学習セリオ(料理編) 投稿者:takataka 投稿日:3月8日(水)01時58分
「セーリオっ」

 ぴょんっと私の両肩に誰かが飛びつきます。
 格調高く由緒あるこのお屋敷でこんなことをなさるのは一人しかいません。

「命令」

 綾香さまは、ぴっと私の鼻先に指を突きつけて言われました。
 急に身の引き締まる思いがします。
 『命令』という言葉を嫌い、いつも私に『お願い』というかたちで業務を依頼する綾香
さま。
 その綾香さまが特に『命令』の言葉を使うとき。
 それはつまり、私に通常業務とは大きく異なる仕事――私にとっては無理難題とも思わ
れることを頼むときに限られます。
 しかも、それは特に重要というわけではなく、ことによるとほとんど無意味な内容であ
ったりします。


「絵、描いてみてよ。写生じゃダメよ。抽象画。何でも思うこと描いてごらんなさい」
 『にら』と書きました。
 怒られました。


「ほら、この粘土でなーんでも好きなもの作ってみなさい」
 さっそく製作開始。
「……セリオ、これ、なに?」
「――『にく』です」
「………………」
 怒られました。
 頭ばかりでも体ばかりでもダメなようです。


 また、ときにはこんなことも言われました。

「セリオ。『好き』って言うのがどんな意味なのか、私に納得のいくように説明してよ。
……ごめん。私、よくわかんなくなっちゃったからさ」

 どうお答えしていいか分かりませんでしたので、その日はただずっと綾香さまのおそば
にいて、綾香さまと同じ布団で休眠・充電モードを過ごしました。
 翌朝、綾香さまが目を覚ましたさいに、

「――多分、こういうことなのだと思います」

 とお答えしました。
 綾香さまはしばらくベッドに腰掛けて、私の背中に寄りかかっていて――

「ありがと」

 そう、一言だけ言われました。
 たぶん、ご納得いただけたのだと思います。





「今日のは命令よ。いいわね?
 今まで私が食べたことのないものをつくること。OK?」
「――はい、それではサテライトサービスから……」
 と、綾香さまは小指をぴっと立て、その手でさもおかしげに口元を押さえます。
「ほほほ! セリオ? この私を誰だとお思い?」

 ――あ。
 危険です。綾香さまがまた変なことを言いはじめました。
 警戒警報、発令。うー、うー。

「いーい? いくらあなたがデータを利用して料理作れるからって、そのもとになったシ
ェフを超えるようなものはつくれないでしょ?」
「――はい」
 それはそうです。まったく同じ水準のものは作れますが、データの再現では原データを
超えるものを作ることは出来ません。
「ほほほ、思い上がらないことねセリオさん。あなたのデータの中にあるような料理はお
金積めばいくらだって食べられてよ。私が求めてるのはそれ以上のもの。分かって?」
「――はい……」

 綾香さま、そろそろもとのモードに戻られた方がよろしいのでは。

「ひとつ注意。サテライトサービス使うなとは言わないわ。それだってセリオの大事な一
部分だからね。調理データをダウンロードしてもいいけど、それをもとにセリオが自分で
考えて作るのよ。ダウンロードしたそのままじゃなくて、何かひと工夫してみてよ」

 あ。
 元のモードに戻られたようで……。
 などと考えている場合ではありません。
 なんだか大変なことが降りかかってしまったのでは?
 戸惑う私に、綾香さまは追い討ちをかけるようにものほしげな流し目を送ります。

「データに記録されているどっかの有名店のシェフの料理じゃなくて、セリオの手作り料
理が食べたいなぁ……」





「――私の、料理……」

 まな板を前に思案投げ首。
 データそのままではなく、そこに私の思考なり意思なりを反映させよ、というのが今回
のミッションの肝であると思われます。
 しかし、味付けに手を加えることはできません。
 私には味がわからないのですから。
 調味料の配合加減から、どのくらい甘くなったり辛くなったりするか、という程度には
おおむね推測をつけることはできますが、それでも予想の域を出ません。
 人間の味覚のようにきわめて微妙かつ精密なセンサの検知能力にたえうるほどに調整す
ることはできないのです。
 味付けに手を加えてはならず、それでいて料理に工夫。どうしたらいいのでしょう?
 検索領域を料理専用データベース以外の分野にも広げてみます。
 検索条件はやはり『料理』。
 そして『工夫』。念のためあいまい検索で幅ひろく探してみましょう。

