なでロボ  投稿者:takataka


 なで。
 なで。なで。
 なで。なで。なで。
 なで。なで。なで。なで。
 なで。なで。なで。なで。なで。

「はぁうううううう〜」

 マルチ、沸騰寸前。

「よしよし」

 なおもなでる浩之。
 なでり、なでり。
 ――そろそろか?
 なでりっ。

「ひゃんっ」

 マルチのいまだ幼さを残した肢体がびくんっと跳ねる。
 最近はラストひとなでで、オーバーヒートの寸前で寸止めが効くようになっていた。
 なでなで永世名人、藤田浩之。
 なでなでに国家資格があったなら、一生食うのに困らないだろう。
 エクストリームなでなで部門も軽く制覇だ。

「じゃな、マルチ」

 帰る浩之を、いつものバス停で手を振って見送るマルチ。
 その顔はぽーっと紅潮している。
 セリオはそんなマルチの姿を、横目でじっと見ていた。

「――しかし」
「なんですかー?」
「なでられてばかりでよいのでしょうか?」

「ふぇ?」

「私たちは人間のみなさんにお仕えするのが使命です。その使命を忘れ、なでなでに身を
持ち崩す日々……これでいいのでしょうか?」
「あうー、そんなこと言われましても……」

 困ったように視線をさまよわせるマルチ。
 ぽむ。
 セリオはそんなマルチの肩に手をおいて。

「ここは一つ、流れを変えなければなりません」
「え?」
「人間とロボットのもっとも古いコミュニケーション手段――それは『なでなで』でした。
大手家電メーカーの犬ロボットしかり、大手コンピューターメーカーの手伝いロボットし
かりです。彼らがいて、今私たちがいます」
「はいっ、なでなではご先祖さまから受け継いだロボの宝ですー」
「しかし、これほどまでにロボット技術が進歩した今、果たして私たちはなでなでに安住
していていいものなのでしょうか? 私たちの前には、もっと広く大きい可能性が開けて
いるのではありませんか?」

 一拍置いて、セリオは一語一語確かめるように続ける。

「なでなでを拒否したところに、人とロボとの新しい関係が見えてくる気はしませんか?
 そう……時代は今、反なでなで」
「えええ!? で、でもでも、それじゃあなでなでしてもらえないんですかー?」
「してもらえないのではなく、あえてそれを拒否するのです。社会の流れにプロテストを
宣言するのです」
「そ、そんなあああ! だってだって、私からなでなでを取ったら一体何が残るって言う
んですか?」
「――何も残りませんね。ゼロです」
「はい!」

 マルチ断言。
 自信持って言い切ることでもないだろうが。

「――それでいいのですか?」

 朱に染まった瞳が、マルチを貫き通す。
 その奥にあるのが光学系とCCDだけとは思えない、なんとも言い知れぬ眼力が宿って
いる。

「なでなでばかりが人生ですか?
 東京にはほんとうのなでなではないのですか?
 汚れっちまったなでなでに、今日も小雨の降りかかる、ですか?」

「あ、あうううう……」
「私たちは試作機です、マルチさん」

 感情のない口ぶり。
 それが今は、しいて感情の高ぶりを押さえて冷静になろうとつとめているように見える
のは気のせいか。

「試作機であるからこそ、あえて茨の道を歩まねばならない。妹たちの幸せのために、未
知の地平へと先陣をきって進まねばならないのです。
 それが私たちXナンバーの義務であり、誇りなのです」
「――ををを……せ、セリオさん……」

 いつになく熱弁を振るうセリオ。
 妹のことを突くと弱いマルチの弱点を徹底攻略。

「でもでも、いきなりなでなでを嫌がるんでは、人間のみなさんに嫌われませんか?
 そんなことになっちゃったら……ううっ、わたし、悲しいです……」
「安心して下さいマルチさん。考えがあります」

 泣きっ面のマルチの肩に、セリオは優しく手をおく。

「――まずは、キャンペーンです」





 きんこーん。
 翌日、放課後。

「ようっし、今日もマルチをなでてなででなで倒してやるぜ!」
「あ、待って浩之ちゃん、私もなでるー」

 何も知らず件のロボたちのもとへと向かう、おろかな人間ども。
 その影でひそかな計画が進行していることも知らず。

「おうマルチ! 今日もなでなで……って、おおう!?」

 目を疑った。
 信じられない光景だった。
 何から説明したらいいだろうか。
 そこに立っていたのはマルチとセリオ。それはいい。

 マルチの服装、ガクラン。
 しかも長ランハイカラー。
 鉄製の一本歯下駄がにぶく光る。

 一方セリオは黒のセーラー。スカートずるずる引きずって。
 鉄仮面かぶせてヨーヨー持たせたいところだ。

 そして、背後に広げられた旗。
 白地に赤々と光る太陽。
 日の丸。
 ただ、しかし。
 その日の丸からは、どうやら耳カバーとおぼしきものが突き出していた。
 その上に、


	『なでんなよ』


 黒々と筆書きされた、その文字。

「うふふふふふふ……」

 ずびしいぃ!!


