しっぽの番外編そのいち・しっぽせりおのお年玉  投稿者:takataka


 しっぽの番外篇 そのいち。
『しっぽせりおのお年玉』



 ―― Serio the tail in meteo strike ――



 それは不満げな声とともにあらわれた。ただでさえ忙しいときに。

「なーがーせー主任〜」
「おや、綾香さま。こりゃどうもお久しぶり」
「お久しぶりじゃないわよ」
「そんなに眉間にしわよせて、綺麗な顔がだいなしですよ」
「セリオがへんなのよ!」
 長瀬はカチンと来たような表情を浮かべた。
「お嬢さまといえどそれは聞き捨てなりませんね。セリオは七研の総力を挙げて開発した
完璧なメイドロボ……」
「そうじゃなくて、セリオの様子がおかしいんだってば!」
 綾香曰く、最近セリオの周辺に黄色い影がちらっとひらめいて見えるという。
 ふっと振り返った瞬間なんかに、セリオの腰のあたりに一瞬なにか黄色いものがぼんや
り見えるような気がするというのだ。
「まさかとは思うんだけどね」
「ああ、こないだの件まだ気にしてるんですか?」
 ここいらへんのいきさつについては『しっぽせりおの大冒険』を参照されたし。
「それによく見てくださいよ。セリオはいつもどおりのセリオじゃないですか」
「――はい」
 たしかにいつもとかわらぬ様子でセリオはそこにいた。澄みきった怜悧なまなざし。

「そりゃそうだけど……ん」

 綾香はじいっと目を凝らす。
 なんか今セリオの腰のあたりに、ぴゃっと黄色いものが見えた気が。
「セリオ」
「――なんでしょうか、綾香お嬢さま」
「今……何か……」
「――動作状態はきわめて良好、ソフト・ハードともにオールグリーン。全く問題はあり
ません」

 あやしい。
 むむむっと腕組みしてにらみつける、綾香。
 セリオは涼しげな面持ちで微動だにせず立っている。

「むー……」

 首をかしげる綾香。
 あっちむいて。
 こっちむくと。

「ほら、いつものセリオじゃないですか」
「おっかしいわねえ、さっきは確かに……」

 じゃあもう一回。
 あっち向いて……
 と見せかけてフェイント! うりゃ。
「あ、綾香さまずるい!」
 長瀬の抗議も綾香の耳には入らなかった。なぜなら、その視線の先にはいつもとちがう
セリオの姿。
 セリオに三つの余計なオプション。
 耳がふたつにしっぽがひとつ。

「――………………こん」

 申し訳なさそうに、一声鳴いてみたりして。
「やっぱり! どういうことなのよ!」
「いや、キツネの行動パターンに関するサテライトからのデータは全部削除しましたよ?
 ただ、キツネになりきって行動していたときのセリオの記憶はそのまま残ってますから
ね。よっぽど気に入ったんでしょうねえ……」
「そうじゃないでしょうが! 耳としっぽは! とったんじゃなかったの?」
「あーあれ収納式ですから。セリオ、それしまってみて」
 ぱたん。とがったキツネ耳が倒れて髪の毛の中に隠れた。
 しっぽもしゅっとスカートの中に隠れ、今は全く普通のセリオ。
「なんでそんな頼んでもいないギミック付けてんのよ!」
「ちょっとお買い得感があるかなーと思いまして」
「知るかああ!」
「変形ロボは男のロマンなのに……」
「いらんロマンチシズムを顧客に押し付けてるんじゃない!」
「でも、セリオは気に入ってるみたいですよ?」
 同意するようにしっぽをぱたぱた。
「いちおう思考のほうには直接影響はないはずです。
「綾香さま……」
 ぱたんと耳を寝かせて、おずおずと綾香の視線をうかがうセリオ。
「あー、分かったわよ!」
「――ありがとうございます。綾香さま」
「でも、普段はしまっときなさい。いいわね!」
「――はい……」
 しゅっと引っ込む耳としっぽ。
 再びもとのセリオを見やる。たしかにこれなら外見上は、しっぽ付きだなんて分からな
い。
「耳はとにかく、しっぽがどこ行ったのかすごく気になるわ」
「――女の子のひみつです」
「ま、いいわ。頭のほうが確かならそれで。それより、今晩浩之といっしょに初詣行くん
だけど、あなたも来るでしょ?」
「――はい、ですが、その前に研究所の方のお手伝いを……」
「あー、いいよいいよ。行ってきなさい」
 ぱたぱたと手を振る長瀬。
「――ですが……」
「いや、今日は特別。手伝わなくていいっていうんじゃなくて、手伝っちゃ駄目」



 さて、私はセリオです。
 セリオなのです。
 もちろんきつねなどではありません。
 ですが、最近きつねでした。
 もちろん今では違うのですが。
 いまも私の記憶に残る、あの日あの時のすてきな記憶。
 綾香さまがあんなにも、私を案じてくれたこと。
 決して忘れたりしません。
 ですがそれとはまたべつに、きつねの気持ちもいいものでした。
 草の匂いと、日差しの柔らかさ。
 四つ足で走る地面の感触、鼻先に薫る土の匂い。
 今日はずいぶんいい天気で、あの日のことを思い出します。



 普通なら冬期休暇に入っている予定だというのに、なぜかみなさん会社にいます。
 どうしてでしょうか?
 それぞれ各部署について、忙しそうに働いています。
 あしおと立てずに忍び寄り、そっとおそばにうずくまり。
 立てたしっぽ、ふりふり。
 口には出さずにお願いします、”私とお外に行きませんか?”
「悪いねえセリオ。いまちょっと手が離せないんだ」
 きゅうう……
「あ、セリオちょうどいいところに! ちょっとこの設定を」
 こん?
「……あ、ゴメンやっぱだめだ! 今日はセリオ使わないように指示が出てるから」
「……」

 今年は、へんです。
 呪文のようにくり返す『にせんねん』とか『Y2K』とか。
 なにかみなさん呪われているのでしょうか。
 いいえ、本当は知っています。世間を騒がすY2K。
 ですが、あえて知らないふりをするのがより奥ゆかしいロボットというもの。
 ”知らないふり”これはきわめて高度なテクニックです。
 私の姉であるマルチさんもよく使う技です。

