新たなる世界へ 前編 投稿者: vlad

「よいしょおっ!」
 と、一声上げて耕一は段ボール箱を二つ重ねて持ち上げた。
「おおっ!」
 と、荷物を積み込む間一服していたトラックの運ちゃんが声を上げる。
「おらあああっ!」
 どすっ。
 たったったっ。
「よいしょおっ!」
 と、再び耕一は気合いとともに段ボール箱を二つ持ち上げる。そういえば力仕事の時に耕一が頻繁に使うこの「よいしょおっ!」のかけ声は以前、梓におっさん臭いから止めろといわれてたっけ、と耕一はあの弟みたいな従姉妹を思い出した。
「おらあああっ!」
 どすっ。
 それから、耕一は幾度か段ボール箱を抱えて往復し、仕事を終えた。
 耕一は生活費を稼ぐためにここで荷物の搬入搬出のバイトをしている。
 忙しい時は働きづめだが、休憩をとる時間もきちんとあるし、日給も悪くないので、大学が始まる四月まで働こうと思いここでバイトをして半月になる。なにしろ、今月の前半は隆山の柏木家の方に帰っていて、少々出費が過ぎた。例によって気を許しまくってグータラし、パチンコですり、お兄ちゃんぶって初音ちゃんと楓ちゃんに服を買ってやり、二人が服を買ってもらったのを羨ましそうに見ている梓にも買ってやることになり、結局、予想以上の金が財布から出ていくことになった。
 千鶴さんはそれらの様子をにこにこしながら見ていた。彼女は「耕一さぁん、私も新しい服が欲しいです」とはいわない。彼女の方が耕一なんかよりよっぽど金を持っているのだ。なんといっても鶴来屋の会長なのだから。
 それに、千鶴には耕一と肌を合わせたという余裕があった。
 そう、耕一は既に千鶴と将来を約束した仲なのである。明言はしていないが、梓も楓ちゃんも初音ちゃんも、それを敏感に感じ取って、耕一に甘えるにしても、今までよりもどこか遠慮したようなところがある。
 美人の婚約者に、将来妹になるであろう可愛い従姉妹たち、なんの取り柄もないグータラ学生にしては幸せ過ぎる未来図であろう。
「柏木さん、見た目より力ありますねえ」
 と、声をかけてきたのはこの運送会社でずっと前から働いているという青年である。彼は耕一よりも一つ年下なので、仕事のキャリアは随分と上なのだが、律儀に耕一をさん付けで呼ぶ。
「うん、まあね」
「柏木さんって見た目スマートでしょう、半月ももつかなって思ってたんですけど」
「はは」
 こう見えてもけっこう力はある。去年、自分の中にいるという「鬼」を制御してから体中に力がみなぎっているようだ。その気になれば段ボール箱も二つといわず三つ四つはまとめて持てる。ただ、そうするとバランスをとるのが難しくなるので二つに止めておいたまでである。
「おつかれさんです!」
「おう、半月御苦労さん、ほらこれ」
「はい! ありがとうございます」
 ここでのバイトは今日で最後である。半月分の給料を貰って耕一はにこにこしながら仕事場を出た。帰りにホカ弁を買っていく。
 アパートでホカ弁を食らっていると電話が鳴った。耕一は急いで口中のものを咀嚼して飲み下した。
「はい、もしもし、柏木ですが」
「もしもし、耕一さんですか?」
 男の声だ。ちょっと即座に誰かは思い付けない。大学の同級生ならこんな他人行儀な話し方はしない。
「ええっと、どちらさまですか」
「あ、この前、隆山でお会いした長瀬です」
「え……長瀬って……祐介か!」
「はい、お久しぶりです。耕一さん」
「おう、リーフファイト以来だな、どうした?」
 そういえば、何か困ったことがあったら連絡してくれと、祐介と、それからもう一人、藤田浩之という青年に電話番号を教えておいた覚えがある。
 しかし、祐介と耕一、それに浩之はそもそも全く違う世界の住人である。祐介がそれを知りながらこうして電話をかけてきたということは何かただならぬ事態が発生したということであろう。
「どうしたんだ?」
「……直接会って話しませんか」
「ああ、大学が始まるまでまだあるからいいけど……どこで」
「耕一さんの家はどちらですか?」
 耕一はアパートの大体の場所を教えてやった。
「そこなら知ってますよ、近くの駅の前にファミリーレストランありますよね」
「ああ、あの、下に本屋が入ってるところか」
「ええ、そうです」
「うん、そこでいいぞ、いつ頃だ」
「三十分で行けると思います」
「そうか、じゃあ三十分後に」
「はい」
 受話器を置いて耕一はホカ弁の残りを忙しなく食べ始めた。
「ふう」
