそこか」
 矢島も、警察官として藤田組の名前は知っていた。表向きは藤田商事という看板を掲
げているが、その実、構成員の数の割には高い戦闘力を持つ強力な組織である。ここと
やり合ったお陰で消えて無くなったところも多い。
「わかりました。ちょっと話をして来ましょう」
「そんな、危ないですよ」
 なんといってもこの御時世、やくざ者にとって警察官殺しが絶対のタブーでは無くな
っている。
「いえ、大丈夫ですよ」
 矢島は、そういって奥の席にと向かった。
 いきなり向かいに腰を下ろした矢島を、そいつはサングラス越しに一瞥した。
「なんだい、お巡りさん」
 正直いって、並々ならぬ迫力である。この若さでこの迫力、相当な修羅場を潜ってき
た男に違いなかった。
「藤田組の組長だそうだな」
「……藤田商事の社長だ」
「一体ここで何をしてる」
「人を待ってるんだよ」
「誰を」
「そんなこと、あんたにいう必要はねえだろ。それとも職務質問かい」
「そうだ。職務質問だ」
「おれが何したってんだよ、喫茶店でコーヒー頼んだだけだろうが、……ったく、藤田
浩之、二十五歳、藤田商事の社長、藤田組の組長とよく間違われる。これでいいか」
 投げやりな様子でいった浩之は、目の前の警官が自分を指差しているのを見た。
「なんだよ……」
「お前、藤田か」
「さっきからいってるだろうが、藤田だよ」
 矢島は、帽子を取った。
「……お前……矢島か」
 浩之がサングラスを取って、マジマジと矢島を見つめる。
「そうだよ、矢島だよ」
「お前、お巡りになってやがったのか」
「お前も、やくざになってたとはな」
「……やくざじゃねえって」
 あのう……、という声は、心配そうに近付いてきた秀明のものであった。
「お二人はお知り合いで」
「ああ、高校の同級生なんです」
「へえ、そうだったんですか」
「おい、矢島、いつまで座っているつもりだ」
「あ、ああ、人が来るんだったな」
 矢島は立ち上がり、秀明に大丈夫だという旨を告げた。
「ところで、誰と待ち合わせているんだ」
「うるせえな」
 浩之は、いつになく刺々しくいった。
「あかりの奴と待ち合わせしてるんだよ」
 そういって、浩之は表を眺める素振りを見せた。
「神岸さんと……お前ら、やっぱりまだ付き合ってんのか」
 浩之は沈黙した。彼と矢島とあかりは、高校生時代、三角関係になりかけたことがあ
る。ことの起こりは、あかりに惚れた矢島が、あかりの幼なじみの浩之に彼女を紹介し
てくれと持ちかけてきたことだった。
 実のところ、浩之も浩之で、あかりのことを「ただの幼なじみ」と割り切るというわ
けにはいかなかった。
 あかりと相対するまで、浩之は珍しく迷っていた。このまま矢島にあかりを紹介する
か否か、普段の決断力はなりを潜めて浩之は迷っていた。
 結局、矢島にあかりはやれねえ、と決断した。しかし、決断したものの、取って返す
わけでもなかった。
 とりあえず、あかりに現在好きな男性がいるかを聞いて、いる、という返答を得ると、
それは矢島か? と、問い掛けた。
 それにあかりが否と答えたのを聞いて、浩之はあかりを帰し、矢島には、あかりは好
きな人がいて、それはお前じゃない。と告げておいた。
 もちろん、矢島は納得しなかったが、無理矢理納得させた。
 しかし、我ながらあの時の行動は中途半端で男らしくなかったと思う。
 できれば浩之は、あの一件は記憶から抹消したいとさえ思っていた。
「ああ、付き合ってるよ」
 浩之は不機嫌そうにふんぞり返った。
「そ、それで今は……」
「ええい、やっかましい!」
 浩之は、開き直った。
「今、おれとあかりは同棲してんだよ!」
「い、一緒に住んでんのか!」
「おう! そんでこれからプロポーズするんだ。わかったらどっか行ってくれ!」
 浩之は、一気にいい切って、僅かに残っているアイスコーヒーをずずず、と音を立て
て吸った。
「ぷ、ぷろぽおず?」
「カタカナにしろ、カタカナに」
「プロポーズって、結婚を申し込むってことか!」
「ま、そういう意味だな」
 浩之は、頼むから行ってくれ、といった表情で手を振った。
「さらば、青春」
 矢島はややフラフラとした足取りで喫茶店「葉っぱ」を後にした。

 しばらく身が入らなかったが、凶悪犯が管轄内に入ったらしいと聞くと、矢島の顔は、
警察官のそれになって派出所を出た。
 来栖川SPを初めとする各民間警察会社の社員の姿が多く見られる。凶悪犯とやらを
逮捕して名を挙げんとしているのだろう。
 そのさながら賞金首のごとく追われることとなった凶悪犯は、名を海藤 勝八(かい
とう しょうはち)という殺し屋である。気取ってビクトリーエイトなどと名乗ってい
る。ネーミングセンスは絶望的だが、腕は立つ。
 治安の悪化とともに殺し屋とかいう物騒な職業も復活してきた。それまでも、いたに
はいたのだろうが、以前よりも大っぴらになった。
 海藤は先週、ターゲットの会社社長を仕留める際に、護衛していた警察会社の社員三
人を同時に殺している。
 前から、腕は立つが、知恵が回らないといわれていた男だったが、これは無茶過ぎた。
遂に射殺許可が下り、後ろから撃たれても文句はいえない身分となって、逃亡生活を続
けている。
「ほう、そいつは物騒だねえ」
 と、喫茶店「葉っぱ」で藤田浩之はコーヒーを飲みながらいった。
「そうだね、気を付けなきゃね」
 と、浩之の向かいでかき氷をスプーンでサクサクやってるのは佐藤雅史。
「おれもかき氷食いたくなってきたな。頼むわ、メロンのやつ」
 浩之がそういうと、側にいた魅意がカウンターの父に向かって声をかけた。
 会社に近いこともあって、以前何回か雅史と来たことがあるのだが、先日、矢島と知
り合いであることが知れると、店主とも時々ウエイトレスをやっている娘とも仲良くな
った。
「はい、かき氷大盛り」
「おう、サンキュ、なんかあったらおれんとこ来いや」
 かき氷を大盛りにしてもらったぐらいで喜んだ浩之は、そのようなことをいった。
「四軒先のビルの三階にいるからさ」
 いいつつ、浩之はかき氷を口の中に掻き入れた。

「どうも」
 と、矢島が「葉っぱ」にやってきたのは、浩之と雅史が帰ってすぐのことであった。
「いらっしゃーい」
「ああ」
 矢島は、海藤という凶悪犯がこの近辺に逃亡してきているらしいことを告げて注意を
促した。
 その時、銃声が聞こえた。遠い。しかし数が多い。
 矢島は警察官としての使命感に駆られてドアに手をかけた。
「お巡りさん」
「気を付けるんだよ、できれば今日は店を閉めた方がいい」
「危ないよ、行かないでよ」
 目を潤ませた魅意に、矢島は精一杯の笑みを返す。
「おれは警察官なんだ」
 その背中が見えなくなった時、魅意はその場に膝を落とした。
 このままでは、あのお巡りさんが死ぬ、と彼女は思った。いやな予感とでもいおうか。
 だが、彼女にこういう時に頼れる人間はいない。いるとすれば当の矢島だ。
 いや、一応、いつでも来いといっていた人間はいる。かき氷を大盛りにしてもらって
喜んでいたやくざの親分だ。      
                                 続く
                                           
                                     長めになったので念のため分けました。