新たなる世界へ 後編 投稿者: vlad
 やっぱり芹香さんだよなあ、いや、琴音ちゃんもけっこういいかな、神岸さんは悪く
はないんだけど、たぶん耕一さんが狙ってるだろうからなあ。
 授業中も、長瀬祐介はそのようなことばかり考えていた。当然、先生の話など聞いて
いないが、授業中に一人の世界に閉じこもってあれこれ考えるのは以前からのことであ
る。 そして昼休み。
「ふふふふふ」
 祐介は薄気味悪いほどににこにこしながら教室を出た。好都合にも、今日、雅史は姉
さんの手作り弁当持参の日であった。
「ふふふふふ」
 芹香さんが昼休みにはよく中庭のベンチで佇んでいることは調査済みだ。
「はぁーい、ユウ」
 ユウ……誰だそれ、と祐介は思いつつ進む。
「ちょっとユウ、聞いてんの!」
 怒ったような声が後ろから聞こえる。
 あれ、ユウって、僕のことか。
 祐くん、と呼ぶ人間はいるが、ユウと呼ぶ人間に知り合いはいない。
「おれのこと?」
 そういいながら振り返ると、そこには、中学生からの腐れ縁、長岡志保が立っていた。
「あ……そうか、長岡さんか」
 納得してぼそぼそ呟く祐介に志保が声を投げかける。
「なあに、ボーっとしてるのよ、ユウっていったらあんたしかいないじゃないのよ」
「ああ、ごめんごめん、長岡さん」
「は? 今日は随分と素直ね」
「ところで、なんの用?」
「別に用なんてないわよ」
「……僕急いでるから」
「あーっ、何よ、この美少女にそのつれない態度は」
「それじゃ」
 すたたたた、と立ち去る祐介の背中に志保はぎゃんぎゃん喚いていたが無視すること
にした。
「なによ、特技が妄想の変態のくせして!」
 その一言に反応して振り返った時、志保の姿は既に無かった。
「ふん」
 思わぬところでケチがついたが気を取り直して中庭に行く。
「いた!」
 感激のあまり祐介は声を漏らした。
 中庭の日当たりのよい場所に置かれたベンチの上で来栖川芹香が膝の上に弁当を広げ
ている。
「ああ……やっぱりいいなあ、芹香さん」
 さて、遠くからウオッチングしていてもしょうがないので接近を試みることにする。
「やあ、芹香さん」
 祐介はいささかぎくしゃくとした動きで芹香の前に現れた。
「隣いいかな」
 こくり。
 おお、これか! 芹香さんの、こくり。
 いいなあ、いいなあ、瑠璃子さんに「長瀬ちゃん」って呼ばれた時に匹敵するぐらい
にいいなあ。いや、別に沙織ちゃんに「祐くん」って呼ばれるのがいやだってわけじゃ
ないんだけどね。
 さて、次は「なでなで」してもらいたいところであるが、いきなり、
「芹香さん、頭なでなでしてえ」
 とはいえない。
「……」
「え、オカルトに興味ありますか? って」
 こくり。
 来た来た来た。オカルト研究会のお誘いだ。
「ありますあります。無茶苦茶あります! え、研究会に見学に来ませんかって?」
 こくり。
「行きます行きます。いや、即入会します!」
 祐介は即答した。
 ちょっと見ただけではわからないが、芹香は入会希望者が現れたことを喜んでいるよ
うであった。
「それじゃあ、今日の放課後……えっ、芹香さんが僕のクラスに迎えにきてくれるって、
はい、もちろん僕はそれでいいです。それじゃ、放課後、待ってますから」
 祐介は天にも昇る気持ちでへらへらしながら教室に帰った。
「祐介ちゃん……」
 授業が始まるまでの一時、色々と妄想していると、あかりがやってきた。
「ん、なんだい」
「祐介ちゃんって……来栖川先輩と仲いいの?」
「うん、いいよ、素敵だよなあ芹香さん……」
「そ、そうなんだ」
 あかりはしょんぼりとして自分の席に戻っていった。もちろん妄想全開中の祐介は気
