H1 GRAND−PRIX  投稿者:takataka


「今年も、この季節がやってきたわね……」

 着々と準備の進む会場を前に、綾香は腕組みをして不敵に笑った。

「勝負の世界の厳しさ、ですか。綾香さまの好きな言葉ですね」
「ええ。競い合うことで人はより強くなっていくのよ。その厳しさ、その楽しさを、あの
子たちにも教えてあげたくてね」

 長瀬主任はくすくす笑う。

「何よ」
「いや、いかにも綾香さまらしいな、と思いましてね」

 そんな長瀬ではあるが、綾香の気持ちは十分知悉していた。彼女も一人のメイドロボの
マスターなのだ。

「生きることはね、そのまま闘いなのよ。ここぞという時にどこまで戦い切れるか。その
ためにも、こういう経験を積ませておくのは悪くないんじゃない?」

 そのさしつらぬくような視線は、クレーンでつり上げられるカンバンに注がれている。

『H1 GRAND−PRIX』

 H1。Heart−1の略である。
 発売されてからもうかなり経つ普及型メイドロボHM−12。感情表現のための機能こ
そ搭載されてはいないが、マスターの下での学習と馴化によってある程度は自律的な動き
を見せるようになる。それが事によっては、感情があるんじゃないか? と思わせるよう
な素振りになることもしばしばだ。
 つまり、心のあるように見えれば見えるほど、それがメイドロボと主人のあいだの絆の
深さとなるのである。
 一番心のあるメイドロボ。その座をめぐって、今年もロボたちの熱い闘いが繰り広げら
れるのだ。
 いま、ロボット業界でもっとも注目されている競技。それがH1であった。

「今年はどんな猛者があらわれるか、楽しみね」
「そうですねえ……審査委員長としてもやりがいあるでしょう、綾香さま」
「ふふっ、そうね」





「トップバッター、藤井マルチさんです!」

 と、すっと照明が落とされ、どこかで聞いたようなイントロが流れる。

「あ、この曲……」
 綾香が耳をすませた。
「『White Album』ですね。ちょっと前に流行った曲だ」

 舞台上手からととと……と出てくるマルチ。赤を基調にした地味ながらも華のあるステ
ージ衣裳だ。
 でも、その目にはやはり生気がない。量産型では致し方ないことだが、これを仕草や身
振りでいかにカバーするかがひとつの課題だ。

「わ、かわいい」
「これもどっかで見たステージ衣裳だなあ……」

「すれーちがう、まいーにちが、ふえーていくけどー♪」

 もみじのようなちっちゃい両手をマイクスタンドに添えて、舌ったらずに、それでも一
生懸命さを強調して歌う。
 目の色をのぞけばかなり人間くさい。というか、幼児くさい。

「おたーがいが……えっと、あの……あうう……」

 だが、急に途方に暮れたように止まっちゃう。
 その止まり方すら幼児ぎみ。

「あれ、歌詞忘れちゃったのかな?」
「ほらがんばって! 『そばーにいるよ〜♪ ふたーり……』」

 舞台に上がるマスターの藤井夫妻。そばについて一緒に唄ってあげたり。

「あ、奥さんの方、森川由綺じゃない!」
「電撃入籍で引退したと思ったら、こんなとこに出てくるとは……」

 親子連れのように歌う三人。なかなかに微笑ましい光景だった。
 だが。

「えー、評ですが。
 一生懸命さがかもし出されてたのはいいんですが、これはちびっ子のど自慢じゃありま
せんので……」
「もー、冬弥くんがうちのマルチは歌ならバッチリだぜとか言うからー」
「おかしいなあ、英二さんに特訓つけてもらったのに……」

 綾香の采配は意外にきびしかった。

「では続いて、長瀬マルチさんどうぞ」

「え? もしかして主任の親戚?」
「ええ、私の甥です」
「へえ……え? あれ? あの人がそうなの?」
「そうですけど、何か不審な点でも?」
「長くないじゃない。あんなの長瀬じゃない! 血が繋がってないんだわ、きっと」
「なあに、これからですよ。これでも私も若い頃は……あ、昔の写真見ます?」
「いい。なんか世の中信じられなくなりそうだから」

 そんな審査員たちの思惑をよそに、壇上に上がる長瀬マルチ。
 がさがさっと400字詰め原稿用紙を広げて、すうっと息を吸い込み。



「『私とマスター』 5年3組 長瀬まるち

 わたしはマスターがだいすきです。なぜならマスターは、わたしにとてもやさしいから
です。
 あ、でもおくさまも大好きです。
 るりこおくさまはやさしいのかやさしくないのかいまいち分かりませんが、でもすてき
な方です。
 それに、えがおがすてきです。
 何もないときに急に笑いだすのでわたしはびっくりですが、ゆうすけマスターは、

