機人たちの夏 投稿者:takataka
 夏真っ盛り、である。
 まぶしい陽射し、焼けつくアスファルト。
 暑いのはまあいい。
 夏だしな。

 だが、夏にはもうひとつ忘れてはならない強敵がいる!
 それは!


 ぷーん…………


「蚊だあ!」

 オレはがばっと飛び起きて、その辺を手でさぐり回して殺虫剤のスプレーをひっつかむ
と所きらわず散布しまくった。

「こんちくしょう! 死ね! 死ねオラあああああ!」

 ぶ〜ん……。

 おのれ、またしても!
 だが今度は蚊の野郎は、オレではなくマルチの方に向かっている。
 ふ、愚かな奴よ。

「わ、わ、こっち来たですー」

 マルチは追い払う素振りも見せず、のんきに腕をさらしている。
 お前刺されてもいいのか? と言いかけて、止める。
 そういやマルチはロボなのだ。刺されたところで……

 かゆくなるのだろうか?
 つーか、そもそもかゆみの感覚ってあるのか?
 第一、蚊がロボットの人工皮膚に針を通すことができるのか?

 マルチの皮膚はたしかにほとんど人間と変わりない一級品だ。
 あのぷにぷに感とすべすべ感は、マルチのマスターにのみ許されたエグゼクティブゾー
ン。しかも開発者の意地とこだわりは皮膚表面だけにとどまらず、その下のむにむに感ま
でもが、ああもうこのなんつうか、アレだけは! アレだけはさわってみないことにはな
んとも!
 さんきゅ、長瀬のおっさん。

 オレがスターリングのごとく『神さまありがとおー僕にーむにむにをくれーてー♪』て
な具合に感謝をささげているのをよそに、マルチは蚊の軌跡をおって首をめぐらしている。

 ぴた。

 視線が目の前につき出した腕に固定された。どうやら止まったらしいな。
 目をこらすと、小さな蚊がマルチのちみっちゃい腕の上で足をふんばっているのがわか
った。

 ロボの虫さされ。
 うーむ、コイツは研究する価値があるぜ。
 夏休みの自由研究はこれで決まりだ。
 新学期はじまったらラスト三日で全日程分書いた絵日記といっしょに担任の先生に提出
だぜ!
 ……疲れてるな、オレ。夏バテかしら。

「止まったですー」

 マルチはこれからなにが起こるのだろうと好奇心一杯に見ている。
 だが。

「あれ? 蚊さん、どうしましたかー?」

 蚊は血を吸うまもなくそのまま飛び去っていった。

 そうか。
 そういうことか。オレは合点した。

「わわっ、また来たですー」
 またもぐるんぐるんと首をめぐらすマルチ。

 オレはヘンに甲高い声で、
『おっちょうどいいところに獲物がいやがった、しめしめ、ここは一つご馳走になるか!』

 ぴた。
 また別の蚊がマルチの腕に止まる。

「蚊さん蚊さん、おいしいですかー?」

 と、蚊は軽く足をちぢめたかと思うと、またしてもそのまま飛び去ってしまう。

『けっつまらねえ女だ。おいみんな行こうぜ行こうぜ。付きあっちゃらんねえや』

「あう、蚊さんにアフレコしないでくださいー」

 マルチは困った顔でオレを見ているが、この際気にしない。
 なおも続けて声優気どり。
 それはもう就職率99%の某専門学校生徒のごとく!

「『ふ、哀れなカラクリ人形め。お前なんかしょせん人間にはなれっこない……』
 ってうっわあああああ! 今度オレんとこ来た! てめっこのっ」

 団扇ぶん回して必死で蚊の攻撃を防ぐ。
 オレ一人で、真夏の夜のから騒ぎ。
 個人的にはマルチ相手に夜のじゃじゃ馬ならしとしゃれこみたいんだが、そうは問屋が
卸さねえのだ。