付かない。
 そして、気付いた時には放課後になっていた。妄想をしている間は二時間などあっと
いう間である。
「さあてと」
「祐介ちゃん……今日用事あるの? ないんだったら一緒に帰ろ」
 あかりがいそいそと寄ってくる。
「いや、今日は約束があるから先に帰っていいよ」
「う、うん、そうする」
 しょんぼりとしたあかりを捨て置いて祐介は廊下に出た。
「まだかなあ、芹香さん」
 忙しなくキョロキョロと辺りを見回していると人混みに紛れて綺麗な黒髪をした人が
やってくる。
「芹香さーん」
 その姿を認めるや、祐介はすぐさま小走りで彼女の方に向かった。後ろであかりが暗
い顔をしているが、もちろん祐介の眼中には無い。
「えっ、待ったかって、いえいえ全然待ってませんよ、じゃ、行きましょうか」
 オカルト研究会の部室は、祐介が思っていたよりも本格的であった。しばらく祐介は
部屋の中の様々な道具を見ていた。
「……」
 奥の方に行っていた芹香が戻ってきた。
「おお!」
 部活動のユニホームなのだろうか。芹香はトンガリ帽子とマントという魔法使いルッ
クに着替えていた。
「……」
「似合うかって、いいですよ、無茶苦茶可愛いですよ」
「……」
 ぽっ、と頬が染まる。
「で、今日は何をするんですか?」
「……」
「えっ、人間の精神を操ることのできる電波の研究……それって毒電波のことですか?」
 こくり。
「……」
「毒電波のことを知っているのかって? 知っているもなにも僕は毒電波が使えるんで
すよ」
「……」
「ええ、毒電波です」
「……」
「えっ、ちょっと使ってみてくれって……芹香さんにですか、それじゃあ、ちょっとだ
けですよ、危険ですから」
 祐介は芹香の頭に向けて、すごく眠くなるように命じた。
「どうですか?」
 と、祐介がいった時、芹香は既に直立のまま眠っていた。
「芹香さんの寝顔、かわいいなあ……」
 祐介はしばし、目の保養をした後、目覚めを促した。
 ぱちっ、と芹香の目が開く。
「どうでした? ……え、とても眠くなって寝てしまったって……ええ、僕が電波でそ
う命令したんですよ」
 芹香が祐介をじっと見る。なにやら尊敬の眼差しを感じる。
「や、やだなあ、そんな目で見られたら照れちゃいますよ」
「……」
「え、どうやったら毒電波が使えるようになるかって? ……」
 祐介は口をつぐんだ。瑠璃子さんとセックスすればいいですとは口が裂けてもいえる
わけがない。
 うーん、女性が毒電波を使えるようになるにはどうしたらいいんだろう。
 ……やっぱり、毒電波が使える男とセックスすればいいのかな……だとしたら……。
「いや、駄目だ」
 祐介は芹香に背中を向けて小さく呟いた。そんなの、毒電波の能力を餌にして芹香さ
んを騙すということではないか、さらにそれが確実でない。もし、これで芹香さんに電
波の力がつかなかったら、彼女を二重に騙すことになる。
 そもそも、やはり芹香さんと結ばれるとしたら合意の上でのことでありたい。
 待てよ……合意だったらいいのか?
 合意だったらいいじゃないか。と、もう一人の自分がいう。
 合意だったら何も問題は無いように思える。しかし、本当にいいのか?
 どうするんだ。仮に芹香さんと結ばれたとしたら、その後はどうするんだ。いつまで
もここにいるのか、いや、そうはいくまい、いつかは帰らなければならない。
 だったら、芹香さんはどうするんだ。僕は肌を重ねた芹香さんをどうするんだ?
 電波で記憶を消して、全部無かったことにする。それしかないだろうし、僕も全てが
終わったらそうするのが一番だと、いや、当然だと思っていた。
 それでいいのか?