「あれ? あれあれ? す、すすすすみませ〜〜〜〜ん! 忘れちゃいましたあ」

 これです。
 もちろんマルチさんはちゃんと分かっているのでしょう。そこをあえて知らないふりを
して見せる、そうすると浩之さんが、

「しょうがねえなあ」

 などといいつつなでなでを繰り出すのです。
 さすがはマルチさんです。なでなでのためとあらばメイドロボ本来の機能をなげうって
までそれを追求する姿勢には頭が下がります。
 私もまだまだマルチさんに学ばなければなりません……。

「マルチは学習型なんだから、少しずつおぼえていけばいいんだ。 な?」
「は、はい……あうう」

 学習型とはいえメイドロボとしての基本的な仕事くらいできないはずはないのですが、
そこをあえてしないのがマルチさんのマルチさんたる由縁であり、それを受け入れてはば
からないのが浩之さんの浩之さんたる由縁なのです。
 割れ鍋にとじ蓋。藤田さんのお友達の宮内レミィさんならそんな風に言うところでしょ
うか。
 それにしても、みなさんとても忙しそうです。
 メイドロボの本分としてはお手伝いすべきなのでしょう。ですが、何故か今日だけはお
手伝い禁止令が発布されているのです。
「これも2000年対応の一環なんだよ。だってY2Kの問題を修正しているときに、同
じくY2K問題を含んでいるかもしれないメイドロボに手伝ってもらうのはへんだろう」
 言っていることはわかるのですが、あんまり殺生な話です。
 メイドロボからお手伝いを取り上げたらそこに一体何が残るというのでしょう。
 お手伝いしたいです。うずうず。
「――あの……」
「あーダメダメ。正月乗り越えるまで、セリオはゆっくり休んでていいから!」
 どこにいってもこの扱いでは、耳はぱたんと倒されて、しっぽもふにゃりとたれさがろ
うもの。
 がっかりです。
 ――そう、こんなときはお友達に相談です。
 私のサポートをしてくれる、静止軌道上の人工衛星。
 以前は無機質な信号のやりとりだけの、機械と機械の関係でしたが、今はすてきなお友
達。私のすてきなお星さま。
 お星さま、お星さま。私のおはなし聞いてください。
「なあに、せりおちゃん」
 ひまです。
「そうなんだー」
 ――…………素ですね。
 それにしても、私にも何かできないでしょうか。
 しっぽせりおは考える。しっぽなりに、出来る事。
 しっぽの自分がみなさんにしてあげられる一番のこと。
 なにかいいこと、ないでしょうか?

「セリオ、いくわよー」

 綾香さまが呼んでいます。早くしなければ。
 そうだ。
 ――お星さま、少しお手伝いお願いできますか?



「今日は待機だけで済むと思ったのになあ……」
 異変がおこったのはその日の午後。
 来栖川電工中央研究所内のセリオ衛星追跡管制センター。ここでは地球の静止軌道上に
いくつか点在するサテライトサービス用の衛星の管制を行なっていた。
「状況は?」
「よくありませんね……Serio−SAT 3、いまちょうど日本上空をカバーしてい
る衛星ですが、三系統の無線通信、バックアップのレーザー通信等も完全に沈黙していま
す」
「他の手段で確認できる?」
「はい。夜になれば光学望遠鏡で外形くらいは確認できると思いますが……ただ、連絡の
途絶えたときの状況から見ると、少なくとも機器のハード的な異常ではないように思える
んです」
「ほう」
「なんのノイズも発生せず、いたって静かに、まるでこちらから停止コマンドを打ち込ん
で活動を停止したかのような、そういう感じでした」
「すると?」
 長瀬はくしゃくしゃになったピースの箱を胸ポケットから取り出し、折れ曲がった一本
をくわえた。
「プログラムにバグがでたか……ウィルスかも」
「ソフトウェアはテストしてみたかい?」
「はい……ウィルスの可能性を考慮してスタンドアロンの機器で走らせてみましたが」
「それにしてもねえ」
 ぽりぽりと後頭部を掻いた。およそ緊張感とまったく縁のない顔だった。
「まずいよそれは。3号ってのはよりによって、これはまずいよ」



 空を見あげる。
 墨を流したような空。一面の闇。そこに光る黒ラシャ紙を切り抜いたような、月。
 それは窓枠に四角く切り取られて、壁にかけられた絵のようにうつった。
 薄緑色に塗りつぶされた視界の中で、ただひとつかけられた一枚の絵画。それが太田香
奈子にとっての空だった。
 ゆらぎ、うねり、混濁する思考の中で、香奈子の意識にはひとつの面影が浮かぶ。壊れ
るほどに大好きだった、他の全てを賭けても少しも惜しくないと思ったその人。
 手を伸ばす。その手をもしかしたら握り返してもらえるかもしれない。
 声に出して呼んでみる。もしかしたら、答えてくれるかもしれない。
 荒れた喉からかすれるような音がした。
「……ミズホ……ミズホ……?」
 ちがう気がした。ただ、もうどちらでも良かった。この叫びに答えてくれるのなら。
「……ミズホ……」



「もう、終わりなんだね」
 桂木美和子は少し寂しげにもらした。
「まだやることはあるよ」
 吉田由紀はがちゃり、と生徒会室の鍵を締めた。
 宿直室によって鍵を返すと、二人は校門へ向かった。いろいろごたごたがあったので、
生徒会室の片づけに31日までかかってしまった。
「あのね。いろいろあったけど、私やっぱり生徒会やっててよかったなって思う」
「なーに、もうまとめに入ってんの?」
「でも、新学期になったら後はほとんど引き継ぎだけだし……」
「それが大事なんじゃない。ちゃーんと後輩に記録残しといてやんなきゃ」
「うん」
 校舎をふり返る。ここにいられるのも、あともう一年。その大切な時間もほとんど受験
で削られるのだろうけど。
「あのね、由紀」
「ん」
「ありがとう」
「な、何よ急に改まって」
「私、自分一人じゃきっと勤まらなかったと思う」
「私だってそうだよ。面倒くさいの苦手だもの。書記とか……美和子の字きれいだから、
すっごく助かったよ」
「ううん、そんなことないよ……」
 風が吹いた。思わず両手でダッフルコートの前を合わせた。
「来年の今ごろも、こうしてここにこられたらいいね」
「うん……」



