ビューティフル・ネーム  投稿者:takataka


「大丈夫、好恵……?」
「……一人で立てる」

 差し伸べられた綾香の手を、好恵は軽く振り払った。一撃で受けたダメージの深さに顔
をしかめながらも、好恵はゆらりと立ち上がる。

「いい勝負だったわ。どっちが勝ってもおかしくなかった」

 綾香の言葉を受けて、好恵はただ黙っていた。
 負けることもある。
 それが勝負だ、それが空手だ。だから、何も言うべきではないと思っていた。

「好恵……」
「分かってる」

 葵はたしかに強くなっていた。それはこの身体で受け止めて、よくわかった。
 ならば、自分の道を行かせるのもいいだろう。
 自分がついに勝てなかった相手、来栖川綾香。そのあとを行く以上、それは決して平た
んな道ではないだろう。
 でも、この葵なら大丈夫だ。好恵の心には確信があった。

「ところで、エクストリームルールでやると言った以上、もちろん分かってるわよね」
「……ああ!」
「そ、そんな! 私は何もそこまで」
「勘違いしないで、葵」

 好恵がさえぎった。

「エクストリームルールでいいと言ったのは私よ。ならば、最後まで貫徹するのみ。それ
が私の流儀よ」
「でも……私、何もそこまで……」

 場の空気から置き去りを食っていた浩之が、葵の肩をつついた。

「なあ、試合は終わったんだろ? まだ何かあるのか?」
「あのう……それは、その……」
「あら、知らないの浩之? まあ、無理もないわ」

 綾香が代わって答える。

「そう……あまり知られていないけどね。エクストリームには、倒した相手の選手のリン
グネームを勝った選手が自由に決めていいという掟があるのよ!」

 …………。
 ドカポンかよ!?

「なるほど……どうりで、綾香以外の選手の名前がヘンなのばっかりだと思ったぜ!
 『顔面花崗岩』とか『99年度ミス角刈り』とか『え? ラーメンに梅干しが!?』とか」

「そして、そのリングネームは次のエクストリームまでは返上することができない。たと
え他のイベントの試合であろうとね。
 いい葵! あなたが好恵の今後一年間のリングネームを決めるのよ!」
「さあ、私は逃げも隠れもしない。ちゃっちゃとやってくれ」

 覚悟を決めたように座り込んだ好恵を前に、葵は困惑していた。
 そんな……全然考えてませんでした。私なんかが好恵さんのリングネームを?

 ――綾香さん。私のあこがれの人。その強さはもちろんのこと、試合のあと相手選手に
付けるリングネームのこじゃれたセンスでも、いつも輝いていた。

「さあ、どんな名前にする? 『ラッシャー坂下』? 『ガダルカナル・サカ』? そう
そう、『そのまんま坂下』なんていうのもいいわねえ」

 うう……どうしてそんな軍団系の名前ばっかり……。
 でも! 好恵さんにはもっと似合いの名前があるはずです。
 いつもまっすぐに空手の道を歩んできた好恵さん。綾香さんとはまた違った輝きがそこ
にはありました。
 そう、私にとって綾香さんが光なら、好恵さんはさしずめまっすぐに吹き抜ける爽やか
な風のようでした。
 そうです! 南仏プロヴァンスの風を思わせる、ウィットに富んでしかもエスプリにあ
ふれた、そんな名前が……。

 はっ!?
 エスプリ? そして、ウィット――。

「かっ」

 ぐっと喉が鳴った。



「カフェ・ド・パリって……どうでしょうか?」



 カフェ。
 ド。
 パリ――

「あっははははははははははー」

 綾香バカ受け。

「い、いいわそれ! 最高! 葵、あなたセンスあるわよ!」
「え? あの、ヘンですか? 私せいいっぱいカッコイイ名前を――」

 ちらりと好恵を盗み見る。
 放心状態だった。

「こ、これでパリ? この顔で? この肩で? この胸で? この腹で? この足で?
 っくー……あはははははははは」

 腹を抱えて、心の底から笑い倒す綾香。

「パリ……」

 好恵は、これからのことを思った。

 リングネーム、『カフェ・ド・パリ』。
 地区大会でも、
 全国大会でも、
 国体予選でも、
 下手すれば国体決勝でも、カフェ・ド・パリ。

 パリとして人と出会い、
 パリとして人に迷い、
 パリとして人に傷つき、
 パリとして人と別れて。

 それでも、パリしか、名乗れない。

「葵……あんた、覚えてなさいよ……くっ」

 走り出す。暮れなずむ夕日に向かって。

「ちっくしょおおおおおおおおおお!」
「あ、待ちなさいよパリー。じゃね、葵」
「ああっ、好恵さん」
「待て! 追っちゃダメだ!」
「でも、好恵さんが……」
「いや、今は一人にしておいてやるんだ。葵ちゃんも格闘家ならわかるだろう」
「……はい、でも……」
「ん?」
「パリ、ダメでしょうか……」
「いや、それが葵ちゃんのセンスならそれが一番さ」
「え……」
「今日の勝利をもたらしたもの、それはこのエスプリだ! その気持ち、忘れないようにな」
「ありがとうございます、せんぱ……」
「だが葵ちゃんには足りないものがある!」
「ええ?」
「勝利のポーズだ!」



「やりました!」
「まだまだ!」
「やりました!」
「甘い!」
「やりました!」
「浅い! タイムボカンシリーズのノリを思い出せ!
 日が沈むまでに『やりました』百本!」
「うう……や、やりましたぁ……」
「弱い!」

「はあ、はあ、はあ……」
 がっくりと膝を付く葵。すでに日はとっぷりと暮れている。
「なんとかサマになってきたな」
「そうですか、よ、よかったあ……」
「よし、じゃあ次は負けポーズ百本!」
「ええーーーーーー!?」





 空手道大会の開かれている体育館。
 アナウンスが響く。

「勝者、XX高校空手部主将、坂……あ、失礼しました。えー……」

 なに? これでいいんスか? などと裏でごそごそ。

「勝者、カフェ・ド・パリ!」

 おおおおおおおおおお。
 大いに沸く館内。

「勝者インタビューです、それでは坂……えーとパリ選手」
「ふんっ」
「ああっ」
「おおっとパリがマイクを手にしたあーーーーーーーーー」

「ボンジュール! モン・シェール・ムシュー!」

 割れんばかりの喝采、そして、パリ・コール。

「パリ!」
「パリ!」
「モンパリ!」
「サセパリ!」
「カフェ・ド・パリ!」

「ウィーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「ジュテーム!」
「セ・シ・ボン!」
「セ・ラ・ヴィー!」
「コンサヴァ! コンサヴァ!」

「メルシー・ボクーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 本人いたく気に入った模様。




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