関東藤田組 仁義はずれ 前編 投稿者: vlad
 日本警察の治安維持能力が著しく低下した時、人々が頼りにしたのは、民間の警備会
社であった。
「安全が売れる」
 と、いう時代になったことを鋭敏に感じ取った企業は、続々と警備会社を設立した。
 その一方、暴力団が、かつての戦後の混乱期さながらにいわゆる「暗黒街」と呼ばれ
るような地域の実力者として復活してきた。
 戦後の混乱期には、暴力団というのはただ秩序を乱すものではなく、時には秩序を保
つ役目を負っていた。強力な組織が一つあれば、とりあえず、秩序は安定するのである。
その一つの座を巡っての争いが起きるという問題はあったが。
 中でも美作裏山(みまさか りざん)の美作組は、かねてより任侠道的な雰囲気を残
した組として知られていた。ここ数年で、美作組は躍進し、「暗黒街の自警団」などと
いわれることすらあった。今をときめく来栖川SPでさえ、美作親分にはおいそれと手
が出せないとあっては、彼を見る人々の目は、一種、神秘的な英雄を見る色さえ帯びて
いた。
 この美作親分は、齢八十五、第二次大戦後の闇市時代からの極道稼業という肩書きは、
今では相当に貴重なものであった。彼が「長老」と呼ばれるゆえんである。
 その美作親分、事務所に戻った時に、来客が来て待っているとの話を聞いた。
「どこのどいつだ」
 と、眉すら動かさずにいったその姿はさすがに貫禄があった。話を持ってきた下っ端
は、王侯に対するような姿勢で客の名を告げた。
「藤田……あの若いのか」
 その名前には聞き覚えがあった。一度、ほんの擦れ違う程度に接触したことがある。
相当に傍若無人な男と聞いていたが、さすがに美作親分には会釈をしてきた。
 表向きは藤田商事の看板を掲げてやっているが、最近では「藤田組」という名前の方
がよく聞く。
 地獄耳とか格闘家とか腕っ節の強い経理とかロボットとか超能力者とか狂ったスナイ
パーなどを配下に従えるなかなか危険な男らしい。
「ああ、どうも、親分、お久しぶりです」
 美作が応接室に入った時、ソファーに座っていた男が立ち上がり、頭を下げた。男は
二人いた。
「藤田商事の藤田浩之です」
「藤田商事の佐藤雅史といいます。よろしくお願いします」
 前者は、どことなく人を威圧する目を光らせ、後者は、どことなく人を安心させる目
を持っていた。この二人はいいコンビなのだろうと美作は思った。
「美作裏山だが、一体なんの用だね。どうしてもわしでなきゃ駄目なことか」
 ドスの利いた美作親分のお声に、二人は動じることはなかった。たぶんこいつらは何
を前にしてもこうなのだろう。
 しかし、美作はこういう若いのは嫌いではなかった。
  美作は、外出着の背広からゆったりとした和服に衣装を改めていた。やや姿勢を楽に
してソファーに座る。
「お時間は取らせません」
 浩之は、彼らしくもなく緊張していった。なんといっても、両親が生まれるよりも前
に極道稼業を営んできたような人物だ。さすがの浩之もその人格的迫力には圧倒されて
いた。 
「親分さんの身内に、設楽陽三(したら ようぞう)という方がいますね」
「ああ、設楽は一応、わしの盃受けとるもんだが、それがどうしたね」
「近頃の悪い評判をお聞きですか?」
 美作は、表情をいささかも動かさずに頷いた。彼の子分の設楽が、人を人とも思わぬ
男だという評判は彼の耳に入っていた。以前より、目的のためには手段を選ばぬところ
はあったのだが、先年、一本立ちして設楽組を旗揚げしてから、それに拍車がかかった
ようだ。
「確か、覚醒剤を随分と流してるらしいですが。確か親分のとこは」
「うちはシャブは御法度だ」
「確か、手を出したら……」
「破門だ」
 美作の態度も表情も小揺るぎもしない。
「それでは……」
「今週中には破門状を回すつもりだ」
「それを聞いて安心しました」
「お前さん……設楽んとことやり合う気かね?」
 破門されれば設楽は美作親分の子分ではなくなる。子分が害されれば元々親分肌の美
作のことであるから、当然仇を討つであろうことは誰でも想像できる。この藤田浩之と
いう男は、設楽が美作から破門にされることを確認しに来たようだ。と、いうことは、
彼は設楽とことを構えるつもりなのではないだろうか。あの「藤田組」の藤田浩之も、
さすがに美作親分と敵対するのは得策ではないと思っているのだろう。