「いやー、年末だね……」
「そうだねー」
「仕事はいいの?」
「あー、年末は運良く非番。そのかわり部下の柳川くんにがんばってもらってるよ。あ、
でも彼も今日は休みだったかな。そっちは?」
「うちは学校ですよ。年末年始は当然休み。まあこれから受験もある事だし、しばらくこ
の隆山でゆっくり骨休めさせてもらいますよ」
「そうそう、休めるとき休めるのが一番。外湯巡りでもしてゆっくり浸かってくといい
よ」
「それにしても源五郎は大変だよねえ。ほら、2000年問題だっけ? ロボット屋さん
なんかモロでしょう」
「あー、そうそう。大変といえば父さんも、こんなときくらい休めばいいのにねえ。お嬢
さんのお守りなんか年末くらい休んだっていいじゃないかって言ったら、わたしゃ怒鳴ら
れましたよ電話越しに『かああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ』って」
「元気だよねえ、あの人……」



「お嬢様方……」
 他の方々とご一緒とはいえ、初詣などという危険な行為に乗り出すとは……。
 セバスチャンは気が気でなかった。
 綾香はほっといても勝手に大きくなるクチだったのであんまり心配していない。何しろ
かつてストリートファイトでならしたこの自分を圧倒するほどの格闘家だ。
 問題は芹香の方だった。
 初詣。押し合いへしあいする大群集。その中にあの可憐で繊細な芹香が混ざったらあっ
さり押しつぶされてしまうのではないだろうか。こころない群集に踏みつぶされてしまう
のではないか。
 無事賽銭箱にたどりつけたとしても、そこはありとあらゆる硬貨の飛び交う願かけの戦
場だ。一円玉ならまだいいが、百円玉が当たってしまったら? 五百円玉なんかが飛んで
きた日にはひとたまりもないだろう。
「芹香お嬢さまああああああ! このセバスチャン、心配申しあげておりますぞぉぉ!」



「主任! これは……!」
「どうしたの?」
「待って下さい、いまメインモニターに!」
 メインモニターに大写しになる、粒子の粗い画像。黒一色の空間上に、銀色に輝く円筒
形の物体が、光を反射してきらきら輝く太陽電池パネルの翼を広げて写っている。
 アルミ蒸着フィルムで被われた本体の一部分に、白いパネルがとりつけられている。
 『Serio−SAT 3』
 間違いなく問題の機体だ。カメラはゆっくりと下へパンする。そこには――。
 おお、と低いうなりがひびいた。
 なんとなれば、そこにはあるべきものがないのだ。
「あーあ……」
 まるでプラモデルの部品をいっこなくした、くらいの気軽さで長瀬が言った。
「なくなっちゃったよ、居住モジュールが」



 じっとながめる。いくら見ても飽きないのはやはり本当に好きな人の写真だから。
「ううう……梓先輩! やっぱり激ラヴっす〜!」
 がっばあああ、と枕を抱きしめる。これが梓先輩の胸だったらなあ……とため息。
 日吉かおりは男と新年を迎えるような軟弱なレズではなかった。一本筋のとおったレズ
ならやはり女。
 しかしながら、梓には逃げるようにして拒まれた。道ならぬ恋の行く手はきびしい。
「でも私負けません先輩! いつかきっと……。まずは手はじめに夢の中で先輩とお会い
します!」
 梓の写真に熱いベーゼをくれて枕の下にしまい込む。



「なんでお前がここにいるんだ」
「えへへー」
 鬼の力を出さない程度に柳川祐也は凄んでみせた。
 目の前にいるのは、ついこの間彼が拉致監禁して犯した女、相田響子。
「そこの人……貴之くんっていうの? 開けててくれたんで」
「…………」
 貴之の悪いくせはまだ直っていないようだった。
「貴之。勝手に鍵を開けるなっていっただろう」
 こたつの上に乗るミカン。ぶすっと指を差す貴之。
「『ほーら新しい顔だ』『わーありがとうシャブおじさん』」
 ギャグらしい。
 どろりと濁った沼のような目ではあるが。
「あの人は……」
「貴之か。あの薬でああなった。お前ももう少しでああなってるところだった」
 響子がびくんと震える。
「思い出したか? 恐ろしかったのだろう。だったらなぜ俺のところに来た。さっさと帰
ってもらおう」
「だって!」
「なんだ」
「だって……」
 口元に手をやる。たよりなげな風情。爪をかむ仕草。頬が赤らむ。
 いやーな予感がした。
「あの時以来、そういうのでないと、私、ダメみたいで……」
 こ、こりゃいかーん。



「なんだっつーのよう」
 どん! ウィスキーの瓶がいきおいよく置かれた。
「つまんなーい。せっかく柏木くん誘おうと思ったのにー」
 柏木耕一の下宿はずっと留守番電話だった。それじゃあとばかりに携帯の方にかけてみ
ると、出るには出たが、
『ごめん由美子さん。俺いま隆山なんだ』
 予想された展開ではあったが、やはり確認してしまうと一抹の寂しさがあった。
 いーもんいーもん、とばかりに今年は寝正月を決め込む事にした。
「どうせ私は古文書だけがお友達のさびしい女ですよー、だ」
 意味もなく瓶のくびれを指でつーっとたどってみたり。
 と、電話の音。のろのろと受話器をとる。
「え? XXセンセのゼミで? あ、今から? うん、私は大丈夫。うん、じゃ駅で…
…」
 のろのろとこたつから身体を引き抜き、のろのろとジャケットを羽織った。
 やっぱり、こんなときはどうしても人恋しいから。



