関東藤田組 日常 投稿者: vlad
 藤田商事の朝はマルチの声で始まる。
「おはようございま〜す」
 と、いっても、彼女よりも早く来ている人間というのはほとんどいない。はずなのだ
が、その日ばかりは様子が違った。
「お〜う、おはよう」
 ソファーの背もたれの向こうから声がする。
「あっ、藤田さん、おはようございます」
「おう」
 そういって、浩之は身を起こした。
「ああ、マルチちゃん、おはよう」
 向かい側のソファーからは佐藤雅史が起き上がっている。
「ええっと、七時か……二時間しか寝てねえな」
「昨日は会社に泊まったんですか」
「うん、ちょっとお酒を飲んじゃったから」
 雅史が寝不足にしてははっきりとした声でいった。
「おう、いつもだったら車で帰っちまうんだけどよ、今、交通安全週間だからな、どこ
で張ってるかわかりゃしねえからよ」
 浩之はあごを撫でた。ざらりとした感触が掌に伝わる。
 浩之はソファーから立ち、給湯室にと消えた。
「おっはよー」
 と、入ってきた人物は長岡志保であった。彼女がこんな早い時間に出社するとは珍し
い。
「あ、おはようございます」
「ああ、おはよう、志保」
「なんだ。おめえ、珍しく早いじゃねえか」
 給湯室の方から浩之が戻ってきた。つるりとあごを撫でる。
「あんた、また会社に泊まったの」
「おう」
「家に帰りなさいよ、あかりが可哀想でしょ」
 志保は浩之に詰め寄った。彼女は、なにかと浩之とあかりのことに口を挟みたがる。
浩之があかりをぞんざいに扱っていると見るや、凄まじい剣幕で浩之を責めるのが常で
あった。
「ふーっ、なんか体が痒いな」
 浩之が頭髪を引っかき回す。
「あんたたちお風呂入ってないんでしょ、汚いわねえ、近寄らないでね」
「ちっ、おい雅史、風呂入ってこようや」
「うん、あそこだね」
「ああ」
 石鹸とタオルを入れた洗面器を持って浩之と雅史は出ていった。行き先は、彼らが、
事務所に泊まった時によく使用するサウナである。
 サウナが主なのだが、浩之たちはシャワールームを風呂代わりに使うことが多い。
 二人が消えて、少し経つと、続々と社員が出社してきた。大体八時前には全員集合す
る。この会社は特に出社時間が定められていない。
「ヘイ、ヒロユキ来てる?」
 今日、一番最後に出社したのは宮内レミィであった。夏が近い最近ではTシャツ一枚
に半ズボンというスタイルでなかなかよい風情である。
「藤田さんは今、出ています」
 自分の椅子に座って水の入ったコップを前にしていた姫川琴音がいった。
 彼女は今、コップの中の水だけを念動力で空中に取り出す練習をしているのだった。
「それは残念ネ、見せたいものがあったのに」
「見せたいものってなあに?」
 マルチと一緒に掃除をしていた神岸あかりが問う。
「浩之が戻ってきたら見せるネ」
「どうせまた物騒なもんやろ、爆発物やないやろな」
 そう口を動かしながらも手だけは休ませず、智子がいった。
「ハイ、爆発はしません」
 そうこうしている内に頭にタオルを乗せた浩之と雅史が帰ってきた。
「うぃーっす、みんな来てるな」
「おはよう」
 浩之は給湯室の方に洗面器を置いて戻ってくると、社長席に座った。一応、社長の面
目、彼だけが肘掛け付きの椅子である。ただ、机の上は隣の経理担当の智子の書類など
で埋め尽くされている。ちょっとした置き場だ。
「レミィ、ヒロになんか見せたいものがあるんじゃないの」
「ハイ」
「おっ、なんだレミィ、なんか持ってきたのか」
「ハイ、昨日ようやく手に入ったネ、ヒロユキに見せたくて持ってきたヨ」
「へえ、そいつは楽しみだな」
「ちょっと待ってネ」
 レミィはソファーの上のスポーツバッグを持ち上げると、それを持って浩之の前まで
やってきた。
 レミィはジッパーを開けた。
「ヘイ、フリーズ!」
 中に手を突っ込んだレミィが何かを持った手を取りだし、浩之の方を向いて叫んだ。
「え、わあっ!」
