『しっぽせりおの大冒険』第十話 投稿者:takataka
 なでなで。
 目の前の人の手が、動きます。
 どうしてでしょうか、なんだかとっても気になる感じ。
 右に左に、揺れる手のひら。
 あの手で、頭をなでてもらえたら……。

「セーリオ! なあ、コッチ来いよ。
 いつも無表情なお前の、その顔の下にかくされた気持ち。
 オレ、いつも気になってたんだぜ?
 不器用で、自分の気持ちをうまく表現することができなくて、それでも人間のためにい
つでも一生懸命だったお前。
 オレ、そんなお前の気持ち、誰よりも分かってるつもりだぜ」

 なんだか、やさしそうなひと。
 もしかして、この人ならば、私のご主人さまになってくれるかも?
 少し、近づいてみたりして。
 一歩、二歩。
 さしだされたその手の下に、そっと頭を――。

『せりおちゃん、違うよ!』

 びくっと飛びすさって、私は思わずとまどい顔。
 いきなり叫ぶお星さま。
 一体どうしてなのでしょうか?

『その人はね、他にもたくさん、たくさん飼ってるの。
 よくないことだよ、せりおちゃん』

 そうですか。
 でも、なんだかとってもイイ感じ。

「ほーうら、お前もロボの端くれなら、コイツを見て黙ってはいられないはずだぜ?」

 空気なでなではなおも続きます。
 き、気になる……。
 ふら〜〜〜っと吸い寄せられる私に、お星さまの一喝。

『いけないよせりおちゃん!
 そっちへ行ったら最終的には”ふきふき”だよ!』

 ふきふき。

 …………。

 なんだか。
 どんなことかはわかりません。
 わかりませんが、なんだかとってもいやな予感。





 ぷい、とそっぽを向いて、そのまますたすた去るセリオ。

「っっ野郎!! ちくしょう!」

 いい線まで行ったのに。
 ロボ専ジゴロとしてはかなり屈辱的であった。
 ガッと量産軍団をふり返る。
 物量にモノをいわせた人海戦術。
 いささか乱暴になるが、やるとしたら、葵を綾香が押さえている今しかない。

「こうなったら、野郎ども、やっちまいな!」

 二十四個のうつろな瞳が、すっと細められた。

「野郎どもとはなんですか」
「そういう呼びかたがあるのですか」
「問題がありはしませんか」
「どうなのですか」
「誰ですか」
「なんですか」
「文句があるのですか」
「かかって来たらどうですか」

 じりっ。
 じりじり。
 わずかずつ浩之に詰めよる緑色の頭また頭。
 量産軍団は意外にも反抗的だった。人類への反逆への第一歩か?

「お、お前ら! 人間の命令に逆らっていいのかよ」
「私たちはご主人さまの命令に従います」
「あなたはご主人さまではありません」
「ご主人さま以外の人間の方からの命令は、ご主人さまの許可がない限り実行できませ
ん」

「っだあああああ! じゃその主人って誰だよ」
「現在のところ長瀬主任に設定されています」
「しょうがねえなあ……おっさん! こいつらに言うこと聞かせてくれ」

 まだ早い秋風が吹きぬけ、枯れ葉が一枚舞い落ちる。
 返事はなかった。
 またしても主任失踪事件。

「あの馬面こんちきしょー! いつかお前の背中にまたがって武豊気取りで優駿しちゃ
る! 菊花賞オークス制覇させたるからそう思え!」

「主任から藤田さまへメッセージがあります」

 量産の一体が紙片をさし出した。


	『藤田くんへ。忙しいんでまたちょっと抜けるよ。
	 量産マルチを使うときのマスター変更コマンドを教えるから有効に使ってくれ
	たまえ。
	 音声入力だから、大きな声で元気よく。約束だぞ。
	 それじゃ』


