新鮮鬼パック 投稿者:takataka 投稿日:1月29日(月)23時12分
「私が……あなたの中の鬼を、目覚めさせてみます」

 千鶴さんは真剣な表情で言い放った。
 俺は楓ちゃんの隣に腰掛けたまま、ただ楓ちゃんの手をぎゅっと握っている。
 小さな力で握り返してくる楓ちゃん。
 でもそこに、確かに楓ちゃんの存在を感じた。

「千鶴姉さん!」
「わかって、楓! いつ覚醒するか判らない耕一さんは、危険な爆弾のようなものなの!
 耕一さんが鬼の力を制御できるかどうか、それをはっきりと確かめておかなくちゃなら
ないの!」

 楓ちゃんの悲痛な声も、千鶴さんの固い決意を変えることは出来ないようだ。
 楓ちゃんと結ばれ……過去からの絆を確認した二人がひとつになるのに、そう時間はか
からなかった。
 たったいまお互いの気持ちを確かめ合ったばかりなのに、その二人を結び合わせている
鬼の血が、こんどは俺たちを引き離そうとしている。
 俺の中に眠るという、鬼。
 俺がそれを制御することが出来なければ――俺を殺す、という。
 千鶴さんは本気だ。
 たとえここで逃げたとしても、この血を乗り越えないかぎり、俺たち二人に安心して暮
らせる日はやってこない。
 当たるか外れるかの大博打を、いま目の前に突きつけられていた。

「……わかった。……試してみてよ、千鶴さん」
 俺がそう言うと、楓ちゃんがハッと顔を上げた。
「……こ、耕一さん」
 楓ちゃんの目が潤む。
 俺は楓ちゃんの手を握る手に、ギュッと力を加えた。

「大丈夫だって」

 そんな自信は正直言って、なかった。
 でも、楓ちゃんを悲しませるわけにはいかない。
 
「では……梓! 初音! 例のものを」

 廊下のほうへ声をかける。
 すっと扉が開かれ、二人が顔を見せた。梓は俺と目をあわせようとしないし、初音ちゃ
んはすっかり涙ぐんでいる。

「……こういちぃ」
「耕一お兄ちゃん……」

 すん、と鼻をすする梓。
 ひっくひっくとしゃくりあげる初音ちゃん。
 千鶴さん含めて三人で立ち聞きしていたようだ。デバガメ姉妹。

「……?」

 その二人の手元に、俺は意外なものを見た。
 梓は電気掃除機を転がしていた。掃除の途中……というわけでもなさそうだ。
 初音ちゃんは、大きな透明のビニール袋を持っている。
 千鶴さんは二人からそれぞれのものを受け取り、黙々と支度をする。それは何か儀式の
ようでもあり、また日常的な動作でもあった。
 ビニール袋を広げ、その口に掃除機のホースを差し込む。
 袋の口はジッパー状になっているらしく、ホースを差し込んだところまできっちりと止
められるようになっている。
 千鶴さんが静かに目を伏せる。
 すっと姿勢をただし――



『実用新案申請中・柏木式真空おにおに覚醒マッスウィーン!』



 ぱちぱちぱち、と拍手がわきおこる。
 梓と初音ちゃんばかりか、楓ちゃんまで。

 だが、俺の目に映るそれは、紛れもなく布団圧縮収納袋。
 テレホンショッピングとかでよく売ってるアレだ。

 千鶴さんは俺を見つめる。真摯なまなざし。

「おぼえていますか? あなたがはじめて鬼の血に目覚め、そしてそれを制御したときの
ことを……。
 あの夏の日、梓の靴を拾いに水門のところに潜ったあなたは溺れかけて呼吸困難に陥り、
生死の境をさまよった。そのとき、初めて鬼に覚醒して、梓たちを手にかけようとした…
…。
 ですが耕一さん、あなたはそのときは鬼の力をふたたび鎮めることに成功したんです」
 
