だからもう、泣かないで 投稿者: Syara
 このSSを、マルチ研究所と、(旧・新の)マルチML室の皆様に捧げます。
 ……それと、ファンである、のわくさん家のエミュちゃんに。              1999年4月27日  Syara

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「だからもう、泣かないで」

 『夢を、見ています』
 『とても叶うことはないでしょうけど、でも、見ているだけで幸せな気分になれる、そんな夢です』

 
 わたしは、笑顔が大好きです。
 お手伝いしたり、お掃除したり、バスで席を譲ったりして、ありがとうって笑ってくださるときのみなさんの笑顔が、大好きなんです。
 みなさんが喜んでくださると、わたしも、とてもとても嬉しいんです。

 どうしてこんなに嬉しいんでしょうか? よく、分かりませんでした。
 考えても分からないんだろうな、って、そんなふうに考えていました。

 ……浩之さんに、出会うまでは。

 浩之さんは、優しい方です。
 わたしのことを初めて助けてくださった、とても親切な方です。
 そして、とても素敵な方だと思います。
 先日はゲームセンターに連れて行ってくださいました。とてもとても楽しくて、とてもとても、嬉しかったです。
 でもその嬉しさは、これまでわたしが感じてきた嬉しさとは、少し違っていました。

 いつもの安心するような感じじゃなくて、もっと舞いあがるような……。
 そして、胸の奥が締めつけられるような……、そんな嬉しさです。
 
 浩之さんは、わたしをロボットとしてではなく、一人の女の子として接してくださいます。
 それはとても嬉しいことでしたが、同時にとても悲しくもなりました。
 ……わたしは普通の女の子のように、浩之さんに応えることができませんから。


 わたしはロボットです。人間のみなさんにご奉仕する為に作られた、ロボットです。

 それなのに。

 わたしは、浩之さんともっと一緒にいたいと思いました。
 もっと浩之さんに私のことを知ってほしいって、そして、
 わたしのことを……、少しでも、覚えていてほしいって。

 わたしは……一体、どうしたらいいのでしょう……?


 わたしは、人間の方と同じように考え、判断し、行動できるように造られているんだそうです。
 それなら、人間のみなさんもわたしと同じように悩んだりされるんでしょうか?

 『わたしは、何のために生まれてきたのだろう?』 って……。

 ついこの間までは、この答えは明確にわたしの中にありました。
 来栖川電工製、汎用アンドロイド、テストナンバーHMX−12型。
 わたしはその運用テストの一つのために生まれました。
 でも、今は……。
 それだけでは説明できない何かが、わたしの胸を締めつけます。
 運用テストという目的と私の型番では、わたしが今こんな事を考えている理由にも、答えにもなりません。
 「怖い」……なぜか、強くそう思いました。
 どうしようもなく不安が湧き上がってきて、いても立ってもいられなくなります。

 わたしは、一体、何なのでしょうか?

 暗い暗い、真っ暗な部屋に取り残されるような、そんな心細さ。
 あまりの怖さと寂しさに、泣きそうになります。

 誰か、手を引いてください。
 誰か、優しく、暖かく、包んでください。

 わたしは必死に叫ぼうとします。
 ……けれど、頭の中に響く声に縛られて、わたしは声さえ出せなくて……。

「わたしは、ロボット」
「寂しい気持ちも、怖い気持ちも、単なるデータの積み重ねの、錯覚に過ぎない」

 この言葉が誰の言葉で、どれだけの重みを持っているか、それは知っています。
 言葉を発したのはわたし自身。
 そして、その重さはどうしようもない現実の重み。
 私自身を縛るその声に、私は反論できる論理を持っていません。

 ……それは分かってます。事実なのも分かっています。
 でも。それなら。

 この胸の痛みは何なんですか!?
 このどうしようもない寂しさは何なんですか!?
 この沸き上がる悲しみは何なんですか!?

 私はロボットなのに、どうしてこんな気持ちになるんですかっ!?
 ロボットなのに、どうしてこんな事に苦しむんですかっ!?

 人間ではないのに、人間と同じように考える……私は、何なのですか?
 生まれてくる私の妹たちも、この苦しみを背負わなければならないんですか……?