 次の一行を読んで、浩之は激しく躊躇した。コレ言うのかよ……。

「ま、しょうがねえ! いいかお前ら!」

 浩之はすっと息を吸い込んで、


「今週のビックリドッキリメカ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 きゅぴーーーーーーん。
 おのおの勝手に動いていた量産軍団がはじかれたように姿勢を正し、一列にきちっと整
列する。
 十二本の腕が、足が、一斉に歩調を取りはじめる。


「まるち、まるち、まるち、まるち、まるち、まるち、まるち、まるち…………」


 声をそろえていちに、いちに。
 ざくざくと行進する量産マルチ一個連隊。

「………………」

 しばし惚ける浩之。
 人間意外なことに出くわしたときと、予想通りに事が運びすぎているときは何故か黙っ
てしまうものだ。
 この状況がどちらかは、浩之のみぞ知る。
 はっと我に返り、

「自分の名前連呼しないと歩けんのかお前等あああああ!!」

 そういう仕様らしい。

「だが、まあとにかくこれだけ頭数がいればセリオの一匹や二匹、何てことねーぜ」
「ふにゃああ……ゼロはいくら足してもゼロって、浩之さん知ってますか〜?」

 なで殺し攻撃にダウンした後、再起動しかけて立ち上げ中のマルチがぐるぐる目玉で寝
言を言った。
 寝てろ、マルチ。
 というか、お前が言うな。
 完全無視を決め込む浩之。

「うふふふぅ、妹たちの集団なでなでは一味違うですー。浩之さんもいかがですかぁ?」
「いらん」

 即答。
 が、ちょっと考え直してみよう。無表情のマルチによってたかってなでなで……。
 しばし妄想して、微妙に赤面。

「あ、あとで妹たちに口聞きしといてくれるか?」
「らじゃーです」

 …………。
 まあ、それはさておき!

 ざっざっざっざっざっざっざっざっ!

 緑頭の一群がセリオに迫る!
 あいかわらずきょとんと見守るセリオ。自分の置かれた状況がよくわかっていないらし
い。
 そうしているうちにも先頭マルチがセリオに手の届く距離に達する。
 そして。

 ざっざっざっざっざっざっざっざっ……

 その横を素通りしていった。
 森の奥めがけて行進を続けるマルチ軍団。
 仲良く見送るセリオと浩之。

「あ、あのう……セリオちゃんって今キツネのデータで動いてるんだよね?
 だから、マルチちゃんたち、セリオちゃんをメイドロボとして認識できないのかなぁ…
…なんて」

 固まった浩之に、あかりがとりなすように言った。

「つ……」
「つ?」
「つっかえねええええええええええよ!」

 叫ぶ浩之。箱ロボマスター春木さんの気持ちが死ぬほど分かった一瞬だった。

「があっ!」

 突然のするどい咆哮にふり返る。
 神社で聞き慣れた、あの元気のいい、それでいて生真面目さをも感じさせる声だ。
 それがいまは、獣のような野性的な生気を放っている。

「――葵ちゃんか?」





「かああっ!!」

 青い影が瞬時に手前まで迫って、姿を消す。
 上からくると分かっていれば――。
 とっさに腕を交差させる。がつん、とものすごい衝撃。
 はね返された葵はふたたび距離をとって、前脚をつっぱって攻撃姿勢をとっていた。
 その口には白い布きれが戦利品のようにくわえられている。
 さっき破られた袖がさらに短くなっているのを綾香は目の端で確認した。

「エクストリームは咬みつき禁止よ、葵!」

 があっ、と答えるように吠える葵。
 むき出しの敵意。だが、いまはそれが綾香にとってありがたかった。
 そっちがそうなら、こっちだって本気で答えてやるわ。
 覚悟しなさいよ、葵。
 しずかに笑う。

 さて、一撃めは、なんとかかわした。
 葵はさっきとおなじように、素早く飛びすさって、突撃態勢を整えている。
 基本的な攻撃パターンはヒット&アウェイ。
 キツネジャンプによる攻撃以外は今のところ、ない。
 だとしたら。

