シンディ☆シンディ 投稿者:takataka 投稿日:5月27日(日)04時15分
「フゥ……」

 騒々しい家族の元をはならて、シンディ・クリストファは自室で一息ついた。
 天井のシーリングランプを消すと、壁にかかる調光機能付きの白熱球のランプだけが彼
女の端正な横顔を照らし出す。
 他の家族はまだリビングで談笑しているのだろう。
 大好きなファミリー。
 でも、たまにはひとり、部屋に落ち着いて物思いにふけりたいこともある。
 濃い目に淹れたハーブティーと、ロボット工学の書籍。一見不似合いなこの組み合わせ
が、彼女の安らぎの時間を彩る。
 カモミールとローズヒップの香りがこころよく鼻腔をくすぐる。ひとくち含んで、ため
息。
 鼻歌まじりに計算式と図版で埋め尽くされたページを繰る。


	♪メカフェチなんて 気にしないわ
	 パツキンだって だってだって お気に入り
	 お掃除清潔大好き メイドロボットも大好き
	 私は 私は 私はシンディ


「hahaha! まだそんな乙女チックなタワゴトぬかしてマスカー!」

 来た!
 この安らぎの乙女チック&都会の夜の大人の女がひとりたそがれるものうげなため息モ
ードを破壊せんする、悪の弟妹ども。
 神速で引き出しのコルトガバメントを抜き、マガジンを装填。この間およそ0,3秒。
 戸口を確認。来ない。……上か!

「YAHOOOOOOOOOO!!」
「Shit!」

 天井の隅に張り付いていたミッキーを連射でハチの巣に。しかしぼろぎれのようになっ
て落ちたのは、熊のぬいぐるみ。

「アメリカン変わりー身!? 生意気な!」
「Hey,sister! did you come from!?」
「No、 I don’t! May I help you?」
「Sightseeing!」

 緊張感あふれるネゴシエーション。まだだ、まだ敵の姿は見えない。
 単独犯ではない。あのポニテ狩人の矢がどこから飛んでくるかわからないのだ。

「HAHAHA! shoooooooot!!」





「――さて」

 目の前に正座した二人の弟妹を見やる。
 全身いたるところに、微妙にBB弾のあざがあった。

「悪気はなかったんだよ、シンディ……」
「そうでーす。ちょっとしたレクリエーションね……」
「ヘレンの矢が15本、ミッキーのガンのBB弾が23発、私が撃ったのが57発」

 数えていたらしい。

「全部、拾っておきなさいね?」

 あざやかな笑み。
 一個でも足りなかったらどうなるか分かってんだろうなコラ、という感情を笑顔ひとつ
で表現する、シンディはその辺プレッシャーのかけ方というものを心得ていた。

「はーい……」
「ちぇー」
「貴方たちがつまらないいたずら仕掛けるからよ。わたし明日は面接で大変なんだから」
「クルスガワ受けるんだよね」
「ええ。上手くこっちに残れるかは分からないけどね。アメリカ支社のほうになるかも」
「でも研究職なんデショ?」
「うん。だからうまくいけば、ヘレンといっしょに日本に残れるわ」
「ヤッター! ……でもミッキー、淋しくなるネ……」
「No probrem! これから掃除しろ掃除しろってうるさいのがいなくなるかと
思うと」
「ミッキー?」

 じろーり。

「Sorry……」




 翌日。
 手早く鞄の中身を確認しつつ、鏡の前で立ち止まる。
 ちょっと覗き込んでメイクの確認。控えめなアイラインと、けばけばしくならないよう、
清楚な色合いのルージュを引いて。
 よし、と頷いて深呼吸。
 まるで恋人に会いに行くように。
 そう、これはある意味恋人との逢瀬のようなもの。
 彼女の憧れの人――馬の顔の王子さまと、ようやくめぐり合えるのだ。

 まだ小学生だったシンディがそれを見たのは、サンフランシスコの見本市会場。
 あまり一般向けではないらしいその展示会場には、工業用の大型工作機械や精密加工マ
シニングセンタがずらりと並べられ、金属的な輝きを放っている。
 男の子ならいいかもしれないけれど、小学生のシンディには全然面白くもなんともなか
った。

「Dad、もう帰ろうよ……私、興味ないし」
「ちょっと待ってくれないかシンディ」
「もう! Dadのお仕事のことで、どうして私まで……あ」

 きょろきょろとあたりを見回してるところに、それは飛び込んできた。
 ちょうどシンディと同じくらいの背丈。
 宇宙服を着込んだような、ずんぐりした体躯。
 あんまり器用そうじゃないグローブみたいな両手には、グリーンティーの入った紙コッ
プを乗せた銀色のお盆が載せられている。