「……っきしょう! 蚊め! 蚊めえぇぇ!」

 激しい攻防に息を切らせつつ、オレはその辺で聞いているに違いない蚊どもめがけてび
っと指を突きつける。

「聞け蚊ども! オレは別に血をやらんといってるんじゃねえ!
 きさまらのようなちっぽけな奴らを養う程度の血くらいくれてやらあ!
 オレが言ってんのはそういうことじゃねえんだ!
 なんで、なんっで血ィ吸った上にかゆくしてくんだよ! 人にメシおごってもらっとい
てその返礼がカイカイかよ!
 普通逆じゃねえのか? 『血を吸わせてもらってありがとう』てな感じでイイ感じに気
持ちよくしてくってのがスジってもんじゃねえのかコラア! きょうび赤十字だってジュ
ースの一本もよこすってのにお前らが残してくのはこのかゆみかー!
 おまけにこの皮膚の腫れ見やがれ! コレにだなあ!」

 爪をぐっと押しつける。縦に、そして横に。
 くっきり現われる十文字。

「こんなんなったからには爪で十文字付けな気がすまんのじゃコラア! そして加速度的
にかゆみアップってな寸法よ! それが貴様らの作戦か!? 世界進出への布石なのか!?
 つまりオレのことがキライなんだな? そうなんだな?」
「ひ、浩之さん落ち着いてくださいー!」
「放せマルチ! 奴らにゃ一度ビシッと言っとかにゃならんのだ!」

 振りほどこうとして、ぴたり、と止まる。
 蚊も問題なのだが、コイツ。
 このマルチとか称するミドリムシ的なロボダッチ。
 貴様はなぜ刺されねえのだ、ああん?

「まぁるち?」
「は、はい……」
「どうしたらいいと思う?」

 なぶるように聞くオレ。嗜虐モード全開だ!
 でもBGMはエターナルラブ。
 まあそういうシーンだと思いねえ。

「どうするって……」
「アレだよお前、蚊だよ蚊! 奴ら人類の仇敵じゃよ?
 ほら何かすることあるだろ? 人間のお役に立ちたいメイドロボとしては」

「あうう……では殺虫剤を」

「何だとてめえ! 殺虫剤って何だか知ってんのか?
 虫を殺すところの薬だぞ! つまり毒薬! 奴はプワゾン! そんなの部屋にまいたら、
オレまでも……。
 は!! そうか、お前さてはオレをなきものにして藤田家の財産家屋敷乗っ取る気で……。
 やはり……前からおかしいと思ってたんだ」

「そ、そんなことありませぇん」

「そしてオレに二つ三つ生命保険かけて、今までに見たこともないようなコロシ方でコロ
ス気だ。
 ああ、昔っからお前はそういうロボだった!! なでなで好きも、オレをなでさせ殺す
ための甘い罠だったんだな!」

「そんなああああああ!!」

「もういい! 蚊に刺されない貴様なんかもう返品だ! 冒険ロボダッチ島に捨ててきて
くれるわ!
 そしてスパナ持った斎藤晴彦に分解されるさだめなのさー!」

「ひいぃ! バラバラマンだけは勘弁して下さい!」

 頭を抱えてがたがた震える、怯えきったマルチ。
 つーか、なぜ知ってるんだバラバラマン。チミいくつ?





「……とまあ、そんなわけなんだけど」

 研究所の前庭のベンチ。
 餌を撒いたところに寄ってくる鳩を見ながら、オレは独り言のように言った。

「主任はどうッスか?」

 カラッポになったエサ袋をポケットに詰め込む。

「どうって、なにが?」
「ロボットに虫さされは必要あるのか、ないのか」
「……」

 そう。
 そのことを確かめに、オレは研究所に足を運んだのだ。
 あのマルチを作った長瀬主任。
 本来人間の道具でしかないはずのメイドロボに心を持たせた、異色の人物。
 この人なら、オレの気持ちをわかってくれるだろう。