「打って出るのも、手よね」

 綾香はすっと片足を後ろに引く。
 半眼に目を伏せて、深呼吸。吸って、吐く。
 目を見開くと同時に、弾丸のように飛び出した。
 かがみ込んでいた葵に向けて、一瞬で間合いを詰める。

「せいっ!」

 打ちおろすように右ストレートを放つ。これならジャンプしてよけられることはないは
ず。
 手応えはない。四つ足同時でのサイドステップで、葵は猫のように飛びすさっていた。
 一瞬追いかけて、すぐに止める。
 敏捷性からいえば、軽量級の葵の方が有利だ。
 ましてや今は野生動物並みの反射神経を有しているのだ。追って追い切れるものではな
いし、逆にカウンターを狙われたら厄介だ。

 呼吸を整えつつ、考える。

 キツネジャンプという大技狙いの葵は、いくら俊敏に動けるとはいえ、予備動作も含め
てどうしても攻撃に時間がかかる。
 そこを衝くのが狙いだったが、これではらちがあかない。

 結局待つしかないってことか。
 綾香は数歩引いて距離をとった。
 獣の頭で考えた、まっすぐ突っ込んでくるだけの攻撃なら、あるいは。

 葵がまた飛びかかってくるのを、他人事のようにきわめて冷静に感じとっていた。
 ――上からくるのは分かってるのよ、そう何度も何度も同じ手を食うと思ってるの!?
 風切り音を頼りに、スピードと距離をはかる。
 葵の牙が迫った一瞬、綾香はほんのわずかに体をそらし、かわす。
 左肩ごしに葵の体が通り抜ける瞬間。
 体を半回転させて、右のフックを腹に叩き込む。
 そのまま叩き落とすように下に向けて振り切った。
 さすがに水月を狙って当てるほどの余裕はなかったが、効いてはいるはず。

「ぐっ!!」

 ほとんど受け身もとらずに背中からまともに落ちた葵は、跳ね返って、くたっと動かな
くなった。
 綾香は肩で息をしていた。
 葵と手合わせしたことは一度や二度じゃないが、これほど危ない思いをしたことははじ
めてだ。

「神岸さん、葵の介抱お願いできる?」
「あ、はい」

 ぼうっと事態を見守っていたあかりが、びくっとはじかれたように駆け寄った。

 息を整えながら、あかりが葵を助け起こすのを横目で見る。
 頭を打ったわけではないようだ。ダメージはきていると思うが、じき回復するだろう。
この子だってだてに普段から鍛えているわけではない。
 それにしても、本当に強くなったわね、葵。
 汗をぬぐって、綾香は笑う。
 今度の笑みは危険な一瞬を楽しむ格闘家のそれではなく、後輩の成長を喜ぶ先達のそれ
だった。
 この子が私を越える日も、もう近いかも知れない。
 その日がくるのを期待しているような、恐れているような、どちらもつかない気分だっ
たが、綾香はやはり笑みを浮かべていた。こんなのも悪くないわね。

 で、それはそれとして。

 綾香は背中に感じる視線にさっきから気づいていた。
 最後に問題がひとつのこっていた。そもそものはじめっからの問題が。

 セリオ。

 一体なんだってこんなことになっちゃったんだろう、と綾香は思った。
 キツネの行動パターンだって、セリオはやっぱりセリオなはず。
 とすると。

 嫌な考えが浮かぶ。

 セリオは、私が主人だからと思ってただ言うことを聞いていただけで、本当は私のこと
なんか好きじゃないの?

 自分が好きな人にそっぽを向かれるのはいやなものだ。
 自分のことなら、綾香は何だって自分の力で解決してきた。
 でも、それだけじゃだめだ。他人の心だけは、自分の力じゃどうにもならない。
 ただ、相手のことを好きでいつづけることしかできない。相手が振り向いてくれなかっ
たら、それはとてもさびしいことだけれど。

 でも、さびしいのがいやだからって、人を想うことをあきらめたら、なんにも始まらな
いじゃない!