「やり合うなんて、そんな大層なことは考えちゃいませんよ」
 浩之は、にっこりと笑った。
「ただ、設楽さんはやり過ぎたんですよ、だから先輩のレーダーに引っかかっちまった」
 いまいち、意味不明のことを浩之は呟いた。
「設楽んとこは命知らずが揃ってる。気を付けるんだな」
「親分が破門状出したら、人数は激減しますよ」
 浩之は、自分のために時間を割いてくれたことに礼をいって、引き上げようとした。
「待ちな」
「なんですか」
「設楽がどういう奴かは知っているだろう」
「ええ、まあ、なかなかきつい人のようですね」
「あの外道は、仁義なんぞクソみてなもんに思ってる仁義はずれだ。やり合うんなら気
ぃ付けることだ」
「ありがとうございます」
 年長者の忠告は素直に聞いておくものだ。という類の知恵が最近、ようやく身につい
てきた浩之である。
 出る時に、預けておいたコルト・ガバメントを返してもらってそれを内ポケットに放
り込むと浩之は雅史を促して外に出た。
「ふーっ」
 と、まずは一息。
「えらく迫力のある爺さんだったな」
「うん、そうだね」
 と、いいながら雅史はにこにこしている。
「さて、帰るか」
 浩之は路上に駐車していた軽自動車に向かった。
「僕が運転してくよ」
「ああ、頼むわ」
 助手席に乗り込んだ浩之は思いだしたようにサングラスを取り出して装着した。
「浩之っていつ頃からサングラスかけてたっけ」
「一ヶ月ぐらい前からかな、ほら、してないとナメられるだろ」
「そうかなあ」
「ああ、おれは目つきが優しげだからよ」
「……」
 雅史は、浩之の目つきが優しいなどという人間に出会ったことがない。
 これで、さらに禁煙パイプをくわえて歯でコリコリいわせていると、あまり近づきた
くない物体の完成である。本物の煙草は吸うまでもなくあかりに禁じられたらしい。
「酒だってあんまいい顔しねえんだぜ、あいつ」
 と、浩之は時々飲み屋で愚痴る。家では、あかりに酒量を厳しく制限されているので
家の外では浩之はけっこう飲む。
「あかりちゃんは浩之の体が心配なんだよ」
 と、雅史が返し。
「おれぁ病人かよ」
 と、浩之が愚痴をしめるのがいつものパターンであった。
「ただいまー」
「ただいま」
 浩之と雅史が戻った時、藤田商事は気怠い午後を迎えていた。相変わらず何か計算し
ている智子と、念動力の訓練をしている琴音、掃除をしているマルチ、サブマシンガン
を磨いているレミィ、と、いったふうにいつもの藤田商事であった。
 あかりは、今日は家にいるのだろう。葵は、この時間は地下で格闘技の練習だ。
 そして、志保は、情報収集のために駆け回っているに違いなかった。
 その志保が戦果を上げたのか、誇らしげな顔で帰ってきた時、浩之はソファーの上で
眠りこけていた。
「あらあら、いいご身分ねえ!」
 その一声で、浩之は目覚めた。
「こんな真っ昼間っからグースカしちゃってさ、その間にあたしがどんだけ苦労したか、
わかれっていったってわかんないんでしょうねえ!」
 無視して寝るべし。
「もう、起きなさいよお! 狸寝入りだってのはわかってんだからね!」
「お前の馬鹿でかい声で目が覚めたんだろうが」
「ヒロのくせに口答えする気なの!」
「志保の分際で、おれを見下ろすんじゃねえ!」
「あんたが寝っ転がってるからでしょ!」
「何を! だったら立ってやらあ!」
「ヒロのくせにあたしを見下ろそうっていうの!」
「おう! 見下ろしてやるぜ! ほれほれ、上目遣いでおれを見ろ!」
 それからまたしばらく不毛なやり取りが続いたが、志保の、
「もう、せっかくあんたが欲しがってる最新情報を持ってきたのに!」
 という一言が渋りながらも、浩之を落ち着かせたのである。
「その最新ガセネタってのを聞かしてみろ」
「あんた、この情報聞いたら感謝して這いつくばりなさいよ」
「誰がするか、そんなこと……で、なんなんだ」
「あんたが最近、御執心の設楽陽三ねえ」
「おう、設楽がどうした」
「美作の大親分から破門されるって噂が流れててねえ」
「おう、その噂ならウラがとれてるぜ、さっき雅史と一緒に親分に会ってきた。今週中
には破門状が出回るぜ」
「そう……実は、今の噂の段階でね、設楽組は早くもガタガタなのよ」
「ほんとか」
「うん、まあ、今まで随分ひどいことやってきたけどさ、美作の親分が後ろにいるから