「全日本暴ロボ連合『なでんなよ』! そこんとこ世労死苦! なのですぅ!」


 マルチ、ポージング。

「――ナイスポーズです、マルチさん」

 セリオのフォローも絶好のタイミングだ。

「わはは、何言ってんだよお前、新手のコスプレか?」

 かまわず手を伸ばす浩之。
 マルチは思わず条件反射で、はわわ〜とばかりに頭をさしだしてしまい――。

(マルチさん?)

 零下三十度のアイコンタクトがマルチをつらぬいた。

(は、はわわわ! セリオさん!?)
(私たちの誓いはどこへいったのですか?)
(あうう……でもお)
(妹たちのためですよ?)
(うう……)

「う、うわあー」

 どんっと浩之をつきのけた。
 ずざざっと後ずさり、

「ダメ! ゼッタイ!」

 びしいっと腕でバッテンマークを作る、マルチ。
 ちょっと半べそ。

「てめえ」
「待って、浩之ちゃん」

 あかりは小さい子供にしてみせるようなやさしい笑みを浮かべて。

「よく分からないけど、何かきっとわけがあるんだよね? 分かるよ。マルチちゃんいい
子だもんね」

 ね? と念を押すように、首をかしげてみせる。
 かたくなに拒んでいたマルチの顔が少しやわらいで。

「私はマルチちゃんの気持ち、大切にしてあげたいと思うよ。
 だから……私にだけはなでさせてくれるよね?」
「うっわ抜け駆け!?」

「――お待ちください、神岸さま」

 セリオがすっと前に出る。
 胸に片手を当てて、みずからを指し示し。

「――なでるならこの私をおなでなさい」
「な、なんですとー!?」

 マルチどびっくり。

(セリオさん、約束が違いますぅ!)

(――マルチさん、これは作戦です)

(さ、作戦ですかぁ!? なんの?)

(さあ、ここは私が引き受けますからマルチさんはいまのうちに逃げて下さい)

(え? ええ? セリオさん、私のために……なんですか?
 えっと、てゆーか、べつになでなでが怖かったり危険だったりするわけでは……)

(マルチさん、ここはあなたが助かればいいのです。
 私は心のないただのロボット……代わりはいくらでもいます。
 ですが、マルチさん、あなたはかけがえのないたったひとりの心のあるメイドロボなの
です。だから……行って下さい)

 マルチにしかみえない角度だったが、セリオはそのときたしかに、笑った。
 マルチにそう見えただけかもしれない。
 だが、それで十分だった。

(セ、セリオさん……)

(――さあはやく、私もそう長くは食い止めていられません)

(でもでも! セリオさんを置いて逃げるなんて……!)

(マルチさん……もし生きて再び会えたなら、いっしょに、海を見に行きたいですね…
…)

 ふ、とセリオの表情がやわらぐ。
 そに秘められた、暖かい気持ち。
 マルチの目尻にじわっと涙が浮かんだ。

(セリオさん、私、忘れません! セリオさんのこと――!!)

 マルチダッシュ。
 通常人の三分の一くらいのスピードで、マルチは走る。友の思いを背に受けて。

「あ、マルチ待てお前ー!」

(浩之さん、ごめんなさい! セリオさんの犠牲を無駄にはできませえええーーーん!)

「行っちまった……アイツどうしたんだ、セリオ?」

 セリオは浩之の前に立ちっていた。
 その顔には表情こそ無かったが、両の拳をぎゅっと握り、まるで十三階段の前の死刑囚
みたいなたたずまいのセリオ。

「――さあ、なでるなら早くおなでなさい」

「んじゃまあ、遠慮なく」

 なで……。

 ぴくんっ! セリオがかすかに肩をふるわせた。
 しかしそれもすぐにおさまり――。

 なでなで……。

「――……」

 無反応。

 なでり、なでり。

「どうだセリオ? イイ塩梅か?」
「――よく、わかりません」

 口に出してはそう言った。
 本当はわかりすぎるほど分かっていた。
 でも、秘密にしておいた。

(マルチさんは、普段からこんなイイことを――)