 頭をぶんぶんと振って、しみったれた考えを押しのける。だめ、私にこんなの似合わな
い。

 私は、セリオが好き。
 セリオが私のこと好きじゃなくても、私はそれでもセリオが好き。
 ただ、これは私のお願いなんだけれど。
 セリオにも、私のこと好きでいて欲しい。どうか嫌いにならないで、いつでもそばにい
て欲しい。
 ……ただそれだけなのに。





 ああっ。
 私のかわいい青ギツネさん、大事な妹が、目を回して倒れています。
 なんてこと。
 そのそばには荒い息をついて、例の雌豹の女の子が肩を上下させています。
 体中からあやしげなオーラがたちのぼっているような、そんなものすごい迫力。

 ううう。
 お姉さんギツネとして、仇をとらなければならないのでしょうか。
 こわい、です。
 でも、こわがってもいられない。

 そうです。
 私はキツネ、北の大地の誇り高き狩猟者。
 こうまでされて黙っているわけにはいきません。
 キツネの自慢は家族愛、姉妹の絆は何よりかたい。

 むー。
 すこし、怒ってきました。
 すっと拳を持ち上げて、ゆっくりとります、戦闘態勢。
 するどく二つの目を細め、ふわふわしっぽをぴんと伸ばして。
 そうです、しっぽはキツネの誇り。いつでも雄々しく風になびかせ。
 とがった耳は、キツネの矜持。けっして敵に垂れたりしません。
 そうです、わたし、強いんですよ。

「ぐうっ……」

 低いうなりが喉からもれます、力がわいてくる感じ。
 低く、低く背を丸め、お尻を上げて、突撃の構え。
 武者震いがわりに、しっぽ、ぱたん。


「セリオ」


 と、雌豹の女の子。
 ぽそりと、ひとこと口にします。
 すごく、はくりょく的。

 おもわずひらがなになってしまいます。
 ただごとではないきんちょうかんなのです。

 やっぱり、こわい、です。
 しっぽはふにゃっとうなだれて、お耳はぺたんとおやすみです。
 なんだか総崩れな感じ。
 かまえた拳も口許で、ぶるぶるふるえてしまいます。
 た、たすけて。

 これはもう雌豹どころではありません。
 めすライオン。
 違いありません。百獣の王といいますから、これ以上こわいものはないでしょう。

 ゆるりと、私の方を向きます。
 あの目を見てはいけない気がする。
 でも、私は目が離せませんでした。
 食べられてしまうのでしょうか、やっぱり。


「もういい加減にして帰ってきてよ! セリオぉ。
 私たち友達じゃないの、そんなことも忘れちゃったの?」


 ……おや?
 どうして、あの女の子は、急に……。



『せりおちゃん、せりおちゃん』

 お星さま。
 すみませんがちょっと取り込み中なんです。
 このままでは私、あのめすライオンさんに食べられて……。

『そんなことないよ。あの子の目を見てごらん。
 あの子の言ってること、よく聞いてごらん』

 ――そう。
 そうです。
 さっきから気になってること。
 あんなに怖かったあの女の子。
 みなぎる闘志がめすライオンにも見えたその姿。
 でも今はなんだか自信無さげで、細い肩がちいさくふるえて。
 まるで迷子の仔猫のよう。

「そんなことないよね、覚えてるでしょ? いっしょに寺女に通った事も。
 私たち、あんなに仲良くやってたじゃない」


 あれ?

	 ――そうです。綾香さま。
	 あの試験期間中、綾香さまが、寺女のみなさんが、私のことを――

 これは、なに?


「答えてよ、セリオ!
 私たち、友達だったでしょう!? ……今でも友達でしょう! これからもずっとずっ
と、友達でいてくれるよね? そうだよね?」


	 ――はい、綾香さま。
	 私たち、トモダチ、です――


 ――トモダチ?
 なんでしょう。
 大事な、とても大事なことを忘れているような気がします。
 さっきから私を追いつづけている、あの人。
 ご主人さまになりたがっているから、と思っていましたが、違うのでしょうか?