「わあ……」

 駆け寄ってみる。
 テレビでは見たことがあったけど、ほんとにこの目で見るのは初めてだ。
 二足歩行型メイドロボ。日本ではもうすぐ販売されるらしいけど、アメリカでメイドロ
ボといえばまだまだ多足歩行や車輪駆動の、無人掃除機のようなものが主流だった。
 それが、唐突に動き出した。

「あ……」

 びっくりして凍り付いてしまったシンディの前で立ち止まると、ロボットは片手をお盆
から放し、もう片方の手で水平に保ったまま盆の上のカップをつかんで、シンディにそー
っと差し出す。

「私に?」

 モーター音。首が上下した。黒いゴーグルの下でLEDがちかちか点滅して、そのすき
間からカメラのレンズがにぶく光を放っていた。
 コップを受け取る。ロボットの指はプラスチックで硬かったが、その動きは思ったより
やわらかく、つかんだり握手したりしても危なそうな感じは受けなかった。
 受け取ったお茶と、ロボットをかわるがわる見比べる。
 何かを待っているように、レンズの光がシンディの表情を捕らえていた。
 そうそう、大事なことを忘れてた。

「あ……アリガトウ」

 うん、と頷くように首を振ると、ロボットはその場でくるりと反転すると、元のブース
へ戻っていく。
 反射的にお茶をすする。でも、そのときの味はよく覚えていない。
 そんなことよりも、驚きと感動をごちゃ混ぜにしたような、胸いっぱいにぱっと広がる
ものがシンディを一杯に満たしていた。

 ――ロボットって、すごい!

「ようし、ご苦労さま」

 その頭にそっと手を置く、白衣の男性。
 日本人らしいその容姿は、シンディがついこの間までいた国のことを思い出させた。
 どんな顔かはもうあやふやだけど、とにかく、すごーく顔が長かった。

「どうだろう。気にいったかい?」
「Wao!」

 近くで見るとなおさら長かった。

「あ……ハイ……」
「君、日本語が……」
「ハイ……すこーしです。……アノ」
「ん、なんだい?」
「私、これ、欲しいです……売りますか?」
「うーん……これはまだ開発中でね。実際に売り出すのはまだまだ先だよ。それに、発売
されても君のお小遣いじゃちょっと難しいかなあ」
「Oh……」

 見るからにしゅんとしてしまったシンディに、顔の長い男は優しく語りかける。

「ロボット好き?」

 こくん。

「いい方法を教えてあげようか。いまからでも遅くない。一杯勉強してね、自分がロボッ
トを作る側に回ればいい。そうすればイヤでもロボットと付き合うことになるよ」

 男は満面に笑みを浮かべた。いつかテキサスの牧場で見た発情期の馬みたいだった。
 でも、その顔がシンディの幼い心に焼きついて離れなかった。
 馬だけにトラウマってわけではない。
 あの展示会での新鮮な驚き、固そうな外見からは想像も出来ないほどやわらかい動きを
したロボットの手、それをなでる白衣の男の手……それらが混ざり合って、シンディの心
にひとつのイメージを作り上げた。
 わたし、将来はロボットを造る人になろう!
 その年の最終学期、シンディの数学の成績はクラス一になった。もともと向いていたら
しい。
 そして、彼女の生涯の目標がさだまった。
 ロボットを造る人になって、あの人にまた会いたい――馬の顔の王子さまに。
 自分でそう思っておきながら、馬の顔の王子様って今ひとつロマンがないなあ、とか思
った。
 それが来栖川電工の長瀬主任のこととは大学でロボット工学を専攻してから分かったけ
ど、それでもまだ直接会えたわけじゃない。あわよくば、この人の下で働けたらな……と
も思ってみるのだった。
 それがあるいはかなうかもしれない。
 よし、と気合を入れて、頬をぴしゃんと叩いて見る。
 洗面台に映った自分は、悪くない顔をしていた。




「主任にお会いになられるのですか?」

 受付で通された部屋にいたメイドロボは、ほんの一瞬だけ動作を停止した。
 演算に時間がかかっているのだ――つまり、迷っている。人間と違ってロボットは狼狽
したり、視線をそらしたりというしぐさをすることはないが、判断に迷ったときなどはか
すかに動作が停止する瞬間がある。
 シンディはそれを見逃さなかった。
 どうして? 今日が面接というのは分かっていたはずなのに――。