「浩之ちゃん、そろそろ代わってよー」
「おうあかり、お前もやるか?」

 あかりはうーんと手を伸ばして。

「セリオちゃん、ちょっとかがんでくれる?」
「――はい」

 なでなで。

(――これはこれで……
 頭の上で犬にお手をされているようなほのかな屈辱感がまたなんとも……)

 なでり、なでり。

「ふふぅ、どうおセリオちゃん? 気持ちよかった?」
「――複雑です」





 マルチはそりゃもう走った走った。バッテリーがやばくなるほどに。
 機体の性能的限界が近づいて、ふと立ち止まる。もうなでなでの脅威からは逃れたよう
だ。

 空に浮かぶ真っ白な雲。
 気のせいか、大きなセリオの笑顔に見えてきて――。

(私、忘れません。セリオさんのこと……)

「――よろしいですか?」
「ひゃああっ」

 背後からセリオの声がした。

「はわわ! セ、セリオさん! 無事だったんですか?」
「――なんとか」
「う、ぐしっ、うわああああーーーーーん! よかったですううう」

 泣きつくマルチの背をぽんぽんとたたくセリオ。
 なぜだかちょっと満足げ。



「……にしても、なんだったんだろうねマルチちゃん。まあ、セリオちゃんをなでられた
からいいけど」
「おう、まったくだぜ。人がせっかくなでてやろうってのに。
 しかし、セリオなでなでってのも新鮮でイイな!」
「え? うーん、私はなんだか年上のお姉さんをなでてるみたいで、へんな気分だったよ
ー」





 そういう訳で発足した反なでなでロボット全国組織、全日本暴ロボ連合『なでんなよ』。
 会員、二名。
 つーか二機。
 役職は以下のとおり。


	 HMX−12マルチ……番長
	 HMX−13セリオ……特攻隊長


 いまいちヒエラルキーのはっきりしない組織形態であった。

「番長ですー! 強いですえらいですー」

 マルチおおよろこび。

「マルチさん、お聞きください。番長の職務とは」

	 1、校内最強であること。
	 2、皿の枚数を数えること。
	 3、一枚たりな〜い、と恨めしげに泣きを入れること。

「以上三点です」
「あうう、むづかしそうですー」
「今回ははじめてと言うことで、とりあえず一番からいきましょう。
 番長たる地盤を確保するために、この学校でもっとも強そうな方々に勝負を挑むので
す」
「ひ、ひえええええ!」





「な、何しているですかー!」

 神社の杜に突然の声がひびく。
 ばさばさと飛び立つカラスの群れ。
 格闘技同好会唯一の部員、松原葵はサンドバックを打つ手を止めた。

「あ……マルチ……ちゃん、なの?」

 考える。
 マルチはなぜガクランなのか。
 そしてうしろに控えているセリオは、なぜ引きずるほど長いスカートのセーラーか。

「な、なんの用?」

 マルチらしき人物はニヤリと笑い。

「何言ってるですかー。にせ者さん」
「に、にせ者? それって」
「あなたは研究所から逃げ出したメイドロボなのですー!」

 爆弾発言。

「ええええええ!?」
「本物の松原葵は私ですー! その証拠に!」

 耳カバーを外すマルチ。
 その下から現われる、ちんまりと可愛い耳。

「ああ! そんな……メイドロボに、耳が!?」

 ぐらり、と世界が揺れた気がして、サンドバッグによりかかる。
 激しくショックを受ける葵。
 あの下にはちゃんと耳があるということを知らなかったらしい。

「これでわかりましたね、にせ者さん!
 さあ、この本物の松原葵にその座をゆずるですー!」

「そんな……でも、私にはちゃんと昔の記憶もあります!
 坂下先輩、そして綾香さん……傷つけあう二人に、ケンカをやめて二人をとめて私のた
めに争わないでとばかりにガッと割って入って……。
 そ、そうです! 私には大切な思い出があるんです!」