「主任は、どう思います?」
「………」

 読みさしの新聞のページを、ぱさり、とめくった。
 株式面。『来栖川電工また増配』という文字が踊る。
 儲かってるらしい。
 主任はゆっくりと口を開いた。

「ないほうがいいんじゃないですかねえ?」

 なんだとこの野郎今晩役所に忍び込んであんたの一族の戸籍の名前長瀬から長顔に書き
換えといたろかセバスから昼行灯刑事から茶店のマスターから電波校の教師から祐介にい
たるまで全員名字が長顔だぞこんちきしょー、と言いたい感情を必死に抑え付け、オレは
話を続ける。

「まあ聞いてくれ主任。たとえばマルチだ。
 マルチに蚊に刺される機能があったとしたらどうだろう?
 人間らしさを究極まで追い求めたロボット、マルチ。無機質で人間らしさの感じられな
いほかのメイドロボに比べて、ぐっと親しみやすい抜け作設計だ。
 そのマルチが虫に刺されてかゆみを訴えるさまはどうよ?
 季節は夏、まぶしい陽射しが照りつける高原の避暑地だ……」



	「うわあああああーーーーん!」
	「おやおや、どうしたんだいマルチ」
	「かゆいですー」

	 見ると、二の腕にぷっくりふくれた虫さされの跡がある。

	「あーあ、しかたないなあ」

	 薬箱からかゆみ止めをだしてやって、塗る。
	 マルチは顔をしかめた。

	「お鼻がつんとするですー」
	「まあかゆみ止めってのはそういうものだからね」
	「でも蚊さんって、血を吸ってご飯にしているんですよね」
	「まあ、そうだね。実際には血を吸うのは産卵期のメスだけなんだけど」
	「でもでもそれじゃあ、血が吸えなかったら卵産めないんですか?
	 なんだかかわいそうですぅ……」

	 顔を曇らせるマルチに、思わず苦笑がもれる。
	 仕方がないほどやさしい子に育ったな、この子は。

	「そうはいってもねえ、蚊の唾液は伝染病のもとになったりするから、やっぱり
	さされるのには気をつけないとね……はい、これで大丈夫」

	 しゅーっと虫除けスプレーをかけてやる。

	「じゃあいっておいで。気をつけるんだよ」
	「はい、いってきますー!」

	 日の光を反射して光る麦わら帽子。肩から下げられた虫かごが跳ねている。
	 草むらの中で虫取り網をふりまわすマルチ。
	 はじける笑顔はさながら真夏の太陽だ。
	 あの子は今年で何回目の夏を迎えたのだろうか?
	 ふと、思った。
	 これからまた何回目の夏を迎えても、この日のことはおぼえていて欲しい――。



「ってどうよ主任! 夏の風物詩満載だぜ!」

 だが主任は自信ありげにつめよるオレを軽く一瞥して、ぱさっと新聞をめくった。
 経済面。
 『来栖川電工、インドネシアに新工場』だと。
 もーかってんじゃねえかコラア。

 そんな記事なんかそしらぬ顔でぽりぽりと頭を掻く主任。

「いやあ、でもその手のパターンはさんざんやったし」

 マニアめ!

「いいのかい主任? あんた本当にそれでいいのか?
 あんた真の虫さされの良さってもんがこれっぽっちも分かっちゃいねえよ!
 もううわさは聞いたのか? そしてその目で確かめたのか?」

「な、なにがだい?」

 オレの剣幕に主任はちょっと引きぎみだ。
 よし、ここは押しの一手だぜ!

「セリオだよセリオ! いいか主任、考えてもみろ!
 昼の蒸し暑さも抜けて、打ち水した庭から涼しい夜風の吹く縁側だ――」




	 どどーん……ぱぱーん……
	 遠くの空で花火の音が鳴り響いている。
	 縁側から眺める花火は風情もひとしおだ。

	 ちりん。
	 ちりん……。

	 涼しい夜風を受け、ちいさな風鈴が澄んだ音色をひびかせる。

	「――スイカの皮はもう片づけてよろしいですか?」

	「いや、まだいいでしょう。なんとはなしに風情があるからね」

	「――はい」

	 彼女は浮かしかけた腰をおろし、また夜空に視線を投げた。
	 色のない瞳。
	 気持ちの見えない、深い森の奥の泉のような、そんな目を持つロボット。
	 だが。
	 気のせいだろうか。
	 それとも、夜空をいろどる炎の華が、彼女の心に一片のあえかな思いを注ぎ込
	んでいるのだろうか?
	 こんな夜、セリオはなんだか物思いにふけっているように見える。