 管制室は騒然としていた。ただちに予備の職員が招集され、今はすべてのコンソールに
オペレーターが張りついている。

『セリオ衛星機器不調問題対策本部』

 筆書きの立て看板がいやがうえにも所員の緊張感をあおった。
「もっとも問題とされている点は――」
 メインモニターを二分割して、片側に先ほどの望遠鏡による画像が写されている。
 そしてもう片側には、Serio−SAT 3の概略図面。
「この衛星には打ち上げ当初とは違った目的が課せられていた、ということです。
 ご覧ください。これが今回本体から脱落した部分です」
 おお、と低いうめき声のような嘆息が漏れた。
「言うまでもないことですが、これは来年度に予定されているメイドロボの宇宙滞在実験
のための居住モジュールです。この部分がそっくり抜け落ちている。しかも、衛星に搭載
されたAIと通信途絶しているという以外の一切の機器の異常をともなわずに」
 衛星の図面に新たに居住モジュールの図が追加された。大きさだけでも衛星本体の三倍
はある。円筒形の断面部分にドッキング用のユニットが取りつけてある。
「問題はまさにこの点にあります。つまり、サテライトサービスは正常に機能しつづけて
いるということです。セリオからの直接命令は処理しているが、こちらからの命令は受け
つけなくなっている」
 現段階で起動しているセリオはテスト機のHMX−13ただ一機だった。来年度からの
販売に向けて、量産機がようやく試験ラインに乗りはじめたばかりだ。
「それじゃ、セリオ経由でアクセスすればいいんじゃないですか?」
「ところがだねえ」
 肝心のセリオの所在がわからないのだった。
 2000年対応で細かい仕事があれこれとあったので、今日は誰もセリオの相手をして
いなかった。
 なんか耳付きしっぽ付きだった、という目撃証言はあるのだが。
 当然のことながら衛星をつかって探すわけにもいかない。いま日本をカバーしているの
は問題のSerio−SAT 3なのだ。
「なーんかへそ曲げられちゃったみたいなんだわ。帰ってきやしない」
 長瀬は軽く肩をすくめた。
「セリオからの指令に見せかけた擬似信号を発するというのは?」
「やってみたよ。量産体制に入ったHM−13を工場から抜いてきてね……ところがダメ
なんだ。どうも信号に特殊な変調がくわえられているようでね」
「ということは……」
「そう。衛星のメインプログラムに何らかの手が加えられている。だが、あの衛星にはこ
こか、さもなくばセリオしかアクセスできないはずだ。となると……」
「セリオ本体にウィルスが?」
「その可能性もあるね」
 ていうか、たぶんそれでビンゴ。
 長瀬は内心冷や汗ものだった。
 過去の特殊な経験からAIに変調が生じているのかもしれない。
 狐耳つけてしっぽ生やしてきつねの気持ちで大脱走。メイドロボとしてはかなり特殊な
経験だろう。しっぽ生やしたAIなんて過去に例がないわけだから、何が起こるかなんて
わかったものではない。
 もっと言えば、今回の不調はおそらく自分が衛星に組み込んだプログラムが元になって
るかもしれない……とは言わずにおいた。
 ”お星さま”。
 そのまんまにしといたのは失敗だったかなあ。まあ、後の祭だけど。
 長瀬は黙っておくことにした。口は災いの門。
「ただ、今のところ考えられるもっともありそうな可能性としては、セリオ自身の判断で
プログラムの改変を行なっているのかもしれないということ」
「じゃあ、セリオが私たちに逆らって衛星をハッキングしているわけですか」
「ハッキングとは穏やかじゃないねえ。あれはもともとセリオのものだ。ただ、私らはそ
こから締め出しを食ったというわけだね」
「いったいなんでそんな……」
「仲間はずれにされたんで怒ってるのかも」
 言われてみれば、今日のセリオはあちこちの部署を回って手伝えそうな仕事を探してい
た。
 少し邪険にしすぎたかも。みんなに思い当たる節があった。

「主任! 脱落したモジュール発見しました! いまモニターに……」
 メインモニターの二枚の画像が切り替わる。
「これは!」



 初詣に行く娘を見送ったあと、おせちの用意をしながら神岸ひかりはふと笑みをもらし
た。
「ふふっ、今日は朝帰りかしら? それにしても浩之ちゃんも大きくなったわねえ。
 あ! いけないいけない、あかりにゴム渡しとかなくちゃいけなかったわ」
 わりとそういうこと平気で言う母だった。
 台所の窓から夜空を見あげる。
 幸せになれるといいわね、あかり。
 ううん、あのふたりならきっと大丈夫。



「はーいそういうわけでみなさん、今夜の辛島美音子の『ハート・トゥ・ハート』大晦日
スペシャル! という訳でですね、スタジオを飛び出して移動中継車からお届けしており
まーす。
 えーと世間ではミレニアム! っていいますねえ。2000年問題とかなんかでもしか
したらこれ会社で聞いてる人もいるのかな? ねえ本当にお仕事ご苦労様ですー。がんば
りすぎて風邪なんか引かないようにして下さいねっ。
 そんな訳で記念すべき今日この夜、みなさんといっしょに新年を迎えたいと思いまーす。
番組中ビッグなプレゼント企画も盛り沢山ですので、年が明けるまでちゃんと聞いてて下
さいね。
 それではさっそく! 今日の、一発め!」



 ラジオが小さな音で流れている。
「じゃあね、おやすみなさい。あれ、寝ないんだっけ? あ、そうか。あれだもんねー、
琴音ー。ふふふふ。うまくやんなさいよ。決まってるじゃないの。分かってるんだから。
藤田先輩でしょ? え? なに、他の人も一緒なの? ダメねえ、せっかくの大晦日なん
だから、こういうときにアピールしなきゃ!
 ん、わかった。報告期待してるね。それじゃあ良いお年をー」
 ちん。澄んだ音を立てて電話が切れた。
「好きな人と、初詣かあ……」
 ばさっとベッドに横たわる。
 いいなあ、琴音。他の人たちといっしょとはいえ、恋する二人にそんな障害は関係ない
って気がする。
 ついつい二人が寄り添うさまを想像したりして。
「わ、やだやだ。琴音のえっちー」
 森本さんはわりと想像力過多だった。
 夜空を見あげる。
 綺麗な月。澄んだ美しさは彼女の友達の面影に似ていた。
「がんばってね、琴音」



「神主さんに話とおした?」
「ん。今年の神社での初稽古はアメリカ人の子が参加するっていったら驚いてた」
「レミィ大丈夫かな? あいかわらず止まった的にあたらないんでしょ?」
「でも、ひところに比べたらだいぶ上達してるし、大丈夫じゃないかな? いざとなった
ら私たちが隅でスタンバってて、弓道場に的を投げ込んであげるとか」
「あははー。でもきっと注目されるわよ。レミィの会すごく綺麗だもんね」