『あはは、またるりこさんのでんぱがはじまった』

 と、へいちゃらなのです。
 でもマスターは、わたしのためにやねをぜんぶ太陽電池にしてくれました。
 ぱねるがきらきらひかってとてもきれいです。
 わたしは毎日にこにこしながら屋上でひかりをあつめています。
 おとなりでは、おくさまがなんかあさっての方を向いてうすらわらいをしています。
 なんでも、でんぱをあつめているそうなのです。
 どうしてそんなことをするのですか? ときいても、マスターとるりこおくさまは二人
でにこにこしながらみつめあっています。
 ときどき、きゅうにわらいます。
 でんぱでおはなししているそうです。
 わたしにはセリオさんみたいにサテライトサービスはついていないので、でんぱのお話
には加われないのが残念むねんです。
 でも、マスターとおくさまはにんげんさんなのに、どうしてでんぱでお話できるのか不
思議なのです。
 おひさまのひかりがわたしのえねるぎーになるのだとおもうと、まいにちはれだといい
なあと思います。
 あ、でも、まいにちはれだとお水が足りなくなって、だんすいでお洗濯や洗い物ができ
なくなってしまいますので、あめもふるといいなあ、と思いました。まる」



 ぱさ、と400字詰め原稿用紙を閉じて、ぺこり、とお辞儀。

 おおおおおおお。
 場内を万雷の拍手が埋めつくす。押し寄せる感動の嵐。舌足らずで幼いながらも、一生
懸命読みとおしたひたむきさが聴衆の胸を打つ。

「ええ話や……祐介、あんたホンマにサッパリや……」

 眼鏡をずらし、ハンカチで目頭を押さえる長瀬主任。なぜか関西弁。

「うーん、ちょっと話の内容に首傾げたくなる部分はあったけど、いまのはかなりの高得
点ね」

 綾香もなかなか好感触だ。

「それでは、最終審査にはいります!」
「ちょっと待ってくださぁーーーーーーーーーーーーい!」

 バターンと会場の扉が開かれる。
 注目の中、扉を両手で押さえてはあっはあっと肩で息をする、マルチ。
 
「あれは――」

 綾香が目を見張る。見間違いでなければ、あれは。

「HMX−12、藤田まるち! おくれましたが、さんがざぜでぐだざいー!」

 いきなりボロ泣き。のっけから人間らしさ大爆発だ!

「いいでしょう」
「綾香さま?」
「審査委員長の私が許可します。マルチ、やりなさい」
「はい!」

 と、そこに駆け込んできたもうひとつの人影。

「はわ!? 浩之さん!」
「待つんだマルチ! ダメだ! 言っちゃダメだーーーーーー!!」

 だがすでに壇上のマルチは原稿用紙を広げて――。

「藤田まるち、心のポエムしりーず、そのいち!」



	『ふきふき』      藤田 まるち

	 ふきふきはすごい。
	 まども、かべも、ゆかも、てんじょうも、もっぷでふきふき。
	 きれいになるのですー。

	 ご主人様がわたしをふきふきすると、わたしもきれいになれるのかなあ。
	 それだったら、もう絶世のびじょになってるはずですよー。
	 だって、まいにちがふきふき。
	 ふきふきってすごいなあとおもう。



「以上ですぅ!」

「………………」
「………………」
「………………」

 黙り込む審査員たち。一様に複雑な表情をしていた。
 たとえて言うなら、『おちんちん』というタイトルの小学生の詩を批評するときの川崎
洋のような。
 綾香はうつむいて、審査員席の壇を降りた。前髪に隠れて表情は見えないが、立ちのぼ
るオーラに『殺』の一文字が爆発している。

「浩之……あんた、大会に泥を塗ってくれたわね……」
「待て! オレは止めたんだ! 必死に止めたんだぞ!」
「問答無用」

 ばきばきっと指を鳴らす綾香。浩之はふうっと溜め息をついて。

「その必要はないぜ、綾香」
「なんでよ」

 ちょいちょい、と親指でうしろを指差す。
 血に飢えたあばれ熊が、いつもの朝のようににこにこしながら浩之を待っていた。

「浩之ちゃん、ちょっといいかな?」
「よくねー」
「またー、浩之ちゃんってばー」

 ずるずるずる。
 引きずられていく浩之。合掌。

 がすごすがすごすがすごすがすごすがすごすがすごす…………。

「優勝はHMX−12、藤田マルチさんです!」
「あれ……?」

 綾香が席を外している間、いやんなっちゃった審査員たちが適当に押した票がマルチに
集中し、結局そのままとおってしまった模様。

「わあ、ありがとうございます〜」

 優勝カップを手に、祝福を受けるマルチ。
 勝者をいろどるシャンペンシャワーは、どういうわけか微妙にロゼ入っていた。
 開けたときはたしかに白だったのに。
 舞台の後ろから何か赤い液体が飛び散っているようなのだが、しいてそのことを指摘す
るものはいなかったという。
 ほら、誰だって命は惜しいわけだし。





 一方。
 このほどセリオタイプでも同じような競技が開催された。
 その名も『H3000』。
 感情表現に不向きなセリオタイプにあえて心を表現させるという試みに、マニアの注目
が集まっている。

	「拭きなよ」
	「――え……?」
	「涙!」

「優勝は田沢圭子さんです!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 そんなこんなで、いまH3000が熱い!



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