	「浴衣」
	「――はい」
	「似合うね、それ」
	「――………………」

	 そんな言葉もつい口を突いて出る、夜の魔法の不思議を感じる。
	 思わずもらしたことではあるが、口にした言葉はウソではない。

	 セリオは濃紺の地に紅い朝顔の花をちりばめた浴衣に身を包んでいた。
	 大島紬の帯のオレンジが、一層の彩りを添える。
	 そして、それよりも濃いめの色の髪はアップにまとめられ、その生えぎわと浴
	衣の紺色のすき間に、はっとするほどに白いうなじが見えている。
	 月の光を浴びて、そこだけが光を放っているかのような一瞬。

	「――ありがとうございます」
	 そのととのった面差しをわずかにうつむけて、視線をそらす。
	 かすかに伏せられた目の色からはあいかわらず表情はうかがえない。
	 だが、そんなしぐさの一つ一つから、セリオの気持ちがにじみ出している。

	「素直じゃないんだね、セリオは」

	「――と、いいますと」

	「気持ちを、表に出してごらん」

	 きっといまの自分はやさしい目をしているだろう。そんな思いがわずかに心を
	刺す。
	 強要しているわけではない。だが、優しさは時に過酷だ。

	「――いけません」
	「なぜ?」
	「――私にそれは、許されていません……」

	 視線を落とした。
	 団扇を握る手に、ぎゅっと力がこもった。
	 二人の沈黙をよぎって、夜空をいろどる華の破裂音がとどろいた。
	 空を見あげる。
	 消え行く華の向こうに、もう一つのあかりが見える。

	「今晩は特別だよ。だってほら、ご覧」

	 花火の煙のもやの中、冷光を投げかける天体が一つ。
	 見上げる夜空に照る満月は、ほほえみかけているような。
	 セリオはゆるりと顔を上げ、

	「……美しいです」
	「君もね、セリオ」
	「――え」

	 どっきりするほどきれいな瞳。
	 びっくりするほどあふれるロマン。

	 二人の顔がゆっくりと近づき――。

	「あ」

	 ぴくり、とセリオの肩が震える。
	 そうっと腕を見て、頬にぽっと朱がさした。
	 そのままそそくさと袖の下に隠そうとした腕をとって。

	「どうしたんだい、セリオ」
	「――なんでも、ありません」

	 彼女の口癖。何かあるときは必ずそう言うのだ。
	 見ると、白く細い腕の中ほどに、ちいさく赤く染まったふくらみ。
	 そこを中心に、そら豆ほどの大きさに皮膚が腫れている。
	 血の気が引いていて、ほかの部分よりも白くなっている。

	「蚊だね」
	「――はい……」
	「どれ、貸してごらん」

	 腕をとる。
	 されるがままのセリオに、少しだけいたずら心がわいた。

	 親指の爪を、突きたてる。
	 縦に、横に。
	 白い腫れに、十文字が刻まれた。

	「――く……」

	 つらそうに目を閉じるセリオ。
	 こらえてはいるが、耳カバーの先がふるふるとけいれんするように震えている。

	「そんな……こと、なさっては……」

	 胸が締めつけられる。
	 この思い、忘れたくない、いまこの瞬間、彼女を放したくない。
	 乱暴なほどに強く、抱き寄せた。

	「――いけません、いけません……」
	「セリオさんは野菊のような人だ」
	「あ……」

	 縁側の下に、ぱさり、と団扇が落ちる。
	 ひときわ大きい炎の華だけが、二人を一瞬照らし出した。


	「……複雑、です……主任……」


	♪浴衣の襟にほの見える 君がうなじの眩しさよ
	 空にかがやく火の華よ 若い二人を照らしておくれ
	 恋の花咲く夏の日の 一夜かぎりのロオマンス

	 嗚呼、うるわしきかなかぐわしきかな ロボとメイドと虫さされ♪




「どうよ主任! 話題独占人気独占、大正時代の虫ささレディだぜ?」

 さっきまではやる気なしだった長瀬主任もすっかり身を乗り出して聞き入っている。
 よし! 効いてる!