「――…………」

 データの海を泳ぎ渡る私の意識に立ちのぼる――……。



	『あなたには功夫が足りないわ』



 はい。足りないようです。
 ………………。
 いえ。
 そうではなくて。



	『考えるな、感じるんだ!
	 いわば、指で空にある月を指差すのとおんなじだ』



 はい。分かりましたブルース師父(しーふー)。
 ………………。
 ――いえ。
 ですから、そうじゃなくて。

 工夫よりも功夫の話題がより多く引っかかってしまう模様。
 あいまい検索にはまだまだ改良の余地がありそうです。





 やがて、料理と工夫の両条件を満たすデータに出会いました。
 数年前に放映されていたというテレビ番組です。

 小学生ぐらいに見える料理人が包丁を振るい、

	『工夫、オレの工夫!』

 と言っています。
 そして試食。

	『う〜ま〜い〜ぞ〜』

 貫録ある老人がその料理を食べると、驚くべきことに突如として巨大化し、光線を吐い
て暴れ回った末、大阪城を破壊しています。
 ――がーん。
 私は衝撃を受けました。外的な力によるそれではなく、何か内部から熱いものが突き上
げてくる感じでした。
 これが工夫というものなのでしょうか。
 料理の力とは人間をここまで変えうるものなのでしょうか。
 たかだか五感のうちのひとつかふたつからの感覚入力のみで、人体巨大化ならびに都市
破壊という非科学的な事態を出来してしまうとは。

 深いです、料理。
 深すぎます。

 ――それにしても。

 人間のみなさんとはなんと奥深く、幅広いものなのでしょうか。
 私ならもう少しちぢめたいところです。
 私に果たして綾香さまの舌を満足させるようなものが造れるのでしょうか?
「――私の、工夫……」
 しかし、味付けには手を加えずそのままで。
 となると……

	『精進せいよ!』

 さきの巨大化した老人の一言が私の胸を打ちます。
 そう、精進しなければ……。

 ――はっ!?
 そうです!

 きゅぴーん。




 綾香は苦悩していた。
 傍らにはいつもと変わりなく、しかしながら何かを待ち受けるかのように緊張したセリ
オ。ほかの人間にはわからなくても、綾香には感じられる。
 そして、目の前にはセリオ謹製のプリンアラモード。

(私としたことが……)

 う……どうしよう。
 まさか風邪ひいて味が何にもわからないなんて言えないわよね……。
 だって。



	「ごめんセリオ。そういう訳で、味、わかんないんだ」
	「――そうですか」

	 そっと料理を下げるセリオ。
	 足音も立てず流しに向かう。
	 ばさっ、と生ごみ受けに捨てられる料理。
	 今は生ゴミの一部と化してしまった、それでも思いをこめて、大事な人のため
	に作った料理。
	 データにも頼らず、乏しい経験の中からひとつひとつつみ重ねて、自分だけの
	力で作った。
	 料理に落とした視線を無理に引きはがし、綾香をちらり、と見た。
	 いつもと変わることのない、感情のない視線。
	 でも、今日はなぜだかそのおとなしい瞳の中に一抹の寂しさが――。



 ぶんぶんっとかぶりを振る綾香。

(ダメ、絶対ダメよ! あの子きっと傷つく。そんなこと出来るわけないわよ。大事な友
達なんだから)

「綾香さま? 少し顔が赤いようですが、もしかしてお風邪を引かれて……」
「ううん、全っ然大丈夫! もちろん体調バッチリよ! セリオの料理のためだもん、風
邪なんかもー平気平気!」

 腕ぶんぶん振り回し、力こぶなんか作ってみせる綾香。
 人は空元気を出そうとするとき、何故か必ず力こぶを作ってみせる。
 体調と筋肉は関係ないと思うが。

「じゃあさっそく、いっただっきまーす!」





「ありがとうセリオ! すっごくおいしいわ」
 綾香さまは喜んでおられます。
 私は胸にそっと手を当てました。
 温度が上昇したわけではないのに、どこか胸の中にわきおこるあたたかさ。
 この気持ち。
 大切にしたい、思い。
 そして綾香さまのほほえみが――


「本当よセリオ! 甘くておいしい」


 ――甘い?
 耳を疑いました。
 どういうことなのでしょう?