 沙織ちゃん……今頃どうしてるかな。
 帰ろうか、彼女のところへ。
「……」
「ん、ああ、すいません、ちょっと考え事しちゃって」
「……」
「え、僕が苦しそうだって……そうかな?」
「……」
「え、体じゃなくて心が……」
 こくり。
「うん……そうかもしれない」
「……」
「え、帰った方がいいんじゃないかって? ど、どうしてそんなことをいうんですか?」
「……」
「そうか……僕を見ててなんとなくそう思ったんですか」
「……」
「いや、苦しくはないです」
 ふるふる。
「え、嘘をついちゃ駄目だって……はは、芹香さんには隠し事はできないな。ええ……
実は今、すごく胸が苦しいんですよ」
 芹香の手が、祐介の頭に乗る。
「芹香さん……」
 なでなで。
「……」
「私にはこんなことしかできませんって……いや、これで十分ですよ」
 祐介は不純物の無い澄んだ瞳で芹香を見た。
「芹香さん、僕、帰ります。ありがとうございました。……あ、それから芹香さんがど
うやったら毒電波を使えるようになるかは僕にはわからないんです。ごめんなさい」
「……」
 芹香は首を横に振った。
「ありがとうございます。そういってもらえると助かります」

「浩之の奴め、高校生のくせにこんなものを……」
 耕一は、すっかり浩之の家でくつろぎ、冷蔵庫を物色し、缶ビールを発見し、それを
飲んでいた。
「耕一さん」
 祐介が帰ってきた。 
「おう、お帰り」
「はい」
「どうだった。狙ってた芹香ちゃんとは楽しめたか」
「ええ、とても」
「そうか、それでどうする? 明日は」
「僕はもういいです。耕一さんが行って下さい、もう用意はできてますから」
「そうか、よし、それじゃ明日は留守番頼むぞ」
「はい」
 翌朝。
「耕一ちゃ〜ん」
「耕一さん、神岸さんが迎えに来てますよ」
「お、おう」
「あんなに飲むから」
「お、おう」
「耕一ちゃ〜ん」
「なんか年下の女の子にちゃん付けされるのも変な感じだな」
「一応、同い年ってことになってますからね、同級生をちゃん付けで呼ばないようにし
て下さいよ」
「おう、わかってる」
 耕一は身仕度を整えて窓を開けた。
「あ、耕一ちゃん、学校に間に合わなくなるよう」
「今行く!」
 耕一は一声かけて部屋を出る。
 表に出ると、あかりはしっかりと耕一を待ってくれていた。
「おはよう、耕一ちゃん」
「ああ、おはよう、あかりちゃん」
「……」
「どうした?」
「耕一ちゃん、私のことあかりちゃんなんて呼ぶの初めてだよ」
 あっ、そうか。
 耕一は自分があかりと同い年ということになっていることを思い出した。同級生にち
ゃん付けは無いだろう。あかりが自分のことをそう呼ぶのは特例みたいなもんだ。
「冗談だよ、あかり」
「な、なーんだ」
「なんだ。これからもそう呼んで欲しいのかあ?」
「え、そ、そんなこと……」
「だから、冗談だ」
「も、もう」
「ははは」
 うん、大体コツはつかめた。基本的には梓と話しているように、からかうような時は
初音ちゃんと話しているようにやればいいらしい。
「耕一ちゃん、ちゃんと御飯食べてる」
「え、食ってるけど」
「ちゃんと栄養のあるもの食べなきゃ駄目だよ、昨日は何食べたの?」
「ええっと、昨日は戸棚に入ってたカップラーメン食って、冷蔵庫のビール飲んで」