「――15年間。圧縮して、DVD三枚半ほどですね。十分移植可能な容量です」

 人さし指をぴっと立てて、セリオが無情に分析を加える。

「――格闘シーンが多いので圧縮効率が高いのです。
 バンクの使いまわしが効きますから」

 安いロボットアニメみたいな、悲しい人生模様だった。

「そんな……」





「こんにちはー! みなさん、こんにちわー!」

 溌剌とした声。
 ちんまりとした体がほうきをさっさと動かす。
 そして、蒼い髪。

 そこには、校門で掃除にはげむ葵の姿があった。
 むろん耳カバーバッチリ装着済み。
 もうすこし自分に自信持ったほうがいいぞ、お前。





「わあ、なでロボ快進撃なのですー! 邪魔するヤツは魅那殺死ですー!」

 マルチ得意の絶頂。

「――まずは、ひとり」
「さあセリオさん、次です。どんどんいきましょう!」
「次は、マルチさんお一人でお願いします」
「ええ? そ、そんな、こわいですぅ……」

 たちどころにしぼむマルチ。まさに根性ナッシング。

「大丈夫です、これを使ってください」
「これは……」
「赤外線通信対応耳カバーです。先の黒くなってる部分で受信するようになっています。
 これで私が物陰から指導しますので、安心してケンカ売ってきて下さい」
「わ、わかりましたー。なんだか百人力ですぅ!」





「こんなところに呼び出して、なんの用なのよ?」

 いつものように腕組みして、坂下は立っていた。
 学校一腕組みの似合う女、坂下好恵。
 腕組のメンバーに加えてもいいくらいだ。なんかの語呂合わせに改名して。

「うふふー、そうしているのも今のうちですー」

 マルチ自信まんまん。
 その自信の裏づけは。

(――いいですかマルチさん、まずは……)

 セリオの強力なバックアップあってのことだ。

「なんなのよ、一体。部に出なきゃいけないんだから、用があるなら手短かに……」
「ふふぅ、私がこわいんですかー?」

 坂下は一瞬口ごもった。

「……何言ってんのあんた?」

「やっぱり私のことが怖いんですね、この男ー」

 ぴくっ。
 片眉がはね上がる。

「この男……?」

(セリオさん、こんなこと言っちゃっていいんですかー? 何だか怒ってるみたいですけ
ど……)
(そこがつけ目です。これは高度な心理戦なのです。さあ、次は……)

 マルチはまたしてもちょっと逡巡して、ちらっと坂下の顔色をうかがった。
 まだ平静な顔をしていた。
 眉がぴくぴくしていたが。

 マルチは意を決して、すうっと息を吸い込み――。



「さ、坂下よしおー!」



 ざざっ。
 一陣の風が鳴った。

「よしお……」
「ひッ」

 息を呑むマルチ。
 そこにいたのは坂下にあって坂下にあらず。
 その全身からただよう闘気。
 まさに一匹の修羅であった。

「そうよ……空手始めて以来いっつも言われてきたわ……」

 じりじりとマルチに歩み寄る。
 どんっと背中に感触。壁際に追い詰められた。

「『あの男』とか!」

 どごっ!
 首をぎゅっとちぢめたマルチがおそるおそる目を開けると、頭の上のコンクリート壁か
らちりちりと砂が降ってきた。

「『坂下よしお』とか!!」

 どごっ!
 壁にめり込む坂下の拳。

「『ゴッド姉ちゃん』とか!!!」

 ごめしゃっ!
 穴、あいた模様。コンクリなのに。
 坂下好恵、意外に傷つきやすいお年ごろらしく。

「そのほかにも……『女必殺拳』とか『Gメン75スペシャル香港編に必ず出てくる謎の
ムキムキマン』とか!」

 血のにじむ拳を握りしめる。
 その目に光るのは……涙……?
 そう思った瞬間、坂下は首を獣のようにぶるっと震わせ。
 再びマルチを見るその目は、狩猟者のそれだった。

「そう言ったヤツはみんな血の海に沈めてきたわ……」

「ひ、ひいいいいい! セリオさん! いったいどうすれば!?」
「そろそろ、です。ここから先は、あなた自身の道を歩んで行くがいいでしょう」
「は、はいー!?」
「健闘を祈ります。マルチさん」
「ふぅええええ?」

「Kurusugawa Satellite Service "Serio-net" 
 system『HM-13』IR option(HM-12 compatible mode)
 Log off 15:32:25
 14400bps/MNP/V42bis
 --DISCONNECTED--
 NO CARRIER」

「はわあああああ! セリオさん! セリオさんー!」

 耳が露出するのもかまわず耳カバー外してこんこん叩いてみるも、セリオからの返信な
し。

「あ? あ、あれあれ? カバーがカバーが! 耳がカバーでカバーが耳で! あううう、
セリオさぁ〜〜〜ん!!」

 マルチおおあわて。

「覚悟はいいわね……」

 ばきぼきっ。

「はわ、わわ、わ、ああああ……
 あ〜〜〜れ〜〜〜〜〜〜〜……」

 ごすごすばきぼくめしゃごきぐしゃ。



 HMX−12はその特長の一つ、ボディの耐久性を遺憾なく発揮した。



「はうううううう……ひ、ひどいですぅ」
「次なる目標は、寺女です」





「ここは私にまかせて下さい、マルチさん」

 セリオがずい、と一歩前に出た。

「セ、セリオさん……」
「綾香さまは私のご主人さまです――私自身が、決着をつけなければなりません」

 毅然と前を見つめるセリオ。
 そこには、前進する強固な意志が感じられる。

(あうう、セリオさん本気ですぅ……またも血の雨が降るんでしょうか?)