 『精進』
 この言葉からヒントを得て、私はネットを検索しつづけました。
 そしてヒットしたのが精進料理だったのです。
 仏教では肉が食べられないので、麩や豆腐などの加工の容易な材料を工夫して、肉料理
に似たものを出すのです。

「――これです」

 私は思わずつぶやきました。
 味には手をつけずに、外見に工夫をすればよいのです。
 そしてできたのがこのお料理。
 一見プリンアラモードに見えますが、実はきっちり和風懐石。

 卵豆腐と季節の添え物。
 それが私の料理です。

 卵豆腐本体は、どちらかというとカツオだし中心のあっさり関西風なはずです。
 その代わりに添えた出汁は少しお醤油を利かせ、色づけと塩味をおぎなっています。
 この組み合わせで、何をどう転んだら甘くなるというのでしょう。

「特にこのホイップクリーム、甘さ控えめでクリーミーでちょうどいい感じよ!」

 ――それは、裏ごしして絞り出したタラの白子なのですが……。

「今まで食べた中でも最高のデザートよ! ありがとう、セリオ」

 やや引きつりながら、それでもにこにこと精いっぱいの笑顔。
 ――何かが違っています、どこか、変。
 それでも、ひとつだけ確認しておかなければ……。
 私はもの思わしげに、しげしげと綾香さまを眺めました。

「……な、なによセリオ?」

 どきどき。

「――巨大化なさらないのですか?」
「はい?」





「あーあ、、セリオにうそついちゃった……」
 河原にごろんと寝転がって、大きな伸びを一つ。
 あくびで出た涙で、白い雲がにじんで見えた。
 今日の綾香は少し、元気がない。
「気にすんなって。セリオのためだったんだろ? うそも方便ってんだぜ、そういうの」
 気安く笑う浩之。
「分かってる。でもさ」
 後ろめたい気分で、なんとなく目をそむける。
「セリオは私にうそ付いたことないの。でも、私はセリオにうそ付いちゃったから」
「……」

 雲が流れるのを、しばらく二人して眺めて。

「綾香」
「何?」
「お前っていい奴な」
「あたりまえでしょ? 私は、べつに…………」

 くるっと反対を向いたのは、真っ赤になった顔を見られたくなかったから。

「………………ありがと」

 そっと、聞こえるかどうかぎりぎりの声で言った。





「――精進が足りませんでした……」

 申し訳ありません、味皇さま。
 丹精こめたお料理も、綾香さまの心を動かし巨大化ならびに都市破壊行動に至らしめる
には不十分だったようです。
 ですが、貴重なデータがえられました。どうやら綾香さまは甘いものがお好きな様子。
 ならば、今度は逆にデザートに挑戦です。
 今度は……。

 (検索中)

「――………………!?」

(一件ヒットです)

 ぐっ。

「――これなら」





 お鍋の中でぐつぐつと煮え立っている飴色のソース。アプリコットジャムをベースにし
て、コーンスターチでとろみをつけたものです。
 仕上げにブランデーをひとたらし。立ちのぼる洋酒の芳香がスメルセンサをこころよく
刺激します。完璧です。
 ソースの方はこれでよし。肝心のものの方はどうでしょうか?
 冷蔵庫で冷やしておいたそれを、そっと取り出してテーブルの上に置きます。軽くゆす
ぶると、ぷるん、と表面が震えました。

「――固まったようですね」

 舌の上でとろける食感を味わっていただくため、固まるかどうかぎりぎりの分量しか寒
天を入れなかったので少し心配でしたが、どうやら大丈夫のようです。
 特製の、杏仁豆腐。
 味付けこそ中華のシェフのデータを用いていますが、固めるための最低限の寒天の量の
見きわめは私自身の計算に基づいています。これも、私の工夫。

 フランス料理のデータを用いた、アプリコットジャムのソース。
 そしてその中に、ミスマッチ感覚を狙って杏仁豆腐をあえてみました。

 ――ですが、ここが肝心です。
 このお菓子、見た目はどう見ても麻婆豆腐にしか見えないのです。
 まさにそこが今回のポイント。
 口にしたとたん、想像と180度ベクトルの異なる味覚が口中に広がる意表をついた一
品。かなりの自信作です。

 調理にあたっては本物の麻婆豆腐に似せるため細心の注意を払いました。ソースの中に
は、挽き肉に似せて砕いたナッツをちりばめてあります。
 風味を増しつつ、さらに視覚的リアリティを盛り上げる工夫です。
 洋と中華を取り入れた私のオリジナル作品。ヌーベルシノワを意識した創作デザートな
のです。
 その名も、



	「杏仁豆腐の温かいアプリコットソースがけ」



 いささか即物的でしょうか。もっと詩的な名前が良いのでは?