 食事を済ませて耕一は立ち上がった。
 しかし、それにしても祐介の用件とはなんだろうか。聞くのを忘れてしまったが、祐介は浩之にも連絡を入れたのだろうか。
 彼は「毒電波」という能力を持っていて、ちょっとやそっとのことでは困るようなことはないと思うのだが。
 耕一は部屋を出て、アパートの階段の裏に置いてある自転車を引っ張り出した。駅までは歩いて行くには遠い。
 耕一が本屋の上のファミレスに到着したのは祐介から電話が来て二十分後であった。
 祐介はまだ来ておらず、耕一はせっかくだから生ビールを頼んで待っていた。
 五分後、予定より早く祐介到着、相変わらず澄ました顔をしている。
「どうも、呼び出してすいませんでした。耕一さん」
「いや、いいよ、祐介もビール……って、未成年だったっけ?」
「はい、あ、僕コールドドリンク下さい」
 側を通ったウエイトレスにいって、祐介は耕一の向かいに座った。
「それで、今日はなんの用だい」
「ちょっと……手を貸して欲しいんですよ」
「ほう……祐介のあの電波じゃ無理なのか」
「ええ、ちょっときついかもしれないんです」
「へえ、なんか厄介なことらしいな、ところで、浩之は呼んであるのか」
「いえ、これは耕一さんにしか頼めないことなんです」
「おれにしか?……」
 耕一の言葉に祐介は頷いた。その目が瞬間、どろりと濁ったように耕一には見えた。
「おい、祐介」
「耕一さん、いきなりこんなこと聞いて申し訳ないんですが、恋人とかいますか?」
「恋人?」
「はい、恋人です」
 一体、どういうつもりなのか。女を紹介してくれというのか、しかし、祐介のまわりにはけっこう可愛い子がいたと思うのだが。
「ああ、まあ、将来を約束した人がな」
 自慢ではないが、恋人はいる。それもただの恋人ではない、ほとんど婚約者みたいなものだ。
「ええと……それはやはり従姉妹の内の……」
「ああ、実はあれから千鶴さんと結婚する約束をしたんだ。大学を卒業したら向こうに引っ越そうと思ってる」
「へえ、それはおめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「そうですか……千鶴さんと……」
 祐介はなにやら怪しげな笑みを浮かべて烏龍茶を飲んだ。
 なんなのだろうか。だったら梓を紹介してくれというのだろうか。あれは止めとけ、体がもたんぞ。
「ふふふ、ここはフリードリンク制なんですよね、次はメロンソーダにしよう」
 そういって祐介は空になったコップを持って、ドリンクを注ぎに席を立った。そこはかとなく怪しい。
「お待たせしました」
「祐介、一体なんなんだ。そろそろ教えてくれよ」
「ふふふ、実はあれから僕にも恋人ができたんですよ」
「え、誰だ。やっぱりあの時一緒にいた子の誰かか」
「新城沙織っていう女の子がいましたよね」
「ああ、あの元気な子か、へえ、祐介、今沙織ちゃんと付き合ってるのか」
「はい」
「……で、一体おれは何に手を貸せばいいんだ」
「耕一さん……このまま一人の女性に縛られていいんですか?」
 祐介の表情は、ちょっと妄想癖がある素朴な高校生とはいいきれぬ光を帯びていた。
「んなこといったって、おれは千鶴さんを愛しているから」
「ふふふ、僕だって沙織ちゃんのことは愛していますよ、それでも時々、沙織ちゃん以外の女の子と仲良くしたいという衝動が僕の中で蠢くんですよ、ふふふ」
 どろりとした色を眼に漂わせて祐介は唇を曲げた。
「いや、まあ、おれだって時々そういう気持ちにならないこともないが、やはり千鶴さんを裏切るわけには」
「ふふ、裏切るだなんて大袈裟な、ちょっとしたアバンチュールを楽しもうってだけじゃないですか」
 明らかに性格が変わっている。電波の使い過ぎでおかしくなったのだろうか。
「耕一さん……たまには女の子の『おいしい』手料理を食べたいんじゃないですか?」
「うっ」
 祐介のある部分を強調した一言はしたたかに耕一の心の間隙を突いた。
「恋人になったら千鶴さんの手料理食べ放題でしょうねえ」
 また足下見るようなことをいう。耕一は先日まで隆山の柏木家にいたのだが、その間、耕一の分だけ千鶴さんの料理という恐れていた事態に直面していた。
「ちょっと上達したんですよ」
 と、いう千鶴さんの言葉に嘘は無かった。確かに上達した。しかし、千鶴さんのは元が元である。「上達した」というより「ましになった」というのが精一杯の表現である。
「ふふふふふ、知っているんですよ、僕は」