 そんなことが……?
 俺の記憶には、梓が靴を落として泣いていたところまでしかない。

「そのケースから着想をえて開発したのがこのマッスィーンです!
 鬼の血を継ぐ者を中に入れ、封をして掃除機で空気を抜く! 真空パック状になったと
き、酸欠による生命の危機が鬼の血を覚醒させるという仕組みです。
 もしも被験者が鬼の力を制御できなかった場合も、パックのまま手を汚さずにゴミ箱に
ポイ! という、まさに画期的な発明なのです!」

 ぐぐっとこぶしを握りしめ、千鶴さんは語る。

「いや、いいのかそんなで!? だってあんたビニール袋」
「おにおに覚醒マッスィーンです」
「……でも……掃除機……」
「マッスィーン」

 何が何でもマッスィーンと言いたいらしい。

「さあ耕一さん、この中に入ってください! そして鬼の力を制御して見せてください!
 私たちの……何より、楓とあなたの幸せが、この試練にかかっているんです!」
「千鶴さん……」
「何も! ……何も聞かないで下さい……! 私をこれ以上、辛くさせないで……」

 千鶴さん、俺もかなり辛いです。
 辛くなるものと思われます。

「うぅ……がんばってお兄ちゃん! 私、何も出来ないけど……、耕一お兄ちゃんのため
に、ここでお祈りしてるから……」
「制御できなかったらただじゃおかないからな、こういちぃ」

 涙に濡れた目で俺を見上げる初音ちゃん。それに、そっぽを向いて鼻をこする梓。
 みんな……本当に俺のことを……。
 そうか、辛いのは俺だけじゃないんだ。

「わかったよ。俺、きっとやり遂げてみせる。約束するよ」

 よく分からんが、俺のためにみんながこれだけ必死になってくれてるんだ。
 方向性がおかしい気もするが、その気持ち確かに受けとったぜ!
 俺はさながら人類初の宇宙飛行士のような気持ちでビニール袋に足を入れる。
 袋の中はビニールくさい。小さなころビニール袋を被って遊んだ、そんな感じを思い出
す。
 千鶴さんが口のジッパーを止め、掃除機のホースを差し込む。
 その前に、手だけ出してぐっと親指を立てて見せた。
 その視線の先には俺の大切な人が。

「耕一さん……」

 きゅ……と胸の前で手を組み合わせる楓ちゃん。
 そんなに悲しそうな顔しないでくれよ。俺、絶対に鬼を制御して見せるからさ。

「それでは、ゲームスターーーーーーーート!」

 ゲームなのか!? と疑問を挟むまもなく、千鶴さんは掃除機のスイッチを入れた。

 ぎゅーーーーーーーーーーーーん!
 
 するとまもなく、俺の足に、手に、そして顔にビニール袋がへばりつく。すき間なくぴ
っちりと俺の体にまとわりついて、締め上げられるような感じだ。
 そしてビニール袋が口に、そして鼻に! くっ、息が出来ない!
 俺の口と鼻の当たってる部分が息で曇る。そうやって吐いた息もかたっぱしから掃除機
に吸い込まれていく。
 う……っく、これは、マジで苦しいかも。
 あああ! もう駄目だ、空気空気!!
 必死に暴れようとしても、俺の全身をすき間なく覆ったビニールにはばまれて動きをと
ることすらおぼつかない。
 ……ちょっとこれ……マジでヤバいんじゃないのか?
 いまの俺の姿は、まさに真空パックにされたショルダーベーコン同然だった。それもち
ょっと高い、肉の形のままでパックしてある奴。

「そういえば千鶴姉」
「何?」
「もし耕一が鬼の力に目覚めなかったらどうなるんだ?」
「目覚めるまでそのまんまにしておくつもりよ」
「最後まで目覚めなかったら?」

 二人、目を合わせて黙り込む。
 ……こら。お前ら。

「………………てへっ」
「てへじゃないだろ」
「でもでも、耕一さんが鬼に目覚めたらどっちみち殺さなきゃ駄目でしょ? ほら、結局
おんなじだし」

 同じじゃあるかー。
 ちょっと待て。俺、これで死ぬのか? 鬼とか何とか、従姉妹の訳わからん勘違いで濡
れ衣着せられて窒息死?
 ちょっと待て納得いかねえぞそれ! やり直しを要求する!
 くっ、暴れようにもビニールが! 意外と丈夫だぞビニール!