ちょっとみんな手を出しかねていたとこがあったじゃない」
「……そうだな、設楽をやっても親分が出てこねえとなりゃ、けっこう狙う奴は出てき
そうだもんな」
「そうよ、あたしの地道な聞き込みによるとねえ、設楽を殺してやりたいって人間はけ
っこういるわよお、身内にもね……」
「身内って、組の内部にか」
「うん、子分の使い捨てみたいなこともやってたらしくてねえ」
「ふむ」
 話を聞けば聞くほど、美作親分のいっていた「外道」という言葉がそう誇張されたも
のではないように思えてくる。
 翌々日、美作はいった通り、設楽陽三を破門にし、縁を切った。破門状と呼ばれる、
つまりは絶縁状が方々に配られ、設楽と彼の設楽組の命運ももはや尽きたと誰もが思っ
た。
 もう遠慮はいらぬと見て、浩之は、スポンサーからの「指令」を実行するために動き
出した。
 志保に情報収集を任せ、自らは片腕の雅史とともに外に出ることが多くなった。
 設楽が破門された二日後、志保が外出中の浩之に連絡を入れてきた。
 約束した公園で待つこと一時間、志保は血相を変えてやってきた。
「どうした」
 浩之がいい、隣で雅史も心配そうに、息をきらせた志保を見ている。
「新情報が掴めたわよ」
「なんだ」
「あの設楽っての、臓器売買もやってたらしいわ」
「臓器って内蔵か」
「そう……もちろん正規にじゃないわ」
「借金のカタとかにか?」
「そういう場合もあるけど、家出してきた中学生とか高校生とか……」
 いいながら、志保の顔色が悪い。
「ま、マジか!」
 浩之は思わず叫んだ。
「うん、噂だけどね……」
「外道め……」
 自分よりも若い少年少女が内蔵を取られ、そのまま葬られていたのかと思うと、美作
ならずともそう思わざるを得ない。
 美作親分は、このことを知っていたのだろうか。
 知っていたのなら、ただ破門するだけではなく、破門したと同時に宣戦布告をして設
楽を消しにかかってもおかしくない。
「なんとか、野郎の足取りを掴めないか」
「ヒロ、あんた!」
「浩之、やる気なの……」
 さすがに志保と雅史は顔を青ざめさせた。
「芹香さんにはどういうふうにいわれてるの?」
「懲らしめてくれ、だとさ、先輩らしいだろ」
「ヒロ……」
「懲らしめてやるさ」
 浩之は、薄ら寒い眼光を放ちつついった。
 その浩之の決意からさほどの時を経ずして、設楽陽三は撃たれた。
 撃ったのは、設楽を殺して美作親分の許しを得て、美作組に復縁してもらおうとした
設楽の子分であった。
「死んだのか!」
 浩之は、それを電話で知らせてきた志保に向かって受話器越しに叫んだ。
「死んでない、けど、重傷らしいわよ」
「そうか……」
 この分では、浩之が手を下す前に別口の暗殺者が設楽の生命を取る可能性の方が高く
なってきた。自分の手を汚して設楽を消して綾香の手を煩わせる必要は無いのではない
だろうか。
 子分に命を狙われては、もはや誰のことも信じることができないであろう。元々落ち
目なところに疑心暗鬼に取り付かれて子分たちを疑ってかかれば、近い内に、奴の子分
はほとんど逃げ出してしまうに違いない。
 三日後。
「あ、藤田さん、ご無沙汰してやす」
 雅史と二人で歩いていた浩之に、歳の頃は二十前後と思われる青年が挨拶をしてきた。
「おう、おめえか、仕事は上手くいってんのか」
 そいつは、以前、やくざから足を洗いたいといってきたので、それに協力したことが
あった。今では親父さんの店を手伝っているはずだ。
「いえいえ、まだ修行中で」
「そうか、ま、頑張れや」
 浩之は、サングラスをかけて、その上に禁煙パイプをくわえて、それを歯でコリコリ
いわせていた。その横では、雅史が、相変わらず二十五歳とは思えぬ可愛らしい顔をほ
ころばせている。これで雅史が怯えた表情をしていたら、瞬く間に善意に駆られた人間
が警察会社に通報するに違いない。
「じゃあ、浩之、僕は志保に呼ばれてるから」
「ああ、情報収集の手伝いか」
「うん」
「そっか、じゃあ、おれは先に会社に戻ってるから」
「うん、じゃあね」
 雅史と別れた浩之は、路上駐車してある愛車へと戻った。戻ったら、駐禁を貼られて
いた。
「だからよお、来栖川の交通整理課によお、駐禁くらっちまったんだよ」
 浩之は、スポンサーの一人のところに電話を入れていた。
「それで?」