「な、なにをだ」
「今まで耕一さんがゲーム本編のみならず数多くの二次創作でも何回も死にそうな目に合ったということを」
「う、そ、それはそうだが」
「でも、そこで梓さんの料理は食べられませんよねえ」
「う、ま、まあな」
「実は、僕も……沙織ちゃんの明るくて元気なところは好きなんですけど……物静かでおしとやかな子にもちょっと魅力を感じるんですよね」
「すると……瑠璃子ちゃんみたいな」
「はい……でも、瑠璃子さんと仲良くするわけにはいかないです」
「まあ、なあ」
「そこで、問題の話です」
「なんだ」
「浩之のとこですよ」
 祐介は声を潜めた。
「浩之のとこって……『To Heart』か!」
「ふふふ、そうですよ、あの誰も死なず、彼女ができなくて雅史の一枚絵が表示されるというバッドの名に値しないようなものがバッドエンディングといわれているあれですよ」
「うーむ、確かにおれらのバッドは本当に辛いからなあ」
「そうですよ、僕なんか精神ぶっ壊されましたよ」
「おれは千鶴さんに殺されたり鬼に殺されたりした」
「でしょう、そんな僕たちがあの世界に憧れたからといって何者が非難できるというんです」
 確かに、そんなこといわれたら一度はあっちの世界に行ってみたい気もする。
「そこで、耕一さんの力を借りたいんです」
「ん、何をするんだ」
「浩之ですよ、彼をなんとかしなければ僕たちは単なる脇役になってしまいます」
「どうするんだ。監禁でもするのか」
「ええ、初めは僕一人でやろうとしたんですが、なんといってもあっちも主人公ですからね、ちょっと僕だけじゃ不安になったんで」
「おれにお呼びがかかったってわけか」
「はい、耕一さんが協力してくれれば……ふふふ」
 と、祐介は不気味に笑った。
「うーむ」
 しかし、そのような掟破りをやっていいのだろうか、長州力にサソリ固めをかける「掟破りの逆サソリ」とはわけが違うのだ。
「耕一さん、神岸さんのこと覚えてます?」
「神岸……ああ、あかりちゃんか、あの子、料理上手いんだよなあ」
「神岸さんがお弁当作ってきてくれるイベントがあるんですよ、それから確か、家に御飯作りに来てくれるイベントも」
「ほ、ほおお」
 動いた。耕一の心は無茶苦茶動いた。
「ま、まあ、ちょっとだけなら……」
「ふふふ、耕一さんならそういってくれると思っていましたよ」
 まあ、確かに、耕一にしか頼めない助っ人である。
 そして、耕一は生ビールを追加し、祐介はレモンソーダを注ぎに席を立った。

「浩之ちゃん、また明日ね」
「ああ」
 浩之はあかりと別れて家に帰った。鍵を開けて中に入るとすぐにインターホンが鳴る。
「はいはい、どちらさんですか」
 浩之はドアを開けた。
「やあ」
「あれ、お前、祐介じゃないか」
「おう」
「あれ、コーイチさんまで」
 浩之は二人の突然の来訪に戸惑った。彼らが揃って訪ねてくるような事態が全く予想できなかった。
「いったい、二人してなんの……」
 浩之の表情が豹変した。歯をくいしばりながら後方に泳ぐように倒れ込む。
 ちりちりちり、と頭に電波のようなものが刺激を与えてくる。非常に不快である。吐き気も催してきた。
「これは……」
 過去、一度だけ似たような感触を味わったことがある。あれは確か、自分と耕一がある誤解から戦っていて、祐介がそれを止めた時だ。
「毒電波……祐介!」
 痛む頭を押さえながら立ち上がった浩之は祐介を睨み付ける。
「なんのつもりだ!」
「ふふふふふふふふふふ、なあに、ちょっと眠っていてもらおうと思ってね」
「この! なめるなよ!」
 浩之は激しい頭痛をものともせずに突進した。
「なに!」
 祐介の目が見開かれる。鬼を制御した耕一ならばともかく、多少腕っ節が強くても所詮普通の人間である浩之がここまで電波に耐えられるとは思わなかった。
 祐介が電波を最大レベルにしようとした時、浩之が既に目の前にいた。
 浩之の拳が一直線に祐介の頬へと吸い込まれた。ここ二ヶ月ばかり後輩の松原葵の同好会に顔を出しているのでただの自己流パンチではない。葵の元々の流派である空手に基づいたきれいな正拳突きである。
 身体的にはごくごく標準の高校生である祐介にこれは効いた。
「くそ、さすが主役だな……」
 壁に激突した祐介は苦々しげに呟きながら崩れ落ちた。
「コーイチさんも、祐介とグルなのか」
「わりいな、寝ててくれ」
「だったら容赦しねえ!」