「どうするんだよ千鶴姉」
「そうねえ……ごみ箱にポイ、とは言ったもののうちにはこんな大きなゴミ袋をポイ出来
るほど大きなゴミ箱ないし……。
 どこか山のなかにポイしちゃおうかな? えいっ、て」
「それ不法投棄ってんだよ。タチの悪い産廃業者じゃないんだからさー」

 梓と千鶴さんが二人で死体遺棄の相談をしている……。

「お兄ちゃんが! お兄ちゃんが死んじゃう……」

 くそう。まともなのは初音ちゃんだけか?

「思い出を一杯ありがとう、お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんのこと忘れないよ……」

 早くもバッドエンド気味に?
 そのときだった。
 楓ちゃんが突如ビニールのジッパーを開けた。

「楓! あなた一体!?」
「かえで!」
「楓お姉ちゃん!?」

 どっと空気が流れ込む。
 俺は酸欠の金魚みたいにぱくぱく口をあけて空気を吸い込んだ。く、空気がうまいぜ!

「楓ちゃん! そうか、俺を助けて……は?」
「耕一さん……いえ、次郎衛門!」

 楓ちゃんは、すばやくビニール袋にもぐりこむと器用にも内側からジッパーを閉じた。
 掃除機は動いたまま。
 ふたたび袋の中の空気が抜けて、ビニールが張り付いてくる……。

「なにいーーーーー!?」
「耕一さんひとりで逝かせるなんて、出来ない! ……私も一緒に……」

 楓ちゃんが寄り添ってくる。
 俺も答えるように身を寄せ……というか、ビニールにぎゅうぎゅう締め付けられて自然
にくっついてしまう。

「いっ、いやああぁぁーーっ! かえでえぇーーっ! どうしてあなたがこんなあぁぁぁ
ーーーーーーっ!」

 気が動転したのか、千鶴さんはビニールに取りすがって叫びつづける。

「かえでえぇーーーっ! おねがいよーーーーーっ! 返事をしてえぇーーーーーーーー
ーーーーーーっ!」
「楓ぇっ! ちくしょう、どうしてだよ! どうして楓まで!」
「楓お姉ちゃんも死んじゃうよー! ……ううっ。大好きだったよ、楓お姉ちゃん……」

 いや、だからお前らー。
 あわてる前に袋開けるとか! 掃除機止めるとか!

「楓ちゃん! どどどどうして?」
「うれしい……次郎衛門……これで私たち、二人きりで……」

 きゅっ……と抱きしめられる。
 楓ちゃん、俺のことを思ってくれるのはうれしいが、なんかそれ違うぞ!?

 締まりゆくビニールがますます二人をぎゅっと緊密に結び合わせる。
 布団圧縮袋の中で、俺たちはひとつになる。
 ビニール袋があますところなく密着した楓ちゃん。かなり面白い顔になっていた。
 かく言う俺も顔面にベターっとビニールが張り付いて、さぞかし面白い顔になってるこ
とだろう。
 いまや二人は切っても切れない真空パック。
 やばい。
 相次ぐ酸欠に、気が遠くなってきた……。
 目の前がすうっと暗くなる。
 白く輝く眩しい炎の中に、どろどろにとろけた鉛のような俺がいる。
 俺は不定形に歪み、形を定めず、空間を漂った。これはいよいよやばくなって来たか……。
 薄れゆく意識の中で、俺の脳裏にひとつの映像が浮かぶ。