「駄目だよ、耕一ちゃん、ビールなんか飲んじゃ」
「あ、そうか、おれ高校生なんだ」
 あかりはそれを耕一の冗談だと思ったらしく、クスクスと笑った。
「カップラーメンばっかりじゃ駄目だよ、今度御飯作りに行って上げようか?」
 おお、これは、早くもお望みのシチュエーション。
「おう、是非来てくれ、今晩にでも来てくれ!」
「う、うん、耕一ちゃん、そんなに手料理に飢えてるの」
「飢えてる。無茶苦茶飢えてるぞ」
「それじゃ、今晩作りに行くから」
「おう、頼んだぜ」
 これは、なかなか幸先がよろしい。
 耕一はにやにやしながら学校までの坂を上った。すると、
「ねえ、耕一ちゃん、あれ志保じゃない」
「お、本当だ」
 見ると、二人の前方を志保らしい女生徒が歩いている。
「志保」
 と、二人のハモった声に振り返って志保は、顔をにやつかせる。
「あら、お二人さん、今日もお熱いわねえ」
「もう、志保ったら」
 そういったあかりの頬はこれでもかというぐらいに赤く染まっていた。
「うるせーぞ、志保、朝から出来上がりやがって」
「な、なによー!」
 うん、彼女も対梓用の態度でいけるな。同級生には全員それでいいだろう。それとい
うのも梓は四姉妹の中で一番気兼ねなく話せる仲だからに違いない。
 そして、授業。
 本来は大学生なので高校の授業でやることなどは、大体わかる。耕一はどこかで聞い
たことのあるような話を聞き流しながら時折うとうとするなど、大学と同じようなこと
をして時を過ごした。
 三時間目に数学が自習になっていてプリントが配られた。
 こんぐらいの問題だったら解けないことはない。
 耕一は二十分ぐらいで全ての問題を解いてボーっとしていた。
「ちょっと、柏木くん」
 横から声がかかる。
「なんや、ボーっとして、プリント終わったんか」
 この関西弁(筆者は関東者です。彼女の台詞の不備は寛大な目で見て下さい)は、智
子ちゃん……じゃなくって保科智子、通称委員長である。   
「おう、もうとっくのとうに終わったぜ」
「へえ、私は今終わったとこや、随分早いな」
「まあな」
「答え合わせせえへんか」
「おう」
 二人の答えを照らし合わせると、これが見事に途中の式まで一致していた。
「へえ、全問正解、柏木くんってけっこう数学できるんやな」
 自分の答えが絶対に合っていると思っているところは智子らしい。
「そや、これわかる」
 そういって智子は一冊の問題集を取り出した。
「これや」
 と、指し示された問題を見て、耕一は五分ぐらい考えていたがわからない。
「ああ、わからんかったらええわ、これ私も全然わからん問題でな、今日塾の先生に聞
こうと思っとったから」
「ええと、その問題集は?」
「ああ、私が受けよう思とる大学の過去の問題集や」
「そ、そうなのか」
「ああ、せやからわからんかっても気にすることないよ」
 一応、大学生なんですけど。
 少々打ちのめされた耕一は自習時間はもちろん、四時間目まで机に突っ伏していた。
 五時間目が終わった時、見慣れぬ男が話しかけてきた。
「なあ、柏木」
「んん」
 こいつ、誰だ。耕一は激しく記憶中枢に呼びかけた。重要なキャラならば覚えている
はずだ。思い出せないということはどうせチョイ役の奴だろう。
「お前さ、神岸さんと仲良いだろ」
 こいつ、まさか!