「こちらです。どうぞ」
 研究所の奥へと案内される。どうも奥へ行けばいくほど中心から遠ざかって、薄暗い物
置とかがらんとした空き部屋が多くなっているようだ。
 隅っこにくもの巣の張った部屋の前で、メイドロボは足を止めた。
「その奥の部屋です。……ですが、くれぐれもお気をつけ下さい」
「あの……気を付ける、とは?」
「一応二重三重の安全策をとってはいますが、それでも絶対とは言い切れません。中に入
ったらくれぐれも不要に刺激しないこと。それと、先の尖ったものや金属の物を渡しては
いけません。ペンなども、頼まれてもわたさないようにしてください。
 相手を人間と思ってはいけません」
 
 ロボットの目が細められる。
 
「――相手は、馬だと思ってください」
「What? あの……」
「では、ごゆっくり」

 ぎいいぃぃ、ごおおおおん。
 やけに重々しい音を暗闇に反響させて、鉄の扉が閉まった。
 ガチャガチャとカギをかける音が聞こえた。
 採光をじゅうぶん考えた明るい施設内で、この一角だけ暗く、どこか重苦しく、コンク
リートのしめったような匂いとカビ臭さにみちていた。
 意を決して歩を進める。角を曲がった向こうに灯りがあり、その下には巨大な鳥かごの
ようなものが縞模様の陰を廊下に投じていた。
 乏しい灯りを頼りに歩を進める。
 突き当たりの部屋に足を踏み入れて息を呑んだ。

 がらんとした大きな部屋の中にあったのは、巨大な檻。
 まるで特殊な囚人を入れておくようなその中で、何かが動く。
 眼鏡の反射がきらりと光った。

「やあ、お客さんかい」

 ゆっくりと顔が上げられる。シンディはその顔が著しく長いのを早くも見て取っていた。
 これが……
 ごくり、と息を呑む。
 これが、子供のときからあこがれていた馬の顔の王子様、長瀬主任なの?
 それにしても、なんで拘束衣を着せられて檻の中に閉じ込められているんだろう?
 ハンニバル長瀬!?

「あの……」
「シンディ・クリストファー・宮内。宮内家の長女。専攻はロボット工学。極度の潔癖症。
スリーサイズは上から……」
「!」

 どうしてそれを!?
 思わずその長い顔を凝視するが、逆光の中で表情は読み取れない。
 ただその眼鏡だけがうつろに光っている。

「さて、クリストファーさん……シンディでいいかい?」
「あ、はい……」
「ウチの研究所を希望してるんだってね」
「はい」

 そうだ。あんまりな雰囲気なんで忘れてたけれどこれは面接。

「ではシンディ、こちらの会社を希望された理由は?」




 えらく浮世離れした舞台設定にもかかわらず、面接そのものは割とまともに終始した。
 質問もしごく常識的。志望の理由とか、会社に入って何がしたいかとか。
 どうやら

「何か質問は?」

 聞くべきか。
 聞いていいのか。
 何でまたこんなあやしいところで面接するのか。
 何か深い、聞いてはいけないような事情があるんじゃないのか。
 それとも、何かの引っかけなのか。
 逆に、ここでその質問をしなかったら不合格とか。
 ここは……聞くほうに賭ける!
 シンディはすっと深呼吸した。

「……あのぅ。主任は何故、そんなところに?」
「ああ」

 鷹揚に笑う。

「ちょっとセリオに怒られちゃってね」
「――セリオ?」

 来栖川電工のフラッグシップたる最高級種のメイドロボだ。
 さっき彼女をこの部屋に通したロボットに他ならない。
 しかし、怒られる……とは? メイドロボに?

「そうなんだ、ひどいだろ? ちょっとした遊びゴコロなのに」
「――ちょっとした、ではありません」

 声に振り返ると、いつのまにかセリオが後ろに立っていた。

「やっていいことと悪いことがあります、主任」
「あの、一体何を……」
「藤田くんとこにやった試験機のマルチが久しぶりに帰ってきたんで、なにか心づくしの
お土産でも持たせてやろうと思って、とりあえず手にドリルかな? となるところをすん
でのところで阻止された。残念だよ」

 メイドロボの手に、ドリル。
 頭が痛くなってきた。
 何に使うのか。
 大体そんなところにドリルつけたら、お掃除するたびに部屋に穴があいてしまうし、散
らばる切り粉で余計部屋が汚くなる。言語道断だ。

「いや、でもほら、ドリルは男のロマンだろ」
「だからといってオーナーである浩之さんに連絡もなしにやっていいことではないでしょ
う。『報告、連絡、相談』で報・連・相です。私は怒っているのではありません、叱って
いるのです」
「――まあ、こんな具合……」

