楓の記憶 投稿者:takataka 投稿日:8月1日(水)00時34分
「楓」

 振り返る。
 頭の動きに一瞬遅れて、さらり、と黒髪が流れる。つややかな漆黒は肩口で切りそろえ
られ、清楚という言葉をそのまま体現したかのようだった。
 姉である千鶴も、思わず息を呑まずにはいられない。
 次女、柏木楓。

「今度の週末、耕一さんが来るわ」

 柏木耕一。その名を聞くたび、楓の心には言い知れぬものが走る。
 それは甘美な痛み。幾百年の昔から受け継ぎ、まだその痕もなまなましい――あの日々
の記憶。

「その前に、お願いがあるの。
 楓、すべてを教えて欲しい――400年前にあったことを。あなたが”エディフェル”
とともに受け継いだ、そのすべてを」
「姉さん……」
「辛いことをお願いしているのはわかってるわ。でも、できるだけ情報は必要なのよ。悲
しみを繰り返さないためにも」

 千鶴の表情には固い決意があった。
 静かに目を閉じ、深く息をつく。
 庭には強い陽射しが濃く影を落としている。ひどく暑い。
 セミの鳴き声が急に大きくなった。一面の蝉の声。他にはもう何も聞こえない。

「――わかりました」

 長い一日になる予感がした。



 そして楓はとつとつと話しはじめた。
 地球へとたどり着いたエルクゥ。相次ぐ人間狩り。
 男のエルクゥたちが嬉々としておのれの力を弱い生物に向けて振るうのに嫌気がさした
エディフェルは、そこで生き残りの地球人――次郎衛門と出会う。それがすべての始まり
だった。
「ですが、それはしょせん許されぬ道でした……第一皇女リズエルをはじめとする姉妹か
ら、それにエルクゥたちのすべてが、それを非難したのです。
 ことに第一皇女リズエルの荒れようは相当なものでした」


	『きー、何さエディフェル! 姉の私を差し置いてチーキュの生物なんかとらぶ
	らぶ決め込んで! くやしいわ、くやしいわ、なんだかとってもくやしいわ』
	(くやしまぎれに手ぬぐいのはしをギリギリ噛み裂きつつ)


「楓」
「はい」
「なんだかくやしがりかたがとっても古臭い気がするんだけど」
「400年も前のことですから……」
「それに、地球の呼び方がなんかボーゾック気味」
「宇宙人ですから」
「…………」

 千鶴は今ひとつ納得行きかねるといった様子で、それでも続きをうながす。



 そして追い詰められたエディフェル。
 次郎衛門とともに過ごした小さな庵――いまはそこに、次郎衛門ひきいる侍集団が陣を
張っていた。
 その後ろに、エディフェルは潜んでいるはず。
 ヨークのコンソールで、アズエルがマイクを握る。

「リズ姉、なんていったらいいんだよ?」
「知らないわよ、つんっ。私第一皇女だもん。第一皇女のプライドにかけて一族の裏切り
者となんか話せないんだもん。ふーんだ、何さエディフェルなんか。ぷいっ」
「あ〜も〜、わがまま言うなよ〜」
「アズエルお姉ちゃん……私、言おうか?」
「いい。リネットにはこんなことさせたくないからな……」

 アズエルはしかし動揺していた。
 なにしろこんな人前でマイク握って何かしゃべるなんてやったことないのだ。そういう
七面倒くさいことはみんな外面のいいリズエルがやってたし。
 どうしよう? 何て言おう? まず一言目になんていったらいいんだろう?」

「早くしなさい、アズエル」
「アズエルお姉ちゃん……」

 ままよ!
 やおらマイクを手にとって――



	『こんばんは、アズエル柏木です』



「緊張感あふれる戦いの場で、まさかのマイクパフォーマンス……。
 ほかに言うことが思いつかなかったらしいですが、武闘派のアズエルらしいエピソード
だと思いました……」
 ばたり、と障子の向こうで鞄の落ちる音がした。
「梓!?」
 すたん、と障子を開くと、表情をこわばらせた梓がふるふると肩を震わせている。
「あなた……聞いていたの?」
「うそだよな楓……冗談なんだろ? だって、だってそんなの……ラッシャー木村じゃな
いか!」
 梓に肩をゆすられながらも、悲しげにかぶりを振る楓。
「そんな! そ、そんなのってあるかよー!」
「落ち着いて梓! 今のあなたには関係ないの、過去は過去よ!」
「だってそれが前世なんだろ!? あたし達の……。ラッシャー、ちくしょう、よりによ
ってラッシャー!」
「梓!」
 ぱしん、と乾いた音。
「千鶴……姉……」
「聞いてしまったからにはしかたないわ。梓、あなたにも柏木家のことを言っておかなけ
ればなりません」
 打たれた頬を抑えて梓は呆然と千鶴を見返す。
 いつもの優しい姉、あたたかく家族を見守ってくれているその瞳がきびしい光をたたえ
ているのに梓は気づいた。そうだ、こんなときだからこそ……あたしが千鶴姉をささえて
やらなくちゃ!
「わかった。でも……あたしも最後まで聞くよ。柏木家の秘密を」
 目を見交わすだけで、千鶴には梓の決意が読み取れた。
 無言で頷く。