「たったの十分停めといただけだぜ、お前んとこ厳しすぎるぞ」
「交通の方はあたし最近タッチしてないのよねえ、防犯課に力入れてるから」
「んなこといわねえでよ、もう点数無いんだ。お前の方からちょこっと圧力かけて、警
察の方に回さねえようにしてくれよ」
「しょーがないわね」
「わりぃ、頼むわ」
 浩之は電話機に向かって拝みながら受話器を置いた。
 基本的に、日本警察の交通課は健在である。しかし、昔年のそれよりも人員が削減さ
れているために、その任務の幾らかの部分を民間警察会社に請け負わせている。もちろん、
賄賂の類が横行し、最近、国会の議題になることも珍しくない。
「助かったぜ」
 安堵して、琴音が入れてくれたお茶など飲んでいたら雅史と志保が帰ってきた。
「おう、おかえり」
 と、いって、浩之は怪訝そうに眉をひそめた。彼らが見知らぬ人間を連れていたから
である。
「雅史、志保、そちらは……」
 そういった浩之の視線の先で二十代後半に見える女性が、三歳ぐらいの女の子の手を
引いていた。
「あ、親分さんですか」
「……藤田でかまいません」
「あ、はい、藤田さん、私、設楽理恵と申します。これは娘の絵美です」
「設楽ぁ?」
 浩之は、視線をその母娘から、雅史に転じた。
「なんか面倒事じゃねえのか?」
「うん、面倒事かもしれない」
 雅史の微笑みを食らって怒る気を殺された浩之は、仕方ねえなあ、といった表情で席
を立った。
「ここじゃなんですから、応接室へどうぞ、ああ、お嬢ちゃんはうちの社員と遊んでて」
 物珍しそうにキョロキョロしている絵美はてくてく歩いて、倒れそうになったところ
をマルチに抱き留められた。
 社員というのが、年頃の女性ばかりなので、設楽理恵は安心したのか、娘を彼女たち
に任せて応接室へと移動した。
「ええっと、どういうことだか、説明してくれ」
 浩之は雅史を促した。
「うん、たぶん浩之も気付いているとは思うけど、理恵さんは設楽陽三さんの奥さんな
んだ」
「ふむ」
 まあ、そうだろうとは思っていたが。その設楽陽三の妻子が何故に藤田商事にやって
きたのだろうか。
「実はね、理恵さんたち、すごく危険な状況なんだ」
「そうなのか?」
「そうなのよお!」
 浩之の言葉尻に食らいつくように志保が叫んだ。
「ほら、三日前に設楽が子分に撃たれたじゃない!」
「ああ」
「それからさ、誰のことも信用できなくなってね、事務所の自分の部屋にこもっちゃっ
たらしいのよ」
「ふうん、それで」
「それでさ、設楽のこと狙ってる人らも、ちょっと攻めあぐねてるみたいでさ」
「それで、奥さんがなんで……あっ!」
 浩之は感付いて叫んだ。
「まさか、設楽の代わりに奥さんとお嬢ちゃんを……」
 雅史は悲しそうに頷いた。
「うん、どうやらそうみたいなんだ。僕たち、設楽さんの情報を得るために、奥さんの
所に話を聞きに行って、そのことを聞いたんだ。石を投げて窓ガラス割るとか、昨日な
んかドアに拳銃で弾を撃ち込まれたっていうんだ」
「なんだそりゃ、無茶苦茶しやがるな」
 もちろん、やったのは設楽に恨みを持つ人間であろう。そして、おそらくは設楽に殺
意を持つに足るだけのことをされたのだろう。
 しかし、だからといってその妻と娘を害することは許されない。許されるわけがない。
例え天が許しても、仮に天から地からウジ虫までもが許しても、藤田浩之が許さない。
「それで……奥さん、一体おれに何をして欲しいんだい」
「筋違いだということは承知しています」
 そういった設楽理恵の顔は焦燥しきっていることが一目でわかるほどやつれていた。
「たぶん藤田さんは、うちの人が殺されるのは天罰だと思うでしょう。……私だってそ
う思います。でも……娘には……」
「娘にも、あなたにも天罰なんぞ下る必要はねえ」
 浩之ははっきりといった。視界の端で雅史が微笑んでいるのが見えた。
「あなたたちはおれが保護する。安心してくれ」
 そういって立ち上がった浩之を見ながら、雅史はにっこりと笑って、
「浩之ならそういうと思ったよ」
 と、いった。
「この野郎、わかってやがったな」
「だって、浩之だもん」
「なんか、最近、お前のやること確信犯的になってきやがったなあ」
 苦笑した浩之は、しかし、満更でも無さそうに、苦笑を微笑にと変えた。

                                   続