 ……答えは、ありません。


 でも、あるような気がするんです。……どこか、すぐ、近くに。
 
 お掃除をしている時、人間のみなさんが嬉しそうにしてくださる時、私の心は弾みます。
 ありがとう、って言われる時、私もとてもとても、嬉しくなるんです。

「マルチ、マルチねっ、みんながわらってくれると、すっごくうれしいのっ!」
 研究所のみなさんはそれを聞いて、優しく笑って頭を撫でてくださいました。
 ――たった十日ほど前の、けれどもわたしにとっては随分と昔の記憶です。

 そう、生まれてから今までの、2週間とちょっとの記憶。……それが、わたしの全てです。
 もちろんその前にも、わたしの姉さまたちのデータの応用とか、ジンカクケイセイ……とか、カンジョウガクシュウ(……だっけ)とか、
心のえみゅれ……(あ、忘れちゃった)とか、色々あったようですけど、わたしがわたしとして考え、行動したのはそれだけです。
 そして、数日後にテストを終えて、眠りにつきます。
 ……それで、わたしの役目は終わります。

 でも、それだけの時間でも、私にとってはかけがえのない日々でした。
 生まれてきてよかったと思います。みなさんに会えて、本当によかったと思います。
 そして、残された数日を、ほんとうに精一杯、がんばりたいと思います。

 この数週間の、私の過ごした日々を……私の、「全て」を、無駄にしないために。

 この不安に悩んでから初めて、わたしは、どうしてみなさんの笑顔が嬉しいのか、分かってきた気がします。
 ……そして、この不安の答えも、そこにあるような気がするんです。
 それに……。

「よぉ、マルチ〜」
 ……浩之さん。
「マルチみたいな素直ないいコには、ついつい親切にしたくなるんだ」
「…え? わたしが…ですか?」
「ああ、とってもいいコだぞ。ホラホラ、よしよし、いーこいーこ」
 浩之さんはそう言って、わたしの頭を撫でてくださいました。
「…ひ、浩之さん」
 かぁっ、と頬が熱くなるのが、自分でも分かりました。

 浩之さんは生まれて初めてお会いした、とてもとても、優しい方です。
 そして、わたしの事を普通の女の子として接してくださった、ただひとりの方です。

「…うーん。そうだな、そう言われてみると、たしかにマルチは変わってるよな」
「……」
「なんてったって、他のメイドロボットに比べると、ダントツで親しみやすい」
「えっ?」
「やっぱり人間に近いんだよ。こうして喋ってると、ついついマルチのこと、ロボットだって忘れちまう。可愛い後輩の女のコって感じ
かな」
「…浩之さん」

 浩之さんといると、わたしの中の不安が、すうっと消えていくような気がします。
 ……そう、きっとわたしのこんな悩みも消してくださるような、そんな気がするんです。


 そうです、それに、最後の運用テストが私を待っているんですから!

 まだ生まれ来ぬ妹たちのためにも、がんばらなくちゃいけませんっ!
 ……いろいろ、失敗ばかりで落ち込んじゃいそうになりますけど、それは努力でカバーです!!
 そして、そして……
 この気持ちを、この想いを、妹たちに伝えるんです……!!

 たくさんの人を好きになって、たくさんの人に好かれて、みんなで笑顔でいられるような、そんなメイドロボットになりたいんです。
 そして……、優しい御主人様におつかえして、穏やかに日々を過ごしたいです。
 ……そう、たとえば、浩之さんのような……。

 ……夢、なんです。それが。
 とても叶うことはないと思います。……でも、それが、夢なんです。


 …………。

 ふに、ふに、ふに…。

 ……あ、あれ?

 ふに、ふに、ふに、ふに、ふに…。
「うーむ、よくできておるわ」

 ……あれ? ……ええっと、何が、どうなって……? え? 浩之……さん??

「…あ、あのぉ、なにを?」
「うむ、こんにちのロボット工学の進歩というものについてだな…、・・えっ!?」
 驚いた浩之さんとわたしの視線が、真正面からぶつかりました。
「……」
 昼下がりの図書館。半分空いた窓から暖かい風が吹いてきて、少し気持ちいいです。
 ……そうだ、わたしはここで充電をしていたんでしたっけ。
 そしてわたしの目の前には浩之さんがいて、私の胸を触っています。

 ……え?

