1・17 投稿者:UMA(うま)

「あれからもう3年か…」
「せがたさんを買うて?」
「そうそう。やけん、そろそろ時計の電池が寿命かな…って違うぞ、智子」
「冗談や。でも、買うたんはホンマの事やん?」
「まあ、な」

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場所は兵庫県神戸市の保科家。俺は九州から来て、ここにやっかいになってい
る。

俺は、2〜3日前から風邪を引いて寝込んでいた。
前日の夕方6時半頃にあった予兆ともいえる微震も、たまたま寝込んでいたの
で知っていた。TVのテロップで今の揺れが地震のものと分かってもそのとき
は「神戸でも地震があるんだ」程度にしか思わなかった。もっとも、熱があっ
て早く眠りたいと思っていたせいもあっただろうが。

「そう言えば智子。あん時俺が『今、地震があったぞ』って言うても信じんか
ったろ?」
「そうやったっけ。でも、うちも関西で地震なんて起きるはずないって思って
たんやもん。しゃあないやん」

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そして、日本標準時5時46分。
阪神地区を未曾有の大地震が襲った。

前日早く寝過ぎたのが原因かは分からないが、俺はその瞬間はぼんやりとだが
目が覚めていたようだ。
夢うつつというか、寝ぼけた状態というか…まあそんなところだ。

「あ、なんか揺れてるぅ…ってでかいぞ…うわあああああ!!!」

一瞬で目が覚める。が、熱で頭が回らない。
しかも、周囲は真っ暗なうえ、部屋の窓や、壁や柱等が発する轟音…。
この状況下でまともな行動が出来る方はずがない。当然、俺は布団を頭からか
ぶって揺れが収まるまでひたすら耐えるだけだった。

時間にして1分にも満たないだろうが、俺にとってはとてつもなく長い時間に
感じられた。
揺れが止まって少し経つと、外からざわざわと人の声が聞こえる。
さすがに近所のほとんどの人間が目を覚ましたようだ。これで今の揺れが自分
の部屋だけじゃないことを確信し、『地震』が起きたことを実感する。
とりあえず、俺は起きた。まだ夜が明けきっていないので薄暗いが、ぱっとみ
てTVなどの家電製品が落下したり、積んでいた雑誌類が崩落しているのが分
かる。
ためしに電話の受話器を取るが、案の定切れている。「ツー、ツー」という音
もしないのだから洒落にならない。
寝間着の上から上着を着て部屋から出る。すると智子と出会う。
「大丈夫か、智子っ!」
「う、うん、うちはだいじょうぶや…」
智子は今、何が起きたかよく分かっていないようだ。おじさんたちも寝室から
出てきたので、俺達は一旦家から避難することにする。
俺達は家から出て驚いた。まだ冬の早朝なのに北の方が明るいのだ。
「北?なぜ、北が明るい…?」
よく見ると火事だ。この辺りは比較的火事の被害は少ないと思うが、それでも
ぱっとみて3〜4カ所から火の手が上がっていたはずだ。

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避難して1時間ほど経った頃、おじさんの「そろそろ、会社行かんとな」と言
う発言に従って、俺達は家に戻った。もっとも、俺は風邪をこじらせてるので
今日は有給で休むつもりだ。
ちなみに出社した俺の同僚に聞いたところ、その日は仕事にならないどころか
誰も来ない(当然だ。全ての交通機関がストップしているのだから)上に、建
物が崩れるかもという不安(どんな頑丈なビルでもあのときは信用できない)
から、早々に帰ったらしい。

俺は、部屋に戻って改めて部屋の惨劇を見た。TV、ミニコンポ、X68が揃
ってバンジージャンプしている。一応の動作チェックするとどれも問題なく動
いたので一安心する。
ちなみに部屋に戻った頃には電気と電話は回復していたので、実家に電話を掛
けることにした。

「この頃ってまだアさんに連絡する通信手段がなかったんやね」
「そうそう。もし連絡が付けられれば『ちーっす、地震喰らったよおおおん』
って連絡しようと思ったっちゃけど」
「明るく言うてどーすんねん!」
「いや、心配掛けんようにと…」

とりあえずTVなどを元に戻す。そしてTVと68のディスプレイTVを点け
る。でかい方のTVにはNHK、ちっちゃい方のTVにはどっか民放をそれぞ
れ映す。
よく見たらTVの表面のガラスの一部が欠けてる。バンジーの時にどっかにぶ
つけたらしい。
暫くして智子が俺の部屋に来た。自分の部屋に一人でいるのは怖いようだ。当
時、智子は13か14歳だったから無理もない。
「…ええかな?」
「ああ、地震でかなりちらかっとるけどな。…怖いか、智子?」
「…うん…。関西でも地震、あんねんな…」
「俺もビビったぜ。真っ暗ななかであの揺れだろ?死ぬかと思ったけんな」
「そう…やね」
「あの揺れをたとえるとしたら『掃除道具入れとかロッカーに入れられて、周
りからぼこぼこにされてる感じ』に近いかな?恐怖感はケタ違いだけど」
「真っ暗だったし、いい表現かもね」
智子はぎこちなく笑った。

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「そういえば、どっちのTVでもゲームはせえへんかったけどなんで?」
「さすがの俺でも、あのときは『ゲーム』の事は頭から綺麗さっぱりなかった
な。つーより、情報が何より欲しかった時だからTV2台でも足りなかったっ
てのが本音だ」
「そうやね。あれ?あのとき、どこかの局でアニメやってなかったっけ?」
「テレビ大阪かな?テレビ大阪とNHK教育はあのとき『普段の番組』だった
からな。『こんなときに…!』なんて言うかも知れないが、逆に普通の番組が
見られてほっとしたのも事実だぜ。でも、テレビ大阪も朝のこども劇場の途中
からは地震特番だったし、NHK教育も避難場所や安否情報の発信に代わって
いたと思うけどな」

その後は、三ノ宮のビルが倒壊しただの、高速道路が横倒しになっただの、長
田区で大火事が起きただの、ポーアイで液状化現象が起きただの…といった市
内各地の惨状が全てのチャンネルで24時間体制で報道される。
ちなみに、他の地方では番組の途中にCMがあったと思うが、阪神地区では代
わりに全て「美しい映像」が流れたのだ。

そして、余震に恐怖しながらTVを見つつ震災初日をすごしたのだった。

<現実には終わっていないが、終劇>
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どうも、約2週間ぶりのUMAです。

今回のネタは「兵庫県南部地震」通称「阪神淡路大震災」です。
記憶をたどりつつ書いたので一部史実と異なる点があるかもしれませんが、ま
ぎれもない「実話」です。もっとも、私は一人暮らしなので保科家でのお話は
フィクションですが。

この他に、福岡に避難するために最寄りの駅(当時の最寄り駅は明石駅)まで
延々と歩いた話とか、実家に帰り着いた途端、風邪がぶり返してぶっ倒れた話
とかあるけど、ハンパじゃなく長くなりそうなので地震当日、それも午前中だ
けに限定して書いてみました。

ここの作家・読者であの地震を体験したのってどれくらいいるんでしょうね?

震災で亡くなられた全ての魂に安らぎあれ。