 耕一は思い当たった。
「お前、矢島だなっ!」
「そ、そうだけど、お前、おれのこと覚えてなかったのか」
 矢島が呆れたようにいった。
「確認しただけだ。それでおれがあかりと仲が良いのがどうした」
「ああ、実はお前に頼みたいことが……」
「断る!」
 耕一は断言した。もはや耕一はあかり狙い一直線である。この野郎があかりを紹介し
てくれといってくることは祐介に聞いて知っているのだ。
「お、おい、内容も聞かずに」
「あかりを紹介しろっていうんだろ」
「う、な、なんでわかった」
「そんなことはすぐにわかる。で、答えはもういったな」
「ま、待ってくれよ、なんで断るんだよ、やっぱりお前らってもう付き合ってんのか?」
「やかましい、あかりの手料理を食べる権利はおれにある」
「そ、そこまでの仲なのか……」
「さっさと行け、狩っちまうぞ」
 矢島はフラフラとよろめきながら耕一の視界から消えていった。
 六時間目、矢島は欠席した。ショックのあまり早退して寝込んでしまったのだろう。
 放課後、耕一は脇目もふらずに帰宅した。
 あかりは、夕方五時頃に夕食を作りに来てくれるという、非常に楽しみである。
「祐介」
「なんです?」
 祐介は居間でボーっとしていた。
「実はな、これからあかりちゃんが飯を作りに来てくれるんだ」
「あ、そうですか。だったら僕は浩之の部屋に行ってますから」
「おう、わりいな……ところで、浩之の様子はどうだ」
「定期的に起こして排泄と食事をさせてますけど、基本的には寝てる状態です」
「そうか、一応浩之の奴も上げておこうか」
「そうですね」
 祐介が立ち上がると、押入の戸がすっと開いて口の端からよだれを垂らした浩之が出
てきた。祐介が階段を上るとそれに続いて二階に上がっていく。
「ようし」
 そして、五時。買い物袋を手から下げたあかりがやってきた。
 あかりは台所のどこに何がしまってあるかなどよく知っていた。そのことを耕一がい
うと、
「え、だって、もう何回も使ってるから」
 と、あかりははにかんでいった。つまり、何回も浩之に食事を作りに来ているという
ことだ。うらやましい奴め。
「はい、できたよー」
「おお!」
 耕一の前にはあかりが得意だというビーフシチューを初めとして、店に出しても恥ず
かしくないような豪勢な食事が並んでいた。
「おお!」
 味もかなりいける。梓には僅かに劣るかもしれないが、大したものだ。もちろん千鶴
さんとは比べるべくもない。
 特に、ビーフシチューの具の柔らかさは絶妙であった。
「うん、美味いよ」
「ほんと?」
「ああ、美味い美味い」
「えへ、そうかな」
 耕一はあかりが心配するほどに素早く目の前の食事を口に運んだ。
「耕一ちゃん、喉につまっちゃうよ」
「……」
 口の中に食べ物が充満してとても喋れる状態ではないので、身振りで「大丈夫だよ」
という。
 二十分後には料理はきれいさっぱり無くなっていた。
「ふう、ごちそうさま」
「すごーい、全部食べちゃったね、少し残ると思ってたのに」
「こんな美味い料理だったらいくらでも食えるぜ」
「ど、どうしたの、耕一ちゃん、おせじなんかいって」
「おせじなんかじゃないさ」
 耕一は心の底からいった。
 食後の一時、手際よく食器を洗ったあかりが入れてくれたお茶を飲みながらテレビを
見ていた。
「いやあ、今日の料理はおいしかったぜ」
「そ、そうかな」
「うんうん、よくあんなの作れるな」
「だって、それは耕一ちゃんのために頑張って作ってるから……」
「頑張って……か」
「うん」
 味では比べるべくもないが、千鶴さんも料理をする時は自分に食べてもらおうと頑張
って作っているんだろうなあ。
「……」
「どうしたの? 耕一ちゃん」
「ん、いや、なんでもない」
 十時を過ぎると、あかりは、家の人が心配するから帰るといいだした。家まで送ろう
かといったが彼女が断るので玄関先までにする。
「今日はありがとうな」
「ど、どうしたの、今日は変だよ」
「なあに、たまには感謝しないとな」
「どういたしまして、また作って上げるからね」
 あかりはそういって自分の家の方に帰っていった。
「ああ、そうしてやってくれ」
 耕一は独語して家に入った。
 階段に足をかけ、二階に上がっていく。
「祐介」
「ああ、もう神岸さんは帰りましたか」
「ああ、そろそろおれたちも帰ろうか」
