はっちゃけよしえさん 投稿者:takataka 投稿日:6月27日(火)01時32分
「葵! 今日もそんな格闘技の真似事に精を出しているの!?」

 神社の裏には、今日も坂下が来ていた。
 勝負に負けたとは言うものの、坂下的にはまだまだ葵のことを手放した気にはなってい
ないらしく、今日も今日とて腕組みしては葵の練習にあれこれと難癖をつけていた。
「ま、真似事なんかじゃありません」
「そうかしら? たとえば、さっきの重心の移動だけど……」
「あ……」
 難癖つけながらも、葵に何かと指導してくれている。
 純粋に空手の腕前からいけば好恵は葵など比べ物にならないほど上を行っていた。この
間の対戦には、たしかに運という要素が多く作用していたのだ。
 そんな坂下の指導はたしかに葵の役に立っていた。
 なんだかんだ言いはするが、別に悪意があるわけではないのだ。好恵にしても葵が強く
なっていくのを見るのは楽しみらしい。
「おかしな癖ついてるわね……やっぱり空手に復帰した方がいいんじゃない?」
「好恵さん、それはもう……」
「あー、判ってるわよ。まあ、気のすむまでやってみなさい」
 苦笑する好恵。
「まあ気のすむまでやったら無駄だってことがわかるでしょうから、そしたら空手に戻っ
てくるでしょう」
「そ、そんなことないですよ」
 口を尖らせる葵に、くすくす笑う好恵。拳で語り合ったせいだろうか、二人のあいだに
は以前より打ち解けた空気があった。
「ま、こういうのもいいかもな……」
 横目に見ながら、浩之は地道にサンドバッグ打ちに精を出す。
「藤田! よければ、後であんたのことも見てあげるけど?」
「オレはオレ流でいいの」
「そんなこといって強くなった奴はいないわよ」
「いるじゃねーか。たとえば……ほら」

 石段を指した。
 見なれた長い髪が優雅に揺れる――が、今日はなんだか急いでいるようだ。急な石段を
駆け登ってくる。
「ちょっと、好恵!」
 綾香は汗をぬぐうと、厳しい表情で好恵を見た。
「私に用?」
「好恵! こんなところで何してるの、早く帰りなさい!」
「あなたに指図されるいわれはないわ。なんなら、力ずくで帰らせてみたら?」
 ふ、と鼻の先で笑う好恵。
 あーあ、またおっぱじまるのかあ。浩之はため息をついた。こうやって売り言葉に買い
言葉で好恵×綾香の対戦がはじまってしまうのは珍しくない。
「練習の邪魔なんだけどな……」
「そんなことないですよ! お二人ともすごいレベルの戦いを見せてくれるし、技の研究
にとっても役立ちます」
 葵としてはむしろ喜んでいるようだ。

「何言ってんのよ! あんたのために言ってるんだからね」

 しかし、今日はなんだか綾香の様子が変だ。
 なんだか、何かあせりを感じているような。何らかの脅威が今にも目前に迫っているよ
うな、そんな緊迫感。

「……まさか『アレ』じゃないでしょうね」
「その『アレ』よ」

 好恵の顔が一気に青ざめる。そんな好恵の表情を、浩之ははじめて見た。
 一体何がそれほどまでに坂下を恐怖させるのか?

「来たわね……」

 綾香は、低くつぶやいて振り返った。

「よしえええええええええええええ!」

 どどどどどどど。
 地平線の向こうに、土煙。
 地響きが大地を揺るがす。

「好恵ーーーーーー!」
「と、父さん!?」

 石段の向こうから――。
 ごぉっ
 空手着の男が目前に躍り出た。年のころ40くらいであろうか。

「またよそのお子さんに迷惑掛けおってえぇぇぇ」
「ちっ違うのよっ私は」
「お前のバカさ加減にゃ、父ちゃん情けなくて涙出てくらあああぁぁぁーー」

 ごわっしゃああああああ。
 ガード不可な正拳が好恵の横っ面にめり込む。
 思いっきりふっとばされて、顔面スライディングかます好恵。

「あのおじさん、ほんとに違うんですけど……」
 見かねたのか、綾香がそっと声をかける。刺激しないように、という配慮が見て取れる
小声だった。
「あ、来栖川さん! あー判ってます判ってます。どうせまたウチの好恵がご迷惑をおか
けしたんでしょう……すいませんねいま体に覚えさせますから!
 来い好恵! 根性叩きなおしてくれる!」