 ネーチャンはえらいとおもう。
 今日も雛山理緒はバイトで家を空けていた。だから、うちのことは自分でやろう。良太
は年に似合わずしっかりした子供だった。
 うちのネーチャンはえらい。だから、うちのことくらいオレがやってやらなくちゃ。
 台所に立ってみる。背丈が足りずに、踏み台のお世話になりながら。
「お兄ちゃん、だいじょうぶ……?」
「大丈夫だからあっち行ってろ」



 コンビニにて。
「お、矢島じゃん。なに自分、買い物?」
「お、おお……まあ……」
「お! これエクストリーム特集載ってる雑誌だぁ。見して見して」
「おい垣本、ちょっと待てって!」
 矢島が開いていたのは占いのページ。
 2000年度のあなたの恋愛運……大凶。
「…………」
「な、なんだその人を哀れむような顔は! なぜ肩に手を置く、やめろ垣本!」



 お姉ちゃんだ。
 たすけを樹から下ろしてくれたお姉ちゃん。ご本に載ってる。
 どこかの高校生二人が雑誌を手に何やら話しあってるのを、しんじょうさおりは横から
じーっと見ていた。
 でも、なんでそんなところに載ってるんだろう?
「ふしぎだね。ねー、たすけ」
 たすけは答えるように、にゃあ、と鳴いた。



「えー、重大な発表をしなければなりません」
 緊張した面持ちの長瀬。めずらしいことだった。
「Serio−SAT 3から脱落した居住モジュールが発見されました。
 結果、現在居住モジュールは地球に向かってゆるやかに降下中。数時間後に大気圏に突
入することがわかりました。これがその映像です」
 粒子の粗い画像。隅にナンバーが打たれている。そこには白い円筒形の巨大なモジュー
ルが虚空に浮いているさまがとらえられていた。
 もう一枚の、これははっきりしたCG画像。軌道から外れた位置にある光点から、地上
に向かってゆるやかな弧をえがいて線が伸びている。
「その軌道を計算した結果、途中で何らかの力が作用しなければ、残骸は来栖川電工中央
研究所を中心とした半径5km内に落下してくることがわかりました。
 その時刻は推定で本日午後11時50分から明日午前0時5分のあいだと思われます」
 騒然となる。数人の者が管制室を飛び出して連絡に走った。
「この居住モジュールは全長約50m。その質量のほとんどが燃えつきることなくそのま
まのかたちで落下することになります」
 管制室を重苦しい沈黙が包み込んだ。
「コロニー落しか……」
 誰かが呟いた。それはこの場の全員の感慨を代表していた。
 何しろみんなガンダム世代。
「なにかいい手はないのか?」
「自衛隊に協力を要請してはどうでしょう? ミサイルよりずっと速度の遅い衛星の残骸
なら、多少のデータ不足はあれ、パトリオットで撃ち落とせるのでは?」
 長瀬はあいかわらずひょうひょうとした風情で答える。
「そうですねえ。いまから要請しても、実際に基地に命令が行くのは年明けてからでしょ
うなあ。向こうさんも2000年対応でたいへんでしょうし」
「つまり……」

「ま、お手上げ」

 一瞬しん、と静まり返り。
 場内大パニック。
 逃げるもの、祈るもの、ヤケ起こして飲んだくれるものがいるかと思えば、コンソール
に張り付いて動かず、必死で回避の方法を探るものもいる。
 モジュールの位置を示す輝点が1ドット地上へと近づくたび、一段と騒ぎは大きくなる。
 警報が鳴りひびき、モニターいっぱいに”DANGER”の文字が表示され、非常灯が
一斉点灯し、各ブロックを結ぶ廊下が防火シャッターで一斉に閉じられ、半鐘は鳴り、外
れ馬券は舞い、大八車は箪笥と布団を積んで走り去る。
 ほんとにここ管制センターなのか、と疑いたくなるようなありさまだった。
「くっ、世紀末を生き抜くために北斗神拳の練習をしなければ!
 よしそこのお前、おとなしく新秘孔開発のための木人形となれい!」
「えー」
「んん〜、ここかな〜?」
 ぐぐっ
「あー、ちがうちがう、もーちょい左!」
「ここ?」
 ぐぐぐっ
「あーそうそう! あー効く……ありがとー。肩軽くなったー」
「……んん〜、間違えたかな?」
 そうかと思うと、全く平静な者たちもいる。
「どうしたんだ? 君たちいやに落ちついてるね」
「ふふふ……」
 ぶわっと白衣をひるがえす一団。その下には、『I(はぁと)セリオ』Tシャツが!
「ついにこのときは来た。来栖川電工中央研究所を目標とした、第二次ブリティッシュ作
戦の開始であるッ! 無能にしてどん欲なる来栖川研上層部が存在する限り、この世界に
平和と秩序は断じて訪れないのである! そしてきゃつらへ最後の鉄槌を下すべき時は近
づいている! 
 いまこそ我らとセリオの蜜あふるる約束の地、セリオ公国が実現するのだ! 進めよ七
研! 励めよ職員! セリオの旗の下に、ジーク・セリオ!!」
 さっさと恭順の意をしめすものもいた。
「ジークセリオ! ジークセリオ! ジークセリオ!」
 しかも結構多かった。
 来栖川研、職員の忠誠度低すぎ。
「やれやれ、こうも理性をなくすもんかねえ……」
「主任が少しおかしいんですよ、この場合」
 眼鏡の研究員がつっ込んだ。彼は長瀬の片腕としてマルチやセリオの眠っていた固定ベ
ッドのコンソールを任されていた。
「おかしくもなるさ、ただでさえ忙しいのにねえ」
 なにしろ状況は絶望的だった。モジュールの巨大な質量がまっすぐ自由落下してくるの
だ。その運動エネルギーが産み出す破壊力は想像もつかない。
「まあこの辺一帯なんにもなくなるだろうねえ」
「避難しないんですか?」
「もう手遅れでしょう。それにね、責任者は責任をとるためにいるの」
 眼鏡越しにちらり、と長瀬を見る。それだけですか? と目で語って。
 長瀬の視線がつっとそらされた。
「セリオのやることだからね。私は、あの子を信じてますよ」




	 これでよかったの? せりおちゃん。
	 ――はい。きっと皆さん、よろこんでいただけます。
	 ふふぅ、怒られても知らないよ?
	 ――いいんです。
	 そう?
	 ――きょうは特別なんです。特別の、たいせつな日。