 浩之は踏み込んだ。頭の痛みも、吐き気も無い。祐介からの電波が途絶えているのだ。
 左右のワンツーからローキック、最近葵に教えてもらったばかりのコンビネーションだ。浩之としてはローではなく、格好よくハイキックがよかったのだが、ハイは失敗すると馬鹿でかい隙ができてしまうので最初はあまりお勧めできないと葵がいうのでそれに従ってここのところ毎日ローの練習ばかりしていた。
 ワンツーは拍子抜けするほどにきれいに入った。右が顔、左がボディー。そしてローを放つ。
 ローは見事に決まった。耕一の左足に自分でも惚れ惚れするほどにきれいに入った。
「うっ」
 だが、びくともしない。
 浩之はローキックの練習のために、神社にある樹齢百年以上という木の幹にボロ毛布を巻き付けてそれを蹴っているのだが、耕一の足を蹴った感触はあの太い幹を蹴った時のそれに似ていた。
「なっ、ちょっとだけだからさ」
 と、赤い目をした耕一がいった。浩之の背筋を悪寒が突っ走る。
 浩之は咄嗟に退いた。完全に鬼化していないが、今の耕一を倒すのは生半可なことでは不可能であろう。浩之はもちろん、葵や綾香でも太刀打ちできないはずだ。
 だが、浩之には最後の手段があった。
「主役の意地ってやつを見せてやるぜ、どっりゃあああああ!」
 浩之が突進する。この技が決まればいかな耕一といえどダウン寸前まで消耗するはず。問題は今の耕一の素早さを浩之が捉えられるかどうかだが、耕一は一歩たりとも動いていない。
 当たる!
 浩之は確信した。そして……当たった。
 耕一に与えたダメージは絶大なはず、しかし、この技は一撃で相手を倒す性質のものではない、もう一発、だめ押しの攻撃が必要だ。
 浩之の正拳突きは耕一の掌に遮られて空しく停止した。
「なにっ!」
 耕一は苦笑しながら浩之を見ている。
「効かなかったのか……」
「浩之、一言いっておきたいことがある」
 耕一の手が上がり、両目が赤光を放つ。浩之は蛇の前の蛙と化してただ冷や汗を流すだけである。
「おれだって主役だっ!」
 ばこんっ!
 その一撃は、おそらく耕一は手加減したのであろうが痛烈に効いた。宙を舞い、廊下に背中を打ち付けさらに廊下を滑って居間にまでふっ飛ばされた。
 そうか……今まであの技を主役以外のものに食らわせたことはなかったのでわからなかったが、「主役の意地」は主役には効かないらしい。
「くそっ……」
 浩之は身を起こした。耕一が、へえ、と感嘆する。あれを喰って起き上がれるとは大したものだ。
 だが、立ち上がった刹那、浩之はぱたりと倒れた。その不自然な倒れ方を不審に思って耕一が背後を顧みると立ち上がった祐介がにっこりと笑っていた。
「最大レベルの電波で、僕が起こすまで眠るように命令しておきました」
「そうか」
「どこか、閉じ込めるのにいいところはありませんか」
「押入にでも入れておこう」
 祐介は電波で浩之を操った。浩之は目をつぶったまま自分で押入を開けて中に入って戸を閉めてしまった。
「さて、これで、後少し細工をすれば僕たちが『To Heart』の主人公です」
「うん、しかし、主人公が二人ってのはないんじゃないのか」
「交代でやりましょう」
「おう」
 公正なジャンケンの結果、祐介が先に『To Heart』の主人公になることになった。
 そして翌日、『To Heart』の主人公、長瀬祐介は幼なじみの神岸あかりと一緒に登校していく。
「それでは、耕一さんはここにいて下さい、できれば僕以外の人間には会わないようにして下さい」
「ああ、わかった」
 さて、自分の番になるまで耕一は暇になってしまったので、これ幸いと昼寝をすることにした。
「ふふふふふ、芹香さん、待っててね……」
「どうしたの、祐介ちゃん」
「いや、なんでもないよ、ふふ……」
 そんなことをいっている間に、祐介とあかりは学校に到着した。



どうもvladです。二回目の登場と相成りました。
      今回は長くなったので前後編に分けます。
  基本的に、ギャグのつもりで書いています。

     AEさん
     悠朔さん
     前作「耕一の過去」への感想ありがとうございました。
     まさか「正体がわからん」といわれるとは思いませんでした。
     とにかく「おもしろかった」の一言を頂き一安心です。
     もうほとんど後編は書き終わってるんで近い内にまた……。
     
     なお、プロバイダ変更にともない、メールアドレスを変更しました。