「――いいね、それ」

「イイだろ? 辛抱たまらんだろ? グッときちゃうだろ!?
 コレよ! どうよこの谷崎文学を思わせる陰影礼讃っぷり!」

「いいよ! 藤田くんそれなんかいいよ! ああなんかアレだよ、HM事業開始のころを
思い出したな。あの頃はよかった……」
「主任」

 ぽん、と肩に手を置く。
 同じ思いに胸の炎を燃やす男たちは、みな同じ顔で笑うのだ。

「もう一度……あんたの人生、アツく燃焼させてみようぜ?」
「おお! 私はやるぞ! 待っててくれ藤田くん!」

 ガツンと握手するオレと長瀬主任。
 年齢を越えた友情ってあるもんだよな。心からそう思えた。





「できたぞ藤田くん!」
「早っ! あんたあれから30分も経ってないッスよ」
「わはははまだまだ! 全盛期なら10分でイケるぞ!」

 案外いいかげんだな、メイドロボ研究。

「まあ皮膚の総とっかえだからね。蚊の針の通りやすい多孔質の表皮と、その下の高分子
ジェルの部分に蚊の唾液に化学反応して膨張する層をはさみ込んだだけ。
 その腫れ具合に応じて痛覚神経に弱刺激が走って、かゆみを感じさせるという仕組みだ。
 さあ、二人ともおいで!」

 ぱたぱたと現われるメイドロボ二体。

「さあ二人とも、これからは思う存分虫に刺されることが可能だぞう!」

「わあ、すてきですー」
「――なんて迷惑な……」

「何か言ったかい、セリオ」
「――何でもありません」





 てなわけでマルチ連れて帰宅したがー。

「うわああああああん! かゆいですうううう!」

 うるせえ!
 虫さされ初体験のマルチは、さっきからかいーだなんだとうるさいこと山のごとし。

「ひ、浩之さん! あああもう、腕が足がお腹が背中があああ!」
「こら! 掻くと余計かゆくなるぞ!」
「そおんなこと言ったってえええええ!」

 布団の上を転がり回って掻きまくるマルチ。
 ぼりぼりぼりぼりぼりぼり……。
 かきすぎは体に毒だぞ! いろんな意味でな!

「わかった! 腕貸してみろオラ!」

 ぷっくり腫れに爪を突きたてる。縦横一回ずつ。

「ほらバッテン!」
「あああっ余計かゆくなりましたー!」

 だああ! きりがねえよコンチキショー!





「たっだいまー! セリオ、研究所はどうだった……って、わあああああ!」

 自室のドアを開けた途端、視界が真っ白になる。
 わき出す白煙にすわ火事か? と思った綾香は、廊下の消火器をつかみ出し、ハンドル
を握る。
 ホースの先から湧き出る泡消火剤を火点に向けようとして、はた、と気づいた。

「どこが燃えてんのよ?」

「――お帰りなさいませ、綾香さま」

 白煙の中から現われる、泡まみれの怜悧な面影。
 白いもこもこの塊の中から、尖った耳カバーが突き出している。

「防虫対策につき、燻蒸消毒中です」

「…………」

「今後蚊の季節が終わるまで、24時間昼夜を分かたず消毒しつづける所存です」

「……………………私の、部屋……」

「駆虫剤散布のため、衣服からなにからすべて真っ白です。純白とは美しいものですね」

 うつむいた綾香は、消火器をそっと逆さに握りなおした。



「必殺! 香奈子クラアアアアアッシュ!!」



 ごがんっっ


「ゴメンネ、せりお、ゴメンネ、せりお、ゴメンネ、せりお、ゴメンネ、せりお……」

 その日、綾香に似た人がロボットの足をもって研究所の方へ引きずって行く姿が見られ
たという。