「はぁ! やあ! たあぁ!」
 寒気に満ちた道場に威勢のいい声がとどろく。
 もう夜で他のものは帰っていたが、彼女――坂下好恵だけはいまだに稽古を続けていた。
すでにオーバーワークぎみだが、明日からは正月だ。どっちみち年始の挨拶や何かでたい
して稽古の時間は取れないだろう。初稽古はあるが、あれは稽古というより一種のイベン
トだ。
 その分まで今年のうちにすましておかなければならない。そうしないと気がすまない。
 激しい打ち込み稽古のさなか、ふと手を休める。身体は熱く燃えるようだ。寒さなどこ
れっぽっちも気にならなかった。そんなものには負けない。
 じっと拳を見つめる。まだだ。まだ足りない。
 ふと時計に目をやると、すでに11時をまわっていた。もうそんな時間。
 葵はたしかに強くなっていた。たった一度とはいえ、この自分に勝利するほど、強く。
 だったら……ますます、面白い。



「かなわんなー」
 いつもなら娘に会いに東京へと向かう車中にいるはずだが、今年ばかりは事情がちがっ
た。2000年対応のため泊まり込みで待機だ。
 しかし、不調が起きない限りなにもすることはない。暇を持て余すばかりだ。
「保科さん、つらいとこでっしゃろー。いつもやったら……」
「あー、言わんといてやーもう」
 定期入れを取り出す。そこには一枚の写真。
 ちなみに、おさげをといてコンタクトを入れてる方の写真だった。
「待っときやー智子。正月乗り切ったら会いにいったるからな」



「ヘレンは?」
「Classmateといっしょに初詣だって。ヒロユキ兄ちゃんなんかと一緒らしい
ね」
 ジュリーの頭をなでながら、気のない様子で答えるミッキー。
「そう。今年は家族全員そろって……とは行かないのね」
 シンディは少し寂しげな面持ちを見せた。
 クリスマスとニューイヤーはファミリーで一緒にいたかったんだけど、とでも言いたげ
に。
「あらあらまあまあ、あの子だってもう一人前なんですから」
 母あやめはいつもながらマイペースで、そんなことは意に介さない様子だった。
「そうだぞシンディ。ワタシがスチューデントだったころは、ホームパーティを抜けだし
てでも愛するアヤメのもとに駆けつけたものサ」
「あらあら、あなたったら」
「掃除が……」
「なんだね、シンディ」
「掃除の人手が足りないのよ! Mamはマイペースだし、Dadとミッキーは汚す方だ
し! 私とマギーだけじゃお掃除終わらないわ!」
「まあまあ、いいじゃないか。今日はミレニアム記念に一発でっかいのを……」
「Dad! 何これ、バズーカ!?」
「ああ、おもちゃだからどうってことナイさ! ただしちょっと部屋が汚れるかもしれな
いけどね」
「私は汚いのが嫌いなのーーーーー!!」



「寒いねー」
「うん。寒いね吉井ー」
「………………」
「どしたの? 元気ないよ岡田ー」
「……なんでよ」
「どうしたの?」
「おーい、岡田ー?」
「何でこのくそ寒い野外にあたしら女三人でわびしく震えてんのよ!」

 学校の屋上。
 もちろん無断だ。
 吉井が知っていた金網の破れ目から校内に侵入し、松本がひみつの隠し場所にあった屋
上の鍵を持ちだし、そして岡田はむりやり連れてこられた。

「あたしは寒いのは嫌いなのよおおお!」
「えー、みれにあむきねんだよー。なんか記念っぽいことしなくちゃ! ねっ吉井!」
「あ、あたしは松本がどうしてもって言うから……」
「あいっかわらず主体性のかけらもないわねあんた」
「うう……」
「まあまあ、おかだもよしいもいーじゃない。なんていってもミレニアムだしー」
「関係あるかああ!」
「まあまあ、それよりなんかこう、みんなでなんかしようよ!」
「なんかってなにをよ!?」
「うー……えー……あのー……」

 考えてなかった。

「こんのアーパー娘があああ!」
「岡田落ち着いて! ほら、あたし家から甘酒もってきたから。みんなで飲もう? 魔法
瓶だからあったかいよ」
「わぁ、吉井気が利くねー。飲む飲むー。紙コップ回してー」
「……じゃ、あたしももらう」

「あったかいねー、吉井ぃー……」
「うん……」
「なんで正月に甘酒なのよぶつぶつぶつ。甘酒ったらふつーひな祭りでしょぶつぶつ」
「それでは、今年一年のそうけっさーん! わー、どんどんどんぱふぱふ!」
「わーい、ぱちぱちぱち……」
「ださっ」
「でもなんかあるでしょ? 今年一年をふり返って」
「けっっ」
「岡田……」
 甘酒の湯気がゆらめく。松本はおずおずと声を落した。
「あのさ……保科さんさあ、変わったよね」
「ん?」
「吉井も思うでしょー。当たりが柔らかくなったとゆーか」
「うーん……そうだね。前はすごくピリピリしてて怖かったけど」
「あたしねあたしね、ちょっと話してみたんだー」
「ど、どうだった?」
「うん。別にふつー。あ、しゃべり方はあいかわらずなんだけど、なんてゆーのか……声
が冷たくなくなった感じ。ね、岡田どう思うー?」
「……なんであたしに振るのよ」
「だって……」
「…………」

 ぷいっと横を向いた。

「んなこと言ったって、今さらどうしようもないでしょ、あれだけのことやっといて」
「岡田ー。あたし、そんなことないと思う」
「あ……松本……」

 吉井は、意外なものを見るような目で松本を見ていた。

「そんなこと、ないと思うよ」
「……めずらしいもん見た」

 目をそらす岡田。その顔はどこか決まり悪げで。

「なにがー?」
「あんたがそんな真面目な顔するの、初めて」



 地上では極秘裏に準備が進められていた。
 落下するモジュールの正確な観測のために野外にテントが張られ、レーザー測距儀を搭
載したトラックが行き交い、高感度カメラの砲列が空に向けられている。
 危機管理のため本社に待機していた来栖川電工の役員たちもおっとり刀で駆けつけてき
ていた。
「手は尽くしました。人事を尽くして天命を待つ、ですよ」
 長瀬の説明は簡潔極まりないものだった。
「表に出ませんか。ここで出来る事はもうありませんし、外にいれば肉眼で観察できると
思いますよ」