	「ブーローニュの森の気まぐれシェフの四ヶ国語麻雀」



 ――まだ肩の力が抜け切っていないようです。
 もう少しファンタスティックな名前がいいのではないでしょうか?



	「いたずら妖精たちの逆なだれ式オクラホマスタンピード」



 ――これです。
 かなりイケてます。

「――いえー」

 拳を振り上げ、がっつぽーず。
 勝利感を演出したいときのためのしぐさなのだそうです。
 これも私の学んだこと。こうしてひとつひとつおぼえていきたいと思います。もっと綾
香さまに喜んでいただけるように。
 鏡を見ながら、もう一回。

「――いえー……」

 ――もう少し、目の表情を何とかしなければ……。





「綾香さま、どうぞ」
「わ、おいしそう……」

 両手を祈るように組み合わせ、片方の頬にぺたん、とくっつける綾香さま。
 今日びあまり見なくなった『おいしそう』のポーズです。
 この目で目撃することが出来るとは。これだけでもがんばった甲斐があったというもの
です。

「ありがとっセリオ! 大好き♪」

 ――ところで綾香さま。
 その手に持った、白米を盛り付けた丼は何なのでしょう?

「ふふふ、ちょっと品ないけどね」
 どろどろどろー。

 あ。
 かけた。

「ほら、マーボー丼! 私ってこういう庶民的な食べ方のが好きなのよね……ん?」

 綾香さまは、何かをさえぎるように中途半端に伸ばしかけた私の手を見て不審の色を浮
かべられました。

「なに?」
「――いえ……」

 もう、手遅れですから……。

「――なんでも、ありません……」
「まったくぅ、こんなときまで思わせぶりなんだからー」

 ――あ……ジャムが……杏仁が……。
 ほかほかと湯気を立てる白米に染みて、なんとも……。

「あ、ちょっといい? 私辛いの好きでさー。こないだ浩之に大盛り激辛ラーメンおごっ
てもらって以来ハマっちゃっててー」

 ばさばさばさっ

「――あ」

 デザートなのに、お菓子なのに。
 そんなに七味をかけては大変なことに。甘いものがお好きだったのでは?

「それに、これこれ! やっぱり四川はピリ辛で決まりよね!」

 そのうえ、豆板醤を?
 ぼとぼとっ
 ああっ、そんなにたくさん?

 なぜそんなことを?
 ――綾香さま、お気は確かなのですか?

「なに変な顔してんの?セリオ」
「――いえ……何でも……ありません」

 ――今さら言っても、仕方のないことだと……。

「くぅ〜、ますますもっておいしそう!」

 目を細めて、舌なめずりせんばかりのご様子。
 そしていよいよもって本物の麻婆豆腐に近いルックスを備えた、目前の物体。
 その味はもはや私の思考能力の範囲を軽く凌駕していることでしょう。

 ああ……。
 綾香さま、綾香さま。
 一体どうなってしまわれるのですか。

 わくわく。

 ――は!?
『わくわく』とは。
 私は、いったい何を期待しているのでしょうか――?

「じゃ、いっただきまーす!」

 ぱくっ




	 ――綾香さまは、巨大化なさいませんでした。
	 口から光線も、吐かれませんでした。
	 大阪城を破壊も、なさいませんでした。


	 ――けれど、それに近いことはなさいました。





 緊急メンテで担ぎ込まれた研究室で、私は目を覚ましました。
「セリオ、気分はどうだい……?」
 目の前数十センチに迫るモストロングフェイス。長瀬主任です。
 女物の靴跡がついた私の頭をそっと撫でています。
 綾香さまの放ったストンピングの雨あられ。
 確かエクストリームルールでは、倒れている相手への攻撃は禁止だったと思うのですが……。
「しかし、こいつは……通常の過重には耐えられるはずなんだが」
 主任は私の腕を取りました。
 やはり、ひじの関節があきらかに曲がってはいけない方向に曲がっているのが気になっ
たのでしょうか。

「――極めて即、でした」
「……即かい」
「――即です」

 主任はふいに顔を和らげ、わたしの頬をそっとやさしく撫でました。

「セリオ、味覚センサー付けような……」

 ――ありがとうございます、主任。




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