 襟首引っつかんでずるずる引きずっていかれる好恵。
 すでに白目。

「さすがね、おじさん……あのセバスが認めたはっちゃけぶり……」
「す、すごいです坂下さんのお父さん! はっちゃけてます!」
 浩之はあっけにとられたまま、引きずられていく好恵を見送っていた。
「いまのはっちゃけたおっさん、誰なんだ……」
「知りたい、浩之?」
 綾香は視線を動かさず、つぶやく。
「好恵のお父さん……坂下長太郎。自称3代目あばれはっちゃく」




 そう、あれはいまから16年前――

「男なら『好雄』という名にしよう!」
 産院にて。
 臨月の妻を前に、一人の空手家がおおいに盛り上がっていた。
 坂下長太郎。
 いずれ坂下好恵の父となる男。
 病院に妻を見舞いに来るときにまで空手着に身を包んでくるところからも、この男の空
手にかける姿勢が感じられることであろう。
 ただのヘンな人? とか考えちゃダメ。

「あらあら、そんな名前ではきらめき学園に入学して情報屋になりかねないですよ。
 それに、女の子だったらどうするの?」
「なーに心配要らん! 男に決まってる!」

 自信ありげに言い放つ。
 そう、長太郎の頭の中ではすでに息子を立派な空手家に育て上げ、いよいよ免許皆伝と
いうところで謎の拳法家が道場破りにあらわれ、本人が留守にしているあいだに父をはじ
め道場全員が倒されていて、帰ってきてそのさまを目にして逆上、ただちに勝負を申し込
むがあっけなく敗れてしまう。いままで自分が鍛えてきた技はなんだったのか? 真の空
手の道とは? そして限界の向こう側にある真の強さを求めて修行の旅へ――というとこ
ろまで脚本が出来ていた。
 ああっもう! 早く来ないかなあ道場破り!
 長太郎うずうず。


	「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」


「………………むう」
 あどけないおさな児の顔をながめ、腕組み。
「何たること……」
 よりによって、女とは。
 父の後を継がせて空手界を背負って立つ人材にするつもりだったのに。
 あと、はっちゃくも。

 道場で一人黙想する。
 その目がはっと見開かれ――
 長太郎、突然ブリッジ。

「ぬうううん! はっちゃけ……はっちゃけ……」

 何事かつぶやきながら、一心不乱にブリッジる。
 その額に汗がひと筋。
 ただのブリッジではない。それは精神統一のためのポーズ。
 そして、何刻か過ぎたころ。

「――!!」

 これだ!
 がたん、とその腕から力が抜け、床に崩れる。
 力尽きたのではない。むしろその逆。

「はっちゃけた!」

 そう。
 はっちゃけたのだ。




「あー、あぅ……だー、ばぶー」

 ゆりかごからおろされ、あどけなく笑う幼い好恵。
 そのまえに二つ、おかれたもの……。
 ひとつは、バービー人形。
 ガン黒であった。
 別に世相を先取りしたわけではなく、たんにおもちゃ屋のウィンドーにおきっぱなしに
なっていて日焼けしたのを安く譲り受けたのだ。
(別にケチったわけではない! いずれこのような肌色が流行ることもあろう)
 以外にも流行にするどい父長太郎。
 ただ、16年先行ではその点いかんともしがたい。
 そしてもうひとつは、赤子にはついぞ似合わぬ一品。
 競技用の、オープングローブである。
 それも新品などではない。長太郎が永く愛用し、その血が、汗が、涙がしみこんだ一品。
まさしく漢の魂と呼ぶにふさわしいものであった。
 いたいけな黒い瞳が二つの品を見つめる。
 まるでその品の真の価値を見定めるかのように、幼い好恵はじー……っと眺めている。

(グローブを取ればよし)

「あう……だー、ばぶー」

(だが、もし人形の方を選ぼうならば、そのときは……この手で! 父のこの手で!)

「きゃっきゃっ」

 さして迷った様子もなく、もみじのような手がバービー人形へ……
 いかん!

「きぃえええええええええええええええ」

(好恵! 許せ、父を許せええええええ!)