 月夜だった。
 管制センターの建物を出ると、研究所本部棟の塔屋をかすめて大きな月がぽっかりと浮
かんでいるのがよく見えた。
「風がないのが幸いだね……気温は低いが、寒くはない」
 いい夜だった。月は無表情に夜を照らし、そのまわりでは星がかすかにまたたきながら
その存在を控えめに主張している。
 地上の人間のあわてぶりとは対照的に、世界は濃密な静けさに満たされていた。肌で感
じられる静謐の手触りだけが、唯一たしかなものだった。
 世紀末の夜、ですか。長瀬は自分のいる状況が詩的すぎて、どうもそのまんま受け入れ
る気がしなかった。
「主任、あれを!」
 眼鏡の研究員が叫ぶ。
 本部棟の上、塔屋部分のさらに上に乗った給水塔に、するすると登るひとつの影。
 そのしなやかな身体のアウトラインに、誇らしげな耳としっぽ。

「ああ……」
「セリオ!」
「いや、キツネ……?」
「セリオ!」
「セリオぉ!」
「キャスバル兄さん!」(意味不明)
「我らセリオスキーに栄光あれ! 偉大なるセリオの理想とメイドロボの自由に栄えあ
れ! ジーク・セリオ!」

 月の光を背に、すっくと立ったセリオ。
 長いしっぽが月光を受けて光り、躍る。
 それはまるで星たちの草原を行く銀ぎつね。夜風の中で後れ毛が白く光り、流れる。
 つややかな光沢のしっぽ。天空を行く同胞へとむけられた、するどく尖る耳カバー。
 この静寂の世界と同化するように、セリオはあくまで静かだった。
 その影が、空をさして伸び上がる。
 背に負った月と同じく、つめたく無表情なその面持ち。
 そして、一面に星をちりばめた夜空を横切る一条の光芒。

「来た!」
「セリオ……」



 香奈子は見た。
 いつの夜も変わることのなかった不動の星のひとつが、窓の外を流れていくのを。
 時間を止めた世界の中で、何かがたしかに動き出すのを。
「…………瑞穂……?」



「流れ星」
「あ」
「……ね、美和子何かお願いした?」
「由紀は?」



「出ないねえ……これ携帯のはずだけど」
「なにやってんだろ、源五郎のやつ」
「忙しいんじゃないですか?」



「執事長! 今出ては綾香様がお怒りになります!」
「むうう! し、しかし! ……おお?」
「あ、流れ星ですね」
「なんと不吉な! これはお嬢様方に何かあったのでは!? ええい、放せ!」



「すー……うふふー、梓せんぱぁーい……」



「ほら、祐也見た? いま星が……」
「祐也と呼ぶな。それにただの自然現象だ。興味はない」
「……あー」
「貴之!? そうか貴之、綺麗か? そうかそうか、よかったな」
「……変わり身早いわね」



「わ。見て見て、流れ星。……由美子? 何してんの」
「柏木くんが不幸になりますように……」



「あ……」
 それを見て、ひかりは胸に手を当てた。ふつうは手を合わせるんだろうけど、癖だった。
 ――あかりが浩之ちゃんと幸せになれますように。




	 ――来ました。

	 計算どおりの時刻、計算どおりの突入角。
	 そして炎の色から推測する、計算どおりの温度。
	 すっと指を差し上げ、指揮者の最初の一振りのように、一気に振り下ろす。

	 次の瞬間。
	 ぱっと花が開くように、たくさんの小さな光の点となって砕け散る光芒。
	 音のない爆発。

	 ――成功です。
	 目を閉じて、成功の味をかみしめるセリオ。
	 振った腕よりすこしおくれて、長いしっぽがぱさり、と落ちた。




「わ! いま見ました? すごいすごい! やー、あんなの初めて……。
 あ、ラジオ聞いてる人わけわかんなくてごめんなさい。放送事故になりかかっちゃった
(笑)いまね、車の外出てたんですけど、流れ星がすーって落ちて。それにそれに、それ
だけならまだしも、途中でぱってはじけたんですよ、打ち上げ花火みたい! いやーさす
がミレニアムですよねー。見せつけてくれますよー。いやいや。
 あ、忘れてた……それでは、新年あけましておめでとうございまーす!」



「ち、違うよね! いまの琴音がやったんじゃないよね! まさかそんな……」
 森本さんは一人であせっていた。



 ベッドから手を伸ばして、いきなり鳴り出した枕もとの携帯を取る。
「はーいぃ……」
「あ、あたしー。今の見た!? すごかったよねー、あんなの今まで見たこと……」
「あたし見てない……ってゆーか早く寝なさいよあんた。初稽古に障るよ」



「ネーチャン……」
「お兄ちゃん……」
 折り重なって眠る雛山家の兄弟。
 テーブルの上には焦げだらけの卵焼きが乗っている。
 ”食え、ネーチャン 良太”
 メモが傍らに添えられていた。



「何だいまのは! どういうことなんだ! 願かけた流れ星が爆発するってのはあれか、
願いかなわねーってことかよ? か、神岸さん……。
 垣本! だから肩に手を置くんじゃねえ!」



 にゃー。
 小さな飼い主の布団からはいだして、たすけは空を見ていた。
 音もなく広がる光の点を。
 にゃ?
 それから、かりかりかりっと後ろ足で耳の後ろを掻いて、さおりの布団にもぐりこんだ。



「お……」
 夜空に気を取られて、肩から下げた空手着を落としそうになった。
 ふーん、珍しいこともあるもんだ。好恵は特に感慨もなく帰り道をたどった。



「保科さんえらいこっちゃー、システム動かへん!」
「何やてー? あ、これプログラムがCOBOLやないかい。そんなんもう忘れてもうた
わ。分かるやついてるかー?」
 それどころじゃない状況だった。



「HAHAHA! A happy new yeaaaaaaar!!」
 どかーん。
「……げほげほっ、こりゃひどいよDad」
「あらあらまあまあ、みんなすすだらけですよ」
「あああ! お部屋が! 私の清潔なお部屋が!」
 こっちもそれどころじゃないらしい。