 トモダチ。
 よく、わかりません。

 でも、あの人は私のことをトモダチといってくれました。
 そう。
 ご主人さまになるのは無理でも、トモダチならどうでしょう。


『正解! よくできました、せりおちゃん』

 お星さま!?

『答え言っちゃおうかと思ってうずうずしてたんだけど、その様子なら大丈夫だね』

 でも、ご主人さまは――!?

『いつでもいいじゃない。
 それより、トモダチに会えたんだから、それを大切にしようよ』


 トモダチ。
 そばにいてくれるトモダチ、笑いかけてくれるトモダチ。
 離れていても、私のことを思ってくれるトモダチ。
 そうやって私のことを思ってくれる人のそばになら、いてもいいような気がします。
 そして、私もトモダチのことを思い続けていたい。
 たいせつなトモダチ。


 トモダチ、ですか。
 なら、よし。


「セリオぉ……」


 さっきのこわいめすライオンさん、今は小さな仔猫のようで、
 ちいさくふるえて見ています。行ってしまうのがこわいのでしょうか?
 私の目の前、いまそこにいる、泣いてるさみしい仔猫さん。

 もう大丈夫。
 トモダチですから。

 私はそっと近づきます。
 仔猫のほっぺをつたって落ちる、涙ひとつぶ、ぺろっとひとなめ。
 トモダチになってあげますから、
 もう、さびしくはないでしょう?

「セリオ、せりおぉ……」

 黒くつややかな仔猫さんの頭を、なでなで。
 答えるように仔猫さん、私の胸に、お顔をすりすり。
 安心しきったその顔は、ほんとに赤ちゃんみたいです。
 それにしても、疑問が一つ。
 この仔猫さんはいったいどうして、しっぽもお耳もないのでしょう?





『しあわせにね、せりおちゃん』

 最後の一文を打ちおえて、キーボードを打つ手が止まる。

「うんうん」

 暗い中、長い顔がしきりにうなづく。
 眼鏡がモニタのあかりを反射して、四角く光っていた。
 画面の中には抱き合う二人の少女。一人は人間、一人はロボット。

「仲良き事は美しき哉、だねえ」

 マルチの修理に使っていたメンテ用機材を満載したバスの車内。
 薄暗い中に光るモニターに、逐次文字が表示される。



	『直接指令モードを解除しますか? y/n』
	『y』
	『直接指令モード【shining star】解除しました。
	 Kurusugawa Satellite Service 
	 for HMX−13 test version
	 200× kurusugawa co.ltd』



「さて、お星さまはお役目終了、と」

 衛星端末の電源を落として、一服つけた。
 紫煙がひと筋たちのぼる。
 ちなみにメンテバス内は火気厳禁だ。

「ぼちぼち、かなあ……」





「ちょっとセリオ! やだ、どうしたの!?」

 やっぱり。
 バスから出た長瀬は予想通りの光景に出くわした。
 セリオは綾香に抱かれ、全身の力を失ってがっくりとうなだれていた。

「バッテリー切れですよ。ちょうどよかった」

 あわてる綾香の肩をぽんぽんと叩いて、セリオを受け取り、抱き寄せる。

「充電して再起動する前に、設定を元に戻します。後は私たちにまかせて下さい」

 移動用の固定ベッドに横たえられたセリオはいつもながらの無表情だ。
 しかし、長瀬の目にはかすかに笑みをたたえているように見えた。
 きっと綾香にもそう見えているだろう、と長瀬は根拠なく思った。

 いい夢見たかい、セリオ?
 頬をそっとなでてやる。

 いや、夢なんかじゃないさ。これからも、ずっと。
 長瀬は視線の先に、その思いをたくすことのできる相手を見いだした。
 そばに寄り添って、セリオの手を取ったままじっと何やら思いを寄せるように目を伏せ
ている、綾香。
 なくしてしまった大切なおもちゃをやっと見付けた子供みたいに、その顔はまっすぐな
喜びにかがやいている。
 いい光景だねえ。
 長瀬はそっと目頭を押さえた。