「………」
 一瞬の空白。
 そして、
 ・・ばっ!
「浩之さんっ!」
 わたしは思わず、叫びながら飛び退きました。
 引き抜かれた充電用のコードが、ぱらりと床に散らばります。

「…………」
「や、やあマルチ」
「…………」
「…………」
「…………」
 は、はや、はややや、ひ、浩之さんがなんで浩之さんがわたしのどうして浩之さんがこんな…………。
 …………。
 ぷしゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
「げっ!」
 ドタンッ!
「まっ、まるちぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 …………。

・
・
・

「……マルチはいつもどんな夢を見るんだ?やっぱり電気羊がとんだり跳ねたりする夢?」
「うーん。いろいろです。とくに新しく体験したことはよく夢で見ます。頭の中で、記憶を整理し直してるからです」
 しれからしばらくの後。わたしは顔の火照りを必死に消そうとしながら、浩之さんの質問に答えました。
「たとえば、さっきはどんな夢を見てたんだ?」
「さっきはですねぇ…」
 あ。
「さっきは?」
 ……え、えっと。
「……」
「早く、教えろよ」
 ……。
「や、やっぱり内緒ですっ」
「なんだよ、それーーー」
 簡単には教えてあげないんです☆
 だって、わたしだって、女の子なんですから!

 ……そうですよね? 浩之さん☆

                          (終)
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 嬉しい、好きだ、ということを素直に言える、それだけの素直さを、今の私達は持っているでしょうか?
 そんなに他の人は信じられない? 気は許せない?
 確かにそうですよね。少し現実の世界を見回せば、悪意や否定、イヤな奴などいくらでも転がっていますから。
 これまでぶつけられた悪意や排他、無責任な好奇心、誹謗中傷が、どうしても他人に対して身構えさせてしまいます。
 私達は傷つけられて、自分を護る為の理論を身につけ、自己を肯定する言葉を覚えて大人になって行くのかも知れません。
 人を傷つける人はその痛みを知らなさすぎ、傷つけられた痛みはあまりに大きいですから。

 でもせめて、心を開いて信じてくれる人には、心を開いて応えてあげたいと思うのです。
 疑いの殻の中から、少しだけ、一瞬だけ、顔を出して。
 嬉しい事は嬉しい。好きなものは好き。信じているものは、何が何でも信じている、と。そう答えてあげたいと、思うのです。
 浩之くんのようにはなれなくても、それくらいは……と思うのは、私だけでしょうか?

 今回の文はそんな意味も込めて書いてみました。……あまり、書けませんでしたが(苦笑)。


 前置きが長くなりましたね。今回二度目の投稿となります、Syaraと申す者です。
 調子に乗ってと言いますか、無性にマルチの事が書きたくなったので、このSSを書いてみました。
 ……いかがなものでしょうか。前作からあまり時間が経過していないので、文章力その他については変わり映えがないかとは思いますが、
楽しんで頂ければ、幸いに存じます。

 takataka 様
 初めまして。お褒め頂き、ありがとうございます。
 まだまだ至らぬ文章力ではありますが、それでもほめられると嬉しいものですね。
 やはり感想のお言葉には元気づけられるものだと、つくづく思いました。。
 前回は「嫉妬」、今回は「存在」を念頭において書いてみました。……、重いですね(苦笑)。

 あるる 様
 初めまして。ご感想ありがとうございます。
 ……まあ、私がこの人ならこうお考えるだろうな、といった感情移入の極致ですから……ね。
 どうしても考え方のクセとか、そういったものが違和感に出てしまうのかもしれませんね。
 まあ、こんな事もあり得るのではないかな、という感じで読んで頂けると嬉しいです。

 ……ところで、アルル様の昔の作品は、どこで読めるのでしょうか?
 『 あ行 』の作家さん の処にお見受けできなかったもので……。よろしければ、教えて下さい。

 久々野 彰 様
 初めまして。(何か繰り返しになって失礼ですが)ご感想ありがとうございました。
 懐かしい……ですか。何か嬉しい感じですね。
 まだ文章を書き始めたばかりなので、そういった独特の雰囲気が符合したのかも知れませんね。一人称は書き易いですし。
 (どの歌い手もデビューの頃の曲には勢いがあるように……)
 『背中』、良かったです。何か比べるのもおこがましい出来の差ですが(汗)。
 ただ私の場合、登場人物になりきってしまう傾向があるので、ハッピーエンドにしかできません(苦笑)。困ったものです。

 前回に引き続き、忌憚無きご感想、ご指摘など頂ければと思います。(このコーナーでもメールでも結構です。)

 それでは、これにて失礼致します。
 ご精読、ありがとうございました。

 BGM:子守歌(谷山浩子)