「ほらみほらみー。屋上にきて正解だったでしょー」
 松本おおいばり。
「すごかったねー。いいもの見ちゃったー」
「偶然よ偶然! ったく、すーぐ調子に乗るんだから」
「あ、それはそれとして」
 松本は突然ちょこん、と座り込んで。
「あけましておめでとうございますー。今年もよろしくねー」
「あ。お、おめでとう……」
「うわ、変わり身早っ」



「なるほどね……」
 ハンディモニターを見ながら、眼鏡の研究員はうなづく。
「主任、これ最後の瞬間の映像です。リプレイしますね」
 落下するモジュールの軌跡に添って追跡しつづけていたモニター。
 そこには、大気圏突入で白熱するモジュールに付属して、小判ザメのような小さなもの
が貼りついている。
 そこから一気に炎が燃え広がるさまが、瞬間的にだがたしかに写されていた。
「あっはっは」
 なるほど。
 二人は大いに笑った。笑うしかなかった。
 切り離された居住モジュールには、姿勢制御用のロケットモーターのために予備燃料タ
ンクが付属していた。それは長期間に渡る宇宙滞在に備えてかなり多めに用意してあった。
 だが、もちろんそんなものが大気圏突入に耐えられるわけがない。満タンの燃料に引火
して大爆発、モジュールの破片はこなごなになって飛び散った……という訳だった。
「数百億の花火かあ……こりゃいいもん見たなあ」
「ミレニアムですよね」
「あー、ミレニアムだねえ……」
「景気いいよねえ」
「気前もいいですよね」
 はははははははは。力の抜けきった笑い。



 みなさん集まっていらっしゃいます。
 今日はとってもいい月夜。
 みんなでお月見でもしているのでしょうか?
 よかった。お知らせする手間がはぶけました。

 そして、私のお年玉。
 長いしっぽのほうき星、私とおんなじ長いしっぽ。
 そしてフィナーレは、季節はずれの花火です。
 ちょっとお金はかかりましたが、喜んでいただけましたか?

 あ。
 な、なんだか。
 どうしたのでしょう。
 なんだかたくさんの冷たい視線にさらされているような。

 これは、もしかして。
 はずしたのでしょうか。

「――…………」

 そう、こんなときどうすればいいか知っています。
 綾香さまに連れられて行った隆山の別荘。
 買い物の帰りに通りがかった立派な旧家の前。
 大あわてでかつぎ出される、四つの担架。
 猛スピードで去る救急車を見送っていた、黒髪の美しい女性のしぐさを――


 てへっ。
 こつん。


 ………………。
 ………………。
 ………………。
 こけた。
 所員挙げての総コケ。なかなか見ものな光景だった。

「いいからはよ降りろ偽善ロボ!」
「ありゃ、綾香さま?」
 長瀬はびくっと飛びすさった。なんの気配も見せずいつの間にか隣に付かれていたとは。
「ったく! いきなりいなくなったと思ったらこんなとこにいるなんて」
「――綾香さま、いまのは気に入っていただけませんでしたか?」
 降りてきて、おずおずと聞くセリオに、綾香はふっと苦笑して。
「綺麗だったわよ。きっと浩之たちもびっくりしたでしょう」
 ぽんぽん、と頭に手を置いて、微笑んでみせる。
「――ありがとうございます。おほめいただき――うれしい、です――」
 やっとほめられた。しかも、一番大事な綾香さまに。
 それだけでいい。やっと、ほめてもらえました。綾香さま
 ――……え?
「さ! 戻るわよ。これから朝まで遊び倒すんだから!」
 きょとんとしたセリオの襟首ひっつかんで引きずって行く綾香。
 ばいばーい、と手を振る長瀬に待ってましたとばかり詰め寄る重役陣。
「長瀬くん。これは一体」
「大損害じゃないか! あのモジュールを上げるのにいくらかかったと思ってるんだ!」
「どういうことかね長瀬主任。説明したまえ!」
 ところが長瀬は少しもあわてず、腕組みしてすっと背をそらし……。

「いまのが2000年問題です!」

 言った。
 なんのためらいもなく言い切った。
「いまのが?」
「あの……いろいろ問題になってた……」
「大災害になるかもしれないと言われてた、あれか?」
「はい。ともあれ、地上に被害がでなかったのはさいわいと言うべきでしょう……」
 うんうんとうなづく長瀬。
「ああ、そうなのか!」
「なるほど!」
「いままで2000年問題っていまいちどういう事なのかわからなかったが、いまのがそ
うなのか!」

 納得した模様。

「いやあ良かった! これで無事正月を過ごせそうだよ長瀬くん!」
「Y2K無事終了バンザーイ!」
 こそこそと眼鏡の研究員が尋ねる。
「よかったんですか、主任?」
「いいのいいの」



 ともあれ、コロニー落し以外は何事もなくY2Kをやり過ごした来栖川電工中央研究所
HM七研では、そのまま新年会へと突入した。
 綾香のもとから戻ったセリオも、ケーブルつないで充電しつつ宴会に参加。連続稼働時
間記録を更新しかねないいきおいだった。

 ――やっと皆さんのお手伝いができます。よかった……。

 だがそう何もかもうまくはいかないものであり、今回の騒ぎの主犯セリオにはもちろん
それなりの処遇が待ち受けていた。
「えー、それでは私、長瀬が乾杯の音頭を取らせていただきます。乾杯ー!」
 かんぱーい、とコップを鳴らす音。
 上げた手と手の間から、白く輝く何かが見える。
 宴会場の上に吊るされた、鋭角的なフォルムの耳カバーふたつ。
 ちょうどジャンプしても届かない絶妙な高さだった。
 そして、ぺたんと床に座り込んで両手で耳を隠しながら、物欲しそうな目で天井を見あ
げるセリオ。
「――カバーがないと……私……」
「セリオー、こっちお銚子追加!」
「こっちにも追加頼むー!」
「――はい……」
 お手伝いできるのはうれしかったが、そうなると必然的に耳から手を離さなければなら
ない。
 耳を衆目にさらしながらかいがいしくお膳を運ぶセリオ。顔真っ赤。
 恥ずかしさとうれしさの交錯する微妙な刑罰だったという。



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