 咄嗟のことなので浩之は後ろに仰け反った。ごくりと唾を飲み込む。
 黒い銃口が妙に空恐ろしく思えた。
「レミィ〜〜〜っ!」
 レミィが持っているものがサブマシンガンであると知ると、浩之は柳眉を逆立ててレ
ミィを睨み付けた。
「キャハハハハ」
「キャハハじゃねえ!」
「ヘイ、よく見るね」
 レミィがそれを浩之の目の前に持ってくる。
 よく見ると、弾倉(マガジン)が着いていない。
「あはははは!」
 浩之の醜態を未だに笑っているのは志保だ。
 浩之はきっ、と睨んだが悲しいほどに効果が無いので、改めてレミィを睨み付ける。
「レミィ、冗談でもそういうことはしないように」
「キャハハ、ゴメン」
 あまり反省していない。
「それよりも、どっから手に入れたんだ。そんなもん」
「横流しネ!」
 レミィはやたらと明るくいった。彼女がいうと「横流し」という行為がまったく問題
が無いかのように思えてしまう。
「ええっと、なんていうんだ」
「よくわからないのデス、でも確かイングラムとかヘータイさんがいってたヨ」
「イングラム……そういやそんな名前のマシンガンがあったな」
「人一人ぐらい吹っ飛ぶヨ」
 物騒なことをいってレミィはキャハハ、と笑った。
「でも気を付けろよ、レミィ、お前は銃器の携帯許可証を持っているけど、そいつは護
身用っていうには強力過ぎる」
「ハイ、心得てるネ」
 警察業務が、民間の私設警察会社に大きく依存しているこの時代、日本も遂に、銃刀
法にメスを入れざるを得なかった。
 銃器の携帯許可証を取得するには多大な出費と労力を必要としたが、それでも護身の
ために銃を持ちたいという人間は多かった。
 しかし、思ったよりもその審査は厳しかった。許可証を取得できるのは民間の私設警
察会社の社員がほとんどであった。そうなると、最初から彼らに大っぴらに銃を持たせ
るために作られた制度ではないかと思える。
 浩之と、そしてレミィは、この携帯許可証を持っている。この会社のスポンサーの一
人である来栖川綾香の方から手を回してもらって試験を受ける時だけ来栖川SP(セキ
ュリティー・ポリス)の社員ということにして免許を取得した。
 浩之はコルト・ガバメントを懐に忍ばせている。ガバメントといえば四十五口径の相
当に強力な銃なのだが、実は浩之が持っているのは紛い物である。モデルガンのガバメ
ントに手を加えた改造銃という奴だ。その割には命中精度が高く浩之はだいぶ気に入っ
ている。といってもあまり人間に向けて発砲したことはないし、これで殺したことも一
度も無い。彼はできるならば葵仕込みの格闘技でことを済ませるようにしていた。
 対してレミィは以前からこの改造銃に不満を漏らしていた。
「こっちの方がよっぽど強力ネ、キャハハハ」
 と、いって、先日まではボウガンを持っていたのだが。この度、奮発してこんなもの
を購入してしまったらしい。
「ああー、撃ちたい、撃ちたいヨ〜」
 ボウガンを持っていた時もそうだったが、より一層物騒になったレミィがイングラム
を持って浩之に迫る。
 かなりこわい。
「ヒロユキ〜、撃ちたい」
「無茶いうな、んなもんぶっ放してたら、色々とうるさいだろう」
「撃ちたい撃ちたい」
「うーん、綾香に頼んで来栖川SPの射撃練習場を借りられればなんとか……」
「ヘイ、それすごくいいヨ、アヤカにお願いするネ」
「わかったわかった。今度頼んでおくよ」
「サンキュネ、ヒロユキ」
 レミィは上機嫌で弾倉無しのイングラムを構えて、
「バンバンバン、キャハハハ」
 と、楽しそうに遊んでいる。恐ろしさと微笑ましさが同居する不可思議な空間がそこ
にはあった。
「おれも久しぶりにこいつの練習と行くかな」
 浩之は改造銃を取り出して机上に置いた。最近、撃っていないのでメンテナンスも必
要だろう。
 浩之は、暇にまかせて銃を分解して細かくメンテしていた。
 特に何も無い日は、藤田商事は喉かなものである。
「浩之ちゃん」
「あん? なんだあ」