 とほほ、という感じで肩をすくめる長瀬主任。
 このセリオって……何者?
 この研究所の真の支配者?
 いや、彼女はまぎれもなくロボットだった。

「ここって……」

 ロボットに実権を握られてる研究所。しかもそれ、自分らで作った奴。

「素敵……SFみたい!」




「――では、さっそく研究室にご案内します」

 雑然、という言葉を目に見える形にしたらこんな風になるのか。
 とっても汚かった。

「――本来でしたらただちに清掃にかからなければならないところですが、この方が何か
と効率的だとの皆さんのお言葉により、整理整頓の作業は行なっておりません」

 セリオが少しうつむきがちに述べる。ちょっと言い訳っぽかった。

「まあ男所帯でむさくるしいとこだけど、楽にしてちょうだい……あの、シンディ?」

 ふるふるふる、と肩が震えていた。
 なにか猛獣が獲物に襲い掛かるように机に飛びつき、恐るべき勢いで紙くずをゴミ箱に
投げ込み書類を分類して棚に立て埋まっていたマウスを掘り出しモスゴジ版のゴジラソフ
ビとをよそに放り投げたウェットティッシュで机の上をざっと拭い取りデスクトップに貼
り付けてあった匿名掲示板のロボ系スレやらアダルトサイトやらへのショートカットをま
とめて削除したあげく速攻でゴミ箱を空にした。
 その間、1分弱。
 はあはあと息を荒げたシンディが振り返る。
 本気だった。
 目が据わっていた。

「わたし、汚いのは許せないんです」

 シンディさんはきれい好き。

「えー……なんだ、あの」
「主任! これ食べちゃってください。片付かないじゃないですか!」

 さながらホールドアップのように、食べかけのお菓子の箱を突き出し凄みを利かせる。
 もはや誰も止められない。




「はあ……」

 研究所からの帰り道を、シンディはとぼとぼと歩いていた。
 やってしまった。
 いつもの悪いくせ。家でやる分にはいい習慣だが、あの潔癖症をよその人が見たらどう
思うことやら。
「最悪だわ……」




「――合格、ですか」
「うん」
「――中途採用は非常にまれなケースだと思われますが……何故でしょうか?」
「ああいう人材は貴重ですよ? こんな仕事では特にね」
「――清掃担当ですか?」
「まさか。ちゃんと研究チームの一員として働いてもらうつもりだよ」
「――本音では?」
「……ひとりくらいうるさく言う人がいてもいいかなと思って。ロボットじゃこちらが
『汚くてもいい』って言ってしまったら従うしかないでしょ。強制されないと出来ないこ
ともあるからね」
「――もしご命令をいただければ。私が『強制』することも可能かと思われますが」
「いや、やめとく。まだ命が惜しい」
「――残念です」




 そして来栖川研の奥深く、今日もシンディの怒声が響く。

「どうして貴方たち、水密試験用の水槽で入浴してるんですかー!!」
「いやあ、もう10日も家帰ってなくて」
「風呂に入りたかったんだよね」
「バス乗ってくのめんどくさくてさー」

 頭に手ぬぐいを載せ、腰にバスタオルを巻いてわらわらと出てくるおっさんの群れ。
 手に手に徳利とか手ぬぐいとか、ロウソク動力のポンポン船、自動浮沈機能付きのUボ
ートのプラモを持っていた。
 そしていい感じに上気した肌。女性だったら色っぽいが、そこは悲しき男所帯。
 ここはロボ研、来栖川の湯。
 ……ではない。ロボットの躯体の水密試験を行なうための水槽だ。
 高熱環境下での耐性試験も行なうため、水槽の水を熱する機能も備えられている。
 みんなで入浴するにはもってこいの設備だった。

「まあまあいいじゃない」
「よくありません! 主任、あなたがそんなだから他の研究員までっ」
「掃除すればいいんだし」
「デッキが石鹸まみれじゃないですか! 誰が掃除すると思ってるんですかー! ああ!
 測定センサに髪の毛がー!」
「うわー、最近生え際がやばいからなあ」
「あなたの生え際なんかどうでもいいんです! いいから全員さっさと出てくださいー!」
「ちぇー」
「風呂代浮くのになー」
「あ、所長忘れた」

 水槽にぷかぷか浮かんでいるアヒルのおもちゃのことらしい。
 ものも言わずつかつかと歩み寄って、シンディはそれをあさっての方向にぶん投げた。

「ああっ、所長がー! 所長ーーーーー!!」
「アホですかあんたたちはーーーーーーーーーー」



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