「そうですね、沙織ちゃんが待ってるかもしれませんし」
「おれも、二日家空けたから千鶴さんから留守電が入ってるかもしれないな」
 二人は無言のまま藤田家を出た。
「もう元通りか」
「はい、みんなの記憶を整合性がつくようにいじっておきました。明日からまたいつも
通りになるはずです」
「そうか、それじゃあ帰ろうか」
「ええ」

 三日後、アパートでゴロゴロしている耕一のところに電話がかかってきた。
 咄嗟に受話器を右手で取ろうとして苦笑して左手を伸ばす。耕一の右手はギプスに包
まれて首から吊られていた。
「もしもし、柏木ですが」
「あっ、耕一さん、僕です」
「ああ、祐介か、どうした。沙織ちゃんとは上手くやってるか」
「いえ、この前のことバレちゃいました」
「はは、そうなのか。実はおれもそうなんだ」
「そのことで謝らなきゃいけないんです」
「え、なんでだ」
「その、僕、沙織ちゃんにどこ行ってたのか聞かれて、いわないでいたら、その……泣
かれて叩かれて、あのこと喋っちゃったんですよ」
「へえ、どうなった」
「そりゃもう殴られ蹴られ引っ掻かれです。それで、どうやら沙織ちゃんが千鶴さんに
そのことを電話で知らせたみたいなんですよ」
「そうだったのか。女性陣の横の繋がりはあなどれないな」
「それで……耕一さん、千鶴さんになんかされましたか?」
「実はな、昨日、千鶴さんが新幹線でこっちに来て、まあ、骨を五,六本な」
「すいません、僕が喋ってしまったばかりに」
「ははは、いいっていいって、天罰みたいなもんだよ、明日には完治するだろうし」
「さすがですね、鬼の回復力は」
「まあな」
「それで、千鶴さんはどうなんですか、怒りはおさまったんですか」
「さっき梓と電話で話したら一生懸命料理の特訓してるってさ、梓がいうには『ほんの
ちょびっと』上達したそうだ」
「そうですか」
「そっちこそ、沙織ちゃんはどうだ」
「いや、昨日まで怒ってたんですけどね、今日突然、おとなしくて静かな方がいいか、
なんて聞いて来ましてね」
「ほう」
「明るくて元気な沙織ちゃんが好きだよ、っていっておきました」
「なかなかやるなあ、祐介も」
「耕一さん、今回は僕が言い出したことで御迷惑をかけてすいませんでした」
「いや、迷惑なんてことはなかったよ」
「それでは、またなにかあったら」
「ああ、なんか困ったことがあったら遠慮なくいってくれ」
「はい、それではまた」
「ああ、じゃあな」
 受話器を元の位置に戻して、耕一は再び万年床の上に寝転がった。
 ゴールデンウィークにでも千鶴さんの料理の上達ぶりを確かめに帰ろうか。と、耕一
は思った。
 自分で思っておきながらなんだが、自分の意思で千鶴さんの料理を食べようと思った
のは初めてであった。
 結局、自分も祐介も、わざわざ別の世界にまで行って、今の恋人の大切さを確認した
だけかと思うと何やら滑稽ではある。
                                                                   終

        どうもvladです。これで完結です。後編の方がちょっと
    長くなってしまいましたね。

    久々野 彰さん
    風見ひなたさん
    UMAさん
    XY−MENさん
    感想ありがとうございました。

    風見ひなたさん   読んでいただければわかると思いますが、浩之の逆襲
              はありませんでした。ただ寝てただけです。
              期待を裏切ってしまってすいませんでした。

    UMAさん     ああ、あの削除処理部停止中ってのはそういう意味だ
              ったんですね、なんか別のページが閉鎖中なのかと思
              ってました。お教えいただきありがとうございます。
              それから二重書き込みに対する寛大な対応にも感謝し
              ます。
              それからvladは「ヴラド」と読みます。ヴラド・
              ツェペシュから取った名前です。別におれは串刺しが
              好きというわけではありませんが。
     
 それではいずれまた……。