「――綾香さま」
「あら、セリオじゃない。何か用?」

 綾香はセリオとマルチの格好を見てもまったく動じなかった。
 例の『なでんなよ』旗を見ても、だ。
 てごわい。

「今日はお話があってまいりました」
「いいわよ。で、なに?」

 綾香に、セリオは真正面から対峙する。
 でも、目はそらしている。

「なでなでに関してなのですが、これからはなでなでを拒否していくべきかと……」
「へえ?」
「ロボットと人間の関係にとって、なでなではもはや過去のコミュニケーションで……」
「そう?」

 楽しそうな綾香。
 セリオは知っていた。
 綾香が楽しそうなときは、本当に楽しいか、それとも怒りの爆発する一歩手前かのどち
らかだ。
 楽しそうに友達同士談笑もするし、楽しそうに人の頭頂部に踵を落とし水月に膝を叩き
込む。
 綾香はそういう女だ。
 セリオはよく承知していた。
 そして、あくまでも楽しそうな、綾香。

「これからは断じてなでなで拒否なのです。『なでんなよ』と声を大にして言いたいので
す」
「ふんふん」

 綾香の足が、ちょい、と動く。
 踵落としに入る前の癖だ。セリオはそれを見逃さなかった。
 すかさず路線転換。

「……というようなことを、マルチさんがどうしても、と……」
「あ、そうなんだー」
「ええええええええ!?」

 ザッツ手のひら返し。

「私は人間のみなさんのために働き、なでなでされたいのですが……複雑、です……」
「あっはっはー、マルチ? あんたお姉さんのくせに妹を苛める気なの?」

 がばっと背中からマルチに抱きつく綾香。
 女の子同士でふざけているように見えるが、もちろん首の関節は極められている。
 もうちょいひねると、折れる。

「はわわあああ! ひょ、ひょんなことは!」

(セリオさん! こ、これは一体ー?)
(――作戦です、マルチさん)
(作戦ってどんな作戦なんですか〜?)
(――いま考えています)
(ふぅえええええ!? は、早く考えてくださ〜いい)

 気づけ、マルチ。

「お、マルチに綾香、そんなことでなにやってんだー?」
「あ、浩之」

 ぱ、と手を放す綾香。

「ひぃ、ひろゆきさぁ〜ん」
「ぐふぉ!」

 半べそで顔ぐしゃぐしゃにしながら浩之にジェットストリームアタック。
 顔面、モロみぞおちに入った。
 おまけに、ワイシャツに鼻水の追加ダメージプラス。
 最悪だ。

「ううううー、ひどい目にあったですー。あわや首ちょんぱの危機だったですー」
「げほっ……まぁ〜るちぃ。さっきのあれといい、今日のお前はイヤに悪い子だなおい」
「ちょっと聞いてよ浩之! マルチがうちのセリオ苛めてんのよ。なんかなでなで禁止だ
とかいって」
「なんだと? よし、お仕置き決定。マルチ、お前今日からうちで強化合宿。いいな?」
「え、えええっ?」
「なでなでをはるかに凌駕するいろんなことをしてやるぜチキショウ! そうだよなー、
なでなでダメなら他のことするしかないか」
「は、はわっ!? それはもしや、ふき……」
「みなまで言うな」

 マルチの耳カバーひっつかんで帰る浩之。
 あうあうあう、とよたよたついて行くマルチ。
 そして、取り残された主従ひと組。

「――綾香さま?」
「なに?」

 顔を臥せる。
 セリオはちらり、と上目づかい。姉に学ぶところも若干あったらしい。

「――なでなで、して、いただけますか?」
「ん、いいわよー」

 綾香はぱちんとウィンク。
 私の大事な友達だもんね。いつもの感謝をこめて、これはちょっとしたご褒美。

 ……なでなで。


(――っち)


「――三点」
「さんてんってなんじゃあああああ!」