 びしっ。

「ふぇ」

 ちょっぷ。
 ちょっぷであった。
 いい年した大人が、しかも実の父が、いまだオムツも取れぬような赤子めがけて、空手
ちょっぷ――。
 修羅。その言葉こそふさわしい。
 もはや父でもなく親でもなく、道を極めるためならば、我が子にちょっぷくれることも
辞さぬ修羅の姿がそこにはあるのみであった。

「ふぇ……えぐっ、ふ、うえーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 好恵号泣。

「好恵! よしえええええ! 父とて辛い、父とて辛いのだーーーーーーーッ!」

 泣きながらも更にバービーに手を伸ばす好恵。

 びすっびすっ。

「ふえ、ふえ、うえええええええーーーーーーーーーー」

 ちょっぷ食らうごとに中断される泣き声。
 この時点で好恵、失禁。
 だが高分子吸収体のさらさらタッチと横漏れ防止ギャザーにより本人すら気づかず。
 しかしながら涙の方はそういうわけにもいかず、もはや顔面真っ赤であった。
 阿鼻叫喚。
 まさしく地獄絵図。

 だが――。

 好恵といえど人類のはしくれである。そこそこ学習能力もある。
 うすうす自らのおかれた状況を理解し始めたのか、グローブに手を伸ばし――。
 ちょっぷが来ぬ所を見て、はし、とつかんだ。

「っっっだっしゃオラアアアアアアアアアア!!!」

 長太郎がっつぽーず。
 その瞬間こそ、好恵の人生航路が約束された瞬間だった――。

「ぬうん! それでこそ我が子よ! まさに拳心一如!」

 それはどうだろうか。
 ただ、条件反射。
 条件反射の勝利である。
 だが、今はそれでよい。長太郎は深々とうなづく。
「パブロフ先生、見ていてくださいましたか!?」

 青い空に先生の笑顔が浮かび……

『ヤポンスキー、ジュネーブ条約を守れ!』
	  (イワン・ペトローヴィチ・パブロフ 生理学者 1849〜1936)

「好恵よ! 先生も草葉の陰から祝福しているぞ! うわははははは、我らの将来はもは
や夢いっぱいの希望いっぱい!
 いいか好恵、大きくなって格闘技を極めたならば、即ブラジルに渡ってグレイシー一派
を平らげ、そしてもって『男など脆弱な生き物に過ぎない』なんてきいたふうな口利きつ
つアマゾンの密林の奥に女だらけの女囚アマゾネス空手王国を建国だ! はっはっは、そ
うかそうかやってやるか。好恵は大物だなあ」

 長太郎、夢広がりすぎ。

「あなた、何してらっしゃるの?」

 部屋の温度が三度下がった。気がした。
 傍らには、泣きながらグローブを振り回す赤子。
 がっつぽーずの父。
 忘れ去られたガン黒バービー。
 母の脳裏に先ほどまでの情景が逐一もらさず想像された。
 つーか、何したか一目瞭然。

「………………あなた」

 オクターブ低い、声。

「はわっ! い、いや違うんだこれは……」
「言い訳すんなこの宿六がああああーーーーーーーーーーー!!」

 どげしっ。
 母の怒りのモンゴリアンチョップにより、長太郎全治3ヶ月。




「げえ……」
 ただ、言葉もなく唖然と黙り込む浩之。
 空手にかけた壮絶なる親子の生きざまがそこにはあった。
 ああ、父娘鷹。
「……思うんだけどね。このときの後遺症で、脳の中の女らしさをつかさどる部分に異常
が生じたんじゃないかと……」
「なるほど」
 綾香の言葉にただうなづく浩之。
「女性ホルモンが分泌されなくなっちゃったのかもしれません……」
「むう、さもありなん」
 葵の言うことにも一理あるかも。

「………………あんたら」

 噂をすれば影、とか。

「あ、あら好恵」
「好恵さん?」
「坂下……なのか?」

 死んだはずだよ好恵さん。
 生きていたとはお釈迦様でも知らぬが仏の好恵さん。
 だが、好恵はいまそこにいた。
 いまそこにある鬼気であった。
「よ、よお! 元気ですか好恵さん?」
 浩之ですら思わずびくついて敬語になるほどの気迫。
 父の死を乗り越えて人間的に成長して帰ってきたらしい。
 なお、父は数ターン終了後自動的によみがえる予定。
 色々な事情があったらしく道着はぼろぼろになっているが、それをおぎなって余るほど
の闘気を身にまとっていた。もう勘弁してくださいってほどに。

「人が席はずしてんのをいい事にあることないこと……」

 瞬時に固まる三人。
 アイコンタクトが雄弁に語り合う。

『お、おめーがわりーんだろ』
『何よ、わたし一人のせいにする気?』
『わ、わたし関係ないですからっ』
『逃げんなブルーハワイ』
『一人でいい子になってんじゃねえぞコラ』

 すうっと拳が引かれる。

「覚悟はいいわね」

 その言葉を引き金に、三人の心がひとつになった!

「わー」
「にげろーい」
「ひゃっほー」

「待てコラああああああ!」

(――くっ、私はあきらめないわよ、葵。
 あなたに5代目あばれはっちゃくを継がせるその日まで……)

 なんだかんだ言って、継ぐ気はあるらしい。





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