「今日、お昼御飯はどうするの?」
「出前とろうと思ってるけど」
「お弁当作ってきたんだけど」
「おっ、そうか、そりゃいいな」
「たくさん作ってきたから、みんなもどうかな」
「お、いいわねいいわね」
 いつも出前の志保が嬉しそうにいう。
「ええなあ、いただこうかな」
 智子も出前組である。
「よっし、それじゃちいと早いけど飯にしよっか」
 浩之は口中に涎がわき出るのを押さえることができず、あかりに促した。
「うん」
 あかりは五段重ねの重箱を持ってきた。これはまた豪勢な。
「おっ、無茶苦茶美味そうじゃねえか」
「わあーっ、すごいなあ、さすが神岸さんや」
「あ、あたし、これもらいね」
「こら、志保、意地汚いぞ」
「何いってんのよ、早いもん勝ちよ、ええと……これもあたしのね」
 そういって志保は次々とめぼしいものを器に取っていく。
「待て、一人でそんなに取るな、唐揚げちょっとよこせ」
「そうやで、独占はあかん」
「なによう、あんたらがボサッとしてるのが悪いんでしょ」
「アカリ、料理上手いネ、いい嫁さんになるヨ」
 自分で作ってきたサンドイッチを食べながらレミィもちょこちょこと摘んでいる。
「わあ、やっぱりあかりさん上手いですねえ」
 琴音が自分の弁当を食べながら感嘆の声を上げる。
「なあに、琴音ちゃんのだって美味そうだぜ、それちょっとちょうだい」
「はい」
「あーん」
「こらこらこらこら、ヒロ、せっかくあかりのお弁当が目の前にあるのに他の子のやつ
を摘み食いとはいい度胸してるわね」
「いいよ、志保」
「よくなーいっ! こいつには一度ガツンといってやんなきゃ駄目なのよ」
「おっ、葵ちゃんのも美味そうだなあ」
 浩之は志保の言葉を聞き流して今度は葵の弁当を覗き込んでいた。
「いえ、私のなんてあかりさんのに比べたら」
「そんなことないって、あかりのは……まあ、かなり美味いけどさ」
「そうですよねえ、私、自分のお弁当あるのにあかりさんの食べたくなってきちゃいま
した」
「遠慮しないで摘みなよ」
「でも、太っちゃうかな」
「葵ちゃんは毎日運動してるから大丈夫だよ、心配だったら後で久しぶりにやるかい?」
 浩之が握り拳を、ぽん、と軽く葵の肩に当てた。
「はい、いいですね」
 葵が満面の笑みを浮かべる。彼女にとって浩之は格闘技の仲間でもあるのだ。
「雅史は食ってるかあ」
「うん、あかりちゃん、また上手くなったね」
「え、そうかな」
「おう、そういや最近、一段と味が上がったな」
「それは……浩之ちゃんのために頑張って上手くなろうとしてるから」
 横合いから別の声がかかる。
「こら、志保、妙な声色使うな、お前にちゃん付けで呼ばれると悪寒が……」
「なによ! この志保ちゃんにちゃん付けで呼んでもらえるなんて光栄なことなのよ」
 浩之と志保が噛み付き合い、みんながそれを微笑みながら眺め、マルチが充電してい
る。藤田商事のいつもの昼の風景であった。
 午後、志保は情報収集のために表に出、あかりは今日は家の掃除があると帰った。彼
女がいう家とは神岸家ではなく藤田家である。相も変わらず両親がいない藤田家に今、
あかりは住んでいる。つまり、浩之と同棲しているということになる。
 浩之が高校在学中、とうとう帰ってこなかった両親は、その後、ついにアメリカの支
社への転勤を命じられ、今は太平洋の向こうにいる。
 浩之は買い手さえいれば今の家を売り払って、この会社の近くに部屋を借りるか、手
頃でいい物件があれば思い切って買ってしまおうと思っていた。そして、できるならば
その時にあかりと籍を入れ、ささやかで良いから式を挙げたいと考えていた。
 さて、その浩之は葵とともに事務所を出て、地下の駐車場まで降りてきた。
 そして、とある部屋に入った。
 このビルは来栖川の物件であった。来栖川といっても、来栖川グループと呼ばれる企
業体のことではなく、その会長の一家の個人的な持ち物である。