	『エディフェル、もそっと近う寄れ』
	『ジローエモン……なにするの?』
	『ほれほれ、こうすると二人ともぬくいであろう』
	『あ……』

	 ひとつの布団で二人、身を寄せ合って暖めあう。

	『ジローエモンの足、冷たい……』
	『ん? こうか?』

	 ぴと。

	『ひゃっ! もう、ジローエモンの意地悪……』
	『ははは、エディフェル、愛い奴め』


 ……てめえら! 前世の分際でいちゃいちゃしてるんじゃねえーーーーーーーー!!
 なんか俺の体のうちから怒りが込み上げてきた。
 俺が! この俺が死にかかってるというのに! ひとつの布団に同衾とは余裕じゃねえ
かちくしょう!

「グゥオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 マグマのようにこみ上げる力。
 全身の細胞ひとつひとつから力が湧き、狂ったように体中を走り回る。
 そうか、俺はやはり鬼なのだ。
 ちょっと体を動かすと、いままであれほど強く俺を拘束していたビニール袋が粉みじん
に破けた。ふたたび自由になった呼吸。しばらく空気を味わう。
 あああ、空気がうまいぜ。気分は……悪くない。

「耕一さん、やっぱり鬼の力を制御できずに……」

 ひやりとした空気。
 とたん、千鶴さんからおそろしいまでのプレッシャーを感じる。これは……間違いない、
同族の……鬼の気。

「いよっ待ってました千鶴姉!」
「わぁ、千鶴お姉ちゃんの十八番だね!」
「「こーろーせっ♪ こーろーせっ♪」」
「耕一さん、あなたを、殺します……」

 この上殺そうってか! ああもうあったま来たああああ!!

「グゥゥウウウオオオオオオオオオオオオオオオーーーー!!」
「こらっ」

 びし。
 
 瞬間、俺と千鶴さんの間に立ちはだかる楓ちゃん――いや、エディフェル?
 その手から放つ、エディフェルちょっぷ。

「こらっ」

 俺の目を見て、もう一度繰り返す楓ちゃん――エディフェル。

 しゅるしゅるしゅるしゅる〜〜〜〜〜すぽん。
 なんか。
 なんつーか。
 たちどころに萎えた。
 ちぢみきった俺の体から、ばらばらと鬼の体を構成していた組織が剥がれ落ちる。

「キシャアアアアーーーーーって耕一さん!? 鬼の力を――制御、出来たんですね?」

 第一皇女は変わり身早かった。さすが第一。

「こういちぃ、やったな!」
「うぅ……よかった! よかったよう……」

 涙目で俺の肩をバンバン叩く梓、ぼろぼろ泣きながらすがりつく初音ちゃん。
 さっきまで殺せコール連呼してた奴らと同一人物とは思えない。

「耕一さん……わたし、信じてました、耕一さんならきっとやり遂げるって……」

 鬼の爪を生やした手を後ろに隠して、千鶴さんが俺に寄り添う。

「千鶴さん……ひとつお願いがあります」
「はい、なんでしょう?」
「そのマッスィーンは即刻廃棄してください、俺たちの子孫のためにも」
「えー。せっかく実用新案申請したのに」
「絶対却下されると思います」
「残念ですぅ……いい発明なのに……」

 なめんな偽善者。
 ……でも、いまはその言葉を俺の胸にしまって置こう。
 だって……。

「楓ちゃん。……いや、エディフェル」
「耕一さん」

 俺には、遠い過去からの約束の人がいる。その誓いを、いま果たすことが出来たから。
 静かに微笑む楓ちゃん。
 すう、と白い手が障子を開ける。輝く陽射しが部屋を照らして。

「外はまぶしいサンシャインです……」

 陽の光を浴びて、数百年の長きに渡るしがらみを払拭して――。
 ふと、何かに気づいたように。

「……むしろゴールドライタン?」

 おしまい。





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