 後の処理をスタッフにまかせ、ゆっくり歩き出す。
 藤田くん。
 それに綾香さま。
 それに、彼らの友達や、仲間たち。
 みんなセリオのために集まってくれたんだ。
 こうやって、『彼ら』のことを理解してくれる人が一人づつでも増えていけば、『彼
ら』と我々の未来はきっとすばらしいものになるだろう。
 その日を、ぜひ見届けたいもんだねえ……。

 万感の思いをこめてメンテバスのステップに足をかけた途端、


「なぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーがせ!」


 綾香がすぐ後ろに立っていた。
 バカな!? たったいままでセリオに寄り添っていたはずなのに?

「さて、今回の件についてじっくり話し合おうじゃないの」
「実はちょっと用事を思い出しまして」
「逃げるな」

 綾香がまだウレタンナックルを外してなかったのは、もしかしたらこのためだろうか。
 長瀬主任大ピンチ。

 長瀬はちょっとためらって、ふーっと息を吐き、綾香を見つめ返した。
 何故か目をそらしてしまう、綾香。
 どうしてだろう。変にどぎまぎしてしまう。
 こんなにやさしい目をして見なくてもいいじゃない、こんなときに。

「一つ聞いていいですかね?」
「いいわよぅ。質問でも最後の一服でもそりゃもうなんでも」
「セリオは綾香さまが友達だと言ったら戻ってきました」
「ええ」
「つまり、システム異常で主人を認識できなくなった状態から復帰することなく、綾香さ
まの元に帰ってきました」
「うん」
「で、質問ですが」

 こほん、と咳払いして、

「セリオに自分のことを主人と思われるのと、友達と思われるのと、綾香お嬢さまにとっ
てはどっちがいいですか?」

 綾香は惚けたように長瀬主任を見つめて、それからくすっと笑った。

「それ、卑怯じゃない?」
「そうですか?」
「一見選択問題に見せかけてさ。私が選べる選択肢、一つしかないじゃない」
「いいことじゃあないですか」

 破顔一笑。
 つられて、綾香もくすり、と笑う。
 しょうがない食わせ物だわね、この人。
 綾香は不思議と悪い気はしなかった。さんざん苦労はさせられたが。
 いや。
 というか。

「考えてみりゃ、もともとアンタが余計なことしなきゃこんなに苦労せずにすんだのよね
……」

 ばきばきっと指を鳴らす。
 長瀬は溜め息をついた。しょうがないねこのお嬢さんも。こんなことになっちゃったも
んだから、どうしても照れ隠ししないとやってられないんだ。
 長瀬はくっくっと喉の奥で笑った。

「な、なにがおかしいのよっ」
「いや、目、真っ赤ですよ」
「なっ……」
「藤田くんあたりが見たら驚くでしょうねえ、あの綾香お嬢さまが……」
「やだっ……ちょっと……」

 あわててあたりを見回し、うーっと低く唸って、

「か、貸しにしとくからね!」

 まっしぐらに走って行ってしまった。





 さて、放っといてしまわれた人が約一名。

「ううっ、みんな、どこぉ〜? お腹すいたよぉ……」

 雛山理緒はその後三日三晩さまよいつづけたという。

 そして、そこに現われるマルチ軍団。

「あ」
「います」
「ひとです」
「いえ、ロボです」
「そうですか?」
「あの触角はきっとロボのしるしです」
「そうですね」
「そのとおりですね」
「そうですか?」
「そうですとも」
「そうでしょうね」
「どうしますか?」
「捕獲しましょう」
「そうしましょう」
「それがいいでしょう」
「そうですか?」
「そうですとも」


「い、いやああああ! たすけてええええ!」


 まるち、まるち、まるち、まるち……。

 理緒を抱えあげたマルチ軍団は、ざくざくと足並み揃えて帰っていった。




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