 その部屋は、以前、この地下が駐車場ではなく、貸事務所であった時の名残であった。
事務所の壁を取っ払ってここを駐車場としようとした時、既に藤田商事はこのビルの三
階に入っていた。
「なんかに使いなさいよ」
 と、綾香がいって、この一室を残して使用権を認めてくれたのである。
 今、その部屋は主に、物置と、葵の練習場の役目を持っていた。
「さ、葵ちゃん、やろうか」
「はい」
 と、このように、浩之も時々やってきて葵と一緒に体を鍛える。
 志保が出かけ、あかりが帰り、浩之と葵が地下に行ってしまった藤田商事では、智子
が書類と格闘し、琴音がコップを前に真剣な顔をし、レミィが諺や故事の本を読み、マ
ルチが床を掃いていた。
 午後三時過ぎ、浩之と葵が戻ってきた。
「あ、ヒロユキ、おかえり」
「おう」
「ねーねー、ヒロユキ、ゲーセンにハンティングに行こ!」
「ゲーセンにハンティング? ああ、ガンシュー(ガンシューティングゲーム)やろう
ってのか、いいぜ、会社が終わったらな」
「あ、そしたら私も行きたいなあ、久しぶりにUFOキャッチャーやりたいわ」
「ははは、智子、あれ好きだもんな」
 と、浩之は笑った。彼は、最近、ようやく智子を「委員長」と呼ぶクセが無くなった。
「みんなも来るかい」
「はい!」
「ご一緒しますぅ」
「ゲームセンターなんて久しぶりです」
 葵、マルチ、琴音がそれぞれ同意する。
「あ、でも今日はそんなに遅くまで遊べないぞ、早く帰るってあかりと約束しちゃった
からな」
「そやな、あんまり放っておくと愛想尽かされて捨てられるで」
「いやなこというなよ……そういえば、雅史はどうした?」
「佐藤くんやったら長岡さんから呼び出されて出てったで」
「志保に?」
「ああ、なんでも女の人から情報聞き出すのに佐藤くんに力を貸して欲しいんやて」
 そういえば、以前、志保が、おばさんとかお姉さんとかに雅史はウケがいいと話して
いたのを聞いた覚えがある。
 雅史は今年で浩之と同じ二十五歳なのだが、いまだに高校生に見える。二人で並んで
いると歳が離れた兄弟みたいだ。時々、二人で飲みに行くと、雅史はけっこうもてる。
特に年下好きのお姉さんにはたまらないらしい。
「ま、その内に帰ってくるだろ」
 戸締まりの件は社員の全員が鍵を持っているので心配は無い。志保だけならば大いに
心配だが、雅史が一緒にいれば鍵の閉め忘れということはないだろう。
 三時のお茶を飲んで後、浩之は、智子と細かいことを話し合って時を過ごした。
 やがて、終業時間がやってくる。といっても、この会社のそれは非常にアバウトなの
だが。
「それじゃ行きましょうか」
「はい!」
「でも、なんかあかりさんに悪いですね」
「ええんやええんや、藤田くんもああ見えて神岸さんへのサービスはこまめやからな」
「おーい、行こうぜ」
   入り口の方から浩之の声がした。
「ヘイ、みんな早くハンティングに行こ!」
 別にみんながみんなハンティングに行くわけではないが、レミィにとっては、ゲーセ
ンはハンティングであるらしい。
 今日はスポンサーからの「指令」が来なかったので、至極平穏な一日であった。

          一部の人間に「藤田組」と呼ばれ恐れられて
          いる藤田商事だが、何も無い日というのは、
          おおよそこのようなものである。

     どうも、vladです。何を思ったかいきなりシリーズ化です。
     後、もう二回ぐらい藤田組にお付き合い下さい。
     シリーズものというのは時間を空けると忘れ去られてしまうの
     で、次回は、できる限り早く書き込むつもりでいます。

         久々野 彰さん
         葉岡 斗織さん
         「関東藤田組」への感想ありがとうございました。
         特に久々野さんは丁寧に全ての作品に感想を下さる
         ので嬉しいです。

 それではまた……。