 そして、そんな姉達を物陰からひっそりと心配げに見守る姿がありました。
 末の妹、第四皇女リネット。


	『けっけっけ、次郎衛門を巡ってしまいどうしでつぶしあえば、最終的にはこの
	アタイ、リネットちゃん様にお鉢が回ってくるってもんよ。そしてひとり取り残
	された次郎衛門に、

	”次郎衛門お兄ちゃん……私がついててあげるから……
	 (ごしごし涙ぬぐいつつ)ほら、私こんなに元気。次郎衛門お兄ちゃんも元気
	 出して”

	 っか〜〜〜〜、これよ!
	 ったく、漁夫の利とはこのことだぜベイベエ』


「リネットって、当時から反転……」
「初音のルーツがそんなところにあったとはね」
「やさしい子でしたから……狩猟のときは反転していないと神経が持たなかったんでしょ
う。あの子も状況の犠牲者でした……」

 ばたり。鞄落ち。

「初音ぇ!」
「お……お姉ちゃんたち……わたし、わたし……」

 障子の向こうにはふるふると涙目で震える初音が以下略。



 今日は耕一が来る日だ。
 ――いよいよ、ね。
 千鶴にとっても、耕一にとっても……いままで生きてきた人生の中で最大の正念場にな
るだろう。
 でも、楓の話のおかげでいくらか覚悟が決まっていた。
 そんな楓に感謝の意を表して……というわけでもないが、楓を都会まで迎えに行かせて
いた。あの自己主張することの少ない楓たっての願いで、迎えに行きたい、と言い出した
のだった。
(あの子ったら……)
 ついつい微笑ましい気分になって、千鶴は微笑を浮かべる。耕一の裾にすがり付いてい
た小さなころを思い出したのだろうか? 大人ぽく見えても、案外甘えん坊さんね、楓。
 と、新聞の束からひらりと落ちるハガキ一枚。
「なにかしら。……往復葉書?」


	『柏木千鶴様

	 この間の話の件、実はほとんど
	
	  うそぴょーん
	
	 といったらご立腹されますか。
	
	    はい
	    いいえ
	
	
	 どちらかに丸をつけてご返送お願い申し上げます。

	                   柏木楓 拝』


 ぴら。
 裏返す。
 周到にも、宛先は私書箱になっていた。
「楓……」
「かあええでー」
「ひ、ひどいよお姉ちゃんー!」



「耕一さん……」
「君は?」
「楓です、柏木、楓……ご記憶にありませんか?」
「君があの小さかった楓ちゃん?」
 耕一の脳裏に幼い日の記憶がよみがえった。夏の日の思い出、まるで妹のような可愛い
二人の少女と、男の子っぽいわんぱくなイメージの少女。

「そして『耕ちゃん』って話しかけてくれた千鶴さん……俺はそんなあの人の手を払いの
けてしまったっけ……そうだ、あのときのこと、謝らなくちゃなっておうわっ!?」

 気が付けば下宿の玄関先まで引きずり出されていた。
 
「かかか楓ちゃん!? 君はなにを」
「愛の逃避行です」
「は?」
「説明してる時間はありません。こうしているうちにも鬼どもはここをかぎつけるでしょ
う。追われてるんです」
「鬼だって? 追われてるって?」
「ですが、二人の気持ちがたしかならたとえ鬼の爪の錆となろうとも本望ですし、きっと
来世でめぐりあえます」
「は? いやちょっと待ってくれ」

 と、周囲の気温が三度下がった。

「ふ・た・り・と・も」
「その声は……まさか、千鶴さおうわあああああ!?」

 耕一がそこに見出したのは、三体の地球外生命体。
「お久しぶりです、耕一さん」
 ち、千鶴さん……なんか手、でかくないですか? 特に爪。
「久しぶりだなぁ耕一ぃ。ちょおっと待ってなよ、感動の再会の前にやることがあって
ね」
 ばきばき鳴らす指と指。梓は本気だ。
「耕一お兄ちゃん♪」
 こちらはまったくニュートラルに可愛い初音。
 でも、そのアンテナの先の上空に浮かぶ謎の飛行物体が気になって気になって。
「耕一さん、伏せてっ」
「え?」

 どごーん。

 頭を上げると、あたり一面砂ぼこり。
 三姉妹は影も形もなし。
「いそいで! この程度では時間稼ぎにしかなりません!」
「ってちょっと楓ちゃん手を、手を離しぉぉおうおうおうおう」
「私たちに明日はないです!」
 ずるずるずる〜〜〜と引きずられ去る柏木耕一の運命やいかに。



「けほけほ……腕を上げたわね、楓」
「地雷と落とし穴の併用とはね……知能派のあの子らしい。だが、このあたしが本物の狩
猟って奴を教えてやるよ!(先祖返り気味)」
「楓お姉ちゃんひどいよ〜。もう、ブッ殺す!」(しゃべりつつ反転した様子)

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